広島市中区中島町の平和記念資料館東館地下一階で「基町 姿を変える広島開基の地」と銘打った企画展7月13日からはじまったのです(12月12日までの期間)-無料です-。
(上画像のA4版の)企画展小冊子が会場で無料で配られています。
その冊子の中(P7、P6)におじさん(八束要さん)の原爆記がわずかですが掲載があります。
『八束要さん(当時43歳)は、勤務先の兵器部で、近所の家で使う瓦を集めるために一緒に来ていた妻の愛子さん(当時35歳)と四男の嘉忠さん(当時1歳)とともに被爆しました。』と概要の掲載があり、原爆記の抜粋(紙面にあうように全体からはわずかですが)が掲載されています。
*P6の掲載文『思い切って枝の上に北向きに・・・』とありますが“
板”の間違いです。
*被爆当日(1945年8月6日)の満年齢がおじさんの原爆記の中でも記述間違いがあるようですが、息子の嘉光さんが残されている戸籍謄本の生年月日を教えていただき計算した処、愛子さんは35歳でした。
☆7月23日追記
広島平和記念資料館に上記2つの事をメールしていました。
今日(7月23日)平和記念資料館より連絡があり、(明日、明後日とは行きませんが、出来るだけ早く)展示資料、配布の冊子とも訂正をすると連絡をいただきました。
たいへんなお手数をおかけしますがよろしくお願いいたしますとお願いいたしました。
掲載と重なる原文部分
被爆した直後、倒壊した建物の下敷きになり即死したわが子(嘉忠さん)をみて狼狽するお母さん(愛子さん)の処から「髪を振り乱して・・・・」
原爆記No3(八月六日その2)
八束要さんが仮に入れておいた大水槽からわが子(嘉忠さん)の遺体を出し、荼毘にふすところ「力一杯抱きしめて顔の水をぬぐって・・・・」
原爆記No5(八月六日その4)
「原爆記」 (八束 要 著)