静 夜 思

挙頭望西峰 傾杯忘憂酒

★ 2015.10.01  ≪ ビジネス用途の外語 vs 固有言語による国民文化の堅持 ≫

2015-10-01 23:36:20 | トーク・ネットTalk Net
 ★ 「英語公用化」ってアホちゃいますか!? http://mainichi.jp/premier/business/entry/index.html?id=20150930biz00m010011000c&fm=mnm
・ 言葉の問題を考えながら絶えず問いかける「幸せとは何か」  *「<英語化は愚民化」(集英社新書)は、そんな私の思いに明快に言葉を与えてくれた>。
  <とても説得力のある本だ。言葉の問題を考えながら、日本人にとって幸せとは何かを絶えず問いかけているのが印象的だ>。
  以上は、著者の施光恒(せ・てるひさ)1971年生まれ。政治学者で九州大大学院の准教授の言葉だ。
* 国を跨るビジネス/外交の場で力を発揮して「國際共用語」の地位を獲得する言語は時代とともに変遷した。19世紀以来それはEnglish と総称される言語だ。 
だが、著者の示す背反命題<アンタイスィーム:アンティテーゼ>は、母国語による外国語/外国文化の翻訳努力こそが異言語/異文化への対等な矜恃を保ち得たから
こそ、一方的な文化支配/吸収に終わらなかった、という。 其の生きた証拠として幕末~明治の日本を例証とする。

* 明治の知識人たちは、哲学や宗教・社会科学から科学技術に至るまで、欧米渡来概念の翻訳語をいくつも生み出した。その成果で、西洋文明全体を私たちの母語である日本語に土着化させることができた。<此の恩恵を受けたのは何を隠そう中国の人なのだが、今も感謝はしていない?>・・・・・このことによって、多くの人々の社会参加が可能になり、それが日本の急速な近代化を成し遂げる活力になった。明治だけでなく現代も日本語は、母国語翻訳で世界の最先端の高度な知にアクセスできる数少ない言語のひとつだ。

さあ、ここで冒頭のテーマに戻ろう。”地球上を今は支配する英語に心身ともドップリ浸かる時間”の一部を此の風土の教室で疑似体験する。これで子供たちは将来に繋がる何を得るのか? (それはアメリカンスクールに入れていようが同じ)。日本人の親に生まれた子供は、幾ら英語がネイティヴ久でも死ぬまで心身とも日本人から出られない。
 では、英語で生活する親の子に産まれた子供、英語漬けの時間で子供達は何を得て、何を失うのか? これまた、個人の意思・能力で対応するしかないこと。昨今はやりの<英語シャワー/缶詰X英語合宿>などの類と、小学科目に形だけの単位数を入れる仕草の 何処が違うのか?  私にすれば、親の文化を受け継ぐことができないでは、同じだ

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★ 2015.10.01  ≪ フツーの国とは? ≫ ≪ 国民の孤立とニヒリズムが 全体主義を招く ≫

2015-10-01 16:02:39 | トーク・ネットTalk Net
 ★ 田中優子の江戸から見ると:「普通の国」をめざして http://mainichi.jp/shimen/news/20150930dde012070014000c.html?fm=mnm
・ 人が個性を持つように、国はその地勢、風土、歴史、言語、生活の積み重ねによって独自性を持つ。「普通の国になる」という発想は、その独自性を自ら
  捨て去るという意味である。 ← グローバリズムに踊らされて独自性を放棄するのと同じ愚行である
・ 個々の存在理由を「もったい」というが、「もったい」のない国になるという願望を抱く国民は、世界中探してもそうはいないだろう。かなり普通ではない。
 * 「普通の国になりたい人たち」が思い浮かべる普通とは、アメリカのことかもしれない。しかし米国もまた、弾圧から逃れた人々が人権を主張しながら、
   硬質のジャーナリズムを育ててきた普通でない国だった。 その人権の闘いを知らないまま上澄みをまねることを普通の国と言うのか?  No!
   独自性を捨て去った日本は、どういう「普通」を実現するのか?・・・・・フツ-なんてありゃしないのだ。

 ★ この国はどこへ行こうとしているのか 作家・保阪正康さん http://mainichi.jp/shimen/news/20150930dde012010006000c.html?fm=mnm
・ 安倍晋三著「美しい国へ」を読み、「美しい」という形容詞にぞっとしたという。「形容詞を使う政治家に強い嫌悪と恐怖を感じるんです。
  形容詞は人を動かし、ある種の暴力へと人を追い立てるから。形容詞や美辞麗句を多用するのは、ヒトラーらが用いたファシストの手法です」。
・ 安倍内閣は、元最高裁長官が法案の違憲性を指摘しても歯牙にもかけない。安倍首相は内閣、つまり行政に、司法や立法を従属させようとしている。
  これをファシズムと言わずして、何と言うのですか」
・ 「歴史修正主義は世界中に見られるが、それが権力と一体化したのは日本だけ。歴史修正主義は今や安倍首相や閣僚の中にまで深く入り込んでいる。
   実に怖いことです」
* 「家族や共同生活者を持つこと。組織に属すること。愛着を感じる共同体を持つこと。つまり孤立するな、ということです。孤立すると人は自分を安易に国家と結びつけ、国がちょっと批判されるだけで自分が攻撃されたかのようにムキになる。孤立すると人は世界が見えなくなる。歴史修正主義の台頭の背景には人々の孤立があるのではないか」
   安保関連法の議論の中で「断腸亭日乗」を読み直すと、違う見え方がしたという。「結局、永井はニヒリズムに陥っていたのではないか。国が戦争に向かおうと俺の知ったことじゃない、と。昭和史に学ぶことのできる私たちは気づくべきです。もうニヒリズムが許される時代ではない。僕らはニヒリズムに陥ってはいけない。

 田中優子、保坂正康、両氏の鋭い指摘に感服した。田中氏は<自立性/主体性なき日本と日本人>の醜い像を簡潔に指している。保坂氏の<孤立><ニヒリズム>に陥らないよう戒めよ、とは何も知識人/読書人に向けられた警告ではないことに注意したい。それこそ「フツーの人々」Ordinary People 一人ひとりが胸にもたなければ、あっという間に『空気』に流されてしまう。 『空気を読む』ことで付和雷同する もろい集団なのだ、我々は。
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