♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

中区:平和祈念碑

2019年10月31日 07時32分17秒 | 原爆慰霊碑等
中区大手町の元安川緑地帯に建立されている「平和祈念碑 (PEOPLE AT PEACE・碑)」です。
碑文は
『全人類の恒久平和のシンボルとして被爆の体験をもつ姉妹都市広島と長崎の両クラブがこの碑を建立する』とあります。


2001年10月4日撮影
当時は北側にはオープンカフェはありませんでした。


(裕編集の)平和祈念碑

(裕編集の長崎の)PEOPLE AT PEACE・碑

10月31日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

コメント

中区:原爆犠牲建設労働者職人之碑

2019年10月30日 08時29分17秒 | 原爆慰霊碑等
中区大手町の元安川緑地帯に建立されている「原爆犠牲建設労働者職人之碑」です。
碑文には、
『全建総連に結集する43万人の総意にもとづき、原爆の犠牲となられた建設労働者・職人と家族の霊を慰め、地球上から一切の核兵器をなくし、平和で豊かな社会を・・・・』とあります。


2014年8月21日撮影

2000年頁を編集する時は慰霊碑だけに注目して撮影していました。
編集頁が増えていく過程で、周りも気にして撮影するようになっていきました。
この慰霊碑に関しても慰霊碑の後ろにも注意していると、(最初の画像のように)2014年とは変わっていました。
(裕編集の)原爆犠牲建設労働者職人之碑

10月30日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

コメント

中区:(被爆した建物)旧・日本銀行廣島支店

2019年10月29日 07時33分26秒 | 被爆建造物等
中区袋町に残されている「旧・日本銀行広島支店」の建物です。
※1945年8月6日被爆した建物です。
  (爆心地から≒380m)
※広島市指定重要有形文化財として建物公開も兼ねて、
  時に催し等も開催されています(いずれも入場無料)。


2006年11月になって広島市教育委員会が設置した「広島市指定重要有形文化財」の説明板を知り、撮影していらいそのままでした(ので)。
2018年久しぶりに撮影したので、編集の頁を更新しました。
(裕編集の)(被爆した建物)旧・日本銀行廣島支店

10月29日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント

中区:(洞門寺)さする石

2019年10月28日 08時03分11秒 | 各種記念碑等
中区西白島町の洞門寺に建立されている「さする石」を取り上げました。
さする石の由来
『禅とは巌(いわお)なり、巌の心、修行なり、このお石は秋葉権現のご神体です。
火を鎮める神であり水をかけ、たなごころでこの石を撫で、祈念すれば祟る石が「ご利益の石」になり・・・』

ことし訪ねお参りした時上記画像のようにさする石周りが整備されていました。
2006年お寺を訪ねたときは下画像のようでした。


(裕編集の)(洞門寺)さする石

10月28日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

コメント

中区:(巌峰山)洞門寺

2019年10月27日 08時32分18秒 | 神社寺院等
中区西白島町に建てられている「巌峰山(がんぽうざん) 洞門寺」です。
※平成31年度に広島新四国88ヶ所霊場の寺院入替で新しく第65番霊場になりました。

曹洞宗のお寺です。
本尊は、阿弥陀如来坐像です(被爆された阿弥陀様だそうです)。


(裕編集の)(巌峰山) 洞門寺

10月27日(安芸区のわが家付近)天候:くもり⇒晴れ

コメント

番外:JR香椎駅

2019年10月26日 08時22分08秒 | 何処へ行っても
福岡県福岡市東区香椎(かしい)駅前に設置されているJR九州鹿児島本線の「香椎駅」です。
※また、JR九州香椎線の駅でもあります。
※駅が開業した1890年当時は、糟屋郡(かすやぐん)香椎村の駅でした。

※2019年現在、香椎線は単線、非電化ですが“蓄電池電車”が運行しているそうです。

2018年にまだ気動車キハ40でした。


(裕編集の)JR香椎駅

10月26日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント (4)

番外:西島伊三雄作「博多の祭り」

2019年10月25日 08時47分29秒 | 何処へ行っても
福岡市博多区博多駅中央街の博多駅筑紫口に設置されている西島伊三雄作「博多の祭り」です。

博多口の駅ビル(JR博多シティー)を撮影したあと新幹線に乗るまでの時間が少しあったので、
筑紫口も撮影しするかと思ったのです。
駅を抜けて筑紫口から出てすぐに目に入ったのがこのモニュメントでした。
“博多祇園山笠”を描いた三角錐の作品でしたが、作品名・作者ともその時は(わたしには)わから無かったのです。
帰宅後NETで検索すると“福岡市役所のフクオカパブリックアートガイド”で作者:西島伊三雄、作品名:博多の祭り ということはわかりました。

(裕編集の)西島伊三雄作「博多の祭り」

10月25日(安芸区のわが家付近)天候:(昨夜からの雨が止み)晴れてきました

コメント (4)

番外:(大名小学校校舎跡)福岡グロースネクスト

2019年10月24日 15時50分57秒 | 何処へ行っても
福岡市中央区大名の大名小学校だった校舎を利用して「福岡グロースネクスト」になっています。
※福岡市立大名小学校は、2014(平成26)年3月閉校になりました。

※2017年4月12日官民共働型スタートアップ支援施設「FUKUOKA growth next(福岡グロースネクスト)」が誕生しています。


60余年前になりましたが、(わたしは)この大名小学校に入学し通っていたのです。
2018年4月福岡に出ていきましたので、ここ旧大名小学校に立寄り“福岡グロースネクスト”を撮影しました。
久しぶりに校舎に入りましたので、頁を編集しました。
(跡地活用事業全体については別頁で編集しました。

(裕編集の)(大名小学校校舎跡)福岡グロースネクスト

旧大名小学校跡地活用事業

10月24日(安芸区のわが家付近)天候:(本降りの)雨

コメント (2)

中区:(寶珠山)金龍寺

2019年10月23日 08時39分23秒 | 神社寺院等
中区小町に建てられている「寶珠山(ほうじゅざん)金龍禪寺」です。
※広島新四国八十八ヶ所霊場第七十番霊場です。

臨済宗妙心寺派のお寺で、本尊は釈迦如来です。

1632年浅野光晟のとき紀州の名刹金龍寺を移設、塔堂を建立されました。

(裕編集の)寶珠山 金龍寺

10月23日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

コメント (2)

中区:(醫王山)光明院

2019年10月22日 08時22分42秒 | 神社寺院等
中区白島九軒町に創建されている「医王山(いおうざん)光明院」です。
※広島新四国八十八ヶ所霊場第六十三番霊場です。

高野山真言宗のお寺で、本尊は薬師如来です。

1619年紀州より浅野長晟が入城に従い、
紀伊の国から初代木食秀存師が来られ浅野家の祈願として建立されました。

(裕編集の)醫王山 光明院

10月22日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント (2)

南区:JRカープ応援列車2019年

2019年10月21日 08時46分47秒 | 乗り物関連
南区松原町のJR広島駅で停車中の「JRカープ応援列車2019年」です。
運行期間は、3月24日(日曜日)から2019年11月下旬ごろまで(予定)なのですが10月18日に撮影しました。

*われらがカープの今シーズンはすでに終わり
Bクラス4位が決まってから初めてわたしは乗車したのです。



わたしは最近、JR電車に乗る機会が少ないので、
昨(2018)年のラッピング電車は撮影していなかったので、カープの今シーズンは終わってしまいましたが、撮影して頁を編集しました。
(裕編集の)JRカープ応援ラッピング電車2019年

広島ぶらり散歩「広島カープ関連」編

10月21日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント (2)

中区:被爆したアオギリ2019年10月18日

2019年10月20日 08時51分58秒 | 被爆樹木たち
中区中島町の平和記念公園に移植されている「被爆アオギリ2019年」です。
※1945年8月6日当時基町の広島逓信局中庭(爆心地≒1,300m)で被爆しました。

15時前で、あいにくの雨でした。
せっかく修学旅行で平和記念公園にやって来てくれた児童、生徒たちには気の毒な雨でした。
平和記念資料館東館内には外国(東洋系ではない)からの団体観光客、修学旅行の児童たちでごった返していました。
また、館外(雨よけしながら)軒下にも集合していました。


アオギリたちを裏側からみました。
(平和記念資料館東館の軒下に修学旅行生たちが集合しているのがわかりますか)


アオギリ後側の“民放の森”で先月再び実施されていた原爆遺構の発掘が終わったのでしょう。ガードフェンスが撤去され、埋め戻され整地されていました。

(裕編集の)被爆アオギリ2019年

10月20日(安芸区のわが家付近)天候:はれ

コメント

中区:平和記念公園2019年10月18日

2019年10月19日 08時34分10秒 | 平和記念公園
10月18日14時過ぎでした。あいにくの本降りの雨でした。
2015年年末から(耐震工事前の発掘作業用に)シート仮囲いで囲われた通称・原爆資料館だったのですが、
2019年今(10)月は(耐震工事用の)万能板の仮囲いが撤去され簡易バリケードになっていました。
平和記念公園広場が見渡せるようになっていました。

この日、せっかく修学旅行で平和記念公園にやって来てくれた児童、生徒たちには気の毒な雨でした。
平和記念資料館東館内には外国(東洋系ではない)からの団体観光客、修学旅行の児童たちでごった返していました。


(裕・現在編集の)平和記念公園広場の四季(2019年)

(裕・過去編集の)平和記念公園広場の四季(2015年)

10月19日(安芸区のわが家付近)天候:(現在)くもり
夜半に強い雨音で寝覚めましたが

コメント

中区:旧雑魚場町地区周辺・原爆被災説明板

2019年10月18日 07時49分49秒 | 各種記念碑等
中区国泰寺(こくたいじ)の国泰寺高校内に広島市によって建立されている「旧雑魚場(ざこば)町地区周辺・原爆被災説明板」です。

『爆心地から約1,100m
第二次世界大戦末期、空襲による建物の延焼を防ぐ目的で、木造家屋を解体する建物疎開が各地で実施されました。
この作業には隣組や職場の人たちで組織された義勇隊をはじめ多くの国民学校や女学校、旧制中学校の学徒も動員されました。
原爆が投下された1945(昭和20)年8月6日この雑魚場町地区(現在の国泰寺町一丁目)では約2,500名の生徒たちが作業に従事していましたが、その多くが痛ましい犠牲者となりました。』


(裕編集の)旧雑魚場町地区周辺・原爆被災説明板

10月18日(安芸区のわが家付近)天候:くもり(霧雨)

コメント

番外:(太宰府天満宮)梅楽座の礎石

2019年10月17日 14時34分26秒 | 何処へ行っても
福岡県太宰府市宰府の太宰府天満宮幼稚園近くに展示されている「梅楽座の礎石」を取り上げました。
※展示場所で発掘されたのではなく、幼稚園がある場所で発掘調査されたものです。

梅楽座の礎石(ばいらくざのそせき)の説明板には、
『中央が凹んだ石は、大正6年より昭和15年頃まで、この地にあった「梅楽座」の廻り舞台の心棒を支える礎石です。
梅楽座は、歌舞伎をはじめ、文楽、義士劇、後には映画なども行った芝居小屋でした。・・・』とあります。

広島県上下町に翁座という同じような時代に造られた芝居小屋がいまも残っていますので、
ここ太宰府にあっても何ら不思議とは思わなかったのですが、
(文献資料もなく無く)忘れられ去っていった芝居小屋に思いをはせたのです。

(裕編集の)(太宰府天満宮)梅楽座の礎石

10月17日(安芸区のわが家付近)天候:くもり

コメント (2)