ジョリビー(Jollibee)はフィリピンのファーストフードチェーン店で、フィリピン華僑のTony Tangが率いるジョリビー・フード・コーポレーションによる運営です。
現在フィリピンの他にアメリカ、香港、ベトナム、インドネシア、ブルネイ各国に進出しています。
日本では全く知られていないジョリビーの創業は1975年で、スタートはアイスクリーム店だったそうで、現在ではフィリピン全土に1,300店舗以上、フィリピン以外の諸外国に200店舗以上を構える大組織に成長しています。
また、ジョリビー・フード・コーポレーションは、ジョリビーの他にも、ピザやパスタ中心のファーストフードのGreenwich、チャイニーズファーストフードのChowking、そしてフィリピンでDelifranceのフランチャイズを運営しており、ジョリビーとそれらの店舗が併設されていることも多く見られます。
そして昨年の10月にはあのアメリカのファーストフードの大手<Burger King>のフィリピンでのフランチャイズ権を買収したことも世間は驚かされました。
世界に進出し、各国においてファストフード業界のトップシェアを保持しているマクドナルドがフィリピンでシェア第一位になれない原因は、ジョリビーがあるからだと言われているのです。
ジョリビーがマクドナルドを超える人気を保持している理由は、地元の食文化に根ざしたメニュー展開にあるようです。
フィリピン人好みの甘い味付けや、彼らの主食であるご飯を添えたセットメニュー、主食以外にもスパゲッティとコーラのセットといったメリエンダ(おやつ、軽食)用のメニューが充実していることも子供たちを中心に人気を得ているようです。
親しみやすく可愛いキャラクターのジョリビー(陽気な蜜蜂)人形も、子供たちと一緒にカメラに収まって、売上アップの一助となっているようです。
日曜日の昼にジョリビーとマクドナルドの二つの店舗を覗いて見たところ、人気の度合いは一目瞭然でジョリビーに軍配が上がりました。
日本のマクドナルドにありそうで、ないのが「ライス」ですが、フィリピンではジョリービーにもマクドナルドにも「チキンから揚げセット」には必ず「ライス」が付いているのです。
<食文化の違い>とは言え、米好きな日本人から見るととても不思議な印象を受けるフィリピンのジョリビーとマクドナルドのメニュー展開だと思います。
ダバオの街を歩いているとトップの写真にある、黒地に黄色の文字でWESTERN UNION書かれた看板のある店を良く目にします。
ショッピング・モールの中にも、大通りに面した場所、その小路を入った道沿いにも、とにかく銀行の数と肩を並べる程の店舗が目に付くのです。
ウエスタンユニオンとは155年もの歴史を誇る業者で、全世界のお客様に迅速で確実な国際送金サービスを提供している事業者です。
日本にも現在25ヵ所の店舗があってサービスを提供していますが、一般の日本人には余り馴染みのないサービスでしょう。
ウエスタンユニオンは電報会社としてアメリカで創立されましたが、今日では世界最大手の国際送金サービス事業者へと発展しました。
海外に住む家族などに送金する時には最寄の提携店舗で送金依頼書を記入し、本人確認書類を提出してから所定の手数料を支払うだけで、ほぼ瞬時に遠く離れた場所に住む家族などに送金が出来るのです。
因みに手数料は日本からフィリピン、中国、韓国への送金の場合で1万円までが<990円>、5万円までが<1,500円>、5万から10万円までが<2,000円>となっています。
一方、日本からフィリピンへ送金されたお金を受け取るには最寄のウエスタンユニオンの店舗に出向き、送金者の氏名、国、金額の他に前以って連絡を受けた<送金管理番号>と受け取り人の身分を証明するIDなどを持参すれば数分の手続きで現金が手渡される仕組みになっています。
何故このように数多くの<Western Union>の店舗がダバオ市内にあるのか、その理由は<OFW>にあります。
OFWとはOversea Filipino Workerの略で、日本語に翻訳すると<海外出稼ぎフィリピン人労働者>となります。
フィリピン経済はこのOFWに支えられていると言えるほど大量のフィリピン人が海外に出かけて行って外貨を稼ぎ、せっせと国に残された家族に送金しているのです。
2006年の統計によると、海外140ヵ国に在住するフィリピン人は823万人で、その中で永住または長期滞在者が356万人、半年以上の滞在者が380万人、違法滞在者、87万人に上っています。
そして、彼らの年間の送金額は128億ドルにもおよび、国家予算を凌駕する額となるのです。
単純に平均すると、一人平均1,555ドル、月当たり130ドルとなり、これはフィリピンでは優に一家族が暮らして行ける金額なのです。
つまり家族から一人の<OFW>を出すと、その家族は安泰なのです。
一家族平均を5人とすると、4000万人を超え、何と国民の半分以上がOFWの送金で養われていることになります。
OFWと言えば最近は死語になりつつあるジャパユキさんもフィリピン経済を支えていたのです。
船乗り(最近の外国航路の大型船は船長以外ほとんどフィリピン人とのこと)、メード(香港、シンガポールの日曜には街にフィリピン人の溜まり場があります)、そして中近東の建設労働者、ホテル、レストランの従業員、等々、フィリピン人労働者は世界の産業を支える貴重な労働資源となっているのです。
何故これほどまでにフィリピン人は海外に生活の糧を求めるのか、それはフィリピンという国が長くスペインそしてアメリカの支配を通じて、東南アジアにありながら西洋的な文化を維持していることと、世界で英語を話す国民がアメリカ、イギリスについで3番目であることに起因しているようです。
フィリピン人は、先進国、すなわち、アメリカ、カナダ、そして日本等で暮らすことに強い憧れをもっていますが、これら先進国は厳しく彼らの入国を制限しています。
その為取り敢えず彼らを受け入れてくれる、外国人労働者が居なければ国が成り立っていかないような、香港、シンガポール、中近東等の中進国へ向かうのだそうです。
彼らが一定期間外国で暮らし、たっぷり外貨を稼いで帰国する時は、マニラ国際空港にはジプニー1台を借り切って、家族総出で出迎えます。
それに答えるために、OFWたちは目いっぱいお土産を買い込んで来るのが常ですが、海外に居る間の家族への送金に冒頭のWestern Unionを利用していることがWestern Unionの店舗がダバオ市内に数多く構える理由なのです。
以上のようにOFWはフィリピンを支える最大かつ最重要な産業です。
そのためOFWを管理、保護する目的でPOEA(Philippine Oversea Employment Administration、フィリピン海外雇用庁)という役所があります。(中央写真参照)
メトロマニラ、マンダルヨン市、EDSAとオルティガスAve.の交差点にあるPOEAのビルには海外労働許可を取得に来る数千人の人々で毎日溢れかえっていると聞きます。
そして街のあちこちでたくさんの人がたむろして何かを待っている人を見かけますが、これは海外派遣斡旋を生業とする業者の事務所で海外出稼ぎの申し込みをする人たちなのです。
このブログでダバオに次々と大型ショッピング・モールが誕生していて、古くからあるモールのどの一つも閉鎖されることが無いと書きました。
古くからあるモールが新規開店のモールに淘汰されずに健在で居られるのは、このOFWたちがダバオへ一時帰国した時に落として行く「金」の額が相当なものだと言うことも理由の一つだと先日ダバオに住むフィリピン人の友人から聞いたばかりだったので、『なるほど・・・』と納得出来ました。
1985年からフィリピンで導入された外国人向けの「特別居住退職者ビザ」取得の為の基準は導入後に何度か改革されています。
2011年5月から新しい基準が発表され、今まで以上にPRA(Philippine Retirement Authority・フィリピン退職庁)ビザの取得が容易になりました。
新しい基準には新たなプログラムが用意されていて、自分に合ったコースが選択出来ます。
以下に最新のSRRVビザ取得の為の基準を掲載致します。
<SRRVビザ>とは。
フィリピン政府機関のフィリピン退職者庁 (Philippine Retirement Authority) 発行のビザで、35歳以上の外国人を対象に数次入国ビザ特権とフィリピン永住権を取得する事が出来ます。
SRRVビザには以下の4プランがあります。
1 SRRVクラシックプラン
退職者ビザ申請者はPRAの指定銀行に35~49才は$50,000.00、50才以上は$20,000.00米ドルで1ヶ月間以上の定期預金をしなければなりません。
しかし1ヵ月後にPRAの許可を得てコンドミニアム購入又は家付き土地の長期リースの何れかに投資する事が可能ですが、$50,000.00相当の既に居住できる物件に限られます。
2 年金受給者プラン
1ヵ月$800.00相当の年金を(退職者ビザ申請者が夫婦であれば$1,000.00)以上を受給していれば、$10,000.00を指定銀行への定期預金することで永住資格が取得出来、投資条件はSRRVプランと同じです。
3 SRRVスマイルプラン
退職者ビザ申請者が35才以上で指定銀行に$20,000.00の定期預金をします。投資はできませんが、銀行に預けたままで利息だけ受け取れるプランです。
4 SRRVヒューマンタッチプラン
退職者ビザ申請者が35才以上で$10,000.00の定期預金、更に外国から障害者年金を$1,500.00以上受給されている方で、看護を要する方が対象です。投資はできず利息の受領のみになります。
特別居住退職者ビザ取得者に対する特典
1 日本への一時帰国の際にJapan Rail Passを利用する権利を取得出来ます。
2 退職者ビザの取得により、数次入国の特権が与えられ、非移民の身分でありながらフィリピン永住権が認められます。
3 免税で、7,000米ドル相当の家具、電気製品、身の回り品を持ち込むことが出来ます。
4 フィリピン出国許可と再入国許可の手続きが免除されます。
5 退職者ビザ所持者が最後にフィリピンに入国した日から一年を過ぎていなければ旅行税が免除されます。
6 フィリピン退職者ビザ取得の為の預金をマンションや土地付きの家の長期リース(即、住める状態の物件)や投資に使うことが出来ます。
7 退職者ビザ取得後、外貨定期預金をフィリピンペソ預金に転換することができます。(但し、利息には源泉徴収税が課税、)
8 フィリピンに送金される恩給、年金に対しての所得税は無課税です。
9 フィリピン中央銀行の規則に従う限り、退職者ビザ取得用の預金と投資利益、配当、キャピタルゲインの本国への送還保証。
10 有効な退職者ビザの保有者の子供が、同じくビサを取得してフィリピンで学生となる場合、学生ビザや特別留学許可証の取得を免除されます。(年金受給者として申請した方は対象外)
11 労働許可証を取得すれば就労できます。(年金受給者として申請した方は対象外)
12 移民局への年に一回のAnnual Reportの提出免除(一般の永住権、就労ビサ所持者にはAnnualReportが年に一度、年度始めに義務付けられています。)
13 ニノイアキノ国際空港のターミナル1,2での入国審査時の専用レーンが使用できて入国がスムーズに出来る。
14 フィリピン政府機関での下記の申請手続きのアシストをしてもらえます。
*自動車運転免許証のローカルへの切り替え
*労働許可証申請
*税務署からのTIN#取得等
必要書類
1、PRA申請書
2、パスポート(原本)と、有効期限内のビザ
3、医療診断書
4、日本警察の無犯罪証明書または、NBIクリアランス
5、2X2の写真12枚
6、配偶者/子供がいる場合は追加の証明書(戸籍謄本)が必要
※3,4,6の書類は必ず英語の翻訳がしてあり必ずフィリピン大使館/領事館承認が必要。
※4のヒューマンタッチプラン申請者は上記書類の他に下記の書類が必要。
・ご利用保険の内容書類
・介護先、受け入れ先がもし倒産或いは解散しまった際の保証。
送金について。
ビザ取得に必要な米ドルの送金は指定された7つの銀行のいずれかのPRA用の口座に米ドルで振り込みますが、フィリピンを事前に訪問された際に米ドル送金用の個人専用口座を開設することをお勧めします。
なお、送金者は必ずしも本人である必要はありませんがが、受取人は退職者本人でなければなりません。
ビザ取得のための定期預金は海外から外貨により本人名義の口座に振り込む必要があり、フィリピンへ持参して預け入れた外貨預金ではビザ発行の条件を満たさないので注意が必要です。
なお、送金先銀行によってはさらに送金先銀行での手続き料がかかり、送金したドルから差し引かれ、所定の金額を下回ってしまう場合があるので事前確認が必要です。
<PRA指定銀行>
BANK OF COMMERCE
BANCO DE ORO
EAST WEST BANK
EXPORT BANK
RIZAL COMMERCIAL BANKING CORPORATION (RCBC)
PHILIPPINES SAVING BANK
ALLIED BANKING CORPORATION
ダバオで一番新しいショッピングモールの<Abreeza>の中のロビンソンデパートの3階の一角に「SAIZEN」と書かれたカラフルな看板の店があります。
このお店、日本でも良く見かける<100円ショップ>ならぬ<85ペソ・ショップ>です。
85ペソを円に換算すると約150円になるので、100円ショップならぬ<150円ショップ>と言う訳です。
食品から日用品、インテリア小物、トイレタリーなどなど、中には日本語表示の商品も沢山あって、ダバオの人たちでいつも賑わっています。
売っている品物の大半が<DAISO>ブランドなので、日本の<ダイソー>から商品を仕入れているのでしょう。
それにしても「SAIZEN」とはちょっと不思議なネーミングの店だと思います。
「SAIZEN」→「さいぜん」→「最善」という意味に取れますが、店員たちは到って呑気な感じがして、本当に最善を尽くしているのか(?)な点がダバオらしいところかも知れません。
日本生まれの100円ショップは1987年に有限会社ライフの創業者・松林明が愛知県春日井市に日本初の固定店舗による100円均一の店をオープンして「100円ショップ」と命名して販売を開始したのが始まりだそうです。
その後現在の100円ショップチェーン最大手の大創産業(ダイソー)の創業者の矢野博丈は商品の品質アップに力を入れ、一部には採算割れの商品も含めることで、催事販売を依頼するスーパーや百貨店の信用を勝ち取り、1991年に最初の常設店舗を開設しました。
それ以後は「キャンドゥ」「セリア」「ワッツ」といった、後に株式公開をする同業の他社も参入して店舗網を広げた結果、新たな販売チャンネルとしてメーカーから認知されるようになって、バブル崩壊後の日本の経済状況ともあいまって急速に店舗数が増加し、「不況時代の成長業界」とも称されるようになったそうです。
2005年にはコンビニ大手のローソンが「STORE100」と題したコンビニ型100円ショップ事業を開始しています。
アメリカにも日本の100円ショップ同様に小間物商品を1ドル均一で販売する「1ドルショップ」(Dollar store)という小売業態がありますが、日本の大手と比べて、商品の品質と品揃えの面からはまだまだ小規模です。
また、日本の100円ショップの雑貨の多くは中国で製造されて、輸入されていますが、現地中国でも均一価格で販売する店が増えてきているそうで、100円を元に換算すると7元程度になりますが、中国では「一元店」、「三元店」、「五元店」、「十元店」などが見られ、必ずしも統一されていないようです。
ダバオ市内には18ホールのゴルフ場が2ヶ所、そして9ホールのゴルフ場が1ヵ所あります。
以前は市内のほぼ中心地に18ホールのLanangカントリークラブがあって、そこで良くプレイをしていましたが、2007年に閉鎖となり、現在はそのゴルフ場跡地に巨大なSMショッピングモールが建設中です。
二つの18ホールのゴルフ場は「Apo Golf & Country Club」と「Rancho Palos Verdes Golf」で、9ホールのコースはダバオ市外のMatinaにある「Davao City Golf Club Matina」です。
今回のダバオ再移住を契機にマイカーを持たないことにした為、TAXIで気軽に行けるゴルフ場は「Apo」と9ホールの「DavaoCity Golf」の2ヶ所だけで、Palosは残念ながら山の中に作られたゴルフ場の為TAXIで行くには不向きです。
アポ・ゴルフ場はダバオ市内の中心から車で30分程南のBagoと言う場所にあります。
名前の通り10番ホールのティーグランドに立つと目の前に標高3,114mのアポ山が見えます(トップ写真)
コース全体はフラットですが、グリーンは砲台グリーンが多く、池の数は多くはないものの、フェアウエイには幾つものクリークが貼り巡らされているので、2打目や3打目で注意が必要です。
全体的にフェアウエイ、グリーンの手入れも良く、キャディーはコースやグリーンの状況を熟知しているので初めてプレイするゴルファーにとっては強力な味方となります。
アポ・ゴルフ場のプレイ費はグリーン・フィーが1,680ペソ(約3,000円)キャディー・フィーが300ペソ(540円)、他に保険料として30
ペソが加算されます。
但しプレヤーが満55歳以上のシニアの場合(パスポートなどのIDで要証明)グリーン・フィーは784ペソ(1,400円)と割引になるので、合計1,114ペソ(2,000円)で18Hのプレイが出来ます。
キャデーのチップはプレイ終了後に個々に渡しますが、相場を調べたところ50ペソ~100ペソとのことでした。
9HのDavao City Golfの方は9Hのコースを2回ラウンドして18ホールをプレイして、グリーン・フィーが620ペソ、そしてここの場合はキャディー・フィーが外国人の場合500ペソと、ローカルのプレヤーの300ペソに比べて割高に設定されています。
なお、アポ・ゴルフ場の<会員権>価格については幾つかの情報が交錯しているので、正確な情報を掴んだ後に再度ブログにアップします。
私がパソコンを始めたのは1993年からなので、もうかれこれ18年が過ぎました。
今では私にとってのパソコンは生活の一部になっていると言っても過言ではない存在になっています。
パソコンを始めた1993年当時はまだWindowsのOSが<3.1>の時代で、2年後に<Windows95>が発売されてから、パソコンの需要が一気に広がったことを憶えています。
当時は今のようなインターネットもそれ程普及はされてなく、Niftyの「パソコン通信」で友人とメールのやり取りをしていたのが懐かしく感じられます。
今回のダバオ再移住を開始して、先ず最初にチェックしたのが<インターネット接続>業者についてでした。
ケーブルTVサービスのSky Cableがブロード・バンドのサービスを始めたことをネットで事前に確認してあったのですが、オフィスで確認したところ、残念ながら未だ地域限定のサービスの為、私の住んでいる地区でのサービス開始が2012年予定とのことでした。
以前暮らしていた時にはPLDTと言う大手の固定電話サービス会社の電話回線を引いて、そこからモデムを使ってADSLを使用していたのですが、固定電話の月々の基本料金の他にADSL料金を加算するとかなりの経費になってしまいます。
携帯電話が普及している今、固定電話は無くても特に不便は感じないことから、別の方法を探したところ幸いなことに簡単且つ、リーズナブルな経費でインターネット接続が出来ることが判りました。
それは現在ダバオに(フィリピンに)3つある携帯電話会社各社がパソコンのUSB端子に差し込んで無線LANで接続出来るサービスを実施しているのです。
<GLOBE>、<SMART>,<SUN>はそれぞれ携帯電話サービスで凌ぎ合っている3社ですが、3社共同じような<プラグ・イン&プレイ>というインターネット接続サービスを展開中です。 (写真中央)
無線でのアクセスなので、携帯電話同様にシグナルの低い地区での利用は困難ですが、各社共1,000ペソ前後でUSBスティックが販売されているので、それぞれを試してみたところ、<GLOBE>と<SUN>両者が我が家でのシグナルが良好と判り、現在は二つのスティックを使い分けています。
GLOBEは速さがSUNより勝っているので、写真やファイルを添付したメールを送信する時や、ブログの更新時に使用していて、その他はSUNを使っています。
SUNは月間契約をしていて、接続時間無制限で月々700ペソ(約1,240円)で、GLOBEの方はプリペイド式での利用なので、必要に応じてスティック内のSIMカードを抜いて、携帯電話に移動させて市販されている、100ペソ、300ペソ、500ペソなどの携帯電話と共通のプリペイドカードを買ってLoadすれば継続利用が出来ます。
2012年のいつ頃にSky Cableのブロードバンドがこの地区でサービスを開始するのかは現段階では定かではありませんが、それまでの間、この<プラグ・イン&プレイ>スティックを利用してインターネット接続を続けます。
ダバオに再移住を決めてから決心したことがあります。
それは車の運転の「封印」です。
去る9月に古希を過ぎ、自覚症状はないものの反射神経などの衰えが始まっている筈なので、日本でも高齢者に推奨している「運転免許証」の返上(実際には封印)を決めたのです。
幸いなことにダバオでは車を持たなくても便利な生活が出来るのです。
ダバオの交通手段の主流はフィリピン名物「ジープニー」です。
その昔米軍の払い下げJeepを乗合自動車に改造して庶民の足となったのが始まりで、ダバオの市内の交通手段の主流はこの「ジープニー」で、朝夕の通勤通学ラッシュ時には沢山のジープニーが街中を行き交ってます。(トップ写真)
この庶民の足ジプニーの初乗り運賃は大人8ペソ(約14円)で、これは最初の6km迄の料金で、以降距離によって料金は9ペソ、10ペソと上がって行きます。
ジープニーはドライバーが集金係も兼ねているので、運転席から遠い席に座った乗客は運賃を伝達ゲームのように乗客の手を次々と渡ってドライバーに届けられ、お釣りがある場合はドライバーから数人の乗客の手を経て戻されるのです。
これは乗客の当然のサービス(?)なので、あくまでも事務的に渡すのがポイントで、恐縮する必要はありません。
ジプニーは<幹線道路>だけでの営業が許されていて、それぞれ一定のルートが決っていてフロントガラスにコースが表示してあるので目的地を通るジプニーを手を挙げて止めて乗り込めばOKで、降りる時はコインなどを使ってジプニー車内の金属の手摺り棒や天井を「カンカン」と叩いて合図すれば大体10秒以内には歩道に寄せて停車してくれるので叩くタイミングが重要です。
大通りから住宅街へ向かう小路などの細い道には別の交通手段の「トライシクル」があります。(写真中央)
写真で判るようにこちらは人力の自転車を改造した乗り物で、基本は<二人乗り>です。
運賃は一人5ペソ(約9円)で、二人分で10ペソになります。
しかし暇な時には一人でも5ペソで乗せてくれるので、荷物が多い時などは助かります。
このトライシクルは利用者の多い地区では自転車ではなくバイクを改造して8~10名程乗せて営業しているタイプもありますが、どちらも営業出来るのは大通りの手前までと決められています。
買い物の荷物がいっぱいの時はタクシーを使いますが、ダバオのタクシーは以前に比べて数も増え、綺麗な車が多くなったことに驚きました。
タクシーの初乗り運賃(2km)が40ペソ(70円)で、以降250m毎に3.5ペソづつメーターが上がって行きますが、日本のタクシー料金に比較して驚くべき安さだと思います。
運転テクニックはタクシー、ジープニー共結構乱暴なので、特にジープニーに乗る場合はしっかり手摺り捉まっていることが大切です。
その他にダバオの交通手段で特筆すべきことは「バイク」と「自転車」が極端に少ないことでしょう。
バイクは価格がかなり高いことから普及が進んでいないようです。
あっと言う間に過ぎてしまった3週間のダバオ暮らしですが、毎日のようにジープニーやタクシーのお世話になりながら快適なダバオ生活を送っています。
私がダバオへの再移住を決心したのが今年の7月頃のことでした。
その後9月に毎年恒例となっている日本への一時帰国をした時に日本で買って持ち帰った品物があります。
それは以前ダバオ暮らしの時に重宝していた物で、チェンマイに移り住んだ際に手放してしまった「干物作り用の籠網」です。
ダバオの街は海に面していることから海の幸が豊富で、市内のAgdao(アギダオ)市場へ行けば新鮮な獲れたての魚介類が手に入ります。
ダバオ市内にはこのAgdao市場の他にもう少し規模の大きなバンケロハン市場がダバオ川近くにありますが、家から近いこともあってAgdao市場の方へ良く行きます。
Agdao市場は総合市場なので魚介類の他にも鶏肉、豚肉などの店、野菜、果物の店、米や穀類を売る店、雑貨店、衣料品、花屋などがぎっしりと並んでいて、いつ行っても活気に満ち溢れています。
魚介類や新鮮な野菜の良い品をを買いに行くには「コツ」があって、遅くとも朝7時半くらいまでに市場に着くことです。
その時間帯に行けば獲れたての活きのいい魚が屋台から飛び出さんばかりの感じで店頭に並んでいて、品質の良さそうな魚からどんどん売れて行くのです。
買った魚はこちらの注文に応じて鱗や内臓を取り除いてくれたり、魚によっては切り身にもしてくれます。
冒頭に書いた「干物作り用籠網」は新鮮なアジを買って「アジの開き」を作る為でした。(写真下参照)
Agadaoで良く見かけるアジは「ムロアジ」で、刺身でも食べれる新鮮なものです。
二枚に下した後直接塩をしたあと専用の「籠網」に入れて日当たりで風通しの良い場所に吊るしておけば6~7時間程で「アジの干物」の完成です。
最初にダバオ暮らしを始めた頃にはこのような便利なグッズが日本で販売されているのを知らず、竹ざるの上に並べて乾燥させていたところ、近所の野良ネコにきれいさっぱりと食べられてしまった苦い思い出もあります。
この「籠網」の良いところはハエなどの虫も寄せ付けないので、衛生的な干物作りが出来ることでしょう。
今回Agdaoに行った時には残念ながら見当たらなかった「生じゃこ」で次回は何とかゲットして新鮮な「じゃこ」を釜茹でした後、この籠網で乾燥させて「しらす干し」を作る予定です。
ダバオの現地の人たちも干物が大好きのようで、市場やスーパーにも色々売っているのですが、以前試しに買って食べてみたところ、塩味が半端ではなく、鰯の丸干し1本で白ご飯が2杯程食べられるほどの塩辛さに驚いて、自分で少し「薄塩味」のアジの干物を作り始めた次第です。
ダバオに4年半前まで8年間暮らしていた当時、ダバオには立派なショッピングモールが何か所もあってかなり驚いたことを憶えています。
確か2006年にエコランドと言うダバオ市外の街にSMシティモールという超大型のショッピングモールが出来、フィリピン国内で十数ヶ所あるSMモールの中でも敷地面積が国内ナンバーワンと聞いて更に驚いたものでした。
当時のダバオにはこのSMシティモールの他に、老舗のVictoriaPlaza,Gaisano Mall, Gaisano South Mall,更にSMのオープン後に直ぐ近くに開店したNCCC Mallと、合計5ヶ所もの大型ショッピング・モールがあって、それぞれ独自のカラーを出しながら凌ぎを削っていました。
今回4年半振りにダバオに戻って先ず驚いたことは4年半の間にショッピング・モールやデパートが更に増えていたことです。
トップの写真が今年の5月にオープンしたばかりのAbreeza Ayalaショッピング・モールです。
このAbreezaの中にはロビンソン・デパート、ロビンソン・スーパーマーケットの他に合計320ものテナント用のスペースがあって、ほぼ全てのテナントが埋まっています。
ダバオでは初登場となる「スターバックス・コーヒー」の店もAbreezaにオープンして、グルメ、ファッションなどなどAbreezaへ行けば何でも揃うお洒落なショッピング・モールの印象です。
この他にもLanang地区にロビンソン・デパート(スーパーマーケットもある)、Maaというダバオ市の外れにNCCCモール、更にSasaエリアにもNCCCモールがオープンしていて、人口130万人の街に合計10ヶ所ものショッピング・モールが犇めいていて、ダバオの人々の豊かさの現れと捉えても良いと思います。
更に驚いたことに、4年半前に週に2回はお世話になっていた市内中心部近くにあったLanangカントリー・クラブが閉鎖されて、その跡地にエコランドにあるSMモールよりも更に巨大なSMショッピングモールが建設中で、24時間体制で建設が進められています。
完成までまだ1年近くはかかりそうですが、今回私が落ち着き先として決めた「借家」のある場所から徒歩で行ける距離に出来るこのSMモールの完成が待ち遠しい気分です。
写真下がLanangゴルフ場跡地に建設中のSMモールです。
1999年5月に初めてダバオ暮らしを開始して8年が過ぎた2007年に、タイのチェンマイへ移住して新たな生活を開始して早や4年半が経過しました。
先のブログにも書いたように色々と将来のことを考えた結果、ふたたびダバオの街でお世話になることになり、数日前に無事ダバオに到着しました。
空港に到着して飛行機のタラップを降りた時に、12年以上前に初めてダバオに着いた時に感じた少しだけ潮の香りの漂う同じ風が頬を横切って行き、懐かしさが湧いて来ました。
折しもダバオはクリスマス・ムードの真っただ中で、街を歩くとあちこちでクリスマス・デコレーションやクリスマス・ソングが目と耳に飛び込んで来ました。
ダバオ市(Davao City)は、フィリピン南部のミンダナオ島にある街で、メトロ・マニラ、メトロ・セブに次ぐフィリピン第3の都市です。
面積2,400K㎡、人口1,372,355人(2005年1月1日現在)、国際空港と港を持ち、フィリピン南部の政治・経済・文化の中心地でもあります。
ダバオは19世紀にスペイン人による征服が行われる前までは先住民やイスラム教徒が集落を開いて暮らしていたそうで、ダバオが発展したきっかけは、20世紀初頭の日本人によるアバカ(マニラ麻)栽培の農園経営で、当時は2万人の日本人が住む東南アジア最大の日本人街もあり、現在でも多くの日系人が住み、最近は定年を迎えた日本人の移住先としても注目されています。
現在のダバオは木材の積出港であるほか、郊外にはドール社による広大なバナナ・プランテーションが広がり、その加工や輸出でも有名で、近年はアメリカ企業によるコールセンター業務などのアウトソーシング先としての開発が進められていて、巨額の収益が期待されています。
また、ダバオ市はミンダナオ島に南から切れ込んだダバオ湾に面した港湾都市でもあるため、街の東にある海岸の対岸には、サマール島(フィリピン中部ヴィサヤ諸島のサマール島との区別のため、アイランド・ガーデン・シティ・オブ・サマールという正式名称がある)が浮かび、街の西には雄大な火山・アポ山がそびえています。
そしてダバオ市は太平洋から山脈で守られていて、台風が発生する海域よりも南に位置しているため、台風被害は殆どなく、天候は特に雨季や乾季の区別もなく、降雨量、気温、湿度、気圧なども一年を通し変化が少ないのが特長です。
ダバオの人々の「言語」はフィリピン中部ヴィサヤ諸島で使われるセブアノ語が最も広く使われる言語ですが、フィリピン語(タガログ語)もこれに次いで使われています。
また<英語>は学校での授業の際に使用されていて、多くの人が聞き取りや会話が出来、特にビジネスシーンでは英語がよく使われています。
ダバオの主要な宗教はローマ・カトリック(83.83%)で、その他のキリスト教が15%、残る1.17%がそれ以外の宗教(イスラム教、仏教など)です。
4年半振りに戻って来たダバオの街の発展には目を見張るものがあり、街全体の活気が感じられ、ダバオの最新情報などは追々このブログで紹介して行こうと思っています。
トップの写真はダバオ中心部の夜景で、下の写真はSMシティモールの中のクリスマス・デコレーションです。
住み慣れたダバオの街からチェンマイへ移住したのが2007年6月のことでした。
チェンマイはその時が初めてではなく、ダバオに暮らして居た2003年1月に一度訪問しています。
当時の日記にはチェンマイ初訪問のことを以下の通り書いていました。
バンコクから北へ710km、ビン川のほとりに広がる古都チェンマイはタイ国第二の都市です。
今回初めてチェンマイを訪れることにした私は、インターネットで見つけたバンコク市内のツアー会社の主催する「1泊観光ツアー」を申し込んで出かけました。
高地にあるチェンマイの街に着いて驚いたのは気温がかなり低いことです。
事前に情報を得ていたので、バンコク市内のデパートで買ってあった「長袖シャツ」を着てちょうど良い感じでした。
チェンマイの街は空気が新鮮で美味しく感じられ、ピュアなイメージがいっぱいで1泊だけでは街を見尽くせなく、機会があれば是非再訪問して4~5日滞在したいと思いました。
Mae Saエレファント・トレーニング・キャンプには親子合わせて30頭以上もの象がここで色々な「芸」を仕込まれていて、サッカーをやったり、ハーモニカを吹く象たちを見て暫し子供の頃に戻った気分になれました。
そして生まれて初めてここで象に乗りました。
以前エジプトで「らくだ」に乗った時よりも「象」の方が乗り心地が良かったように感じられました。
象はとても用心深い動物のようで、連なって歩く象が必ず前を行く象の足跡の上を歩いて行く姿を興味深く見ながら約30分のElephant Rideを楽しみました。
そして縁があってチェンマイに移住したのが初訪問から4年後の2007年のことでした。
4年半もの間チェンマイでお世話になりましたが、先週のブログに書いたようにこの度再びダバオへ再移住することになりました。
4年半のチェンマイ暮らしは大変楽しく、友人も沢山出来名残惜しい気持ちでいっぱいですが、貴重な体験や楽しい思い出を心に詰め込んでダバオへ向かいます。
チェンマイでの思い出の画像を何枚か載せて、この記述をチェンマイでの最後の更新と致します。
ダバオへ移住後も引き続きこのブログを継続する予定ですので、皆さま宜しく・・・。
たった一度しかない人生なので「右へ倣え」ではない、自分だけのユニークな生き方をしようと、50歳の誕生日を迎えた時に、定年退職後は日本を飛び出して海外で暮らそうと決めていました。
在職中に台湾、ブラジル、シンガポール、メキシコなどの海外で通算16年間暮らしていたこともあって、外国で暮らすことへの抵抗や不安は全くありませんでした。
そして1999年3月に、3年早い「定年退職」を決めた直後に、海外定住へ向けての活動を開始しました。
ブラジルで暮らすことが当初の希望でしたが、外国人個人での長期滞在ビザの取得がかなり困難なことが判り、ブラジル行きは早々に諦めインターネットで色々調べていたところフィリピンで外国人退職者向けの「永住ビザ」を発給している情報を得て、それを契機にフィリピンの「ダバオ」という街を知り、約10日間の体験滞在を経てダバオで暮らし始めたのが1999年5月でした。
8年間暮らしていたダバオは海に面している街で、特に観光地として脚光を浴びている街でないところが気に入っていて、ずっと暮らすつもりでいたのですが、愛犬の死がきっかけとなって、自分自身の環境を変えようと思い切ってダバオを離れてチェンマイへ転住したのが2007年6月のことでした。
チェンマイ暮らしが4年半経った去る9月3日に私は満70歳になり、この先の自分自身の健康問題を考えて、このままずっとチェンマイ暮らしを続けることに不安を持つようになっていました。
現在はお蔭さまで健康にも恵まれ、週2回のペースでゴルフもプレイしていますが、このままずっと健康で居られる保障はありません。
最大の不安は万一身体が不自由になった時のことです。
それはタイには介護士やヘルパーの職業が存在しないのです。
最近やっと日本の介護制度を見習って、導入の動きが始まったようですが、実働するまでにはこの先10年はかかるような気がします。
そんなことからここで病気で動けなくなったり、身体が不自由になったことを思うと不安感が増大して行きました。
そこで、先日久し振りにダバオを訪問して、「介護」の実態などを改めて調査して来ました。
そして戻ってから最終結論を出し、介護の面では先進国のダバオで再びお世話になることを決めました。
チェンマイには4年半程の暮らしですが、<介護>のこと以外は満足しているのですが、将来のことを考えての結論です。
チェンマイに来て直ぐにCLL(チェンマイ・ロングステイライフの会)に入会したことで、多くの友人が出来たことが最大の収穫で、旅行やゴルフ、そしてコーラス同好会での2年間の活動が特に心に残っています。
親しい友人、知人との別れは辛いですが、ダバオでの新たな暮らしに前向きに臨んで行くつもりでいます。
昔から好きなハンス・カロッサ(ドイツの詩人、小説家)の言葉≪人生とは出会いであり、その招待は二度と繰り返されることはない≫を改めて胸に刻んで、ダバオでの新たな<出会い>を楽しみにしているところです。
11月25日にチェンマイを発って、ダバオに向かいます。
ダバオにはプーケットやパタヤに勝るとも劣らない美しい海があります。
トップの写真はダバオにある<パールファーム・ビーチリゾート>です。
機会を作って是非一度ダバオへ足をお運び下さい。
ダバオへ移住後もこのブログは継続することにしていますが、住居などが落ち着くまで暫くの間更新が出来ないかも知れません。
私のブログへ訪問いただいている皆さま、今後共宜しくお願い申し上げます。
タイの灯篭流し、ロイクラトン祭りが今年もやって来ました。
旧暦12月の満月の夜に行われるこのお祭り、今年は11月11日に行われました。
ロイクラトンはタイで最も美しいお祭りと言われていて、チェンマイやバンコクでもロイクラトンは毎年開催されていますが、今年は異常なまでの大雨続きでチェンマイのピン川が氾濫したり、その水が南下して未だにアユタヤやバンコクでの洪水禍が治まっていないこともあって開催を危惧していましたが、このような時こそ復興支援の意味も込めて「クラトーン」(灯篭)を川に流し、「コムロイ」(熱気球)を大空に放って人々の幸せを願っていました。
このお祭りの起源はタイ最初の首都スコータイで始まったお祭りです。
13世紀のスコータイ王朝時代、当時のノッパマー王妃が日々恩恵を授けてくれる川の女神へ感謝をささげるため、バナナの葉で蓮の花をかたどった灯篭(クラトン)をつくり、川に流した(ロイ)ことから始まったとされているタイ伝統のお祭りです。
今年のロイクラトンは親しい友人たちと一緒にピン川クルーズで楽しむことが出来ました。
9月末に氾濫したピン川は流れはいつもより少し急な感じがしたものの、水量も平常時まで戻っていて氾濫したことが信じられない程平和な流れでした。
ピン川を50名乗りの舟に乗り込んで、美しい「コムロイ」(熱気球)や、「花火」、「クラトン」を眺めながら舟はゆっくりと川上へ進んで行きました。
途中でチェンマイ市役所が毎年主催するロイクラトーンパレードと出会い、パレードは舟と並行して市役所へ進んで行きました。
夜空に揚がって行く無数のコムローイは本当に美しく幻想的でした。
ピン川沿いには沢山の屋台が出ていて、人出も多く想像以上の賑わいを見せていました。
夕べは家に戻ったのが午前0時前で、部屋のベランダから眺めると無数の「コムロイ」が夜空に舞い上がっていて、今年の見納めとなるコムロイを暫し眺めていました。
下の写真は船内で配られたパンで出来た「クラトン」で、このクラトンだと川の中の魚たちの餌となって、環境汚染を起こさないことから考えられたものです。
チェンマイには今までなかった「とんかつ」専門店がオープンしました。
その名も「かつや」。
二マーンヘーミン通りのsoi7に出来たレストランで、経営母体はチェンマイで有名なケーキ屋さんの「Mont Blanc」です。
ケーキ屋さんが「とんかつ屋」さんに参入とは少しミスマッチの感がありますが、お店の場所もそのモンブランの直ぐ近くです。
「とんかつ」は日本の肉料理のひとつで、洋食のカツレツから派生したもので、豚肉(ロースまたはヒレ)の切り身に、小麦粉、溶き卵、パン粉の衣をつけて、天ぷらのように大量の油で揚げて作る料理で、茶碗飯・味噌汁・漬け物とともに食べるのが普通です。
明治時代にイギリスから伝わった洋食のカツレツが日本で独自に進化したものだそうで、今では欧米にも「Tonkatsu」として紹介されている、日本を代表する料理のひとつになっています。
日本で初めて「とんかつ」を出した店は1929年(昭和4年)、東京上野御徒町の「ポンチ軒」とされていますが、すでに1911年(明治44年)、永井荷風が随筆「銀座」の中で露店で出される「トンカツ」についてふれているそうです。
昭和初期のとんかつ黎明期には、柔らかいヒレ肉を使ったものが主流だったそうですが、その後旨味の強いロース肉を使うものが主流となったようで、現在は「ロースカツ」と「ヒレカツ」を客の好みで選べる店が多くなっています。
「かつや」でも「ロースかつ定食」と「ヒレかつ定食」があって、どちらも189バーツで、他の店の「とんかつ定食」に比べて少し高めの価格設定になっていますが、店の雰囲気やサービス内容をみると納得出来る料金設定だと思いました。
かつやの「ロースとんかつ」はカラッと揚がった衣がサクサクとしていて、油っこさもなく美味しくいただきました。
「かつや」にはとんかつ定食の他にも「海老フライ定食」、「かつカレー」、「海老フライカレー」などがありますが、食後に<アイスクリーム>がサービスで提供されますが、そのアイスクリームに「モンブラン」らしさが感じられました。
かつや(KATSUYA)
ニーマンヘーミン soi7 電話:053 210 776
木曜定休
首都バンコクは今日(29日)、満潮の時の潮位が特に高くなる大潮のピークを迎え、中心部で川の水があふれ出す浸水被害を最小限に食い止めるため、軍などが出て厳戒態勢を続けています。
水害被災者救援センターのトントン広報官は一昨日の発表で、バンコク中心部まで浸水被害が拡大し冠水が15日~1ヵ月続くという最悪の事態を想定して、都民を収容する避難所をチャチュンサオ、サムットサコンなど9県に設ける準備を進めていることを明らかにしました。
去る25日午前中には、ドンムアン空港の浸水が始まって、同空港発着の格安航空ノックエアーは25日から31日まで運休すると発表し、オリエントタイ航空はすでに全便をスワンナプーム空港へ移行しています。(トップ写真)
日本のテレビニュースはバンコクへ特派員を送って現地からの生中継などを交えて連日大きく報道されていることもあって、日本に住む友人、知人から沢山のメールが届いて心配してくれています。
チェンマイからバンコクまでは700kmも離れていて、現在のバンコクでの洪水の影響は全くありません。
チェンマイでは去る9月末に市内のピン川の増水による氾濫で、川沿いの住宅や商店街が冠水被害に遭いましたが、その水も3~4日で引いてくれて今では冠水の跡もすっかり消えています。
しかし今回のバンコクでの洪水被害が思わぬ形でチェンマイで影響が出ています。
アユタヤやバンコク周辺の工場団地の冠水の影響で多くの工場が操業不能に陥っており、生産不能が続いていることに加え、主要道路の冠水被害も重なって物流が10日程前から滞り始め、いつも利用しているお向かいのTopsスーパーの店頭から「水」や「清涼飲料水」、「乳製品」、ハム、ソーセージなどの「加工肉製品」、「即席麺」の多くが売り場から消えてしまいました。(写真下)
バンコクの洪水に遭われている方々に比べると、洪水の被害が極く一部の地区で尚且つ3~4日間で水が引いてくれたチェンマイに住む我々が暫くの間の<品薄>を我慢することくらいは容易なことでしょう。
そんな最中、日本政府は昨日タイの洪水で被災した日系企業で働く現地の工場労働者に、6ヵ月間の就労ビザを認めると発表しました。
日本は原則、外国人に単純労働のビザを認めておらず、今回は異例の措置となります。
バンコクで今回の洪水の被害に遭った各企業では、タイから部品が日本や北米、アジア各地の工場に届かず、減産の動きが広がっているため、タイの労働者に日本で働いて生産してもらうことが狙いです。
パナソニック電工やJVCケンウッド、トヨタ系の愛知製鋼がこの制度を利用する方針で、検討中の企業も多く、対象は数千人規模とみられています。
生産が止まっている間も現地の雇用を維持し、優秀な人材の流出を防ぐ狙いもあって、日本政府のこの機敏な対応は日本経済のみならず、タイの経済復興への一助をなすものと思います。