♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”を推進しています。

庄原市:(百三ひろば)倉田百三文学碑

2022年10月04日 08時34分39秒 | 各種記念碑等
広島県庄原市西本町の‘百三ひろば’に建立されている「倉田百三文学碑」です。

※倉田百三の代表作“愛と認識の出発”の序文の言葉「青春は短い宝石の如くにしてそれを惜しめ 百三」と刻まれています。


庄原市のweb siteの“倉田百三について”で‘百三ひろば’が庄原グランドホテル横に開設されている事を知ったので訪ねたのです。
そこでみた文学碑を取り上げました。

(裕編集の)(百三ひろば)倉田百三文学碑

10月4日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
25.8℃、71%

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庄原市:百三ひろば

2022年10月03日 08時30分21秒 | 公園・緑地等
広島県庄原市西本町の庄原市市有地に整備されている「百三ひろば」です。
※市から無償で観光会議が借りて管理する≒170㎡の三角形の広場です。

設置の説明板によると
『この広場は、1984(昭和59)年、庄原市観光協会が市有地を借り受け整備しました。
自然石の倉田百三文学碑には百三の代表作“愛と認識の出発”の序文の言葉「青春は短い宝石の如くにしてそれを惜しめ」が刻まれています。・・・・』とあります。



*私見です。
庄原まちなか観光会議はここを「百三ひろば」と名付けています。
観光会議が考えているほど、現代では倉田百三が全国区の人物でないことを知るべきだと思うのです。
(団塊世代のわたしの息子の世代の)大学を卒業した文系の人に倉田百三を知っているかと聞くと「知らない」と云う。
戦前の有名人であって、
(戦後77年も経っている)現代の有名人でないことを知るべき時ではないかと思うので、
ここを「百三ひろば」というのではなく“倉田百三ひろば”と云った方がいいと思うので、敢えて広場名称を取り上げました。

(裕編集の)百三ひろば

10月3日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
23.8℃、65%

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番外:わが家の赤実レモン

2022年10月02日 08時27分25秒 | いまだ初心園芸
鉢物で育てているわが家の「赤実レモン」です。

久しぶりに実りの秋を迎えています。
鉢物としてはわが家なりの豊作かなと思っている処です。


(わが家の)赤実レモン

10月2日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
22.8℃、62%


玄関を飾ってくれていた日日草もそろそろ終わりに、
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中区:被爆アオギリ9月29日

2022年10月01日 09時09分15秒 | 被爆樹木たち
中区中島町の平和記念公園に移植されている「被爆アオギリ」2022年版です。
※1945(昭和20)年8月6日当時基町の広島逓信局中庭(爆心地≒1,300m)で被爆しました。

9月29日11時をまわっていました。天候は、くもっていました。
修学旅行の季節がきたようで、多くの児童生徒が訪れていました。
平和記念資料館の見学が終わった生徒たちが、三々五々アオギリ前の広場に集まっていました。
そろそろ昼食を待っているのでしょう。
(別会社の)弁当屋さんの車が三台が元安川沿いの路に留まっていました。

アオギリの種は採取されたようです?(高い処にわずかにありましたが)


(裕編集の)被爆したアオギリ2022年

10月1日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
24.2℃、64%

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中区:平和記念公園9月29日

2022年09月30日 08時43分02秒 | 平和記念公園
中区中島町の平和記念公園、昨日(木)11時過ぎでした。くもっていました。

修学旅行の季節のようで、多くの修学旅行生が訪れていました。
修学旅行生を運んできた多くの観光バスが、通称・原爆資料館南側広場に留まっていました。


ただ、秋の観光シーズンを楽しむ国内の団体観光客、そして外国からの観光客が戻ればコロナ禍前の秋の平和記念公園になるのでしょうが、
広島県のコロナ感染者数は千人を切るまでには至っていないのですからまだまだ往時の賑やかだった平和記念公園へ戻るのはチト無理のように思いますが。
(裕編集の)平和記念公園広場の四季(2022年)

9月30日(安芸区のわが家付近)天候:はれ〔洗濯日和〕
22.3℃、70%

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西区:村上渚作「ゾンビ画」

2022年09月29日 08時01分06秒 | 野外彫刻等
西区横川町の2階の横川商店街振興組合事務所への階段壁に描かれている「ゾンビ画」です。
※作者は、中学美術教員でもある村上渚さんです。

2015年からはじまったと聞く、横川版ハロウィンは、TVニュースなどでみるとゾンビ顔にペイントした人であふれていますね。
ここの処はコロナ感染の広がりで催されていないようですが、
なぜ、ゾンビなのか?ということは、
横川カンパイ王国のweb siteにも記述がありませんのでわたしにもよくわかりません。


作者のサインがないかとみましたがないようなので、作者はわからなかったのですが、
横川カンパイ王国マップに、この階段画を村上渚さんが描いたとありましたので、作者がわかりました。
(裕編集の)村上渚作「ゾンビ画」

9月29日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
23.4℃、73%。

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西区:(横川商店街ビルA棟外壁画)「TAMA-つながる意識-」

2022年09月28日 08時34分00秒 | 野外彫刻等
西区横川町の横川商店街ビルA棟外壁に描かれている「TAMA-つながる意識-」です。

※作者は、 SUIKO。IMAONE。FATEの三作者。
※2020年の作品。


外壁画の題は、撮影時には分かたなかったのですが、
“横川カンパイ王国”のweb siteを参照しました。

(裕編集の)(横川商店街ビルA棟)外壁画「TAMA-つながる意識-」

9月28日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
24.2℃、75%。
わが家の金木犀、香り出しています。

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西区:SUIKO作「Noah's Ark」

2022年09月27日 08時58分26秒 | 野外彫刻等
西区横川町の横川シネマの外壁に描かれているSUIKO作「Noah's Ark」です。
※2014年作品です。

壁画の右下ゴミ箱の後ろに書かれていた「Noah's Ark」、恥ずかしながらわからなかったのです。
帰宅後NET検索すると「ノアの箱舟」ということがわかりました。


2020年コロナ禍でしたが、息子と安芸高田市向原町で昼食を向原農村交流館やすらぎ食べたのです。そのとき、駐車場で目に留まったのが何やら?描かれているSUIKO作のラッピング車の展示でした。
帰宅後、suikoをNET検索するここで取り上げた横川シネマの外壁画を描いた人物ということがわかり、
コロナ禍の2021年9月日赤での定期検診後JR横川駅から帰宅することにして、この外壁画を撮影しました。
(裕編集の)SUIKO作「Noah's Ark」

9月27日(安芸区のわが家付近)天候:雨になりました(雷も)
25.2℃、75%。

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庄原市:備後庄原駅

2022年09月26日 08時03分44秒 | JR駅舎
広島県庄原市中本町に設置されているJR芸備線(単線・非電化)の「備後庄原駅」です。
※1923年12月8日駅開業時は、比婆郡庄原町の駅でした。

8月14日庄原市に行き、撮影に夢中で昼食時を過ぎていたので、息子に庄原駅前に行けば食堂があるだろう(から)ご飯を食べて駅舎を撮影できればと思って云ったのです。

今月になって、中國新聞が『鉄路のあす』-輸送密度1,000人未満のいま-という連載記事を掲載しだしたのです。
その①芸備線~備中神代でここ備後庄原駅-再開発の駅一帯閑散-で取り上げていたので(長く)参照します。
『田園都市・庄原市。中心駅のJR芸備線備後庄原駅前は2020(令和2)年秋、市の土地区画整理事業で生まれ変わった。
駅が開業した1923(大正12)年にちなみ、大正ロマン風の装いになった駅舎を出ると、整然としたロータリーと公園がある。ただ、その先に見えるのは駐車場と空き地。市の玄関口は閑散とする。
事業開始は国鉄時代の1986(昭和61)年。財政難による凍結、区域縮小の計画変更を経て完成までに34年を要した。
この間、芸備線の乗客数は急下降をたどった。JR発足の1987(昭和62)年備後庄原駅から乗車できる列車は平日に上下21本があったが、減便続きで現在はほぼ半分の11本。急行ちどり、たいしゃくは2002(平成14)年に廃止された。
「コンビニや飲食。駅前の機能がもう少しあれば、鉄道利用に目が向く」。住民でつくるまちづくり協議会の西田学会長(57)はもどかしい。
求心力が低下した駅周辺への出店はない。・・・・・』

*駅前なのに食堂らしき建物も看板もない。2020年整備されたバスに乗客する人さえいない(最初の画像)
上記の記事の指摘にそうだなと思った事でしたので、中國新聞記事を長々と参照した次第なのです。
(裕編集の)JR備後庄原駅

9月26日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
24.3℃、67%。


台風以来ツクツクボウシの鳴き声を聞いていなかったのですが、9:50わが家の金木犀の木でなきました。(今年最後かもと思って追記9:52)
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番外:宮地嶽神社の絵馬

2022年09月25日 08時43分57秒 | 何処へ行っても
福岡県宗像郡津屋崎町宮司に鎮座している「宮地嶽神社の絵馬」です。

ことし9月義姉の通夜の前に福岡市東区和白に住む義妹と参拝しました。
妻を喪っているいま、参拝しながら、(前回妻と参拝した2003年)当時は“撫で牛”像は奉納されていなかったな。
本殿前に“2羽のフクロウが(ゲージの中で)飼われていました”が当時フクロウはいなかったななどと思い出しながら参拝しました。
葬祭ですのでデジカメを持って行っていなかったので、参拝記念に絵馬を求めました。

(裕編集の)宮地嶽神社の絵馬
少しばかり収集している
(裕の)絵馬の収集

9月25日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
21.8℃、60%。

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番外:ことしもユズに期待す

2022年09月24日 09時19分59秒 | いまだ初心園芸
わが家で育てている柚子です。

ことしも、わが家なりのユズなりのようで、熟れるのを期待している処です。


昨期造った柚子シロップ、
紅茶の砂糖代わりに使っていましたが、いま少しありますので今期も造りたいと思っている処ですが、
今期のユズの生り具合を見守っている処です。

(わが家の)ユズ

9月24日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
24.3℃、72%。

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庄原市:倉田百三の墓

2022年09月23日 07時24分10秒 | 雑関連
広島県庄原市西本町の倉田家墓所にも建立されている「倉田百三のお墓」です。
※百三は、東京・大森の自宅で亡くなりましたので、東京府中の多摩霊園に墓があります。

庄原市教育委員会の説明板が設置されています。
『・・・・大正6年26歳の時不朽の名作「出家とその弟子」を岩波書店から出版しベストセラーとなりました。
「愛と認識の出発」、「青春の息の痕、「光り合ういのち」など数多くの作品を残し、昭和18年2月12日東京大森の自宅で52年の生涯を閉じました。
百三の墓は、東京都府中市の多磨霊園にあり、分骨されてここ倉田家の墓地にも建立されました。「戚々西行水楽居士」と彫られた墓石がそれで、戒名を付け墓石の戒名を揮毫したのは一灯園・西田天香です。 』


この倉田百三の墓所は、息子もナビに入力していて、迷うことなく墓地につきました。
ただ、倉田家の墓地ですので、いろいろ墓石が建立されていました。
かすかに倉田百三、不鮮明でしたが歿年が書かれている木柱がありましたので、これだなと撮影しました。戒名で間違いないことを確認しました。
(裕編集の)倉田百三の墓 (庄原市)

9月23日(安芸区のわが家付近)天候:くもり(小雨模様)
25.1℃、69%。

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庄原市:倉田百三生誕之地・碑

2022年09月22日 07時35分11秒 | 各種記念碑等
広島県庄原市中本町に建立されている「倉田百三生誕之地・碑」です。
※倉田百三没後33周年の1976年にこの碑が建立されています。

側面に妹・艶子の碑文が刻まれています。
『百三は倉田家の只一人の男児として生まれた 兄の生涯の自由奔放な生
活法はこの温床から始まる 精神的暴君の性格は兄の個性の強さと父
母の犠牲を惜しまぬ愛の深さに依る「出家とその弟子」は生家に於て執筆
された・・・・』


庄原市のweb site“倉田百三について”でこの碑が、中本町商店街の通りに建立されていることを知り、グーグルマップで建立の石柱を確認してはいましたが、
実際行くと人通りもなく具体的な場所がわからなかったのです。
ちょうど、交差点角の店から出てきたご夫婦に「倉田百三の生誕の地碑をご存じないですか?」と尋ねました。『わたしたちは地元の人ではありませんが、そこでみましたヨ』と教えてもらい撮影できました。
(裕編集の)倉田百三生誕之地・碑

9月22日(安芸区のわが家付近)天候:くもり
22.1℃、58%。

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中区:(通称)一軒茶屋跡公園

2022年09月21日 08時07分24秒 | 公園・緑地等
中区舟入川口町の旧太田川(通称・本川)河岸に整備されている「(通称)一軒茶屋跡公園」です。
*公園標識が設置されていませんので(通称)を付けました。また、三角公園とも云われているようです。
*太田川放水路ができて(太田川の)本流になったので、旧太田川と呼ばれるようになりました。


スーパー堤防工事で出来たスペースを公園に整備したようです。
国土交通省中国地方整備局が「太田川水系河川整備基本方針」を2007年3月30日立案、
それに沿っておおむね 30 年で実施する河川整備の一環としてここ本川も新しい堤防になっています。

(裕編集の)(通称)一軒茶屋跡公園

9月21日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
21.6℃、58%。肌寒い朝

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西区:いまは無き(広島電鉄)十日市信号所

2022年09月20日 08時24分22秒 | 建物等
西区十日市町の十日市交差点西南角に過って建てられていた「操車塔」です。
※正式名称は、「十日市信号所」だそうで、愛称は「鳥の巣」と呼ばれていたそうです。
*(広電が発行した)「路面電車で広島百見」で云う“鬼太郎の家”との愛称とは違う呼び方でした)

※2021(令和3)年9月6日解体工事がはじまる。
*2022年になりましたが、広電土橋電停江波への電車に乗換えましたので、解体後を撮影しました。(最初の画像)

広島電鉄発行「路面電車で広島百見(ひゃっけん)」という小冊子で、
ここ信号所を“鬼太郎の家”と紹介していたので、建物的には健在中を撮影したのです。

2008年11月3日撮影


(裕編集の)広島電鉄旧・操車塔

9月20日(安芸区のわが家付近)天候:くもり、はれ
23.9℃、61%。

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