♪♪あなた知ってる?~広島~

HP「広島ぶらり散歩」編集&更新の履歴ブログです。
広島市は“平和都市”のほか“水の都ひろしま”も推進しています。

随処為主

2012年01月31日 17時40分35秒 | 野外彫刻等
昨年11月交流ウォーク探検隊の時、広島市中区吉島西に昭法寺があるので訪ねてみたのです。
(ことし1月13日受刑者が逃走した広島刑務所の南側すぐに位置しています)
お寺の隣に(お寺が経営されている)慈光幼稚園でみたのがこの「宗藤英哲先生の胸像」でした。
胸像後ろに、m.yoshidaのサインがありましたので、吉田正浪作と思いましたので、伺うと、吉田正浪先生に制作を依頼しましたということでした。
碑文の中に「随処為主」という宗藤先生が好きな言葉だとありました。

吉田正浪彫刻作品:宗藤英哲先生の胸像

広島ぶらり散歩「野外彫刻など」編
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番外:(乃木旧邸の)台柄

2012年01月31日 09時37分07秒 | 何処へ行っても
ここ山口県下関市長府の乃木神社で、復元された旧乃木邸をみながら、裏手に回った時に井戸が目に入り、その井戸に手押しポンプが設置されていましたので、
手押しポンプ中心に撮影したわたしですが、
ここ旧乃木邸で云えば「台柄」が主題で全体を撮影していないことを恥じています。
乃木希典がここで過ごしたという1859年から1865年にこの手押しポンプがあったわけではなく、手押しポンプ自体がなかった時代で、つるべで水を汲みあげていた時代だったのだと思いながらこの頁を編集していました。

(乃木旧邸の)台柄

何処へ行ってもぶらり散歩「(下関市)長府ぶらり散歩」編

1月31日(広島市安芸区のわが家の溜水に氷はる)天候 :晴れ

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番外:(乃木神社)乃木旧邸

2012年01月30日 09時59分23秒 | 何処へ行っても
ここ(下関市長府)乃木神社に乃木希典が10歳から16歳まで生活したお父さん・希次の家が再現されています。
拝見すると6畳と3畳ふたま(しかない)質素な家で育ったことを知りました。
武士として、士農工商という身分制度があった時代で、それで云えば武士という一番上に位置していた乃木家であってもこのような住居環境であり、江戸時代だったから電燈もなく、上水道もない時代だったのだと改めて思いをめぐらしたわたしでした。

(乃木神社)乃木旧邸

何処へ行ってもぶらり散歩「(下関市)長府ぶらり散歩」編

1月30日(広島市安芸区のわが家の溜水に氷はる)天候 :曇り

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中区:古乃美教・広島教会

2012年01月29日 17時24分47秒 | 神社寺院等
交流ウォーク・新コース吉島地区の探検隊の時、広島市中区光南を訪ねました。
地図上に神社があるようになっていましたが、よくわからず探していたのです。
通っておられたおばあさんに尋ねると、新しい建物になってそこですよと教えていただきました。
帰宅後、NET地図・マップファンをみると「出雲大社」となっていましたので、出雲大社教系統(祭神・大国主神)の神道神社ではと思いました。

古乃美教・広島教会

広島ぶらり散歩「広島の神社寺院」編
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番外:(乃木神社)乃木将軍御夫妻銅像

2012年01月29日 09時13分35秒 | 何処へ行っても
ここ山口県下関市長府の乃木神社を参拝した後境内を巡ってみたのです。
目に入ったのが、この乃木将軍御夫妻銅像でした。
明治天皇崩御後、大葬当日に夫妻で殉死という道を選んだことは、1991年東京・赤坂の乃木神社を参拝した時に相殿に乃木静子命を祀るということで知りましたが、その赤坂の乃木神社で銅像があったかの記憶がないわたしでした。
雨の中でしたが、頁を編集しようと撮影しました。作者はサインから竹内不忘ということがわかりました。

(乃木神社)乃木将軍御夫妻銅像

何処へ行ってもぶらり散歩「(下関市)長府ぶらり散歩」編

1月29日(広島市安芸区のわが家付近)天候 :曇り(夕方・雨)

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松本隆司作:青年の譜

2012年01月28日 17時14分08秒 | 野外彫刻等
ここ広島市中区の広島県民文化センターの『加藤唐九郎作の陶壁画「潮 音」』を以前に頁にしていますがふたたびみに来たのです。
玄関を入り、加藤唐九郎作の陶壁画をみようとした時に、その上・2階のこの彫刻の上部がみえたのです。いままで気が付いていませんでした。
作品は何処かでみたことがあるように思いました。
近づいてみると松本隆司の彫刻作品「青年の譜」とわかりました。

松本隆司作:青年の譜

広島ぶらり散歩「野外彫刻など」編
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番外:(長府)乃木神社

2012年01月28日 08時49分48秒 | 何処へ行っても
昔になりましたが、東京・赤坂の乃木神社を参拝したことがありましたが、
ここ山口県下関市長府にも乃木神社があることを、長府ぶらり散歩の時に知りました。
当日はあいにくの雨模様の中でしたが、交流ウォークのメンバーの方たちと参拝しました。

(長府)乃木神社

何処へ行ってもぶらり散歩「(下関市)長府ぶらり散歩」編

1月28日(広島市安芸区のわが家付近靄っいぇいるようです)天候 :曇り

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加藤重高作:広島市立中央図書館・陶壁画

2012年01月27日 17時47分48秒 | 野外彫刻等
ここ広島市中区基町(もとまち)の中央図書館の南北両入口に行くのに階段を上る設計ですので2階にあたる廊下壁(ホールロビーと云える場所)を飾る陶板壁画です。
いままで何となくみて通り過ぎていましたが、
広島ぶらり散歩「野外彫刻など」編を編集していますので、2011年になりましたが作者はと思ったのです。
陶板壁画の下側をみていると南側に「1974 重高」と焼かれた陶板をみました。
帰宅後陶芸家、重高とNET検索し、年代的にも加藤重高で間違いないだろうと思いました。
父にあたる・加藤唐九郎の陶板壁画が1985年とこの作品の後年にあたりますが、広島県民文化センターの1階ロビーを飾っていることから加藤重高である事であろうと思いました。

加藤重高作:中央図書館陶壁画

広島ぶらり散歩「野外彫刻など」編
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番外:(明治)維新発祥之地・碑

2012年01月27日 09時00分32秒 | 何処へ行っても
山口県下関市長府の忌宮神社を参拝した後、
交流ウォーク片岡会長が、近くにこの(明治)維新発祥之地碑が建立されていますよといわれたので、見に来たのです。
長府という地が維新発祥之地ということで、この碑の建立場所附近で何か明治維新に繋がる事件が起きたということではないようでした。
碑の後ろの『ふる里に誇りをもとう、長府っ子』という標語に目がいき、長府だけではないな~~、長州戦争時代幕府側であった広島であってもそうだし全国的にいまの子どもたちに云ってやる言葉だなと(わたしは)思いました。

維新発祥之地・碑

何処へ行ってもぶらり散歩「(下関市)長府ぶらり散歩」編

1月27日(広島市安芸区のわが家の溜水に氷はる)天候 :曇り


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中区:'広電)カープ電車2011年

2012年01月26日 21時53分45秒 | 乗り物関連
昨年5月21日に紙屋町電停で、広島駅行きの電車を待っている時、(反対側)広島港に行こうとしている2011年版広島東洋カープ(応援)電車をみましたので撮影しました。
電停を走りすぎるところを撮影しましたので、電車側面のラッピング部分は鮮明に撮影できなかったので、シーズン終了までに広島駅などに止まっているところを撮影できるだろうと考えていたのですが、相性悪く撮影機会に恵まれませんでした。
仕方なく昨年5月21日撮影の画像で、年が明けた今年のいまになり頁を編集しました。

(広島電鉄)カープ電車2011年

広島ぶらり散歩「広島カープ関連」編

2012年のキャッチフレーズは「破天荒」だそうです。
わたしは思うのです、基礎なくして破天荒(辞書引けば:前人のなしえなかったことを初めてすること)などできるわけないさと、
そのサブフレーズは「GROUND BREAKERS(前人未踏)」だそうです。
広島カープは日本一にもなったことがあるチーム、
前人未踏というならば、東京讀賣が成し遂げた9連覇を超える優勝を目指しているのかと???
(2012年の)キャッチフレーズにケチつける事が目的ではないのです、
優勝という美酒を飲むためには、コツコツと勝利を重ねていく事なのではないかと(わたしは)思っているのでが・・・
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安佐南区:岡本敦生作品「記憶の堆積―YAGI」

2012年01月26日 12時59分05秒 | 野外彫刻等
2010年2月、広島市安佐南区の八木小学校を訪ねた時に、
この岡本敦生の彫刻作品「記憶の堆積―YAGI」をみたので撮影しました。頁を編集している時、作品を後ろ側から撮影していないな~と思ったのです。
その年八木用水を歩いてみていましたので、10月JR上八木駅で下車して八木用水に行く前に八木小学校に立ちより職員室で撮影許可を得て撮影していました。
2012年のいまになりましたが画像を追加し頁を更新しました。

岡本敦生作品:記憶の堆積|―YAGI

広島ぶらり散歩「野外彫刻など」編
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番外:(忌宮神社)宿禰の銀杏

2012年01月26日 08時32分48秒 | 何処へ行っても
ここ下関市長府の忌宮神社境内でみたこの「宿禰の銀杏」も「さか松」の伝承と同じく伝承の域を脱するものではないのでしょうが、幹をみると古木然としたイチョウでありました。
武内宿禰とは、大和朝廷の初期に活躍したという伝説上の人物だと云うことを碌に知らないわたしでした。
冬でしたので、すっかり葉っぱを落としていましたが毎年銀杏の実を付けるそうです。

(忌宮神社の)宿禰の銀杏

何処へ行ってもぶらり散歩「(下関市)長府ぶらり散歩」編

1月26日(広島市安芸区のわが家の溜水に氷はる)天候 :曇り

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中区:流政之作品「ユメコン」

2012年01月25日 16時50分52秒 | 野外彫刻等
定期検診で行く広島赤十字・原爆病院なのです。
昨年11月の定期検診の時、2階内分泌科で順番を待つので椅子に座ろうとした時に、
1階待合をみたのです。
その時前回の定期検診(8月末)の時には無かったこの作品に気が付き(2階から)撮影しました。
遠目からこの彫刻作品の作風から作者が誰かは(わたしは)わかりませんでした。
定期検診が終わって、検診の支払いのために1階に行って、支払った後に、この作品名、作者などのプレートをみて流政之の彫刻作品という事がわかりました。

流 政之作:YUMEKON

広島ぶらり散歩「野外彫刻など」編
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番外:(忌宮神社)さか松

2012年01月25日 08時35分40秒 | 何処へ行っても
ここ下関市長府の忌宮神社でみた逆松(の遺木)でした。
奈良時代の養老4年に成立した日本書紀に「三韓征伐」によって朝鮮は日本の従属国になったとあり、その話にさかのぼりこの「さか松」の伝承となったのでしょう?
遺された松を年代測定するとすぐに伝承の域であることが分かる?ことと思いますが、
4世紀の倭が朝鮮半島に進出したということはどうも史実といえるようですので、自説に都合がいいところだけ切り取っていた戦前の解釈から脱しなくてはならなのはわたしごときが云うまでもありません。
しかし伝承、神話を切り捨てた戦後教育を受けたわたしには、神話は知らなくていいと云えるものではないと思っています。

(忌宮神社の)さか松

何処へ行ってもぶらり散歩「(下関市)長府ぶらり散歩」編

1月25日(広島市安芸区のわが家の溜水に氷はる、この冬一番の冷え込み蛇口まで凍る)
天候 :晴れ、曇り

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東区:江里宗平・敏明作「親鸞聖人童形像」

2012年01月24日 18時20分17秒 | 野外彫刻等
いままで何度も訪ねている広島市東区牛田の安楽寺でしたが、
この「親鸞聖人童形像」を注視して拝見することもなかったのです。
2011年2月安佐北区の報恩寺で江里敏明作:親鸞聖人御幼少之像を拝見していましたので、
ここ安楽寺の「親鸞聖人童形像」もみなくてはと思っていたのです。
12月になりましたが、紅葉したイチョウをみようと訪ねたので、この像も拝見しました。
彫刻としてみて作者が誰かと思い、台座をみました「江里宗平・敏明作」とありました。

江里宗平・敏明作:親鸞聖人童形像

広島ぶらり散歩「野外彫刻など」編
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