今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

アパート記念日

2006-11-06 | 記念日
今日(11月6日)は、「アパート記念日」
1910(明治43)年の今日(11月6日)、東京・上野に日本初の木造アパート「上野倶楽部」が完成した。5階建て70室の木造アパートだった。
アパート(apartment)とは、賃貸タイプの集合住宅のうち、木造または軽量鉄骨造で2階建程度のものを指すことが多い。このアパートに対して、マンションと言うものがある。よく、アパートとマンションとの違いは?・・・などが論議されるが、厳密な区別があるわけではない。
日本では関東大震災後に同潤会アパート(どうじゅんかい-)が建設された。同潤会アパートは、関東大震災後に発足した財団法人同潤会が東京・横浜に建設した鉄筋コンクリート造の集合住宅のこと。関東大震災では木造で密集した市街地が大きな被害を受けたため、不燃の鉄筋コンクリート造で住宅供給を行うことが目的であった。主に都市の中間層(サラリーマンなど)を対象としたが、職業女性向けのアパートや、スラム地区対策として建設されたアパートもあった。
当初の鉄筋コンクリート造の集合住宅は都市住居の中でも質の高いものであったが、のちには木造で質の低い賃貸の集合住宅にもアパートという名称が付けられるようになった。そのようなことから、差別化を図るため、マンションという名称がよく使われるようになった。
本来マンションの意味語源であるMansion(英)は、主に豪邸を示す言葉で、日本語でのように共同住宅をさすことは少ない。日本の様な共同住宅の場合、英語ではコンドミニアム(condominium)が適当である。ただ、マンションについて、国土交通省におけるマンションの定義では、「中高層(3階以上)で分譲・共同住宅、鉄筋コンクリート・鉄骨鉄筋コンクリートまたは鉄骨造りの住宅であること。」としている。 このような定義によれば、階数的には3以下の2階建てなどの低層住宅又、構造上的には、木造、軽量鉄骨造の共同住宅などがアパートと言うことになるのかな・・・?。
アパートは賃貸用の共同住宅を言っているが、日本では、古くは伝統的な貸家として長屋があった。江戸時代の落語にもよく出てくる八さん、熊さんの住んでいた長屋は概ね、9尺(約2,7m)・2間(約3,6m)を一区画とした、玄関が向き合い一方向に並んだ連棟式長屋が主流で、トイレは共同で別棟とし、炊事・洗濯用の洗い場である共用の井戸が中央にあり、勿論、風呂などはなく無く、銭湯を活用していた。映画や落語に出てくる嫌われ者の大家さんは、さしずめ現在のマンションの管理人兼家主といったところか。都市型密集地に必然的に確立されたものが長屋であり、この長屋が現在のアパート・マンションの基礎といえるだろう。
明治初期の借家も、江戸時代とほとんど同様の長屋であったが、次第に2階建て長屋も出現し、トイレも各戸に設置されるようになった。また、長崎や横浜・神戸などの旧外国人居留地には、外国人向けの洋風建築による貸家が建てられた。例えば、神戸・北野町山本通 には、明治20年代から大正期(19世紀末~20世紀初)にかけて建設された洋風住宅(異人館)が多数残っている。そんな北野通りにベンの家と並んで2件が左右対称に建つ風変わりな建物・洋館長屋の仏蘭西館(画像はここ)が今も残っている。この建物は、元は外人向けのアパートだったが、現在は展示品をフランスの美術や調度品で統一している。今で言うテラスハウスの原型であるが、今でもこれらテラスハウス形式のアパートは、建築確認においては、長屋として申請しているそうだ。
その後、近代に近い共同住宅として、1910(明治43)年の今日、東京・上野に5階建て70室の「上野倶楽部」が完成(落成)した。これが日本初の木造アパートである。
「上野倶楽部」は上野公園に隣接した花園町1丁目(当時)に建ち、洋風の外観を持つ賃貸アパートで、洗面・浴槽・電話は共同、入浴時には居住者が実費を負担したそうだ。居住者は官公吏、会社員、教師が主で、独身者はおらず、日本人だけでなく、ロシア人やフランス人もいたという。しかし、木造で、 5階建て70室ものアパートと言うのは大きいね~。
詩人の西条八十は、ここの4階を仕事場にしていた頃に、作詞したそうだ。なんでも、当時生れてまだ5ケ月ほどであつた長女の嫩子を抱いて上野の山へ散歩にでかけ、かなりもう黄葉朽葉の散つてゐる東照宮の境内を徘徊しているとき、少年の日のことを思い出し、「かなりや」の着想を得たのだそうだが、そのことは、以下参考の「インターネット版児童文学資料研究・西条八十「かなりや」伝説への疑問 上田信道」を参考にするとよい。
東京に初の木造アパート「上野倶楽部」が登場して以来、大都市圏で「アパート」と称する木造集合住宅が多数建設された。そして、1923(大正12)年の関東大震災をきっかけに火災に強いRC(鉄筋コンクリート)造アパートの普及が図られたが、同潤会アパートや一部の高級民間アパートを除いてはまだまだ木造アパートが大部分を占めていた。
そういえば、アメリカ映画に「アパートの鍵貸します」(1960年)と言うのがあったね。名匠ビリー・ワイルダー監督作品で、出演:は、ジャック・レモンと シャーリー・マクレーン。”独身で保険会社の平社員バドは、出世の糸口として上司の逢い引きに、自分のアパートの部屋を提供することを思いつく。ところがある日、課長が自分の部屋に連れ込んできた会社のエレベーターガールは、バドが密かに思いを寄せる女性だった…。”・・・サラリーマンの悲哀をペーソス豊かにつづったコメディで、60年度のアカデミー賞では作品、監督、オリジナル脚本、編集、美術監督賞を、ヴェネツィア国際映画祭ではマクレーンが主演女優賞を、それぞれ受賞している。なかなか面白い映画だった。
このアメリカ映画の「アパートの鍵貸します」じゃないが、日本で最初の木造アパート「上野倶楽部」は便所や浴室は共用であったが、それでも入口は洋式風のドアで、内側からはしっかりと鍵がかけられ、内と外との区別が戸の鍵によって明確に区分され、プライバシーが守られたのである。これは、それまでの長屋を考えると画期的な出来ごとだったのである。
江戸川乱歩の小説「屋根裏の散歩者」の中にも、アパート「東栄館」として登場するものは、この「上野倶楽部」がモデルとなっている。
この後に建てられたアパートも長い間,その多くは便所や炊事場などが共有ではあったものの、下宿や間借りと違ってドアでプライバシーが守られていたことから、学生や独身者にも人気があったという。 大正時代になると、鉄筋コンクリートの住宅いわゆる団地と呼ばれる共同住宅が、誕生し、関東大震災後、財団法人 同潤会が発足。同じく、団地形式の多くのアパートが建立された。その後、日本住宅公団により、公営団地が次々、建てられるようになった。そのような、日本の集合住宅の変遷などは、以下参考の「国立国会図書館」の日本の集合住宅、又、「住まいの情報発信局(住宅情報提供協議会)」の共同住宅の誕生などを見られると良くわかよ。
(画像はDVD/1960年 アメリカ映画「アパートの鍵貸します」監督: ビリー・ワイルダー 出演: ジャック・レモン, シャーリー・マクレーン, )
参考:
アパート - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88
国立国会図書館
http://www.ndl.go.jp/index.html
住まいの情報発信局(住宅情報提供協議会)
http://www.sumai-info.jp/index.html
東建子ーコーポレーション
http://www.token.co.jp/tochi/sodan/history/meiji/index.shtml
北野町山本通 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E9%80%9A
西条八十 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%A1%E5%85%AB%E5%8D%81
インターネット版児童文学資料研究・西条八十「かなりや」伝説への疑問 上田信道
http://www.d1.dion.ne.jp/~ueda_nob/shiryo/shir_85.html#ueda
アパートの鍵貸します - goo 映画
http://img.movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD417/index.html
都市と芸術 1920年代「江戸川乱歩」
http://www.shokoku.ac.jp/~nakazawa/toshi.html
マンションとスラム万省堂
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/3578/bonjin3-mansion.htm
定期借地権方式による分譲マンションのスラム化の恐怖
http://www.bird-net.co.jp/rp/BR021028.html


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3 コメント

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アパート (Linda)
2006-11-06 10:24:00
よーさん、お早うさんです。
僕が学生時代量を出て最初に住んだところは樺山アパートと言いました。木造2階建てで下は子供が居る夫婦が住んでいました。2階は3畳の部屋が6つほどあり、便所と炊事場は2階6室共同でした。西日が差し込み暑い部屋でした。
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同潤会アパート (ザ・ランス(石原))
2006-11-06 11:37:31
 よーさん、こんにちわ。

 関東大震災後に建てられた東京青山の同潤会アパート、今は建て替えられましたが、表参道に面していて、昔から若い女性の憧れの的でもあった。でも実はあのアパート、風呂がなかったんですね。
 若い頃、あの近くのスナックでよく飲んでました。常連に同潤会アパートの住人がいました。消防士でガタイの大きな人だったけど、とても気のいい人で、一緒に飲んでいて楽しい人でした。よく、銭湯帰りにタオル一本ぶら下げて飲みに来てました。

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アパート (よーさん)
2006-11-07 07:30:30
Lindaさん、私が若い頃、昭和30年代後半東京にいたときは、下宿でした。普通の民家の2階に貸間が4部屋ほどあり、その一室6条1間を借りていましたが、便所も洗面所も共同、勿論風呂もありません。それで、1畳1000円・・高かったです。しかも、出張が多く月に数日しか、家にいません。バカらしいから、2年ほどで解約し、会社の寮に代えました。
ザ・ランスさんこんちは~。同潤会アパートにいた人をご存知だったのですか~。有名なアパートだから、そこにいたといえば、若い女の子にもてたでしょうね~。
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