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中区:平和記念公園広場2012年3月

2012年03月17日 20時24分29秒 | 平和記念公園
3月15日11時過ぎ、広島市中区中島町の平和記念公園付近は晴れていましたが、春霞か?黄砂??霞んでいました。
丹下健三実施設計の通称・原爆資料館下のピロティーから見る平和記念公園・広場には(たくさんではありませんが)先月に比べて人出は増えたように思いました。
撮影先に遠くに見える原爆ドームにかけられていた、(原爆ドーム保存)調査用の足場は解体されていました。

平和記念公園広場の四季(2012年)

広島ぶらり散歩「平和記念公園」編</A
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中区:(住吉橋架橋対策委員会)碑

2012年03月17日 08時26分51秒 | 橋梁
広島市中区住吉町と中区舟入本町をつなぐ住吉橋を、いままで何度も渡っているわたしでしたが、
2011年交流ウォーク下見の時、西詰北側で、小さな碑に目が行ったのです。
いままで気が付いていなかったなと近づいてみました。
ただ「碑」と刻まれた、住吉橋架橋対策委員長だった折重さんの橋にかけた思いを顕彰した碑なのだろうと思いました。

むかしは、築城・架橋・堤防工事などの完成を祈って、神へ供える生贄とするために、人を土中や水底に埋める人柱がああったと聞きます。
近くでは、山口県の錦帯橋でもそのような話を聞いたことがあります。
これとは考えを変えたという話も聞きます、
毛利元就が、高田に居城・郡山城を築く時、人柱の代わりに「百万一心」碑を埋めたと云う話。
また、太田川の氾濫に苦慮していた福島正則は、人柱を入れて堰き止めようという時、秘蔵の名剣・八本を箱に納め地中深く埋めて(土手の被害を)堰き止めたと伝わり、その八本の剣の霊を祀って小祠が建てられたのが八剣神社という話を身近に聞いていました。
この(住吉橋架橋対策委員会)碑の経緯を知った時、原爆症で亡くなった折重さんだったそうですが、その遺品を埋めたという話に人柱とは違う方法で工事の無事を祈った先人のことがかさなっていたわたしでした。

(住吉橋架橋対策委員会)碑

広島ぶらり散歩「広島の橋」編

3月17日(安芸区のわが家付近)天候 :朝のうち雨→曇り

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