畑の大根 <この原稿は、前後の記事の日付から、2005年3月頃までに書いたものと思われます。>
毎朝、コロと散歩するコースに大根畑があります。そこは、夏場は田んぼなのですが、稲刈りが終わった後、大根畑になります。秋に新しく畝が起こされ、しばらくすると畝のあちこちで双葉が顔を出しました。すぐに大きな双葉の真中から本葉が出て、それはもう小さいながらも一人前にぎざぎざした大根葉の雰囲気を持っています。私は毎朝その成長を見ながら横を通っていましたが、油断は禁物でした。ちょっと立ち止まって、大きくなったなぁと大根の葉をながめていると、横の方でコロが大根にオシッコをかけようとするのです。はっとして私は鎖を引くのですが、前には、大きくなって地面から20cmくらいも頭を出した大根の上にウンチを乗せようとしたこともありました。高いところにウンチを乗せようとするのはコロの変な癖の一つです。
大根の収穫が始まって、あちこちに引き抜かれた大根の穴が増えてきました。そして、畝の間には、割れた大根や二股になった大根がうち捨てられています。商品にはならないのです。昔なら他の家畜の餌にでも出来たのでしょうが、今では家畜も配合飼料です。個々の農家で少しずつ家畜を飼育していたときのようには行かないのでしょう。
寒空の下で、ただ朽ちていくだけの大根を見ながら、大根たちも、引き抜かれるまでは自分たちの運命にこういう現実が待っているとは思わなかっただろうなぁと考えるといつも少し湿っぽい気分になります。よその畑のものを持ってくるわけにはいかないので素通りしますが、自分の畑では大根は最後の最後まで利用しようとしています。
★コメント
この原稿を書いていたときのことははっきり覚えているのですが、投稿はしていないのではないかと思います。読んでみても書き終えてない感じがします。ただ、このあと何を書こうとしていたのかは全く覚えていません。
その後しばらくして、この畑には横に「ご自由に抜いて持ち帰りください」という立て札が立てられました。野菜も今は規格化が進んでいるので小さくても大きすぎてもダメなのでしょう。規格外の大根でも食べる分には問題ないわけで、別な形の「流通」が考えられないかなと思いますが、そのコストの方が高くなりそうな気がします。
今、うちの畑では若い大根だらけです。春に花が咲き、種が実るとカワラヒワの群れがやってきて殻を啄みます。そのときたくさんの種が飛び散って、そのうちの一部が芽を出すのです。間引きして塩漬けにして食べています。そのまま食べてもいいのですが、辛くて、辛くて。やはり虫に葉を食べられないようにするための植物体の防衛策なのでしょう。だけどそれも塩漬けにすれば大丈夫です。
こんなに生えてしまって種はなくなってしまわないのか心配しましたが秋になるとまた残りの種が生え出すようです。それで数年間、大根の種は蒔いたことがありません。今年はニガウリも自生しているのを見つけました。これは庭なので果たして育つかどうか分かりませんが、ニガウリも自生できる作物かもしれません。私はそういう作物が好きなので草を取るときはかなり慎重です。草の中に野菜の芽生えを見つけることがあるからですが、目に入ったのに引き抜いてしまうことがあるのです。こういう時は埋め直したりするのですが大抵はダメですね。葬式をしてやりたい気分になります。
梅雨も明けていよいよ本格的な夏が始まりました。70代に突入し、本来の自分を思い出すべく子供時代のことを思い出そうとしていますが、難しいですね。図書館で昨日「兎の眼」のDVDを見ました。そこに出て来る子供たちを見て、やはりその頃の自分のことを思い出したいと思います。私もあの子供たちの様だったはずです。この夏の課題です。
2023年7月22日
毎朝、コロと散歩するコースに大根畑があります。そこは、夏場は田んぼなのですが、稲刈りが終わった後、大根畑になります。秋に新しく畝が起こされ、しばらくすると畝のあちこちで双葉が顔を出しました。すぐに大きな双葉の真中から本葉が出て、それはもう小さいながらも一人前にぎざぎざした大根葉の雰囲気を持っています。私は毎朝その成長を見ながら横を通っていましたが、油断は禁物でした。ちょっと立ち止まって、大きくなったなぁと大根の葉をながめていると、横の方でコロが大根にオシッコをかけようとするのです。はっとして私は鎖を引くのですが、前には、大きくなって地面から20cmくらいも頭を出した大根の上にウンチを乗せようとしたこともありました。高いところにウンチを乗せようとするのはコロの変な癖の一つです。
大根の収穫が始まって、あちこちに引き抜かれた大根の穴が増えてきました。そして、畝の間には、割れた大根や二股になった大根がうち捨てられています。商品にはならないのです。昔なら他の家畜の餌にでも出来たのでしょうが、今では家畜も配合飼料です。個々の農家で少しずつ家畜を飼育していたときのようには行かないのでしょう。
寒空の下で、ただ朽ちていくだけの大根を見ながら、大根たちも、引き抜かれるまでは自分たちの運命にこういう現実が待っているとは思わなかっただろうなぁと考えるといつも少し湿っぽい気分になります。よその畑のものを持ってくるわけにはいかないので素通りしますが、自分の畑では大根は最後の最後まで利用しようとしています。
★コメント
この原稿を書いていたときのことははっきり覚えているのですが、投稿はしていないのではないかと思います。読んでみても書き終えてない感じがします。ただ、このあと何を書こうとしていたのかは全く覚えていません。
その後しばらくして、この畑には横に「ご自由に抜いて持ち帰りください」という立て札が立てられました。野菜も今は規格化が進んでいるので小さくても大きすぎてもダメなのでしょう。規格外の大根でも食べる分には問題ないわけで、別な形の「流通」が考えられないかなと思いますが、そのコストの方が高くなりそうな気がします。
今、うちの畑では若い大根だらけです。春に花が咲き、種が実るとカワラヒワの群れがやってきて殻を啄みます。そのときたくさんの種が飛び散って、そのうちの一部が芽を出すのです。間引きして塩漬けにして食べています。そのまま食べてもいいのですが、辛くて、辛くて。やはり虫に葉を食べられないようにするための植物体の防衛策なのでしょう。だけどそれも塩漬けにすれば大丈夫です。
こんなに生えてしまって種はなくなってしまわないのか心配しましたが秋になるとまた残りの種が生え出すようです。それで数年間、大根の種は蒔いたことがありません。今年はニガウリも自生しているのを見つけました。これは庭なので果たして育つかどうか分かりませんが、ニガウリも自生できる作物かもしれません。私はそういう作物が好きなので草を取るときはかなり慎重です。草の中に野菜の芽生えを見つけることがあるからですが、目に入ったのに引き抜いてしまうことがあるのです。こういう時は埋め直したりするのですが大抵はダメですね。葬式をしてやりたい気分になります。
梅雨も明けていよいよ本格的な夏が始まりました。70代に突入し、本来の自分を思い出すべく子供時代のことを思い出そうとしていますが、難しいですね。図書館で昨日「兎の眼」のDVDを見ました。そこに出て来る子供たちを見て、やはりその頃の自分のことを思い出したいと思います。私もあの子供たちの様だったはずです。この夏の課題です。
2023年7月22日