今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

二百十日

2006-09-01 | 行事
今日(9月1日)は、「二百十日」
二百十日(にひゃくとおか)は、雑節の一つで、立春から数えて210日目のこと。歴注のひとつ。毎年9月1日ごろ。
1656(明暦2)年の伊勢暦に記載されたのが最初だそうである。暦太陽暦(新暦)では9月1日前後で一定するが、太陰太陽暦(旧暦)では7月17日から8月11日前後まで、「二百十日」がどの日に該当するのかが一定ではなかった。そのために必要になった暦注であると言われている。でも、二百十日は季節点という。つまり、秋のはじまり八朔(旧暦8月1日)や二百二十日とともに、農家の三大厄日とされている。
実際、大型台風の襲来は9月のこのころに多い。しかし、現代のように、気象観測の技術も発達していても、毎年のように、各地で多大な被害をもたらせている。況(いわ)んや、そのような、気象観測技術の発達していなかった時代の人達にとっては、秋に訪れる台風は恐ろしい存在であったろう。丁度、台風の襲来するこの時期は、農家の人にとっては、丹精をこめて育ててきた農作物の収穫期に当るのである。
この「二百十日」を強風が吹く日(台風も含めて)として、暦に記載されたのが先の伊勢暦だそうだが、伊勢暦とは、伊勢の内宮から毎年お土産用として発行されていたもののようであり、江戸時代大変人気があったという。(以下参考の人気の高かった「伊勢暦」参照)また、二百十日頃に台風よけの祈願として行われた祭りに、富山の「おわら風の盆」があり、各地で風鎮めの祭が催されてきた。
昔は、この二百十日から二百二十日の頃に吹く強風を「野分(のわき)」と呼んでいた。「野分」は野の草を分けて吹きすさぶ風ということから名付けられたもの。「野分」は、夏から冬にかけての暴風や突風も含まれるようだが、二百十日頃に吹く強風とされているので、台風を指しているといってもよいのだろう。
紫式部 の源氏物語第二八巻「光る源氏の太政大臣時代三十六歳の秋野分の物語」には、「野分」という題がついており、第一段「八月野分の襲来」の冒頭から、「八月は 故前坊の御忌月なれば、心もとなく思しつつ明け暮るるに、この花の色まさるけしきどもを御覧ずるに、野分、例の年よりもおどろおどろしく、空の色変りて吹き出づ。・・・」と台風と思しき表現が出てきている。
又、俳句でも秋の季語として使われている。
「芭蕉野分して盥(たらい)に雨を聞く夜哉」 松尾芭蕉
見上げるほどに大きく成長した庭の芭蕉の長い葉が吹きあおられて、芭蕉庵の雨戸にたたきつけられるが、粗末なつくりの芭蕉庵は、方々で雨漏りがし、盥に滴る水の音が夜通し続いたのだろう。粗末な家の状況を良く表しているね~。そういえば、昔、私が子どもの頃に住んでいた家は、平屋建てだったが、両隣が2階建てであったので、台風が来るたびに、両隣の家の瓦などが我が家の屋根に飛んできて、家の瓦が壊れていた。戦中戦後のことでもあり、家を補修する材料にも事欠いていた時代、芭蕉庵じゃないけれど、大雨が降ると、家の中に雨漏りがし、あちこち、盥や洗面器などで雨受けにしていたのを思い出すよ。
「吹き飛ばす石は浅間の野分かな」 松尾芭蕉
ここで浅間山に吹く野分の凄さを「石まで吹き飛ばす」と表現することで、荒涼とした風景をも表現している。
又、文学の面では、夏目漱石の『二百十日』と『野分』。がある。
『二百十日』は、阿蘇に旅した“豆腐屋主義”の権化圭さんと同行者の碌さんの会話を通して、金持が幅をきかす卑俗な世相を痛烈に批判している。『野分』は、その理想主義のために中学教師の生活に失敗し、東京で文筆家としての苦難の道を歩む白井道也と、大学で同窓の高柳と中野の三人の考え方・生き方を描き、『二百十日』の思想をさらに深化・発展させたもので、『野分』も日露戦争後の拝金主義、貧富の差の拡大への批判が底流に流れており、「金があるから人間が高尚だとは云えない。金を目安にして人物の価値をきめる訳には行かない。」と白井に演説で言わしめている。しかし、「金にならない文学、いや文学とは金とは無縁のもの」などと言っても、現にのお金がなければ生活は出来ない。理想を実現化するためには、安楽な生活もなくてはならず、このような、理想と現実の必然性の矛盾を回避することはできない。この矛盾を克服する唯一の方法・・・それは、この矛盾を受入れ、野分と同じ様に、その一瞬が速やかに通過するのをじっと我慢して待つしかないのだろうか。
「白き蝶(ちょう)の、白き花に、小(ちさ)き蝶の、小き花に、みだるるよ、みだるるよ。
長き憂(うれい)は、長き髪に、暗き憂は、暗き髪に、みだるるよ、みだるるよ。
いたずらに、吹くは野分(のわき)の、いたずらに、住むか浮世に、
白き蝶も、黒き髪も、みだるるよ、みだるるよ。」
夏目漱石は、『野分』の中で、1人の女にこんな詩を歌わせている。繰り返し読むほどに、この短い詩には、複雑な大人の哀愁の漂う世界が見て取れる。
今の世間も、自分の理想通りの現実を歩める人はごく一部の人だけだろう。理想と現実のギャップに悩まされている人も多いだろうが、そのような嫌な思いは、野分と同じく、永い人生の一時的な試練として、通り過ぎるのをじっと我慢して待つ事にするしかないだろう。
漱石の『二百十日』と『野分』は、以下参考に記載の青空文庫で読むことができる。面白いが、なかなか奥の深い小説でもある。以下参考の「夏目漱石論」なども参考にされると良い。
(画像は、夏目漱石著 「二百十日・野分 」新潮社)
参考:
二百十日 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E7%99%BE%E5%8D%81%E6%97%A5
神宮暦 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%AE%AE%E6%9A%A6
国立国会図書館 「日本の暦」―寛政10年(1798)伊勢暦(暦首)書誌事項
http://www.ndl.go.jp/koyomi/rekishi/kaireki03_1_exp.html
人気の高かった「伊勢暦」
http://www.pref.mie.jp/TANBO/BUNKA/mieb18.htm
宮脇文経氏作成「源氏物語の世界 再編集版」
http://www.genji-monogatari.net/
芭蕉俳句全集(芭蕉DB)
http://www.ese.yamanashi.ac.jp/~itoyo/basho/haikusyu/Default.htm
夏目漱石 「二百十日」(青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card751.html
夏目 漱石「野分 」  (青空文庫)
http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/card791.html
夏目漱石論
http://www2.odn.ne.jp/~cat45780/soseki.html

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