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【物質は却ってこれ霊の影、心の産物なること、恰も繭が先ず存在して蚕がその中に宿るには非ずして、蚕が先ず糸を吐きて繭を作り繭の中にみずから蚕が宿るが如し。】

2020-01-11 10:17:15 | 日記

今日の雅春先生のご文章は
聖経『甘露の法雨』の今まで分からなかった部分の理解に
つながったことを
お知らせします。
現象世界は神のコトバが
物質的形態を纏うのである。
はじめにあるのは霊的なものであり、
物質が霊の想念のままに動くのである。
聖経『甘露の法雨』にはこうある。
【物質は却ってこれ霊の影、心の産物なること、
恰も繭が先ず存在して蚕がその中に宿るには非ずして、
蚕が先ず糸を吐きて繭を作り
繭の中にみずから蚕が宿るが如し。】
人間の肉体がこれであるが、
肉体だけでなくすべての現象はこの原理で起こるのである。
(参考 神癒への道 谷口雅春著 日本教文社)
【はじめに神天地をつくり給えり、地は形なく曠(むな)しくして暗(やみ)わだの表面(おもて)にあり、神の霊、水の表面(おもて)を蔽いたりき。神、光あれと云いたまいければ光ありき」と創世記にある。ここには「霊」と「水」との対立がある。霊は能作者であり、「水」は受動者である。霊は日本語でも「ヒ」と読むが、陽性のものであり、積極性のものであり、みずから働くのである。「水」は陰性のものであり、受動的にどんな形のでも、置かれたる處の姿のままにその形を変ずるのである。本来、神は霊であり、「一」であるが、創造の際には、その「一」が「霊」となり、「水」となり、陽となり陰となり、陽の呼びかけの通りに、陰はそのままつくるのである。選択は霊にあり、水(物質)は霊の想念のままに動くのである。一なる神が、天となり地となる。天は霊であり、形なき形(即ち想念)の本源である。地は形なく曠(むな)しいのである。天は光を放ち、地は光を受けるのである。
 地球の直径はおよそ八千マイルである。太陽の直径はおよそ八十六万六千マイルである。太陽と地球との距離はおよそ九千三百万マイルである。さらに太陽と同じく巨大な数百万個を数うる恒星が、かすかなる蛍の光と見えるほどの遥かなる距離にちらばっている。そしてそれが、秩序整然として一定の時間に運行していて寸分も誤ることがないのである。それは恰も、宇宙大の巨人がいてその指で一定の運行をするように動かしているが如くである。】


既に完全である“実相”を、とにかく心に『信じ』且つ『観じ』あとは神の無限絶大の創化力に打ちまかすことである。

2020-01-11 09:54:15 | 日記

とにかく既に完全である“実相”を
心に『信じ』且つ『観じ』、
あとは神の無限絶大の創化力に打ちまかすことである。
こうしてみると
神想観のやり方は
簡単である。
だが、神に対座して行うことが、
絶対必要である。
神との親子関係において
祈るからである。
(参考 神癒への道 谷口雅春著 日本教文社)
【神想観中に彼(祈る人)は自分の心の中に相手の何処にもどんな病気も欠陥もない「完全人間」の理想を描き、それを『信じ』且つ『観る』のである。そして自己が心に描くとおりに、(神が「法則」の形に於いて)その無限絶大の創化力によって、それを現象界に具象化することを信ずるのである。】
【唯『信じ』『観る』のである。み業は神が為したまうのである。自分の思念力で癒そうと思ってはならない。】
【吾々のなすべきことは、一切の『力み』を捨て去り、自己の欲する姿を今既にありと心に描いて神に提供する以外のことは一切せず、完全に神に全托することである。すべての悩み(病気・不幸等)は実に「自分の心」がそれを“あり”と見る念の反映であると知って、「既に完全である彼」を(自己治療の際には「既に完全である自分」を)心に『信じ』且つ『観じ』あとは神の無限絶大の創化力に打ちまかすことである。】