タイに初めて来た時に街を歩いていて気付いたことは「タトゥー」を入れているタイ人の多さです。
チェンマイでもタトゥーを入れている人は日常的に良く見かけるし<TATOOショップ>も数件目にします。
またチェンマイでタトゥーを入れて行く外国人もかなり居るようで、多分技術が進んでいるからでしょう。
タイではタトゥーは魔除けや厄除け、護身のような意味があって、タトゥーを入れていると病気にならないとか、拳銃で撃たれても当たらないとか言われているようです。
タトゥー入れている女性も最近目にしますが、女性がタトゥーを入れるようになったのは極く最近のことのようです。
タイでは「刺青」をしているからと言って世間的にどうってこともないらしく『あそこの息子は腕に何やら絵を描いていて何となく怖い・・・」などと色眼鏡で見られこともなく、極く普通に仕事をしています。
日本の暴力団や中華系の幇など、反社会的な結社のメンバーの多くが、刺青を入れていることが広く知られているほか、現代の欧州においても、ロシア・マフィアの構成員にとっての刺青は重要な要素で、米国の白人至上主義団体もナチスのハーケンクロイツなど独特な刺青を構成員のシンボルとしている事で知られています。
海外におけるタトゥーは、1960年代末に世界的に流行したヒッピー文化に取り入れられて大きく成長したため、そのデザインや表示するメッセージなどにおいてヒッピー達が好んだヒンドゥー教やチベット仏教に由来する梵字やオカルト的なデザインが多く好まれているのが特長です。
タイ・ラオス・カンボジア・ビルマには上座部仏教を基にした「サクヤン」と呼ばれる独特の刺青文化が存在し、寺院にて僧侶の手によって経文や図柄を刺青する習俗が古くからあります。
また軍人や警察官にも刺青を入れている人が多く、その内容は冒頭に書いたように弾避けに効果があるとされる呪文や経文である事が多いそうです。
タトゥー大国のタイ・バンコクでは毎年タトゥー・コンテストが開催されていて、国内はもちろん海外の参加者も集まって、音楽ライブやタトゥー関連ショップの出店が集まるイベントで盛り上がり、例年様々なテーマで美しいボディアートを競い合い、タトゥーを入れた本人とその刺青師が選ばれ表賞されています。(下写真)
戦後の娯楽といえば「映画」が王者の座に長い間君臨していました。
日常の情報は新聞とラジオが支えていて、テレビが台頭して来たのは私が中学生になってからのことで、それまでの娯楽と言えば家の近くに5館あった映画館でした。
子供の頃に映画館で手に汗を握りながら見ていたのが、ジョニー・ワイズミュラー主演のターザン映画でした。
あの『ア~ア~ア~~~っ!』と言う動物のような雄叫びとスリル満点のストーリー展開が子供だった私の心をしっかりと捉えていたのです。
邦画では「鞍馬天狗」、「笛吹童子」、「紅孔雀」などが私の小中学生時代の思い出の映画で、貰ったばかりの正月のお年玉を握って映画館で新春封切映画を超満員の客席で見ていました。
映画に関して特に印象に残っている出来事は国産初の総天然色映画の『カルメン故郷に帰る』(1951年に松竹大船撮影所製作)と、日本初のシネマスコープ映画の『鳳城の花嫁』(1957年・東映)、そしてほぼ同時期に公開された同じくシネマスコープ映画の『明治天皇と日露大戦争』(1957年・新東宝)の2作品です。
そして私の映画への趣向は東宝映画の<特撮物>に向かって行き、「ゴジラ」、「モスラ」、「ラドン」、「地球防衛軍」などを好んで見るようになって行き、高校生になった頃にはいわゆる「洋画」と言われるハリウッド映画やイタリア、フランス映画を好んで見るように変わって行きました。
最近はDVDが簡単に入手出来、さまざまな映画ソフトも安易に入手出来るようになったので、チェンマイで映画館に足を運ぶことは少なくなりました。
チェンマイも日本と同じようにシネマ・コンプレックス形式の映画館があって、最新のデジタル方式での映写や3Dの飛び出す映像やサラウンドの迫力ある音響で、映画館離れの客を取り戻そうと必死です。(写真はエアポート・プラザ内のシネ・コンプレックス)
現在上映中の映画は日本でも公開中のあのスピルバーグ製作の話題作「スーパー8」や日本では9月に公開予定の「グリーン・ランタン」(3D)、「トランスフォーマー3」(3D)などです。
数年前に市内のワローロット市場で偶然見付けたのが写真の品の「魚粉」です。
この魚粉は市内に数あるスーパーの売り場では目にしたことのない商品で、ワローロット市場の片隅でひっそりと売られている隠れた勝れモノです。
魚粉(ぎょふん)とは、魚を乾燥して砕き粉状にしたもので、フィッシュミール、魚粕とも呼ばれていて飼料や有機肥料として、また直接食用としても用いられています。
魚粉は世界的にはイワシ(アンチョビ)などが対象となることが多く、日本では、サンマやニシンを用いることがあるそうですが、ワローロットで売られている魚粉の原料となる魚の名前は不明ですが、店のおばさんに聞いたところ体長20cm余りの干魚を指さして『これが原料』と、教えてくれました。
魚粉はカルシウムやタンパク質を豊富に含むことが着目され、だしをはじめとした食材として利用されていますが、タイ人もきっとスープのだし用に使用しているのでしょう。
数年前までは日本産の「うま味調味料」を買って使っていましたが、アミノ酸などで合成された化学調味料の発がんの危険性なども話題になっていたこともあって、この「魚粉」との偶然の出会いから愛用しています。
「ダイソー」の65バーツショップで売られている<だし・お茶パック>にこの魚粉の他に鰹節、昆布などを入れて「特製だしパック」を作り置きして、味噌汁やうどん、蕎麦の「つゆ」作りや煮物などにも利用しています。
魚粉は少量で手軽にだしが取れ、素材の栄養を丸ごと取れ、天然うま味調味料として使えるところが便利です。
写真の500g袋入りの魚粉は90バーツで売られていて、下の写真のように「計り売り」の店も1軒あります。
広いワローロット市場でこの魚粉を探すには乾燥魚やスルメ、乾燥エビなどを扱っている店が数軒並んでいる一角を探せば簡単に見付けることが出来ます。
一般的に関東人はそば好き、関西人はうどん好きなどと言われていますが、東京で生まれ育った私は定説通りの「蕎麦好き」です。
タイでも日本蕎麦を作っていてトップの写真のような「乾麺」が売られていて、普通の日本蕎麦の他に<茶そば>もあります。
コシがあるしっかりした麺で、暑いタイでざるで食べるのにはぴったりです。
日本からの輸入蕎麦に比べて価格もリーズナブルで、常時自宅にストックして週に一度は食しています。
暑い季節になるとさっぱりと喉越しの良い麺類を食べたくなるもので、ラーメン、パスタ、うどんなども良く食べている方だと思います。
タイ産の蕎麦は在留邦人をターゲットに製造販売されている商品ですが、蕎麦を麺類に加工して食べる国には、フランス、イタリア、中国、北朝鮮、韓国、ブータン、ネパールなどがあるそうです。
ただし、麺にする方法は各国、地方で異なるそうで、朝鮮半島の冷麺などのようにところてん式に押し出して作る方法や、イタリアのピッツォッケリのようにのし棒で成形するものなどがあります。
麺ではなく、団子状にしたり、腸詰めとしたり、また調理方法も茹でるのではなく焼いて食べるものなどがあるそうです。
日本の<蕎麦切り>もまた、前述の国々の蕎麦料理のように独特のものと言えるでしょう。
最近のマイブームは下の写真にある<ぶっかけおろし茶蕎麦>で、辛み大根独特のツーンと鼻にくる辛味とあいまって、舌に感じる蕎麦の甘さを味わうことが出来る正に大人の味です。
「めんつゆ」もタイ産のYamamoriブランドから3倍濃縮タイプが発売されているので、冷水で希釈すればぶっかけ蕎麦に直ぐに利用出来るので重宝しています。
「死海」とイスラエルの思い出
(2001年6月28日:地球一周の船旅日記より)
いよいよ期待のイスラエル/パレスチナ訪問です。
ピースボート側のスタッフが総力を挙げて調査員を直前に現地に派遣し、外務省から出ている「海外渡航危険度4」を敢えて乗り越えて上陸を試みた今回のイスラエル/パレスチナ訪問では、緊張の高まるガザ地区やウエストバンク地区を避けてエルサレムにあるハイアットホテルに1泊して聖地と死海を中心に訪問して来ました。
ものものしいチェックの厳しい中を下船して、バスを連ねてエルサレムの街に向かいましたが、緊張のあったのはこの下船チェックと帰りの乗船チェックの時だけで、その他はホテルでも旧市街見学の時も「平和」そのものの印象でした。
イスラエルの町並みはヨーロッパ的な美しさで、家々の壁の色はシックなベージュ色が多く、屋根の色も派手な色使いがないのでとても落ち着いた印象です。
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の三大宗教の教会やお寺が混在した街の風景もユニークで、聖書の中でしか知ることの出来なかったキリストの生まれ育った場所に立ち、聖墳墓教会、ヴィァ・ドロドーサのキリスト処刑に関わる聖地を徒歩で訪問出来て感動を覚えました。
緊張の高まっている時期だけに観光客の姿は僅かでしたが、熱心なキリスト教徒たちがヴィァ・ドロドーサの石畳の道を大きな十字架を背負って歩く姿に信仰の深さを感じ取ることが出来ました。
そして最後に立ち寄った「死海」では海抜マイナス400mにある塩水湖で貴重な体験をしてきました。
地球上最も低い場所と言われる死海では雨が少なく蒸発が常に起きていることから湖水の塩分含有量が37%にもなっていて、日本の海の2,9%に比べて10倍以上も濃いことから身体が強制的にプカリと浮いてしまいます。
塩分やミネラル分が異常に高い為、生物が住むことが出来ない正に「死海」ですが、ここの泥や水はエステにはうってつけなのだそうです。
波打ち際の砂地を掘って取り出した灰色の粘土状の「泥」を身体全体と顔につけてインスタント泥パックを体験して来ましたが、真水のシャワーで洗い流した後の肌が驚くほどスベスベになって即効力を実感しました。
海水をちょっと舐めてみたところ今までに味わったことのないような超塩辛さに驚いてしまいました。
そして下の写真がエルサレム(イスラエル)の「嘆きの壁」で、ユダヤ人にとっては聖地中の聖地、信者は何世紀もの間この石壁の前でひたすら祈りを捧げています。
チェンマイに本格的な「暑さ」がやって来ました。
去年は記録的な猛暑日が続いて7月には日中の最高気温が40℃にまで上がって驚かされました。
ここ数日の日中の最高気温は32~33℃ですが、南国タイなのでこの暑さは当然と言えば当然でしょう。
相変わらず週2回のゴルフを続けていますが、大汗をかきながらのプレイ中の<水分補給>にはいつも充分気をつけています。
スポーツをして汗をかくことは体温調節、新陳代謝による老廃物の排出、血液浄化など、体に良い様々な効果があります。
汗をかかないことに慣れてしまうと、能動汗腺の機能が衰退し、イライラや頭痛・不眠などを引き起こすことがあるので、普段から運動や半身浴、サウナなどでも良いので汗をかくように心がけることが大切だそうです。
ゴルフのプレイ中の<水分補給>はいつもスポーツドリンクのお世話になっています。
スポーツドリンクは、運動による発汗等によって体から失われてしまった水分やミネラル分を効率良く補給することを目的とした機能性飲料で、特に脱水症状の回復や、炎天下のスポーツにおける熱中症防止に効果があるからです。
体液にほぼ等しい浸透圧を持つため、近年ではアイソトニック飲料、スポーツ飲料と呼ばれています。
下の写真のスポーツ飲料はチェンマイで販売されている代表的なものですが、私はいつもトップの写真の「粉末」タイプのスポーツドリンクを利用しています。
粉末は保存にとても便利な上、コスト的にもボトル飲料より勝っています。
この粉末タイプのスポーツドリンクは薬局で簡単に入手出来ますが、私はいつも大型スーパーのMAKROの中にある薬局で写真の50袋入った箱詰を購入して、ミネラルウオーターで作ったスポーツドリンクを下の写真右のステンレス・クールボトル入れてゴルフ場に持参しています。
チェンマイに住み始める前のダバオ時代や現役の頃にシンガポールに赴任していた時に良くお世話になっていたのがドラッグストアのワトソンズです。
このお店は薬局兼コンビニのような形態の店作りが特長で、東京にある<マツモトキヨシ>はこのワトソンズに良く似ています。
本格的な「薬局」の他にシャンプーやリンス、ボディソープなどのトイレタリー製品、化粧品、雑貨、各種サプリメント、更にジュースやスナック菓子も売られています。
ユニークな面白商品やワトソンショップのプライベートブランドが安くて大容量でお得なので、店内はいつも若いお客で賑わっています。
最近店内の陳列棚で目を惹くのがMade in Japanの化粧品です。
ワトソンズ(中国語名:屈臣氏、英語名:Watsons)は香港に本拠を置くドラッグストアチェーンで、1828年に広東で「屈臣氏大藥房」という社名で創業されました。
現在は香港を本拠地とするコングロマリット、「ハチソン・ワンポア」の傘下で、スーパーマーケットチェーンのPARKnSHOPや、家電販売店チェーンのFortressなどの小売業を展開する「A.S.ワトソンズ・グループ(屈臣氏集團)」の一ブランドとなっています。
ワトソンの店舗は香港を中心に中国、台湾、インドネシア、シンガポール、マレーシア、フィリピン、タイ、マカオ、韓国などの国々にあって、最近はトルコ、エストニア、スロヴェニアにも進出しているそうです。
現在6,200店舗で営業を展開していて、スタッフは87,000人を超えている大企業です。
チェンマイのワトソンズはエアポート・プラザ内に2店舗、センタンの中に1店舗、最近オープンしたミーチョックプラザにも1店舗開店して、時々利用しています。
修学旅行の思い出の地<小豆島>
小学校、中学校、高等学校と東京で過ごした私の学生時代の思い出の中に「修学旅行」の楽しい記憶があります。
小学校時代は「日光観光」で、中学の修学旅行では「京都・奈良」旅行でした。
中学生時代には未だ新幹線は無かった時代だったので、東京駅からの東海道線での旅でしたが、車中や旅館での楽しい思い出がつい昨日のように思い出されます。
そして高校時代の修学旅行では「大阪」、香川県の「金毘羅」と「小豆島」でした。
特に小豆島での1泊がとても楽しいもので、「オリーブ温泉」など、今でも鮮明に憶えています。
小豆島は瀬戸内海・播磨灘にある島で、古くは「あづきしま」と呼ばれていたそうです。
素麺、醤油、佃煮、胡麻油、オリーブなどの生産が盛んで、いずれも日本有数の生産地となっています。
特にオリーブは国内栽培の発祥地として広く知らています。
また小豆島は壺井栄の小説『二十四の瞳』の舞台で、島をロケ地として二度映画化されています。
つい先日NHKのテレビで1954年に製作された『二十四の瞳』がデジタル・リマスター版の美しい映像で放送されたのを何十年振りに見ることが出来ました。
木下惠介が撮った叙情性あふれた作品で、高峰秀子が演じた大石先生と12人の教え子たちとのふれあいの中に、反戦のメッセージを描いた日本映画の一大傑作です。
そんな懐かしい小豆島を再訪問したのが2004年の春のことで、土庄港の入り口に建てられた「平和の群像」は小豆島を舞台とした壺井栄の小説「二十四の瞳」をモデルにしており、分教場へ通う12名の生徒たちが大石先生を取り囲んでいる構図が像になっています。(写真下)
かなり昔から朝食は毎朝必ず摂る習慣で、旅行などで家を離れている時以外は必ず自分で作っています。
料理をするのは老化防止、ボケ防止にも繋がるらしいし、自分の好みの味で作れるし、料理のプロセスもなかなか楽しいものです。
毎朝同じ朝食では物足りないので、毎日メニューが変わり、和が70%で洋は30%程度がここ数年間の慣わしになっています。
独り暮しに年季が入っていることもあって、料理の手さばきもスピーディになって、何よりも電子レンジと電気オーブンのお陰です。
「ゆで卵」も「味噌汁」も電子レンジで簡単に作れる時代なのです。
「焼き魚」は電気オーブンを使えばこんがりと焼き上がり、電子レンジ用の焼き色のつく特別なシートを使うよりも安上がりです。
しかし最近興味を持っているのがネット広告で見た電子レンジ用の「焼き魚」用の特殊な陶器の皿で、何でもその皿を使うと電子レンジで焼き色のついた魚が出来るとか。
色々と便利な調理グッズが次々と発売されて話題に事欠くことがありません。
洋食の朝食のマイブームは「サンドイッチ」です。
ハム、野菜、玉子の3種で作るシンプルなサンドイッチですが、付け合せに「スープ」は欠かせません。
以前はタイの味の素の現地法人で製造販売されていた<VONO>ブランドのインスタントのコーンクリームスープを愛用していたのですが、どうした理由か約2ヶ月程前に市場から忽然と消えてしまいました。
そしてやっとVONOに勝るとも劣らない美味しいインスタントの「コーンクリームスープ」を見付けることが出来ました。
トップの写真のLady Annaブランドのインスタントスープで、4袋入り39バーツです(約107円)
このインスタントスープを作る時にはお湯を入れる代わりに温かい牛乳を入れるとまろやかさと「コク」が出て美味さだけではなく、栄養価も高まります。
トップ写真の左側に写っているのが、これもいつもストックしているロングライフのミルクです。
このインスタント・コーンクリームスープは、あいにくお向かいのTopsスーパーには無く、Rimpingスーパーの店頭に常時並んでいます。
ソンクラーンが終わってからチェンマイには殆ど毎日のように雨が降り始めるようになって、今年はかなり早めの雨季の到来のようです。
日中の気温も30度を超えるようになって来たので、今年もエアコンが活躍する時期に入りました。
日本では夏→夏バテ→スタミナ料理→鰻の蒲焼が直ぐに連想されます。
鰻といえば醤油ダレが香ばしい蒲焼きが思いだされ、日本ならではの食材のようですが、アジア各地やヨーロッパなどでも愛されている食材で、その昔メキシコに赴任していた時に「鰻の稚魚」がスーパーで売っていて、良く「卵とじ」にして食べていたことを思い出しています。
鰻は栄養価が高く、江戸時代に平賀源内が広めたとされる「土用の丑の日」に鰻を食べて夏バテ防止をはかるのは、とても理にかなった習慣のようです。
チェンマイで「鰻」と言えば中国産の冷凍の「鰻の蒲焼」が手に入るので、「鰻丼」や「鰻重」、「鰻の押し寿司」などがいつでも食べることが出来ます。
そんな中最近会員制の卸売り大型スーパーの<MAKRO>で見付けたのがトップの写真の「鰻の串焼き」です。(非会員でも一日利用券ーOne day Passを受付で発行して貰えば利用可)
白焼きされた鰻を串に刺した状態で冷凍されているので、解凍して加熱すると簡単に美味しい「鰻の串焼き」の完成です。
「タレ」や「塩」無しで焼いた後に冷凍してあるので、お好みで味付けが出来ところが有難く、冷凍の蒲焼に比べて食感も良く、日本人向けに製造された商品だけに満足の一品です。
因みにこの「鰻の串焼き」の原産地はパッケージに台湾と記載されていました。
また「鰻の串焼き」は2種類があって、この「白焼き」の他に蒲焼のタレ味の串焼きもあります。
鰻は「鰻丼」や「蒲焼き」もいいのですが、酒好きにとっては、やっぱり鰻の串焼きで一杯というのが嬉しいですね。
昔の日本には、鰻を「肝焼き」、「兜焼き」などとパーツで酒を飲ませる店が多かったのですが、最近はかなり減って来ているようです。
この「鰻の串焼き」は1箱に60本入っていて299バーツ(約800円)ですが、冷凍の「かき揚げ」と同じようにいつでも購入出来る定番商品になってくれるといいのですが・・・。
下の写真はこの「鰻の串焼き」を使って作った「鰻ざく」です。
「うざく」は関西料理の一つで、簡単にいえば鰻の酢の物で、タレ抜きの鰻の蒲焼に胡瓜を刻んだものを合わせたもので、うざくの「う」はもちろん鰻の意味で、「ざく」は胡瓜を刻んだもので、胡瓜を刻む音から由来すると言われています。
昨日は東日本大震災で尊い命を落とされた方々の49日にあたる日でした。
チェンマイの「元日本留学生協会北部支部」や「チェンマイ大学人文学部」などが中心となって、今回の大震災で亡くなられた方たちのための追悼式が市内の<3人の王様像広場>で昨晩開催されました。
タイ国の元日本人留学生協会はアジア地域の元留学生会の中で最も長い歴史を有し、タイでは「ソーノーヨー」の名で親しまれています。
会場となった広場に集まった約300名の参加者の約4割が在チェンマイの日本人で、特設舞台には日本語表記もあってタイ人の日本への熱い思いが強く伝わって来ました。
定刻の19時に追悼式が始まり、元留学生協会北部支部の支部長の挨拶に引き続いて参加者全員に配られたロウソクに火を灯し1分間の黙祷を行いました。
引き続いて在チェンマイ日本国総領事の挨拶の後主催者側から義捐金の贈呈がありました。
そして式の最後には参加者全員で被災者へ向けて歌で元気を届けようと、日本の歌3曲を合唱して追悼式は無事終了しました。
皆で歌った楽曲は「花~すべての人の心に花を~」(タイ語)「上を向いて歩こう」(日本語)「花 HANA」(タイ語&日本語)を歌いましたが、その中で印象に残った歌が3曲目の「花」(谷村新司作詞・作曲)で、美しいメロディーにタイ語がぴったりマッチして、まるでタイの楽曲のような印象を受けました。
(花 HANA はな・タイ語/日本語) 谷村新司:作詞・作曲
http://www.youtube.com/watch?v=Lt--_1vqhac&feature=related
ローマの休日
英語のことわざにはローマ発が多いことに気が付きますが、ローマに関することわざは主張が強く命令口調ですが妙に納得してしまいます。
All roads lead to Rome.
すべての道はローマへ通じる
ローマ帝国全盛時に世界各地の道がローマに通じていたことから、手段は異なっても目的は同じであることのたとえ。
Rome wasn't built in a day.
ローマは一日にしてならず
When in Rome, do as the Romans do.
ローマにいるときは、ローマ人のするようにせよ
そんなローマを初めて訪れたのが2002年2月のことでした。
あのオードリーへプバーン主演の名画「ローマの休日」やフェリーニの「甘い生活」の中での「ローマ」のイメージはかなり強烈なものがありました。
初めて訪れたローマはあの数十年前の映画の世界がそっくりそのまま目の前に迫って来て、かなりの迫力のある街というのが第一印象でした。
ローマの歴史が始まったのは紀元前753年頃からと言われていますが、その2750年もの長い間繰り広げられたドラマの息吹が、今でも感じられるのが「ローマ」の印象でした。
早速映画「ローマの休日」にも登場した「スペイン広場」に出かけてみました。
到着して先ずびっくりしたのは日本人の若者(男女)がいっぱいだったことです。
ちょうど卒業旅行シーズンでもありますが、若者たちがローマに惹かれる理由はやはりローマには、ファッション、グルメ、歴史などなどの魅力が満載だからでしょう。
そのスペイン広場から歩いて10分ほどの所に、これも有名過ぎるほど有名な「トレビの泉」があります。
後ろ向きでコインを投げ入れるとローマを再び訪れることが出来る・・・、という伝説はあまりにも有名です。
このトレビの泉は紀元前19年に水道の放水口として建造されたもので、デザインは当時のコンクールで決まったそうで、ネプチューンが中央にたち、両脇のトリトンは一方はおとなしい海馬を引き、もう一方は暴れている海馬を手なずけようとして海の2つの姿を象徴しているそうです。
次に向かったのは、これもローマでは見逃せないコロッセオ(円形闘技場)です。 コロッセオは紀元80年に完成されたもので、猛獣と剣闘士の凄惨な戦いの見せ物場だったそうです。(トップと下の写真)
建物は巨大な楕円形で今でも当時の威容をしっかり偲ぶことが出来ます。
床部分がなくなっていて、最初は一体どうなっているのか良く分からなかったものが、後で説明を見てそこが当時の地下の舞台裏で、猛獣の檻や出番を待つ剣闘士の部屋などだった小部屋の集まりと知りました。
今回の旅でイタリア滞在でミラノはほんの半日だけでしたが、ベニスとローマに数日居て感じたことのひとつに「何てパスタ&ピザの店が多いのだ!」ということです。
イタリアに居るのだから当たり前、と言えば当たり前なのだが、パスタやピザは正直言って2日連続で昼、夜と食べたら飽きてしまう・・・。
街中全てを調べた訳ではないので間違っているかも知れないが、イタリアの街は「パスタ、ピザ」レストランのオンパレードなのである。
たまに目にするのが「中華料理店」くらいで、フレンチレストランとかスペイン料理などは全く目にしなかった。
それとこれは2回目撃したので多分そうした習慣だと確信したちょっと変わった食習慣をイタリアンレストランで目にしました。
地元のイタリア人にとってパスタ料理は言わば前菜で、パンを食べながらパスタを食べている光景にはそれほど抵抗はなかったが、驚いたのは「サラダ」を最後に食べる習慣でした。
自分の今までの経験から、先ず前菜を食べて、それからスープ、サラダ、メインディッシュと進んで行くのが何となく胃袋にも優しいイメージを抱いていたのだが、イタリアではそれが覆されました。
しかし2日目の夕食を取ったレストランのボーイは私が頼んだ料理を出す順番を聞いてくれたので、外国人はイタリア人とは少し違った順番で食べるという意識があったようです。
今年もタイのお正月、ソンクラーン(水掛け祭り)がやって来ました。
13日の水曜日から15日の金曜日まで、今年もド派手なパフォーマンスがチェンマイ市内で繰り広げられていました。
今年のチェンマイのソンクラーンの特長はお天気に恵まれなかったことでしょう。
去年の12月、今年の1月、そして3月と、普段の年には先ず有り得ない「雨」がチェンマイに降って驚いたものでしたが、そんなこともあって、今年はいつもは靄に隠れて見えなくなるドイ・スーテップの山が毎日クッキリと見えていたのも特長的で、季節外れの雨のせいだったようです。
ソンクラーン初日の昼前から冷たい雨が市内に降り始めて、気温がぐっと下がって涼しくなってしまったので、<水掛け隊>の乗ったピックアップからの放水は少し控え目になったのでは?
13日の初日は「引き篭もり状態」で、部屋でDVD観賞を決め込んでいましたが、「水掛け」は新年の縁起ものでもあることから、2日目にお向かいのセンタンに出かけて<ソンクラーン・ロック・フェスティバル>の様子を見に行って来ました。
大通りは若者たちで溢れていて、センタンとお向かいにある階段広場の二ヶ所で地響きを上げながらロックのリズムが鳴り渡る中を水が飛び交い、私もしっかりソンクラーン2011年の縁起のいい「水」を浴びて来ました。
お向かいのカド・スアン・ケオー(通称センタン)の中のスーパーマーケット<Tops>が最近リニューアル大変身を遂げました。
暫くの間店内に囲いが出来、何か工事をしていましたが、あっと言う間のリニューアルでした。
トップス・マーケット(Tops Supermarket)は1996年からタイ国内で主にスーパーマーケットを展開する企業<セントラル・ディテイル・コーポレーション>の傘下で、トップス・マーケットの他に、トップス・スーパー、トップス・デイリー、セントラル・フード・ホールなどのブランド名の店舗を展開しています。
タイ国内で154店舗を展開している最大のスーパーマーケットチェーン店で、バンコクに102店舗、地方都市に52店舗あって、チェンマイにもセンタン店の他にもエアポート・プラザ店、タニン市場近くなど数店舗で営業展開しています。
元々欧米系の商品が充実しているスーパーですが、「日本食材」もかなり置いてあるので、日常的に利用している便利なスーパーです。
今回のリニューアルでは「生鮮食品売り場」が拡大・拡充して、特に「惣菜類」、「お弁当類」、「チーズ類」、ハム・ソーセージなどの「加工肉製品」、「冷凍食品」などが増えて、以前に増して客足も伸びている印象です。
リニューアル後に店頭に登場した韓国料理の定番「ビビンバ」が最近のお気に入りです。(写真下)
トッピングされたナムル野菜の種類も豊富で、スパイシーなコチジャンの味も大満足で、1個50バーツ(約140円)の価格も良心的です。
坂本九 上を向いて歩こう 東北地方太平洋沖地震 Pray for Japan!!
震災3日目にインターネットのアンケートで被災者が求めたのは<水>、<正しい情報>に次いで歌だったそうです。
絶望の淵に近い状態になると、人に必要なのは1行の詩であり、歌は心の癒しになるのでしょう。
幾つかの避難所で「上を向いて歩こう」と子どもたちのために「アンパンマンのマーチ」が流されたそうです。
「アンパンマンのマーチ」はアンパンマンの生みの親の高知県出身のやなせたかしさんの作詞で、『そうだ うれしいんだ 生きる よろこびたとえ 胸の傷がいたんでも』の歌詞が胸にしみます。
「上を向いて歩こう」は永六輔作詞、中村八大作曲で、1961年4月からNHKで放送されていたテレビ番組「夢であいましょう」の10月、11月の「今月のうた」として発表され、同年10月にレコードが発売されると爆発的なヒットとなった坂本九が歌った楽曲で、日本歌謡曲史上の最大の傑作の一つと言われています。
「幸せは雲の上に 幸せは空の上に 上を向いて歩こう 涙がこぼれないように 泣きながら歩く 一人ぼっちの夜」 ・・・中村八大のメロディーに乗せて、さびしいんだけど明るい、悲しいんだけど、前を、上を向いて希望を捨てずに歩いていこうというメッセージが伝わり、いつ聞いても励まされます。
坂本九は1985年8月12日、日本航空123便墜落事故に巻き込まれ死去。
享年43歳でしたが、偶然にも私は彼と同じ年に生まれました。