今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

PTA結成の日

2006-10-14 | 記念日
10月14日は「PTA結成の日」
1952(昭和26)年、PTAの全国組織、日本父母と先生全国協議会(現在の日本PTA全国協議会)が結成された。
PTA(英 Parent-Teacher Association)とは、各学校ごとに組織された、保護者と教職員による教育団体のことで、一般には、PTA(ピー・ティー・エー)と呼ばれている。PTAの日本語表現としては、第二次世界大戦降伏後の当時に文部省(現在の文部科学省)が「父母と先生の会」と訳したが、現在では、このほかに「親と教師の会」「保護者と教職員の会」などとも訳され、あるいは「育友会」とも呼ばれているようだ。
PTAの事については、余り関心もなかったし、一体何をしているのかもよく知らないので、フリー百科事典(Wikipedia)のPTAに書かれていることをそのまま以下に書くが、”PTA活動は、アメリカ合衆国内で始められ、第二次世界大戦降伏後に、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の奨励を経て、日本の教育に導入された。名称について最近では、これまでの教職員・保護者による組織から発展させる意味で、「地域社会(Community)」を加えたPTCAと称するところも出てきた。こどもの保護者の中で、PTAの活動に積極的に参加する人には、比較的女性が多いといわれるが、最近は男性も参加し始めている。PTAは、都道府県ごとの有害図書や有害番組をはじめとする有害情報の指定にも携わっていることがあり、思想言論の自由(精神の自由)の側面から、PTAの活動には、在学生を拘束したり監視したりする傾向があると考える人もいる。”・・とある。私が小学校・中学校時代のことを思い出すと、父兄のなかから選ばれたPTAの役員は、皆、当時のお金持ちばかりであった。PTAの会合などがあるとそんなお金持ちが、先生方と何を話し合っていたのかなどは、全然知らない。全く、普通の家庭の人には、蚊帳の外の世界だったのではないかな。兎に角、私は、終戦の翌年に小学校へ入学したが、学校の窓ガラスは破れたままのところが多かったし、教科書もなく親戚のお姉さんの使っていたものを貰って使っていたような状況だった。まだ子どもだったから、余り、当時の学校のことなど細かく覚えていないが、学校側も何かとお金のかかることが多かったから、当時は、沢山の寄付をしてくれる親達を役員に選んでいたのだろう。
PTAのことは、よく知らないので、以下参考の「日本PTA全国協議会 」のホームページを参考にと思ったが、諦めた。兎に角、長い文章である。詳しいというべきか、くどいというべきか、お堅いというべきか・・・?あのホームページは、誰が見るために作っているのか知らないが、恐らく、お堅い教育関係者専用のものなのだろうね~。どんなの・・と思う方は、一度さっと見られるとよい。最後まで、読めたら、貴方は相当根気のよい人だ。(^0^)私など、どのような経過でPTAが作られたのかだけ知りたかったのだが、そこへ辿り着くまでに、いやになって、見るのをやめてしまった。恐らく、今までに、何も出来ていないことを弁明するために、あれやこれやと言い訳を綴っているのだろう。
先日、北海道滝川市で、小学6年生の女の子がいじめに会って、悩んだ末に遺書を残して自殺したのを、教育委員会は、いじめを認めず、遺書についても「遺書と書いていないから遺書ではない」と白々しい顔をして言い切っていたが、テレビ報道によると、2000通以上のクレームが相次ぎ、その上、記者会見で、伊吹文明・文部科学大臣の、「こどもがそういうことを訴えていたということを公表せずに、握りつぶすようなことはあってはならないことです。」との発言などもあり、慌てて、親の元へ訪れ、いじめを認めた?様な事を言って、頭だけを下げていたが、私などには、何の反省もあったようには見えなかった。そして、結局、自殺した小学生の学校の先生も、責任者である校長もマスコミの前に姿をあらわすこともない。教育現場の人間が、子どもが自殺したいぐらいのいじめにあっていることが分からないなんてありえないし、もし、そうであるなら、教師失格。しかし、現実の世界は、そのような人間が教育現場を占めているのだろうと思うしかない。
今、学校でのいじめ問題などが話題になっているが、そのような問題に対して、それでは、「PTAは一体、どのような役割を果たしてきた」のだろうか?。又今日この頃では、少年の非行が若年化しているし、昔では考えられなかったような、自分の親をも平気で殺すような子どもが表れているがどうしてこのような子どもが生まれているのか?・・・といった事にたいしても、PTAは一体、どのような取り組みをしているのかよく分からない。子どもの教育は、先ず、家庭にあるのは当たり前である。今は、共稼ぎか何か知らないが、親が子どもの教育に関して無関心すぎる。塾に通わせて物を覚えるだけが教育ではない。家庭の次に大切なのが、学校での教育だろう。子どもの一日の生活時間のうち、殆どは学校で過ごしているのである。学校で一体何を教育しているのだろう。前にマスコミで、「いまや、小学校の先生などになる理由は、本当に子供の事を考えて一生懸命やりたいなどと考えて教師になりたいと言う人は極僅かで、楽して失業しないで、子どもにエッチもできるから教師になっているのだよ・・・」とこんな侮辱的なことを平気で言っていっている人がいたが、その様な発言を聞いても、「そんなものかな・・・」と思わずにいられないほどに、今の教師や教育のあり方に問題を感じている。そのような、学校や、教師に大切な子どもを預けている訳だから、もっと、親は、学校に対して、無関心であってはならないし、その親達の代表は、PTAの役員として、学校、先生のやっている事を監視してゆかなければならないのではないか。戦後は、経済的な面での学校への支援も大切な要素であったかもしれない、又、学校側との競技機関としての役割が、中心であったろうが、いまや、学校のあり方や教師の資質、教師の指導やあり方そのものを問うていく・・・言い換えれば、学校側や教師の監視やチェック機関としての役割が大切な時代になっているのではないか戸さえ思われる。これからは、本当にPTAの存在意義そのものが問われる時代になったといえるかもしれない。子どもの将来のために、父兄たちよ・・頑張れ。
参考:
PTA - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/PTA
参考の日本PTA全国協議会
http://www.nippon-pta.or.jp/
大臣会見(伊吹文明文部科学大臣)-文部科学省
http://www.mext.go.jp/b_menu/daijin/main_b14.htm
生徒指導上の諸問題の現状について(概要)
http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/16/08/04082302.htm

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