今年は世界規模の影響を及びす災害が1か月に1回は起きています。
2011年1月に起こったオーストラリアの「洪水」、チリ「地震」、ブラジルの「洪水」。
2月にはニュージーランドで起こった「地震」、3月11日に日本で起きた東北地方太平洋沖地震、4月のアメリカ、アラバマ州で起こった「竜巻」、5月のアイスランド「火山噴火」、6月に起きたチリの「火山噴火」。
2011年は、日本を始め世界中が、自然災害の猛威にさらされる年となっています。
そして、9月末にチェンマイ市内を流れるピン川周辺を襲った大洪水が今度はバンコクに迫っています。
バンコク郊外のパトゥムタニ県、ノンタブリ県では去る18日時点で広い範囲で洪水が発生して、バンコク都庁の発表によると18日、バンコク北部の防水壁を乗り越えて水が流れ込み、バンコク・サーイマーイ区の一部で洪水が発生しました。
隣接するドンムアン区のタイ空軍基地では空軍機数十機を東部チョンブリ、北部チェンマイなどの基地に移動させ万一に備えています。
パトゥムタニ県のナワナコン工業団地は18日中にほぼ全域が浸水して、同工業団地にはミネベア、クボタ、カシオ、フジクラ、NECトーキン、日本電産コパル、パナソニック電工、帝国通信工業、ハチバン、三ツ知、ソディック、ニチリン、タカラトミー、米ハードディスクドライブ(HDD)大手ウエスタンデジタルなど227社の工場があって約12万人が雇用されているそうです。
今回の洪水では既に中部アユタヤ県のサハラタナナコン工業団地、ロジャナ工業団地(アユタヤ)、バンワー(ハイテク)工業団地、バンパイン工業団地、ファクトリーランド・ワンノイ工業団地が浸水しました。
被災した日系企業はホンダ、ソニー、味の素、ニコン、キヤノンなど300社以上で、浸水した団地内の水位は場所によっては4、5メートルにも達し、広い範囲で製造設備や製品が水没しました。
タイのの災害予防軽減局の発表によると、7月25日以降の大雨の影響による死者は少なくとも253人にのぼっていて、77県中約30県で浸水した状態が続いているそうです。
バンコクポスト紙によると、キティラット副首相兼商務大臣は「今回の洪水の被害の影響は200~300億バーツ(500~750億円)となると見積もっており、GDP成長率を0.2~0.3%押し下げるとの見通しを示した」と報道しています。
これまで国家経済社会開発庁、財務省及び中央銀行が示している今年の経済成長率はほぼ4%であることから、3%後半程度になる見通しとなります。
そして昨日、ナワナコン工業団地(パトゥムタニ県)を襲った大量の水が同県のランシット運河を超えてバンコクに到達しました。
この運河は首都攻防の最後の砦のひとつで、ここに設置された水門を通じてチャオプラヤ川に排水する計画だったが、その処理能力を超える水量が達してことで運河が溢れてしまいました。
すでにドンムアン地区西部、ラクシー地区、そして、トンブリの一部地区が浸水していて、昨日の午後2時の時点で、水かさは深いところで50センチ程度になっています。
また午後2時30分ごろにランシット運河の水位が急激に上昇したことから、近隣住民はいっせいに避難し、このため今日の夕方以降、バンコク北部の水かさはさらに増える見通しだ。
これまでにバンコク都内50区中9区(サイマイ、クロンサンワ、ミンブリ、ラートクラバン、カンナヤオ、バンケン、ノンジョク、ドンムアン、ラクシー)が避難準備地区に指定されているそうです。
タイを襲った今回の洪水被害はタイ経済はもとより、日本を始めとする世界経済にも大きな影を落としています。
一日も早い解決と復興を願って止みません。
チェンマイにはその昔代表的な日本料理のお店が2軒あって、一軒が「宇宙堂」、そしてもう一軒が「さくら食堂」です。
どちらも懐かしい日本の味を提供すると同時に重要な情報発信の「場」ともなっていたそうです。
渡辺さんという方がやっていたナイトバザール近くの宇宙堂は残念ながら姿を消してしまい、サンサーイ方面に移転したという噂を耳にはしましたが、その後の消息は不明です。
有山さんがやっていた「さくら食堂」は有山さんが2007年に亡くなった後も、タイ人の奥さんのシーさんが店主となってターペー門近くで今でも頑張っています。
「さくら食堂」はいわゆるB級グルメの食堂で、店の雰囲気も決して豪華ではありませんが、レトロ感覚溢れる店の名前同様に何処か「昭和の味」の漂う料理が特長です。
「さくら食堂」の魅力は安くて、ボリュームがあって美味しいことです。
文庫本や漫画、NHKワールド・プレミアム、衛星版の「読売新聞」も読めてサービスも満点です。
写真の料理は私のイチオシメニューの「中華丼」です。
色々な種類の野菜をたっぷり使って作られた「中華丼」は私が大学生時代に良く食べていた味とそっくりで、郷愁さえそそられます。
この中華丼が60バーツ(約150円)と言う激安の一品です。
この中華丼と同じトッピングで、揚げ焼きそばバージョンもあって値段も中華丼と同じ60バーツです。
もうひとつのお薦めメニューは「オムライス」で、ジャンボな四角形のオムレツに包まれたケチャップライスが美味です。(60バーツ)
さくら食堂でもうひとつ特筆すべきことは、ビールを注文すると小皿に入った「ピーナッツ」がビールと一緒に出て来るところで、他の店ではなかなか真似の出来ないサービスだと思います。
下の写真が現在の店主のシーさんで、亡き夫の有山さんの写真の前でシャッターを切らせて貰いました。
そろそろ雨季が終わりを告げ乾季に入るこの時期には毎年名残りを惜しむような大雨が降り続くことの多いチェンマイに今年は異変が起きました。
タイ北部のチェンマイ、チェンライ、そしてタイ中部ナコンサワンで、先月末から断続的に降り続く大雨の影響で、激しい洪水に見舞われたのです。
そして去る9月29日にはチェンマイ市内を流れるピン川の増水が続いて、遂に堤防の低い地域から順次氾濫が拡大しました。
氾濫したピン川両岸の通りや住宅街、商店街は完全に浸水、沈没するという異常な事態に襲われました。
私がチェンマイ暮らしを始める前の2005年の奇しくも同じ日にピン川が氾濫して同様の被害が出たと聞いています。
市内のナイトバザールの地域もトップ写真のような洪水になってしまい、ピン川沿いの数多くの日本人が住むドイピン・マンションでは6年前と同じように胸元まで浸水して来て、孤立状態となって、一時はボートでの移動を余儀なくされたと聞きます。
タイ発電公社によると、タイ国内のダムの多くが限界貯水量に近づいたり超えたりしているため、さらなる放流が不可避の状態になっていて、東北部や中部平野では河川の増水で洪水被害がさらに悪化することが避けられないとのことです。
北部や東北部のダムの現在の水量は限界貯水量比で、プミポンダム93%、メークアンウドムタラダム102%、シリキットダム99%、ケオノイバムルンダンダム93%、ウボンラタナダム106%、チュラポンダム101%、ラムパオダム101%、シリントンダム95%などとなっているそうです。
報道等によると、7月以来続いている豪雨によってタイ北部・中部の広い地域において河川の氾濫、土砂災害、冠水被害等が引き続き発生しており、10月6日現在で200人以上の死者が出ている模様です。
同地域では今後もまとまった降雨が予想されていて、特にアユタヤ県内においてチャオプラヤー川及びノイ川の増水に伴う洪水被害が更に大きくなる危険性があるそうです。
また、バンコク都内においても、チャオプラヤー川及び運河の水位が上昇していて、川沿いの地域においては一部冠水被害も発生しています。
今年は日本でも台風の被害が各地に出ていて、9月下旬の台風15号では名古屋市を流れる天白川の増水で、139万人に避難勧告が出たニュースも流れて自然災害の恐さを改めて感じています。
この雨模様の陽気は多分向こう1週間程で終息を迎え、その後には雨の1滴も降らない「乾季」が4~5ヵ月は続く、快適な季節に突入です。
チェンマイのサンカムペン地区は工芸の里でもあり、多くの工芸品の生産が行われています。
このサンカムペン地区にボーサンという村があって、ボーサンはチェンマイ市内のターペー門から東へ続くターペー通りを東へ約8Kmのところにあります。
ボーサーンは北タイの手工芸・雑貨の問屋街として有名で、チェンマイのナイトバザールやサンデーマーケットの商人の仕入先となっているそうです。
ボーサンは傘の生産、販売の拠点となっていて、傘と紙などの土産品店が軒を並べています。
大きな店は海外取り引きなどを軸に世界的な販売ルートを作り上げているそうで、ここの大きな店には紙造りから、傘作り、そこに絵柄を即席で書き上げる絵描き職人などが働いていて、自由に見学できるような店構えになっているのです。
竹と紙で作られたチェンマイ特産の傘で有名なボーサーンにはかつてたくさんの工房がありましたが、今では数件の大きな工房が残るだけとなってしまいました。
これら工房では制作過程を見学する事も出来、傘全面に描かれた色とりどりの素朴な絵柄が魅力的です。注文すればオリジナルの絵柄も描いてくれます。
紙漉きから骨組み、紙張り、色・模様・油塗りなど、「サー」と呼ばれる木からつくる、唐傘の生産プロセスを見学できる工房とその生産品の直売店が併設された施設が目を惹きます。
ボーサーン村の傘は、村の修行僧が隣接するビルマへ赴いたときに、その生産方法を学習し村人に伝授したと伝えられたもので、やがてボーサーン村ではどの家も唐傘をつくるようになったそうです。
1941年には村人で組合を結成して本格的にボーサーン村の傘の生産が始まりました。
鮮やかな色合いと独特の絵柄のボーサーン村の傘は、今もチェンマイを代表する伝統工芸品として人気があります。
このボーンサーンの工房から絵描き職人が先日のCLL(チェンマイ・ロングステイライフの会)の例会時に出張絵付けサービスに来てくれました。
早速先日買ったばかりのスーツケースに絵柄を描いて貰ったのが中央の写真です。
アクリル絵の具を使って僅か10分足らずで描き上げた綺麗な象の絵柄のお蔭で、空港の到着ロビーでベルトに乗せられてやって来る沢山の似たようなスーツケースの中から簡単に見分けが付くようになるでしょう。
福岡県太宰府市にある神社「太宰府天満宮」へ行って来ました。
大宰府天満宮は菅原道真を祭神として祀る天満宮の一つで、天神様のお膝元でもあります。
学問の神として知られる菅原道真公を祀る全国の天満宮の総本社といわれる大宰府天満宮には道真公の墓所でもある本殿は重要文化財となっており、境内には樹齢1000年を超える楠木や神木「飛梅」をはじめとする約200種6000本の梅の木、菅公歴史館、宝物殿などがあります。
初詣の際には九州はもとより日本全国から毎年200万人以上の参詣者が集まるそうです。
道真公が学問に秀でていたことから<学問の神様>として崇敬を集め、私が問した日も大勢の中高生たちの姿が目を惹きました。
そして驚いたことは韓国と中国からの観光客の姿が沢山参拝していたことでした。
東京で「天満宮」と言えば直ぐに「湯島天満宮」(湯島天神)が思い出され、高校と大学受験の時には何度か参拝をしてお世話になったものでした。
太宰府天満宮で特筆することは、「牛の像」を見かけたことです。
菅公は承和12年(845年)乙丑(きのとうし)の歳に生まれました。
そしてこの大宰府で亡くなられた後、その遺骸は都府楼の北東(うしとら)の方向へ向かって進み、牛車の止まったところ、当時の四堂のほとりに葬られ、このことが、太宰府天満宮の始まりとなったそうです。
また、天神信仰が初め農耕神として発展したことや、当時牛が農耕のシンボル的存在だったことも大きく関係していて、ご自身の身体と同じ神牛の部分を祈念を込めて、お互いに撫でさすれば身体健全はもとより病気全快するといわれ、また神牛の頭部を同じように撫でさすれば<知恵が付く>という信仰が生まれたそうです。
先日無事古希を迎えたことをきっかけに気持を一新させ、前々から計画していた『或る事』を学び始めるにあたってタイミング良く大宰府天満宮に参拝することが出来、参拝の後に神牛の頭部をしっかり撫でて来ました。
現役時代の福岡出張は仕事を終えてからの中洲や天神に繰り出すことも楽しみの一つで、九州支店の先輩や同僚には当時随分お世話になったものでした。
あの頃は五木寛之の小説「青春の門」がお気に入りの1冊で、小説の舞台となった筑豊地方の飯塚や田川、直方まで足を伸ばしたこともありました。
その福岡の中心地の「博多」も大きな発展を遂げていて、2007年3月には博多井筒屋が入居していた駅ビル(博多ステーションビル)が解体され、阪急百貨店や東急ハンズ、シネマコンプレックス「T・ジョイ」などが入居する新駅ビル<JR博多シティ>が建設され、九州新幹線開業前の今年3月に開業して、なかなかの賑わいを見せていました。
今回の博多滞在中に出かけたのが初めて訪れることとなった「柳川」です。
柳川といえば、水郷の川下りが有名ですが、どんこ舟の船乗場は西鉄柳川駅から歩いて5~10分のところに4カ所と、車で5~6分のところに2カ所あります。
全部で160隻余りのどんこ舟が用意されていて、乗船者が10名前後になり次第、随時出発していて、コースは通常は乗船場~水門~並倉~うなぎ供養碑~白秋道路~お花~沖の端の約70分の行程です。
舟は絵笠にハッピ姿の船頭さんが竿をさして柳川なまりと英語交じりの案内をしながら緩やかに堀を下っていきます。
柳川の堀は大小あわせると総延長約470kmにもなるそうです。
色とりどりの花や、ゆれる柳、水面に影を落とす緑につつまれて、ゆっくりと流れる時間は贅沢そのもので、当日はあいにくの残暑厳しい一日でしたが、舟内で<保冷用冷凍パック>を一個づつ配ってくれた気配りには感心させられました。
柳川というから名物はドジョウかと思いきや、ウナギだそうで、5軒くらいの店があるとの事で早速船頭さんお薦めの1軒に入って昼食を取って来ました。
柳川行きを突然決めたこともあって、前日の昼食に美味しい「うな重」を冒頭に書いたJR博多シティ9階の「てんくう」レストラン街で食べたばかりだったので、うなぎはやめて「どじょう」を食べて来ました。
柳川鍋の発祥地が九州の柳川だとばかり思っていましたが、「柳川鍋」はどじょうを使った江戸生まれの鍋料理だそうです。
開いたドジョウと笹掻きにしたゴボウを味醂と醤油の割下で煮て鶏卵でとじるのが特長で、名前の由来については、『守貞謾稿』によると、天保時代に骨抜き泥鰌を売っていた人物が屋号を「柳川」としたとされているそうで、その「柳川屋」と言う料理屋が始めた料理であることから「柳川」と呼ばれるようになった説があるそうです。
また、福岡の柳川産の土鍋を使ったという説もあったり、他に鍋にドジョウを並べた姿が柳の葉に似ているからという説もありますが余り有力ではないそうです。
「どじょう総理」と別名を付けられた野田新総理にあやかって食べた訳ではありませんが、夏バテ解消にはもってこいの1品でした。
毎年自分の誕生月でもある9月には日本への一時帰国を決めていて、好きな「温泉」でのんびり過ごすことがここ数年の恒例となっています。
昨年は大分の湯布院温泉で評判通りの素晴らしい温泉宿でのんびり出来ました。
今年は松山の「道後温泉」行きが主目的ですが、四国4県の中で一度も訪れたことのない<徳島県>まで足を延ばし、更に愛媛県の南にある海の街<宇和島>へも行くことが出来ました。
初めて訪れた徳島で知ったのが、あの四国霊場八十八ヶ所の1番から23番の霊場が徳島にあることです。
四国霊場八十八ヶ所は弘法大師空海が開いた霊場で、大師が42歳の頃(815年)に開創されたと伝えられています。
四国遍路はその八十八ヶ所霊場(お寺)を巡る旅です。
四国八十八ケ所霊場は阿波の国徳島「発心の道場(第1番から第23番)」土佐の国高知「修行の道場(第24番から第39番)」伊予の国愛媛「菩提の道場(第40番から第65番)」讃岐国香川「涅槃の道場(第66番から第88番)」の全部で88ヶ寺です。
88は人間の煩悩の数と言われていて、四国霊場を八十八ヶ所巡ることによって煩悩が消え、願いが叶うとされているのです。
他の巡礼地とは異なって、四国八十八箇所を巡ることを特に<遍路>と言って、地元の人々は巡礼者をお遍路さんと呼んでします。
八十八箇所を通し打ちで巡礼した場合の全長は1200~1400km程で、自動車を利用すると、打戻りと呼ばれる来た道をそのまま戻るルートや遠回りのルートが多いので、徒歩より距離が増える傾向にあるそうです。
一般的に徒歩の場合は40日程度、観光バスや自動車を利用する場合は10日程度を要します。
機会があったら一度<お遍路>を体験してみたいという願望はかなり前からあったのですが、なかなか実現に至りません。
徳島県を初めて訪れたことで知った1番と2番の霊場が徳島県鳴門市にあると知ってひらめいたのが<にわかお遍路>です。
ほんのさわりではありますが、1番と2番の霊場をお参りして来ました。
最初に訪問したのが一番の霊場の霊山寺 (りょうせんじ・トップ写真)です。
この霊山寺は第一番ということで遍路を始めようとする人はこのお寺を起点とする場合が多いため、巡礼装束である白衣や金剛杖、菅笠、納経帳、掛け軸など様々な巡礼用品を揃えることができる売店が本堂横と駐車場にあって、遍路初心者には遍路作法なども伝授しているそうです。
次に訪れたのが極楽寺(ごくらくじ・中央写真)で、四国八十八ヶ所霊場の第二番札所です。
1番と2番の霊場をお参りした夜は、夜景の美しい眉山の頂上にあるホテルの露店風呂で旅の疲れを解すことが出来ました。
そしていつの日か是非時間を作って残る86ヶ所の霊場を巡りたいと思っています。
地ビールとは特定地域で限定量生産する小規模ビール会社による地域ブランドのビールのことで、日本では緊急経済対策の一環として、1994年の酒税法改正によって、ビールの最低製造数量基準がそれまでの2,000klから60klに緩和されたことを受けて全国各地に誕生した地域密着・小規模醸造のビール会社による、地方ローカルブランドのビールを指します。
英語圏ではクラフト・ビールとも呼ばれ、また地ビールを醸造するビール会社や醸造所をマイクロ・ブリュワリーと呼んでいるそうです。
その出来立ての美味しいドイツビールの地ビール工場がチェンマイにもあります。
作りたてのドイツ地ビールを飲みながらドイツ料理を肴にライブ音楽が聴ける店がスーパーハイウエイ沿いにあるBigC Extra(旧Carrefour)の裏手にあります。
ビールは作りたての味が最高で、特にここにはDark Beer(黒生ビール)もあって、ラガー生ビールと併せて飲む<ハーフ&ハーフ>は最高の味です。
ここで飲める地ビールは<Bock>(ドイツ伝統ビール)、<Dunkel>(マンチェスター・黒ビール)、<Weizen>(西ドイツスタイル)、<Lager>(ドイツ・ピルセン)、<Pilsenr>(ドイツ・ピルセン)などがあって、それぞれ大ジョッキ、中ジョッキ、小ジョッキが選べます。
入口を入ると直ぐ右手に醸造タンクがあって、店内の正面には大きなステージが先ず目に入ります。
毎晩20時になるとこのステージでライブ音楽のショーがあり、客席の数も200席を超える大型ビアレストランです。
開店は毎日16時からで、スーパーハイウエイから旧カールフールの入口を少しだけ通り過ぎたところを左折し、3つ目の道路を右に曲がった直ぐ左側にこのビアレストランはあります。
Chiang Mai German Microbrewery
345 Moo 4 Chiangmai Lampang Road
Tel:053 244 588
シュラスコ(ブラジル・バーベキュー)
シュラスコ(ブラジルポルトガル語:churrasco)は鉄串に牛肉や豚肉、鶏肉を刺し通し、荒塩(岩塩)をふって、炭火でじっくり焼いたブラジルを代表する肉料理です。
ブラジルポルトガル語ではシュハスコと発音されますが、アルゼンチン、ウルグアイ、ボリビアなどでも好まれている肉料理です。
シュラスコはお祭り好きなブラジル人の大好きな料理で、「誕生パーティ」、「結婚披露宴」、「落成祝賀会」、「送別会」などなど様々なイベントでこのシュラスコが登場します。
とにかく肉とパン、そしてサラダに飲み物を用意してあとは炭さえあればいつでもどこでも簡単に出来る栄養、ボリューム共にたっぷりのダイナミックな料理と言えるでしょう。
牛肉を中心に豚肉、鶏肉、ソーセージなどに「荒塩」(岩塩)を擦り込んでから炭火で焼き上げ、トマト、玉ねぎ、パセリ、ピーマンをみじん切りにして、ワインビネガー、オリーブオイル、塩、胡椒を混ぜて作ったMolho(ソース)を添えてパンにはさんで食べるのです。
サンパウロには移民の数に比例するように各種のレストランの中でもひと際立って目立っているのがChurrascaria(シュラスカリア)「バーベキューハウス」で、店の名前もChurrascaria GauchoとかRincao Gaucho(ヒンコン)「耕地」Porteira de Pampas(ポルティラ・デ・パンパス)「大草原の門」などとブラジル南部の地名に因んだ店名が目につきます。
シュラスカリアはアラカルトメニューで好みのバーベキューを注文する店の他にRodizio(ホディジィオ)と呼ばれるバイキングスタイルのレストランがあって、このRodizioとは「くるくる廻る」という意味で、文字通りシュラスコが次から次へと出て来て、ストップをかけるまで食ぺ放題というわけです。
Rodizioの店はたいてい規模も大きく、生バンドも入っていてボーイ達もカウボーイ・ハットにプーツをはいて革のズボンにベスト、そして腰には必需品のナイフをつけたGaucho(カウボーイ)スタイルが主流です。
10数年前には東京の銀座や渋谷に数軒のシュラスカリアがありましたが、今では淘汰されて表参道にある<バルバッコアグリル>だけになってしまいました。(2年程前に新丸の内ビル内に支店がオープン)
チェンマイでも美味しい肉やソーセージが入手出来、ブラジル直輸入の「ピンガ」(サトウキビから作る蒸留酒)も手に入り、バーベキュー用の「炭」もあるので、既に何度かシュラスコ・パーティーを開いて、遠いブラジルを懐かしんでいます。
時々買い物に行く大型スーパーのMAKROで見付けた勝れモノの食材、それが<フライドオニオン>です。
MAKROの店内に唐辛子やニンニク、玉ねぎ、ハーブ類などを売っているスペースの片隅に置いてあるのが写真のフライドオニオンで、100g入りのパックが4個入りで148バーツ(約380円)です。
サクッとした食感と香ばしい風味が魅力のフライドオニオンはサラダやスープ、カレーなどに入れて簡単に利用出来る素材で、使い勝手も良いので、一つあると大変便利です。
味や香りがよく、かつ低価格というメリットもあって、更に特殊製法によって作られているので、酸化しにくく、油がにじみでてくる心配もありません。
サラダやラーメンにトッピングにすると味わいも増してお薦めですが、和食の「うどん」や「蕎麦」にトッピングしても風味が増します。
また、意外な組み合わせは「味噌汁」との相性で、出来上がった味噌汁に入れてみると深みのある味に変身してくれます。
カレーの時には出来上がったカレーにトッピングするのではなく、カレーを作る段階でたっぷりのフライドオニオンを入れて煮込むのがコツです。
日本では一般的な食材ではないので、輸入食材店の「成城石井」や「小田急OX」などで写真下のようなフライドオニオンが入手出来るようです。
MAKROのフライドオニオンの売り場では一緒に<フライドガーリック>も置いてあるので、併用することによって新たな「味」の発見が出来るかも知れません。
タイ下院は去る5日、貢献党のインラック氏(44歳)を新首相に選出しました。
インラック首相は2006年のクーデターで失脚したタクシン元首相の実妹で、タイで女性首相の誕生はは初めてです。
選出後新首相は国民に向けてテレビ演説し、国王陛下への忠誠や国家・国民のために最善を尽くすことなどを強調しました。
インラック首相は学生時代にはチアリーダーとして活躍した経験もあって、はつらつとした笑顔が好感を呼んで、先の総選挙では「インラック旋風」を巻き起こしました。
すらりとした端麗な容姿のインラック首相は海外メディアからも「フォトジェニック(絵になる被写体)」として注目を浴びています。
そしてインラック首相と新閣僚は去る10日、プミポン国王の前で宣誓式を行い、インラック政権が正式発足しました。
同党議員でタクシン元首相派勢力の反独裁民主戦線(UDD)幹部は入閣が見送られ、選挙活動を支えたUDDへの論功行賞より、政権イメージと反タクシン派からの反発回避を優先した形ですが、地元紙によるとタクシン氏が主な閣僚を決めたとしており、事実上の「タクシン政権」が復活しました。
インラック新首相は現地記者団に対して、7月の総選挙で公約した最低賃金の大幅引き上げなどの大規模な生活支援策を実施に移す考えを示しました。
貢献党は選挙期間中、最低賃金を300バーツ(1バーツ=約2.63円)に引き上げるほか、現在1トン当たり約1万バーツのコメの買い上げ価格を1万5000バーツに引き上げることも公約しました。
また同党は、法人税を30%から23%に引き下げることも公約し、企業の負担を軽減するとしています。
このほか、タクシン政権期の政策を復活させ、30バーツで診療が受けられる医療制度、700億バーツの農村基金などを実現するとしています。
民間研究機関の試算によると、公約実現には国家予算1年分に相当する2兆3000億バーツが必要だといいます。
クーデター後、首都での大規模な騒乱が繰り返されたタクシン派と反タクシン派の政治対立解消も課題です。
そしてインラック首相にとっての最大の課題は、長年にわたり国民を分断してきたタクシン、反タクシン両派の「国民和解」ですが、汚職罪で実刑判決を受け政治活動を禁止され、海外で事実上の亡命生活を送るタクシン氏の帰国、復権問題とも絡んで、反タクシン派は同氏の総選挙への関与などを理由に、裁判による貢献党の解党を画策しているそうで、「国民和解」への道筋は険しいものがあります。
※今朝日本から入って来たニュースによると、タイのタクシン元首相が亡命先のドバイの日本総領事館に入国申請したことを受け、入国を特別に認める方針を菅内閣が固めたそうです。
その為外務省は近日中に査証を発給するため、法務省と調整に入りました。
タクシン元首相氏は「日本・中国・ASEAN経済文化研究会」(会長・水野清元総務庁長官)の招待を受け、今月22日からの訪日を希望していて、東京都内で講演や記者会見をするほか、東日本大震災の被災地訪問も予定しているそうです。
下の写真は選挙運動期間中のインラック氏。
私が小中学生時代に好きだったプロ野球チームは「国鉄スワローズ」で、並み居るジャイアンツファンの友人たちの中では少数派でしたが、当時の国鉄スワローズには大投手の金田正一が居て、彼は14年連続20勝、1951年のノーヒットノーラン、1957年の完全試合と数々の輝かしい記録を残しています。
その国鉄スワローズは1965年にサンケイスワローズとなり、以降サンケイアトムズ、アトムズ、ヤクルトアトムズ、ヤクルトスワローズ、東京ヤクルトスワローズ(2006年~現在)と球団名を変えていますが、私はスワローズ一筋で現在に至っています。
その東京ヤクルトスワローズが今年のペナントレースで快進撃を続けています。
目下のところスワローズはセリーグトップで、2位の広島に7.5ゲーム差をつけるダントツ首位です。(8月5日現在:41勝27敗12引分、勝率。603)
東日本大震災で開幕が遅れたプロ野球ですが、オールスターゲームを境にトップで折り返したスワローズですが、本当の戦いは後半のこれからです。
調子の良いヤクルトスワローズとは言え不安材料が無い訳ではありません。
青木も宮本も相川も気力だけで戦っていて、テーピングで固めての出場ですから、少しは休養をしないと体に異変が起こっても不思議ではありません。
満身創痍で戦っている選手の方々には感謝しますが、無理なく頑張って欲しいところです。
このスワローズと私の一番の「思い出」と言えば1978年のV1達成です。
1978年10月4日、ヤクルトスワローズは地元・神宮で対中日戦を行い、私はその日赴任先のブラジル・サンパウロの自宅で試合の行方を固唾を飲んで見守っていました。
ヤクルトの応援席のライト側外野席には「国鉄スワローズ→サンケイアトムズ→ヤクルトスワローズ初優勝!29年間のご支援ありがとう」と書かれた横断幕が既に試合前から掲揚されていました。
そして圧倒的な9-0のリードで迎えた9回1アウト1塁から谷沢健一の打球がセカンドゴロからのゲッツーとなり、念願の地元胴上げで初優勝を達成したのでした。
決定の瞬間、選手らが1塁ベンチから飛び出して広岡達朗監督を胴上げすると、興奮の余りに客席からグラウンドに飛び出したファンからも祝福の胴上げや拍手をし、優勝記念の表彰式どころの騒ぎではなくなっていました。
私の方は赴任先のサンパウロで、数少ないスワローズファンが集まって、盛大な「V1達成祝い」で盛り上がり、更にその年の日本シリーズでは阪急を破り、ヤクルトの球団創立29年目で初の日本一が決定したのでした。
トップの写真は8月4日のドラゴンズ戦での青木選手。
この日の青木選手は内野安打3本を放ち猛打賞! しかも、セカンド、ファースト、サードと3本とも違う方向でした。
このうち1本はチーム唯一のタイムリーとなって、今季通算101安打まで伸ばし、打率.310はリーグトップです。(写真提供:サンケイスポーツ)
下の左写真はヤクルトにおける二塁手の代名詞ですらあった土橋勝柾選手と1997年に撮った一枚です。(土橋選手は現在スワローズ2軍(ファーム)のコーチとして活躍している)
※1973年11月に愛称を「アトムズ」から国鉄時代の「スワローズ」に戻したヤクルト球団公認による球団歌は歌唱力では球界随一と言われていた当時のスワローズのエースピッチャー・松岡弘の歌唱により吹き込まれました。
<とびだせヤクルトスワローズ・Youtube>
http://youtu.be/vwDhJkO9Bns
ヴァチカン市国
ヴァチカン市国はご存知の通りローマ中心部にある小さな国で、キリスト教の総本山サンピエトロ寺院、サンピエトロ広場に隣接する美術館博物館、礼拝堂で構成されています。
私がここに行ったのが2004年2月24日の日曜日の朝9時頃ですが、驚いたことにヴァチカン博物館の入り口からは既に長蛇の列が出来ていました。
聞くところによると先のマドリッドのプラド美術館同様、日曜日は無料解放されているそうで、その行列の多さに納得して、ヴァチカン訪問は翌25日の月曜日に延期しました。
もと法王の住居であったこの宮殿には様々な時代の重要美術品が豊富に揃っていて、それを全部見るには気力と十分な時間が必要です。
ラファエロとその弟子達の力で完成させたラファエロの間と ミケランジェロの「最後の審判」が描かれているシスティーナ礼拝堂がやはり圧巻でしたが、それらの絵画は見事なまで修復が終わっていて、余りにも美し過ぎる「色」に時代感が薄れてしまったのが少し残念な気がしました。
ヴァチカン市国の面積は44ヘクタールで東京ディズニーランドとほぼ同じ広さです。
こんな小さな国でも日本をはじめ世界各国に大使を送っているし、通貨や切手も発行しています。
そしてなによりも、ヴァチカンの主「ローマ法王」の知名度の抜群さです。
そのヴァチカン市国のローマ法王ベネディクト16世は最近Twitterに初めての投稿を行ったそうです。
投稿に使用した端末は iPadで、入力方法など使い方を教えてもらい、「親愛なる友へ、新たなサイトを始めました。主イエス・キリストをたたえましょう。祈りと祝福を込めて。ベネディクト 16 世」とのメッセージを発信したそうです。
前法王に続きベネディクト16世も情報技術の活用に積極的に取り組んでおり、この度バチカンの発表やニュース、ラジオやテレビ及びFacebookなどのSNSを統合した新たなポータルサイトが開設されたばかりで、Twitterへの投稿はこれに合わせて始められたとのことです。
1ヵ月以上も前から市内の目抜き通りに看板やバナーで告知を続けていた「チェンマイ・インターナショナル・フード・フェスティバル」が去る14日から18日まで開催されました。
会場はエアポートプラザにあるコンベンション・ホールで、世界各国の料理が会場内の特設ブースで即売されて、連日の賑わいを見せていました。
16日の土曜日には在チェンマイ日本総領事館の肝いりで実現した「寿司デモンストレーション」と「マグロの解体ショー」が開催され、多くの在留邦人や、外国人、和食好きのタイ人で会場が埋まりました。
在チェンマイ日本国総領事館は,バンコクで複数の日本食店を経営するJストリーム社と輸入鮮魚卸販売UO-YA Thailandと協力して,養殖本マグロを日本から輸入し、マグロの解体から寿司を握るまでに至る一連の過程をタイ人に紹介するイベントを開催したのです。
また併せて震災後の日本食に対する風評被害対策の一環として実施されたものです。
マグロの解体ショーの後切り身として販売されると知り、チェンマイで生の本マグロを入手出来る貴重なチャンスを逃すべく会場へ行って来ました。
解体されたマグロの値段は赤身が100グラム300バーツ、中トロが500バーツ、トロが800バーツと結構な価格でしたが、解体後あっと言う間に完売してしまいました。
何とかゲットした200グラム余りの<中トロ>の味は、やはりいつもの冷凍マグロとは比較にならない程の美味しい味でした。
ホームパーティーで「お寿司」と言えば<手巻き寿司>を食べながら和気藹々と話が弾むのが定番ですが、つい先日開いたホームパーティーでは本格的な<江戸前握り寿司>のパーティーとなりました。
即席「寿司職人」になったのは管理人の私で、その昔見よう見真似で覚えた<腕>が役立ちました。
海のないチェンマイで新鮮な寿司ネタを調達するのはかなり困難なことなので、寿司ネタは殆ど「冷凍物」ですが、写真のように結構バラエティー豊富な江戸前握り寿司が出来上がりました。
マグロとコハダ、しめ鯖はチェンマイランドの神戸屋Stationで購入し、鰻と海老、サーモンはMakroで調達しました。
また写真左下は「数の子」で、昨年9月の一時帰国の時に日本から持ち帰ったものを冷凍保存してありました。
江戸前寿司は握り寿司を中心とした江戸の郷土料理で、世界共通語となっている「Sushi」は主にこの「江戸前寿司」を指すそうです。
古くは「江戸寿司」「東京寿司」とも言ったそうで、江戸前の豊富で新鮮な魚介類を材料とし、一般家庭では作られることがほとんどなく、寿司屋の寿司職人が作る寿司です。
寿司を握ったのは私ですが、下ごしらえや酢飯づくりはホームパーティー参加者全員の合作で、特に酢飯は日本から持ち込んだ厚釜の炊飯器を使って炊き上げ、酢飯づくりはホストファミリーのM氏の自信作です。
サイドディッシュとして用意された「茶わん蒸し」は同じくホストファミリーのM夫人、美味しい「筑前煮」は参加したG夫人が作ってくれました。
辛口の日本酒「大関」を飲みながらいただいた江戸前寿司の味は最高で、用意した7人前の寿司を完食し、暫しチェンマイに居ることを忘れてしまう楽しいひと時を過ごすことが出来ました。