吾々個人の心は
どの人であっても
「宇宙の心」の其の一部を、
吾等が使用している部分なのだ、
ということであります。
華厳経に「一仏一切仏」という言葉があると
いうことです。
私たち一人一人の心は
「実相の心」一つなのであるという真理が
以下のご文章に記されております。
(参考 神癒への道 谷口雅春著 日本教文社)
【大体、個々別々の孤立した心が吾らの心として人間の数だけあると思うのが間違いである。各個人は決して個々別々に離れ離れに孤立した存在ではなく、普遍の「宇宙の心」の中にある其の一部分の心であり、随(したが)って「宇宙の心」を通して互いに一体であるのである。「宇宙の心」は一切の心を包容するのであるから、吾々の心は「宇宙の心」の一部分であり、換言すれば、吾々個人の心とは、「個人の心」ではなくして、「宇宙の心」のうちの其の一部を、吾等が使用している部分なのである。「宇宙の心」は『一』つであるから、「宇宙の心」は同時に『健康』と『不健康』との両方の念を起すことは出来ない。しかし吾々は「宇宙の心」は神であるから、「健康」の念のみを起していることを知るのである。だから病者が起している「不健康」の念はウソであり、非真実であり、ニセモノであることを知るのである。だから「不健康」と見るのはウソであると信じて、「健康」のみを神想観中(また出来るならば、行住坐臥)観るのである。】