中区袋町の(被爆建物)旧日本銀行広島支店で催されている「どこ×デザ」です。
3月7日までの開催です。
3月に入ってTVローカルニュースをみていたらこのアート&デザイン展を紹介していたのです。
ニュースでは、その8作品のうち2作品を紹介していました。
1)菊田 真奈Mana Kikuta作品《Senbazuru》
2)Kanae Otani《いつかここではないどこかで》 だったのです。
わたしは、2005年から意識して被爆した樹木をみて撮影し頁を編集していましたので、
Otaniさんが取り上げていた
『原爆を生き延びた被爆樹(木)のリジェネレーション(再生)のためのプラットフォーム(≒乗り場)である。
被爆樹(木)やその保護活動について知り、その子孫である種や挿し木を培養・観察することができる。
各地に継承された種がいつか木々となることを想像しながら、被爆樹(木)の未来を参加者と担うための提案である。』と云っていることに興味を抱いたのです。
“被爆樹木の種”に特化して注目したことがなかったからで、
コロナ禍の中老人のわたしには家で静かにしていろよ!と云われるでしょうが、それでも“みなくては”と思ったのです。
入館時、検温された後いただいたパンフレットをスキャンしました
※この8作品のうち、なんだこの作品はと3階展示室でみて佇み思った作品。
光岡 幸一Koichi Mitsuokaさんの作品。
《詩のある風景とこれから》だったのです。
『旧日本銀行の建物の外壁に、戦争を経験した表現者によって書かれた詩が書き写される。当時から残るこの建築を原稿用紙にして、生きた言葉で描かれた詩を書写することにより、歴史の保存と継承が問われるこの場所において、言葉が当事者性を越えて現在の私たちに作用する。
*事情によりこのプランは実現できなかったため、実際の展示とは異なります。』
1990年生まれなので(息子たちよりも若い)芸術家作品。
3階展示室入口にあった一枚(この作品の嘆きの展示経過だったのですがその時は読むこともなく)、もらっとくかともらっていたのです。
帰宅後、老人のわたしでつかれ、クシャミと鼻水に悩まされていても、(欠かせられない)晩酌をしながら読んだこの紙切れ、残念であったろうとウルウルしました。
建築屋の端くれであったわたしにも訴えてきた展示変更でしたね(後日頁を編集しようと思っていますが)。
若者よ涙するなかれ!
光岡幸一さんあなたが年を経て巨匠になった折には周りを説き伏せ実現させて広島市民にみせることができると(わたしは)信じていますヨ〔上パンフレットの上段左端画像〕。
(その折には、わたしはこの世にはいないでしょうから見ることはできないでしょうが)。
※被爆樹木の種の譲渡について(小さな紙に印字で)注目されなかったのではと余計なことを思いましたので。
この紙にはこうありました。
「アオギリとキョウチクトウ2世の苗と種を譲渡する
今展示最終日3月7日16:00
もしくは3月8日10:00~17:00
このプロジェクトに賛同し、会場に来て(誓約書に記述して)いただける方にj譲渡しますので、受付に申し出てください。』
後日、ここの作品の頁を編集できたらとは思っていますが思いだけでとどまるかもしれません。
3月7日までの開催です。
3月に入ってTVローカルニュースをみていたらこのアート&デザイン展を紹介していたのです。
ニュースでは、その8作品のうち2作品を紹介していました。
1)菊田 真奈Mana Kikuta作品《Senbazuru》
2)Kanae Otani《いつかここではないどこかで》 だったのです。
わたしは、2005年から意識して被爆した樹木をみて撮影し頁を編集していましたので、
Otaniさんが取り上げていた
『原爆を生き延びた被爆樹(木)のリジェネレーション(再生)のためのプラットフォーム(≒乗り場)である。
被爆樹(木)やその保護活動について知り、その子孫である種や挿し木を培養・観察することができる。
各地に継承された種がいつか木々となることを想像しながら、被爆樹(木)の未来を参加者と担うための提案である。』と云っていることに興味を抱いたのです。
“被爆樹木の種”に特化して注目したことがなかったからで、
コロナ禍の中老人のわたしには家で静かにしていろよ!と云われるでしょうが、それでも“みなくては”と思ったのです。
入館時、検温された後いただいたパンフレットをスキャンしました
※この8作品のうち、なんだこの作品はと3階展示室でみて佇み思った作品。
光岡 幸一Koichi Mitsuokaさんの作品。
《詩のある風景とこれから》だったのです。
『旧日本銀行の建物の外壁に、戦争を経験した表現者によって書かれた詩が書き写される。当時から残るこの建築を原稿用紙にして、生きた言葉で描かれた詩を書写することにより、歴史の保存と継承が問われるこの場所において、言葉が当事者性を越えて現在の私たちに作用する。
*事情によりこのプランは実現できなかったため、実際の展示とは異なります。』
1990年生まれなので(息子たちよりも若い)芸術家作品。
3階展示室入口にあった一枚(この作品の嘆きの展示経過だったのですがその時は読むこともなく)、もらっとくかともらっていたのです。
帰宅後、老人のわたしでつかれ、クシャミと鼻水に悩まされていても、(欠かせられない)晩酌をしながら読んだこの紙切れ、残念であったろうとウルウルしました。
建築屋の端くれであったわたしにも訴えてきた展示変更でしたね(後日頁を編集しようと思っていますが)。
若者よ涙するなかれ!
光岡幸一さんあなたが年を経て巨匠になった折には周りを説き伏せ実現させて広島市民にみせることができると(わたしは)信じていますヨ〔上パンフレットの上段左端画像〕。
(その折には、わたしはこの世にはいないでしょうから見ることはできないでしょうが)。
※被爆樹木の種の譲渡について(小さな紙に印字で)注目されなかったのではと余計なことを思いましたので。
この紙にはこうありました。
「アオギリとキョウチクトウ2世の苗と種を譲渡する
今展示最終日3月7日16:00
もしくは3月8日10:00~17:00
このプロジェクトに賛同し、会場に来て(誓約書に記述して)いただける方にj譲渡しますので、受付に申し出てください。』
後日、ここの作品の頁を編集できたらとは思っていますが思いだけでとどまるかもしれません。
3月5日(安芸区のわが家付近)天候:(雨上がりの)くもり