昭和48年の初夏の頃ではなかったかと思います。買い揃えた山の道具を持って奥多摩へ行きました。これが一人で山に登った最初です。子供の頃は里山で遊んでいましたが、500mくらいまでの低い山です。その頃、姉や兄はキスリングを担いで山に登っていましたが、そんな重い荷物を持って山に登る気持ちなど全く理解できませんでした。
私が山に興味を持ち始めたきっかけは、アルバイト先で、夏に平標山(新潟と群馬の境にある山)に連れていってもらったことでした。学生時代に山岳部に入っていた人が企画して、いくつかの部署から顔見知りの男女10人くらいが参加しました。知らないうちに私の着るアノラックやザックや寝袋まで用意してくれてあって何も分からないまま出かけました。
一泊の予定で元気よく出かけたのですが、テントを張る場所に着いたときにはみんなへたばっていて、私は元気そうに見えたのか、リーダーと一緒に水を汲みに行かされました。かなり下ったところで水を汲み、タンクを背負子に結わえて急坂を上り始めたのですが、どうもうまく歩けないのです。背中で水が揺れるため体がふらつきバランスを保てません。あっという間に体力を消耗しました。10mくらい上ったでしょうか。危険だと思ったのでしょう、リーダーは私を止め、私のタンクを外すと、それを自分のタンクの上に積みました。合計40㎏はあるでしょう。そしてそれを自分で背負うと、一歩一歩急坂を上りテント場まで行きました。25歳くらいの痩せた人でしたが、凄いものを感じました。
平標山は1984mあります。これが山なんだな、と思いました。里山とはまるで違います。ガスの中を歩いているとき、つまり雲の中ですが、女性のまつ毛に小さな水玉の露が付いて、いつもとは違って見えました。チャーミングだなあと思いました。リーダーの人はたくさん花の名前を知っていて驚きました。理由を尋ねると山には花くらいしかないと言っていました。それほど強くではありませんが「山」というものの印象が心に残りました。
冬にはここを辞めたのでもう山に行く機会はありませんでした。次のアルバイト先で山登りの経験者に山登りに必要な道具とそれらを売っている店を教えてもらいました。それから登山実用百科という本を買って勉強しました。その中に山の怪奇談が出ていて、その中に平標山での話もありました。それで幻聴や幻覚というものに対する恐れが体に染み込んでしまって、今も山で夜を過ごすのは怖いです。あるとき山で夜中に人の話し声のようなものが聞こえるので確かめに行ったことがあります。結果は、沢に落ちる水から生まれる泡がはじける音でした。
山登りの道具は揃えたものの、問題はどこの山に行くかです。そこで選んだのが「奥多摩」でした。その名前の響きから何となく安全そうだという気がしたためです。地図を買って広げてみると「鷹ノ巣山」が目に留まりました。1737m。奥多摩駅から5時間くらいとなっています。ここにしよう。
今、その当時の地図を見て驚いています。コースタイムでは新宿駅から奥多摩駅まで2時間もかかるのです。もっと近いと思っていました。私は赤羽に住んでいたのでそこからの時間も考えると時間切れになるのは目に見えています。だのにそういうことは考えなかったようです。それが若さというものなのでしょうか。行き当たりばったりの要素が多いですね。それで何とかなってきたというのは運が良かったということなのでしょう。
奥多摩駅を出て山道を登り始め、50分くらい経ったところに小さな集落がありました。地図には絹笠部落と記されています。すでに人は住んでいないようでした。村の外れに祠があったのですが、通り過ぎようとしたとき、ふと気になりました。格子の扉を開けてみると絵馬がたくさん吊り下げられていました。その絵を見てギョッとしました。着物を着た人の顔が全部キツネなのです。私は見てはいけないものを見てしまったような気がしました。
この話を書き始める前に絵馬について調べてみました。ウィキペディアによると、稲荷神社では狐の絵が描かれることもあると出ていました。なあんだ、そうだったのか。50年間持ち続けていた緊張感がようやく解けました。これまでこの話は、してはいけないように感じていたのです。
結局、この日はどこまで行ったのか、全く記憶がありません。鷹ノ巣山までは行ってないでしょう。おそらく時間を見て手前で引き返したと思われます。その年のうちに2回この尾根を上っているのですが、秋に友人と登った時には信じられないほどの美しい青空でした。心が吸い取られるような、そんな青で、これ以上のものは見たことがありません。このときは帰りに途中から尾根を離れて奥多摩湖側に降り、水根に出たのですが、運よく最終バスに乗れました。若さゆえか、無謀なことをしたものだと思います。11月の終りには途中でキャンプをしました。知り合いを連れて行ったのですが、相手がすぐにばててしまいました。仕方なく絹笠部落の辺りでテントを張ったのですが、キツネの絵馬のことが頭にあり、気味が悪かったです。そのせいか、寒かったはずなのにその記憶はありません。
今回、ちょっと調べることでキツネ顔の絵馬に対する畏れが氷解してしまったことに驚いています。こんな簡単に気持ちが変わるとは思っていませんでした。「分かる」ということは凄いことですね。
2023年8月20日
私が山に興味を持ち始めたきっかけは、アルバイト先で、夏に平標山(新潟と群馬の境にある山)に連れていってもらったことでした。学生時代に山岳部に入っていた人が企画して、いくつかの部署から顔見知りの男女10人くらいが参加しました。知らないうちに私の着るアノラックやザックや寝袋まで用意してくれてあって何も分からないまま出かけました。
一泊の予定で元気よく出かけたのですが、テントを張る場所に着いたときにはみんなへたばっていて、私は元気そうに見えたのか、リーダーと一緒に水を汲みに行かされました。かなり下ったところで水を汲み、タンクを背負子に結わえて急坂を上り始めたのですが、どうもうまく歩けないのです。背中で水が揺れるため体がふらつきバランスを保てません。あっという間に体力を消耗しました。10mくらい上ったでしょうか。危険だと思ったのでしょう、リーダーは私を止め、私のタンクを外すと、それを自分のタンクの上に積みました。合計40㎏はあるでしょう。そしてそれを自分で背負うと、一歩一歩急坂を上りテント場まで行きました。25歳くらいの痩せた人でしたが、凄いものを感じました。
平標山は1984mあります。これが山なんだな、と思いました。里山とはまるで違います。ガスの中を歩いているとき、つまり雲の中ですが、女性のまつ毛に小さな水玉の露が付いて、いつもとは違って見えました。チャーミングだなあと思いました。リーダーの人はたくさん花の名前を知っていて驚きました。理由を尋ねると山には花くらいしかないと言っていました。それほど強くではありませんが「山」というものの印象が心に残りました。
冬にはここを辞めたのでもう山に行く機会はありませんでした。次のアルバイト先で山登りの経験者に山登りに必要な道具とそれらを売っている店を教えてもらいました。それから登山実用百科という本を買って勉強しました。その中に山の怪奇談が出ていて、その中に平標山での話もありました。それで幻聴や幻覚というものに対する恐れが体に染み込んでしまって、今も山で夜を過ごすのは怖いです。あるとき山で夜中に人の話し声のようなものが聞こえるので確かめに行ったことがあります。結果は、沢に落ちる水から生まれる泡がはじける音でした。
山登りの道具は揃えたものの、問題はどこの山に行くかです。そこで選んだのが「奥多摩」でした。その名前の響きから何となく安全そうだという気がしたためです。地図を買って広げてみると「鷹ノ巣山」が目に留まりました。1737m。奥多摩駅から5時間くらいとなっています。ここにしよう。
今、その当時の地図を見て驚いています。コースタイムでは新宿駅から奥多摩駅まで2時間もかかるのです。もっと近いと思っていました。私は赤羽に住んでいたのでそこからの時間も考えると時間切れになるのは目に見えています。だのにそういうことは考えなかったようです。それが若さというものなのでしょうか。行き当たりばったりの要素が多いですね。それで何とかなってきたというのは運が良かったということなのでしょう。
奥多摩駅を出て山道を登り始め、50分くらい経ったところに小さな集落がありました。地図には絹笠部落と記されています。すでに人は住んでいないようでした。村の外れに祠があったのですが、通り過ぎようとしたとき、ふと気になりました。格子の扉を開けてみると絵馬がたくさん吊り下げられていました。その絵を見てギョッとしました。着物を着た人の顔が全部キツネなのです。私は見てはいけないものを見てしまったような気がしました。
この話を書き始める前に絵馬について調べてみました。ウィキペディアによると、稲荷神社では狐の絵が描かれることもあると出ていました。なあんだ、そうだったのか。50年間持ち続けていた緊張感がようやく解けました。これまでこの話は、してはいけないように感じていたのです。
結局、この日はどこまで行ったのか、全く記憶がありません。鷹ノ巣山までは行ってないでしょう。おそらく時間を見て手前で引き返したと思われます。その年のうちに2回この尾根を上っているのですが、秋に友人と登った時には信じられないほどの美しい青空でした。心が吸い取られるような、そんな青で、これ以上のものは見たことがありません。このときは帰りに途中から尾根を離れて奥多摩湖側に降り、水根に出たのですが、運よく最終バスに乗れました。若さゆえか、無謀なことをしたものだと思います。11月の終りには途中でキャンプをしました。知り合いを連れて行ったのですが、相手がすぐにばててしまいました。仕方なく絹笠部落の辺りでテントを張ったのですが、キツネの絵馬のことが頭にあり、気味が悪かったです。そのせいか、寒かったはずなのにその記憶はありません。
今回、ちょっと調べることでキツネ顔の絵馬に対する畏れが氷解してしまったことに驚いています。こんな簡単に気持ちが変わるとは思っていませんでした。「分かる」ということは凄いことですね。
2023年8月20日