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常に変化交替する奥に、変らないところの本当に完全なる人間の姿があるのであります・・・それが“神の子”であります。

2020-01-12 09:35:32 | 日記

始めに『理念人間』に関する谷口先生のご文章を転載し、

後で要点を並べてみました。

(参考 神癒への道 谷口雅春著 日本教文社)

【その滅びない『理念人間』(神の肖像)が、時間空間のレンズによって五官の世界に映し出されて来ているのが、現在の肉体の人間であります。それは間断なくフイルム(念の波)が交替することによって活動写真の様に出ているのであって、一人の人間だと思っても、いくらでも念々に「継起する念」が廻転して、斯ういう風に見えているのであります。その念の回転を仏教では「業力」と申します。肉体は業力で回転している。その奥にそれをあらわしめている光明燦然たる「実相の生命」があるのです。この実相生命の現象界への投影として血液なら血液が間断なく交替して、そして細胞の中で養分が交替して、そして斯ういう形に見えているのです。然しそれが実相生命の完全な投影であれば健康な肉体があらわれるのですが、吾々の念が「実相の念」でなく「妄念」である場合には不完全な姿があらわれてまいります。いずれにせよ、現象の姿は変化交替の姿であって若し変化交替しなかったならば、現象界はあらわれないのであります。この常に変化交替する奥に、変らないところの本当に完全なる人間の姿があるのであります。この本当に完全なる姿の人間を自覚することが、メタフィジカル・ヒーリングの先行条件になるのであります。】

・滅びない『理念人間』(神の肖像)が、時間空間のレンズによって五官の世界に映し出されて来ているのが、現在の肉体の人間であります。

・「継起する念」が廻転して、斯ういう風に見えているのであります。

・肉体は業力で回転している。その奥にそれをあらわしめている光明燦然たる「実相の生命」があるのです。

・現象の姿は変化交替の姿であって若し変化交替しなかったならば、現象界はあらわれない。

・この常に変化交替する奥に、変らないところの本当に完全なる人間の姿があるのであります。


神の理念に依って、理念そのものでつくられているのが人間であります。“神の子”がつまりこれです。

2020-01-12 09:20:11 | 日記

(参考 神癒への道 谷口雅春著 日本教文社)

初めに雅春先生のご文章を載せます。

【迷いの心の眼を以て観た場合に神の造り給うた自分の本当のすがたと云うものは覆われてしまって、或いは歪んでしまって、変にいびつに見えて、不快な姿に現れて来る訳であります。それが悟りの眼を以て、五官のレンズをかけないで、生命と生命とがカチカチ触れる底の眼で直接ものの本当の姿を観た時に、此の人間は完全な歪みなきところの人間に見える。すなわち「神の子」の本来健全なる姿が見えるのであります。病人は本当は無いのです。神の理念に依って、理念そのものでつくられているのが人間であります。神の理念を言い換えると仏性とも神性とも申します。人間は仏性であり神性でありますから、未だ嘗て病気をしたこともなければ、是からも病気をすることもない。また未だ嘗て迷ったこともなければこれからも迷うということもない。ですから、人間は今迷っているのでも、これから救われるのでもない。初めから神の理念であり、神の「いのちの波」でありますから、その儘で如来である。「如来」というのは真如―真如と云うのは『マコト』本物そのまま、実在ですね―『如』はさながら、実在のその儘の本物の、実相その儘のそこから生れて来た、来生して来たので、如来というのであります。】

実相覚で直接ものの本当の姿を観た時に、

人間は完全な歪みなきところの人間に見えるのです。

すなわち「神の子」の本来完全なる姿が見えるのであります。

実相覚を求めることが必要ですが、

“生命の実相”の真理把握と

神想観によって

それに近づいて行くという方法も

あるのです。

要するに実相独在、この世は完全に“神の国”であると

体感的に把握できればよいのです。