♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

安芸郡府中町:「麒酒司稲荷社」

2018年08月31日 09時14分20秒 | 神社寺院等
広島人(の大多数)は麦酒といえば麒麟麦酒となる(なっていた)のです。
それは、広島市に囲まれた安芸郡府中町に
1938年から1998年までキリンビール広島工場があったことからです。

(きょうの)タイトルは上記にしましたが、
記事としては
その麒麟麦酒広島工場の屋敷神「麒酒司稲荷社」を取り上げました。

安芸郡府中町大須の麒麟麦酒広島工場に鎮座していた「麒酒司稲荷社」です。
編集頁に、
工場閉鎖してからその屋敷神が遷座したことを記述していなかったから更新したのです。

※麒麟麦酒広島工場に鎮座していましたが
2010年8月末閉鎖に伴って、(近くの)キリンビールマーケティング中四国統括本部前に遷座しています。


(裕編集の)麒酒司稲荷社

8月31日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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中区:中の棚稲荷神社

2018年08月30日 08時41分51秒 | 神社寺院等
中区立町(たてまち)に鎮座している「中の棚稲荷神社」です。

※中の棚(なかのたな)は、
広島城下の中心地で毛利時代は武家屋敷であり、
福島正則時代には町屋となった古い商業地で、「食の町」と云われていますが、
一時期にせよ金属装飾品加工の「美の町」でもあったそうです。


 「中ノ棚魚市場」(戦中)。昭和初期までの旧魚市場図


(裕編集の)中の棚稲荷神社

8月30日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
通り雨あり

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中区:(被爆した)納骨塔「還浄」

2018年08月29日 08時13分59秒 | 被爆建造物等
中区寺町の本願寺広島別院境内に建立されている「納骨塔・還浄」です。
爆心地から≒1,130mに位置しています。

※昭和5年10月、淑徳婦人会が納骨塔として建立したもので、
昭和20年8月6日原爆により倒破壊したが傷跡をとどめたまま保存工事を施され今日に至っているそうです。

(裕編集の)納骨塔「還浄」

8月29日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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中区:被爆アオギリ -概説-

2018年08月28日 20時50分00秒 | 被爆樹木たち
中区中島町の平和記念公園に移植されている「被爆アオギリ」が二本あります。

※2004年9月7日台風18号の強風で大きい方のアオギリ(上画像で向こう側)が根こそぎ倒れましたが、復旧され現在も元気です。
そこからほぼ毎月この被爆したアオギリを
(今日のブログで先に紹介したように)みて撮影してきました。

しかし、おおもとの「被爆アオギリ-概説-」の頁は2002年に編集して、2004年更新しましたがそれ以来更新していなかったのです。
きょう、新しい白色の被爆樹木標識について記述していなかったので、
それを記述し、2015年取り付けられた年に撮影した画像を付けて久しぶりに更新しました。
(裕編集の)被爆したアオギリ-概説-
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中区:被爆したアオギリ2018年8月26日

2018年08月28日 09時14分57秒 | 被爆樹木たち
中区中島町の平和記念公園に移植されている「被爆アオギリ」です。
※アオギリの種は熟れてきて黄色くなっていましたが、中の種がみえるものはわずかでした。


暑い日でしたが、冷房が効いた平和記念資料館東館休憩所(席は空いていましたが)ではなく、
屋外のアオギリ前の簡易椅子に座り、
このアオギリをみながら持ってきた弁当を食べ、食後少しばかりの休憩をとりました。
暑い日だったからでしょうアオギリの前を通り過ぎる人はいましたが、アオギリを見る人はわずかでした。

(裕編集の)被爆アオギリ2018年

8月28日(安芸区のわが家付近)天候:はれ


--追記------------------
この日平和記念公園撮影後の帰りに、
二葉の里の明星院、鶴羽根神社の被爆樹木も撮影したのです。
その時、明星院から鶴羽根神社への近道にならないかと入っていた路地(結局行き止まりでしたが)
サンフレッチェ二葉寮があったなと撮影しました。

フレ~フレ~~ サンフレッチェ! 
カープとダブル優勝を願って!!
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中区:平和記念公園2018年8月26日

2018年08月27日 09時12分14秒 | 平和記念公園
8月26日11時半過ぎでした。晴れていました暑い日でした。


ことしの猛暑にもかかわらず平和記念公園は、夏休みだからでしょう外国人の家族連れや恋人同士?を思ったよりも多くみました。
(裕編集の)平和記念公園広場の四季(2018年)

わが町のJR中野東駅から広島駅行きの山陽本線が(7月6日の)西日本豪雨で不通でした。
(8月)18日に(中野東駅から一つ先の)瀬野駅までは開通したので、今月も撮影ができるようになったのです。

(瀬野駅と八本松間は依然不通で、代替えバスもありません。)
電車の運行が普段の6割程度と聞いていますので、普通の日に乗ることを遠慮し、日曜日にしました。

8月27日(安芸区のわが家付近)天候:うす曇り

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番外:大石良雄手植えのしだれ桜二世

2018年08月26日 08時20分08秒 | 何処へ行っても
兵庫県赤穂市加里屋の花岳寺に植えられている「大石良雄手植えのしだれ桜二世」です。

※この桜は、
天和3年(赤穂藩)浅野長矩が三次藩主・浅野長治の息女・阿久里姫との婚儀の折、大石内蔵助が(広島県三次市の)三次を訪れました。
そして姫の菩提所・鳳源寺の庭に植樹した枝垂れ桜で、樹齢三百年を経た老樹の実生を育てた苗木をここ(兵庫県赤穂市の)花岳寺に植樹したものだそうです。


三次の鳳源寺で09.04.07.撮影しました。

わたしはここ花岳寺に二世が植えられているのかと撮影したのですが、
一緒に行った(三次で親木をみたことがない)息子は撮影するほどのことかという表情をしていました。

親木をみていましたので頁を編集しました。
(裕編集の)大石手植えの桜二世
花岳寺関連の記事はこれで終わりで、後日大石神社の記事を掲載します。

8月26日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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番外:(花岳寺建立)野口雨情詩碑など

2018年08月25日 09時10分36秒 | 何処へ行っても
兵庫県赤穂市加里屋の花岳寺に建立されている「野口雨情詩碑」、「大高源五句碑」です。

※(上画像が)野口雨情詩碑
『春のあけぼの 花なら桜  武士の鑑ぢゃ 赤穂義士    雨情』
この碑文は、昭和11年、民謡行脚の道すがら、4月18日から三日間赤穂に滞在した十節よりなる赤穂民謡の冒頭第一節(雨情自筆写刻)だそうです。

大高源五(赤穂義士の一人は俳名を子葉といいます。
源五26歳の時元禄10年秋浅野長矩の江戸よりの帰路に従い、
近江栗津が原、義仲寺松尾芭蕉の墓前で詠んだ句が句碑になっています。

『こぼるゝを許させ給へ萩の露』

(裕編集の)野口雨情詩碑、大高源五句碑

8月25日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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番外:(花岳寺)忠義塚

2018年08月24日 09時06分45秒 | 何処へ行っても
兵庫県赤穂市加里屋の花岳寺に建立されている「忠義塚」です。

*上画像の右側後ろに写っている木(柳)は「不忠柳」と名付けられています。
ご存知だったら下に記述することはパスしてください。

忠義塚は、
寛延3年義士の五十回忌(48年目)として義士たちを追慕の人々が建てたものだそうです。

この忠義塚をみた時、三次・鳳源寺でみた神道碑(木造で、浅野長晟を讃えた碑文)と同じ‘贔屓’の上に碑がある形式だなと思ったので撮影し、頁を編集することにしたのです。

(花岳寺)忠義塚

8月24日(安芸区のわが家付近)天候:くもり



*「不忠柳」は、夜逃げした家老・大野九郎兵衛の屋敷から移植した柳だそうです。
*左側に写っているのが、
 「忠義桜」で、大石内蔵助の屋敷から移植したそうです。
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番外:(花岳寺)鳴らずの鐘

2018年08月23日 08時41分54秒 | 何処へ行っても
兵庫県赤穂市加里屋の花岳寺にある「鳴らずの鐘」と呼ばれている梵鐘です。
※現在の鐘は、鋳造当時の梵鐘ではなく再改鋳された梵鐘(なのでいまは鳴る鐘)です。

梵鐘の名の由来は、
元禄15年12月14日家臣47人は吉良邸へ討入り、長矩の無念を晴らしました。
翌(元禄16)年2月4日46士は切腹を仰せつかり、4侯邸で自刃しました。
この報が赤穗に届いたとき、町民は46士の死を悼み悲しみ花岳寺に集まりこの鐘を撞きにつきまくり「爾来音韻を失すること五十年」。

(裕編集の)鳴らずの鐘

8月23日(安芸区のわが家付近)
天候:今はまだ晴れ。今夕は荒れてくるとか

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番外;(赤穂)義士墓所

2018年08月22日 09時15分19秒 | 何処へ行っても
兵庫県赤穂市加里屋の花岳寺に造られている「(赤穂)義士墓所」です。
※赤穂義士の三十七回忌にあたる元文4年当時の赤穂藩主であった森家の家臣・小林貞真を中心とする有志によって建立されました。
お墓には義士の遺髪が埋められていると云われています。


大石主税  浅野内匠頭  大石内蔵助

(裕編集の)(花岳寺)義士墓所

8月22日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

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番外:赤穂浅野家三代の墓

2018年08月21日 08時10分30秒 | 何処へ行っても
兵庫県赤穂市加里屋の花岳寺に建立されている(赤穂浅野家)「浅野家三代の墓」です。
※藩祖・長直、二代・長友、長直の父・長重の三代のお墓です。


赤穂藩祖贈從三位 浅野長直公之墓

(裕編集の)(赤穂)浅野家三代の墓

8月21日(安芸区のわが家付近)天候:はれ、曇り

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番外:台雲山・花岳寺

2018年08月20日 07時43分55秒 | 何処へ行っても
兵庫県赤穂市加里屋に創建されている「台雲山花岳寺(たいうんざん・かがくじ)」です。
※山号の台雲山は初代・浅野長直の母の法号「臺雲院殿」から、寺号の花岳寺は父の法号「華獄院殿」が由来だそうです。
∵臺雲山華獄寺として創建され、後に旧字などを廃し「台雲山花岳寺」と表記されるようになったそうです。

義士木像堂

正面:新西国第31番霊場本尊千手観世音菩薩像が安置され、
その手前に浅野長矩の位牌が配されています。

東西の壁面側に、表門組と裏門組に分けて赤穂四十七士の木像が安置されています。
しかし義士木像堂内には、
『書画保存の為 館内は撮影禁止です』と貼り出されています。
ここ花岳寺に限らず、宣伝広報になるのになぜ撮影禁止にするのかと常々思っているのです。
花岳寺が云う、書画保存の為というならフラッシュ撮影を禁止にすればいいと思うのです。
広島の(原爆の惨禍にも耐えた)明星院・赤穂義士木像。三次の鳳源寺・義士堂を撮影して頁を編集していますので、
ここ花岳寺の義士像も撮影可になることを(わたしは)願わずにはおられません。

(裕編集の)台雲山花岳寺

8月20日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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安芸区:豪雨で流失した塚地橋

2018年08月19日 09時21分21秒 | 旧瀬野川町附近
安芸区瀬野南と瀬野を結び瀬野川に架かる「塚地橋(つかちはし)」(だったの)です。
8月20日、流失した塚地橋の頁を編集しました。「(流失した)塚地橋)」
よければ見てください

(記事には全橋名の記述はなかったのですが)
先の西日本豪雨で、瀬野川では四橋が倒壊、一橋が損壊したと中國新聞報道で知ったのです。

少し落ち着いたかと思いましたので、昨日撮影に行きましたが。
この近くの家々の前にまだ土砂処理した土嚢袋が残っている処をみたりしました。
わが家から一番近くのこの無惨な姿の塚地橋を撮影しました。
6径間のうち2径間3橋脚が残り他は流されていました

まだ健在だった2006年当時の塚地橋の頁を編集していましたが、
2016年撮影した画像を加え更新しました。
(裕編集の)塚地橋

8月19日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

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8月18日海田市駅~瀬野駅間JR山陽本線再開

2018年08月18日 17時14分39秒 | 乗り物関連
西日本豪雨で不通だったJR山陽本線:海田市駅~三原駅間だったのです。

きょう(8月18日)海田市駅~安芸中野駅~中野東駅~瀬野駅間ではあるのですが、復旧開通したのです。
上記は時刻表
(これまで普段の運行の6割程度と云われていますが)

瀬野駅~八本松駅 9月中ごろ
八本松駅~白市駅 8月21日暫定的運転
白市駅~三原駅  10月中ごろ
(JR西日本の発表)


乗客が戻ってきた瀬野駅15時過ぎ撮影

岩国行き電車が待っている3番ホーム

1番ホームに電車が止まるのはまだ先のようです

駐車場に山積みされていた土砂も撤去されていました

裕編集の(広島県内)山陽本線の駅々
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