中区上幟町の幟町中学校内に建立されている「折り鶴の碑」です。
碑文には
『この「折り鶴の碑」は、日本各地からだけでなく、外国からもヒロシマに寄せられるようになった無数の折り鶴にこめられた平和の願いを、広島の子どもたちが受け止めた証として建立されたものです。
1955(昭和30)年広島市立幟町中学校一年生の佐々木禎子(1934-1955)さんは、突然発病した原爆による白血病のため、12歳の短い生涯を閉じました。・・・・・・』とあります。
2001年10月15日撮影時には、折鶴モニュメントは無かったのです。
2005年幟町中学校構内の被爆エノキを撮影に行った時、教頭先生に尋ねると、『折り鶴を碑の上に置き平和集会をするのは必ずしも命日(10月25日)ではなくその前後の学校の平和集会の時』という事を教えていただきました。
帰宅後、ネット検索で、2016年修学旅行をした学校の記事の中にこの碑が取り上げられており、
碑上にこのモニュメントが乗っていましたので2016年から設置されたのだろうと思っています。
(2015年4月わたしが学校内からも撮影した時はなかったからです)。
(裕編集の)(幟町中学校)折り鶴の碑
3月1日(安芸区のわが家付近)天候:はれ
洗濯日和、花粉飛散大量