
広島市中区小町の中国電力前に建立されている「中国配電株式会社・原爆被災説明板」です。
※爆心地から約680mに位置していました。
『1945(昭和20)年8月6日(月)午前8時15分、原爆の爆発と同時にこの鉄筋コンクリート5階建の建物は外形だけを残して破壊炎上し、内部は焼失しました。
強烈な爆風により、鉄の窓枠が頭や胴体に突き刺さり吹き飛ばされるなどして163人の犠牲者が出ました。・・・・』

(裕編集の)中国配電(株)原爆被災説明板
※爆心地から約680mに位置していました。
『1945(昭和20)年8月6日(月)午前8時15分、原爆の爆発と同時にこの鉄筋コンクリート5階建の建物は外形だけを残して破壊炎上し、内部は焼失しました。
強烈な爆風により、鉄の窓枠が頭や胴体に突き刺さり吹き飛ばされるなどして163人の犠牲者が出ました。・・・・』

(裕編集の)中国配電(株)原爆被災説明板
4月22日(安芸区のわが家付近)天候:くもり。18.7℃、55%
ここだけでなく、被ばくしてもなお生き残って今日
に至る企業はたくさんあるんでしょうね。
いまの平和記念公園は、戦前繁華街だったのです。
戦争中だったとはいえ、それなりの店々があり跡形もないほどの原爆被害だったことを思えば、多くの企業が後継者もなく、なくなっていたのではないのでしょうか。
14万人もの人間が殺されたのですから。