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新約聖書「ルカによる福音書」

2020-01-16 13:09:05 | 日記

新約聖書「ルカによる福音書」
第16章  律法と神の国
15 そこで、イエスは言われた。「あなたたちは人に自分の正しさを見せびらかすが、神はあなたたちの心をご存じである。人に尊ばれるものは、神には忌み嫌われるものだ。


科学的祈り(神想観)は人間の内容を変化させてしまうのである。人格を神の人格へと変えてしまうのである。

2020-01-16 11:59:37 | 日記

科学的祈り(神想観)は
人間の内容を変化させてしまうのである。
人格を神の人格へと変えてしまうのである。
下の引用文の女性は、
“今此処”に“愛の神が現前し給う”と感じて“神を直接体験する”というような感じで祈ったのである。
さらに
“神との一体感”の中に自己を浸透させるように祈ったのであった。
そうしたら
過去にあった如き“人生から疎外されている”というような感じが剥落して行ったのである。
神想観もこの祈り方である。
神想観のとき、
五官の世界を去って
“神の国”に往くのである。
五官の世界を去ったら、もうそこは創造の神がまします“神の国”なのだ。
その“神の国”に自分の本体である“神の子”が神の許に存在しているので、
「神の子円満完全」「実相円満完全」と観じて
“神”と一体なることを観じるのである。
リアルに“神”を観じるのである。
なぜ“神の子”が円満完全であるのかというと、
創造の神と一体であるから
完全であるのである。
ここがポイントである。
“神の子”が勝手に円満完全であるわけがなく、
神様が完全であってその“子”であるから
“子”も完全なのである。
(参考 奇蹟の時は今 アディントン著・谷口雅春訳)
【われわれの女の友だちのひとりは、それこそ好い実例である。多年にわたって彼女は人間社会から“退け者”にされているように感じて、はなはだ淋しい、不愉快な生活を送っていたのであった。ところが彼女は“科学的祈り”について学習する機会をもったのである。彼女は“祈り”を通して人生と調和ある関係に自分をあらしめることができるということを知ったのだった。過去を顧みるならば、彼女が、遥か彼方の天にまします神に祈っておった前々の時には、却って手の届かない感じで却って寂寥の感じを増した位であったが、今や彼女は、彼女が居る“今此処”に“愛の神が現前し給う”と感じて“神を直接体験する”というような感じで祈ることを知ったのであった。彼女はそのような“神との一体感”の中に自己を浸透させるような祈りをするようになった。すると、徐々にではあるが、過去にあった如き“人生から疎外されている”というような感じが剥落して行ったのである。彼女の心にそのような完全な内的変化が起ったとき、彼女の友達が外から見たら彼女は全く別人になってしまっていた。それだから友だちはみな「何かあなたに起ったのですか」と不思議がって尋ねるほどになったのだった。】


神が今ここに自己の内に働き給うという自覚が起るとき、光で暗黒の室の暗黒が消えるように、一切の“心の迷い”も、“迷い”からの結果も消滅するのである。

2020-01-16 11:16:23 | 日記


“神の子実相”が顕われてくると、
どんなに素晴らしいことが現象に現われてくるのかを
アディントンは教えてくれる。
“神”が現象に現われるわけです。
二つの面がよくなります。
一つは健康・人間関係・生活上の安心等が出現することです。
もう一つは心がよくなることです。
というより“神”の心が出てくることです。
とにかく素晴らしい状態に
少しずつなってまいります。
(参考 奇蹟の時は今 アディントン著・谷口雅春訳)
【不変唯一者なる神に於いては治癒不可能の病気はないのである。存在するものは唯、神の完全さのみである。普遍唯一者なる大生命の中には、危険な症候もなければ、むつかしい容態もない。痛みも苦しみも存在しないのである。この神が今ここに自己の内に働き給うという自覚が起るとき、恰も暗黒の室に光がとぼされると暗黒が消えるように、一切の“心の迷い”も、その“迷い”から生じた結果も消滅してしまうのである。“キリストの心”は“神の心”なのであり、「天(内)に於いても地(外)に於いてもすべての力はわれに与えられているのである」そして「われと父とは一体なり」の意識である。“この心”を自己の内にあらしめるとき、人は光り輝く完全の衣装を身にまとうように、霊的想念を身にまとって護られていることになるのである。われ今、キリストの権威をもって神癒の言葉を語る、このとき、神の完全さが、わが完全さとなり、その完全の光がわが見るすべてのものの上に輝くことになるのである。「光はすべての人を照らす」と聖書にある。その光がわが世界と宇宙とを照り輝かすことになるのである。宇宙には唯一つの生命があり、それが“神の生命”なのである。そしてその生命は今だ嘗て病気したことも、苦しんだ事もなく、未だ嘗て完全さを失ったこともないのである。その完全なる生命がわたしの生命であり、わが愛する者の生命である。「すべて善し」と神は仰せられた、そしてその如くあるのである。】


『無』の関所とは「時間空間本来なし」の真理のことです。

2020-01-16 10:34:19 | 日記

“神の子実相”が顕われてくると、
どんなに素晴らしいことが現象に現われるのかは
ちょっと説明の言葉がありません。
私投稿者も
徐々に徐々にでも
そちらに向かっています。
真理を追究し
間断なく祈ることを継続すれば、
誰もこの方向に行きます。
ただ一旦は「現象なし実相独在」の
無の関所(無門関)を通らないと
この境地は出て来ないです。
つまり時間空間非実在の真理の把握が
“無門関”なのであります。
“無”の関所を本当に通り抜けたかどうかが、
その人が“実相”に本当に行き着いたかどうかの
バロメーターになるのです。
神様について語る人があっても
時間空間を十字架にかけることなしには、
“神の子”は誕生しません。
キリスト“神の子”というのは、
一遍で生れるというよりも
赤ちゃんから育って行くものなのです。
勿論環境世界全体が護ってくれるので
まず危険なことは無いです。
でも真理探究と間断なき祈りは
“神の子”の生長に不可欠です。
でも義務でこうした行をするわけではなく、
もう行じるのが習慣になっているので
“神の子”誕生ということになったのです。