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「現象丸ごとナシ」とはっきり決めたら「実相」の「独在」が顕われるしかない。

2020-01-01 11:47:59 | 日記

藤原敏之先生は

ユーチューブ動画で観るご講話において

説いている。

【現象は心の影であって

本当にあるものではない。

現象に見えるものの正体は自分の心である。

だが現象は本当にあるものではなく、

そこに本当にあるものは見えない実相の“神”なのだ。

人間の肉体も実際は神のいのちの道具であり容れ物に過ぎない。

梅の木の中に梅の木のいのちと心がある。見えずともある。

肉体の奥の奥に人間のいのちと心がある。“生命の実相”だ。

それが“神の子”である。

すべての現象は心の影だが

そのすべての現象の奥に見えない神のいのちがある。

円満完全大調和の理念だ。

現象一切なし、代わりに“生命の実相”、“実相人間”、

即ち“神の子”がいる。

現象にあるものは神しかない。見えない神以外存在しない。

「現象ナシ実相独在」である。

無いものは無いと決めたら、実相が顕われる。

現象があると思っていたら実相は顕われない。

真理がはっきり分った時に実相はあらわれる。

実相というものは

確かにあるものであって

これを確実に求めこれによって人を救うのが

本当の宗教だ。】

白隠禅師坐禅和鑚をふと思いついたので

書いておきます。

白隠禅師坐禅和讃

衆生本来仏なり  水と氷のごとくにて
水を離れて氷なく  衆生の外に仏なし
衆生近きを不知(しらず)して  遠く求むるはかなさよ
譬(たとへ)ば水の中に居て  渇を叫ぶがごとくなり
長者の家の子となりて  貧里に迷うに異ならず
六趣輪廻の因縁は  己が愚痴の闇路なり
闇路にやみぢを踏そへて  いつか生死をはなるべき
夫れ摩訶衍の禅定は  称歎するに余りあり
布施や持戒の諸波羅蜜  念仏懺悔修行等
其品多き諸善行  皆この中に帰するなり
一座の功をなす人も  積し無量の罪ほろぶ
悪趣いづくにありぬべき  浄土即ち遠からず
辱(かたじけな)くも此の法(のり)を  一たび耳にふるゝ時
さんたん随喜する人は  福を得る事限りなし
いはんや自ら回向して  直に自性を証すれば
自性即ち無性にて  すでに戯論(げろん)を離れたり
因果一如の門ひらけ  無二無三の道直し
無相の相を相として  行くも帰るも余所ならず
無念の念を念として  謡うも舞ふも法の声
三昧無碍の空ひろく  四智円明の月さえん
此時何をか求むべき  寂滅現前するゆゑに
当所(とうじょ)即ち蓮華国  此身即ち仏なり


この現象の世の本体は“実相世界”(神の理念世界)です

2020-01-01 10:54:23 | 日記

 私たち一人一人の見ている世界は、自分の“いのち”の、時間・空間スクリーンにおける振動の連続体であります。その“いのち”の振動は、生まれた時から一瞬も休まず継続しているのですが、本当は、この五感で感じる現象世界は物質世界ではないのです。物質として見えるものは物質ではなく“いのち”の振動の波動を五感が捕捉したものであります。“物質”と見えるものは見えない神の“いのち”が物質に見えているということです。例えば食べ物は見えない“神のいのち”、人間は見えない“神の子”と見るべきであります。

いのちの波動を感受するための感受器官は五官でありますが、この五官が感じる五感は受けとったものを、本当はいのちの霊的波動であるのに関わらず固い物質として認識してしまう錯誤を犯すのであります。現象世界は丸ごと自分の“いのち”(生命の実相)の表現です。物質と見える現象世界は自分の“いのち”(神の理念)の波動であり霊的なものだと知ることが実相把握の第一歩です。

時間についてはどうでしょうか。五感の認識は時間が存在していると錯誤します。私は今パソコンで文章を書いておりますが、時間が経過したと思ってしまいます。“いのち”の振動の持続の意識が時間であり、意識は実在ならぬ現象心の働きなので、現象非実在だから時間も非実在なのです。私は現象における今ここでパソコン打ちしているみたいですが、実際は、本体である“神の子”が実相世界にいて、“永遠の今”、相応する“いのち”の振動をしているのです。

すべての人が道元禅師の言う「法華転法華」的存在です。初めは実相(法の華)の現象化した物質に転ぜられますが、真理をさとると法華(実相)を転ずる側に立ちます。これが人間存在の根本的在り方であり、実相世界は万物調和、生かし合い、助け合い、向上し合いの、仏世界それ自体であると道元は説きます。これが“いのちなるもの”真理キリスト、つまり実相世界であり現象世界の本体です。


『生命円満完全』と云う事は神聖な真理である(その2)…真理自体を説くのが『人類光明化運動』なのです。

2020-01-01 10:34:34 | 日記

“生命の実相”の真理の説かれる所に
奇蹟が起こる実例がこれであります。
真理を守る人、伝える人、学ぶ人には、
神界、高級霊からの不思議な加護があるということは、
今も変わらないはずです。
「生命の実相」の真理自体が
そのように素晴らしい真理であるからです。
いつになってもそうであるはずです。
ですから“生命の実相”の真理そのものを説くのが
勉強会の本当の在り方なのです。
(参考 神癒への道 谷口雅春著 日本教文社)
<夫人が「生命円満完全」の短冊の文字の上からパッと白い火が出たことを感じた時に、娘の病気が治ってしまった。>
【自宅へ帰ってから数日後の或る時、藪夫人は娘の枕頭で「甘露の法雨」を読んでいた。突然その時、柱にかけてある服部氏自筆の短冊「生命円満完全」の文字の上からパッと白い火が出たことを感じた。オヤ不思議なことがあるものだと思って娘の方を見ると、娘がしきりに首を枕の上でもちあげようとしているのである。そしてとうとう首をもち上げて硬直していた脊椎を自分で勝手にまげて起きてしまったのである。やがて脚も自由になるしどこも完全に健康になった。この娘さんは今も完全に健康で、女学校の3年生になっていて、先日の白鳩会に来て以上のような体験をのべてお礼を云われたのであります。】
<「人間完全円満」と云う事は、人間の本性それ自身(即ち生命の実相)の中に宿っている真理である。>
【私はこう云う奇蹟的な治癒の事件が面白いから引用しているのではないのである。何が斯かる奇蹟的治癒の内在原理であるかと云うことを諸君に知らしたいと思うのであります。
それは「人間神の子・本来円満完全」というこの真理が、それが以心伝心に、或いは招神歌を書いた紙を媒介として、その真理を書いた「生命の実相」の小冊を媒介として、或いは「生命円満完全」と書いた短冊を媒介として、或いは「甘露の法雨」の読誦を媒介として伝わると云う事であります。「人間完全円満」と云う事は、人間の本性それ自身(即ち生命の実相)の中に宿っている真理であり、同時にそれは、神自らの創造の原理として宇宙に充満している真理なのであります。】
<宇宙に充満する「人間完全円満」の真理が、人間に宿る「人間完全円満」の真理を呼び出だせば自然に病気が治る>
【この宇宙に充満する「人間完全円満」の真理が、人間の本性それ自身の中に宿る「人間完全円満」の真理を呼び出だせば自然に病気が治るのであるが、その神の真理が、人間の真理を呼び出だす触媒のような、アンテナのような働きをするのが、「人間完全円満」を表現する言葉であったり、文字であったり、説教であったり、書物であったりするのであります。それは人間内部にやどる超越内在神のはたらきによって治るのであるから、これを超物質的治癒(メタフィジカル・ヒーリンング)というのであります。】