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釈尊の悟り

2020-01-14 11:00:58 | 日記

 

釈尊の悟り

釈尊の悟りの内容について
雅春先生によって
簡潔明瞭に書かれてある文章を見つけたので
紹介します。
(参考 真仏教の把握 谷口雅春著作集第7巻)
「仏教では「妄想」のことを「無明」といいます。此の現象世界は無明を“もと”として、縁に触れて次から次へと展開継起している世界である。それは、妄想のあらわすところの世界であるから、この五官に視えているところの不完全世界は本来無い世界である。その不完全世界の奥に、凡てのありとしあらゆるもの、生きとし生けるものが同時成道せる完全世界の実相が“ある”んだ、ということをお悟りになった、これが釈尊の悟りであったのであります。」
これはつまり
この現象世界は
実は奥の奥に
目には見えずとも
完全世界が存在していると
いうことです。


実際にイエス・キリストを思い浮かべて祈る方法

2020-01-14 10:48:28 | 日記

興味深い思念法が

ここでは紹介されている。

イエス・キリストを“神の子”であると

思念する方法である。

「一仏一切仏」という仏教の言葉もあるのだから

イエス・キリストを“神の子”と観て観じる人や

釈迦を“仏”と観じる人があっても

間違ってはいない、と私は思う。

(参考 神癒への道 谷口雅春著 日本教文社)

【さて、ルーハス・ムーズリ氏がその著書に書いているところの「キリスト吾に宿る」という自覚を呼び起こすために念ずる所の思念の言葉を次に紹介しようと思うのであります。

「尊きキリストの生命(いのち)、吾が体の、吾が事件の、すべての中に流れ入り給いて、吾のすべてのすべてとなり給うのである。神よ、私の霊をしてあなたの霊とならしめ給え。そしてあなたの霊をして私の霊とならしめ給え。私の意思をして、あなたの意思とならしめ給え。あなたの意思をして私の意思とならしめ給え。私の心をしてあなたの心とならしめ給いて、あなたの智慧と理解とやさしき心遣いとを私のものとならしめ給え。私の体をしてあなたの体とならしめ給え。あなたの体をして私の体とならしめ給え。あなたの骨をして私の骨とならしめ給え。あなたの肉をして私の肉とならしめ給え。あなたのハートをして私のハートとならしめ給え。私の全細胞をして、健康と癒しの力とをもって満たし給いて、わが生命に完全なる救いを受けしめ給え。私の身体のすべての器官及び私の肉体のすべての働き、更に私の心の働き及び魂の力に於いても完全なる救いを与え給え。」ムーズリ氏はこの様な思念を行なって、実際にイエス・キリストの霊が自分の全細胞に満ちわたる事を想念するのであります。】

ムウズリ氏のこの思念法では

実際のイエス・キリストを思い浮かべて

観じているのである。

ただ肉身のキリストを観じているわけではない。

また熱心なキリスト信者の神癒には、

実際にイエス・キリストが現れて癒しがあった、という例が、

かなりたくさんあるのである。

これは注目すべき点であり、

熱心な信者の場合には

こうしたことが多くあるのである。

イエス・キリストが来てくれて

実際に癒しを行っていると考えても

よいように思う。


吾はただ最初の第一原因者なる神と関係を結ぶ事によって、神の智慧と一体となり、神の智慧に導かれ、神との意識的融合を完成せんとするものである。

2020-01-14 10:24:16 | 日記

フェンウィック・エル・ホルムス博士の下記の祈りは

“生命の実相”について

それが人間の本体なのであると

先ず告げます。

次にその“生命の実相”と一体化することで

“神の子”を現象化できると

告げます。

これは神想観で「実相を祈る」ことと

全く同じことであります。

(参考 神癒への道 谷口雅春著 日本教文社)

【フェンウィック・エル・ホルムス博士が、皆を指導するために念ずる言葉の形式は大体次の通りであります。

「吾が信仰は霊の科学の上に基礎を置くのである。宇宙に唯一つの原因者がある。唯一つの霊がある。唯一つの普遍的智慧がある。唯一つの道がある。道即ち普遍的法則がある。それを神と呼ぶのである。その唯一つの原因者が法則を通して物質と現われ、肉体と現われ、その他無限の変化ある形態をとって現れるのである。人間は神の自己表現であり、その実質は神の霊を実質とし、その心は神の心を心とし、神の本性と法則とを理解することが出来るのである。神の本性に一致し、神の法則に従うとき吾らは之を自己の健康に、幸福に、豊かな供給に又人類への奉仕に使う事が出来るのである。されば吾はただ最初の第一原因者なる神と関係を結ぶ事によって、神の智慧と一体となり、神の智慧に導かれ、神との意識的融合を完成せんとするものである。神の生命はわが生命である。神の愛は吾が愛である。神の愛は吾が中に宿り給い、吾と全人類を今、そして永遠に祝福し給うのである。】