広島市中区大手町の平和記念公園(原爆ドーム西北側)に建立されている「鈴木三重吉文学碑(赤い鳥文学碑)」です。
※像・レリーフは、圓鍔勝三(1905-2003)作品です。
・碑台座裏側には説明板がはめ込まれています。
『「千鳥」「桑の実」などの名作によって明治大正期の文壇に生彩を放った鈴木三重吉は明治15(1882)年この地・猿楽町に生まれました。
大正7(1918)年少年少女のための雑誌「赤い鳥」を創刊主宰し童話童謡つづり方自由画の開発と振興に後半生をささげわが国児童文学の父とよばれました。その文績を記念したのがこの碑です。』と文責者の名前の記述があります。
・碑左前に(後日・文責者記述なし)設置された説明文とは違っています。
*1936(昭和11)年没の鈴木三重吉の文学碑が、
戦後整備されたここ平和記念公園に建立されているのは、この地から東側に300mばかり行った処が三重吉(1886-1936)の生誕地だったからと思っています。
(裕編集の)鈴木三重吉文学碑
※像・レリーフは、圓鍔勝三(1905-2003)作品です。
・碑台座裏側には説明板がはめ込まれています。
『「千鳥」「桑の実」などの名作によって明治大正期の文壇に生彩を放った鈴木三重吉は明治15(1882)年この地・猿楽町に生まれました。
大正7(1918)年少年少女のための雑誌「赤い鳥」を創刊主宰し童話童謡つづり方自由画の開発と振興に後半生をささげわが国児童文学の父とよばれました。その文績を記念したのがこの碑です。』と文責者の名前の記述があります。
・碑左前に(後日・文責者記述なし)設置された説明文とは違っています。
*1936(昭和11)年没の鈴木三重吉の文学碑が、
戦後整備されたここ平和記念公園に建立されているのは、この地から東側に300mばかり行った処が三重吉(1886-1936)の生誕地だったからと思っています。
(裕編集の)鈴木三重吉文学碑
10月1日国際高齢者デー
(安芸区のわが家付近)くもり。25.6℃、69%
*きょうもツクツクボウシ鳴かず 21:35追記