今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

小正月

2007-01-15 | 行事
今日(1月15日)、「小正月」。
小正月(こしょうがつ)とは、正月の望の日(満月の日、旧暦1月15日)のこと。現在は新暦1月15日に行われる場合もある。
大正月(おおしょうがつ)と呼ばれるものに対してこのように呼ぶ。
年中行事や冠婚葬祭は私達の日常のリズムを作る重要な儀礼であり、基層文化の根幹をなす主要なものでもあり、それぞれの地域社会に深く根付いて今日に至っている。
そんな行事の中でも正月は1年の始まりであり、年中行事の中でも最も重要な時節であろう。
正月行事は、種類も多く、暦法の変化などの影響によって複雑化しているが、大きくは、元旦から始まる大正月《朔旦(さくたん)正月(1月1日)》と十五日を中心とする小正月《朔望(さくぼう)正月または望正月(1月15日)》に分けられる。
歳神(としがみ)祖霊を迎える行事の多い大正月に対し、小正月は豊作祈願などの農業に関連した行事や家庭的な行事が中心となる。
ちなみに、正月14日の夜を年越しとし、15日の小正月には作物の豊穣の予宿(よしゅく=実際より早い時期に、模擬的に豊穣の状況を作ったり、演じたりすることが、現実の豊穣につながるとする観念)の行事や1年間の吉凶の占いなどが行われる。又、この日に小豆粥(あずきがゆ)をつくって食べる習慣は、公武をはじめ民間においても民俗として定着している。
これには呪力を持つ赤色の食物を正月の神に供える意味がある。続く薮入りが都市民俗に於ける正月の折り目として伝承されていた事にも見られるように、正月14日~16日には、重要な神事が集中していた。
これはわが国では、中国伝来の太陰太陽暦が導入される以前より、古くからある民間暦つまり、望の日を月初とした満月から満月を1ヶ月とする暦法の考え方に基ずいて行われているものである。中国より暦法が移入されて後、朔旦(さくたん)正月が主流となったが、望正月を祝う風も存続し、小正月になったといわれているが、この小正月こそが古い姿での日本の本来の正月であると、柳田國男 もいっている。
なお、この小正月までが本来の松の内であり、近畿地方では現在でも1月15日の小正月までが「松の内」である。また、松の内に忙しく働いた主婦をねぎらう意味で、女正月という地方もある。
冬から春への折り目の日である立春と、その前日で、邪霊災厄を祓う呪術が行われる節分も、正月行事を複雑にしている要素の一つである。陰暦では、立春が旧年中や正月上旬に来ることが多く、これが正月行事との混乱をきたしたようだ。
前にも書いた小正月の朝には「小豆粥」を食べる習慣があった。古くは『土佐日記』や『枕草子』などにも、以下のように、小正月に小豆粥を食べたことが記されている。
◎十五日、今日、小豆粥煮ず。口惜しく、なほ日の悪しければ、ゐざるほどにぞ、今日二十日あまり経ぬる(土佐日記)。
◎十五日は、もちがゆの節供参る。粥の木ひき隠して、家の御達(ごたち)、女房などのうかがふを、打たれじと用意して、常に後を心使ひしたる景色もをかしきに、いかにしたるにかあらむ、打ち当てたるは、いみじう興ありてうち笑ひたるはいとはえばえし(枕草子)。
このように、正月十五日に粥を食するという風習があったことは確かだが、このように粥を紀貫之は、「小豆粥」と表現している。
正月七日の七草粥は「供若菜(わかなをくうず)」という中国渡来の行事に由来するものであり、元日から八日まで鶏、狗、羊、猪、牛、馬、人、穀をそれぞれ当て、七日を「人日(じんじつ)」とし、この日、若菜を羹(あつもの=熱い汁物)にして食すと邪気を払うとされていた。
「小豆粥」は「七種粥」の行事を起源とするといわれているが、これは、正月七日に食されている七草粥とはまったく別個のものである。
平安時代には中国の『荊楚歳時記(けいそさいじき)』の七種菜の風習が伝わり、「七種菜の羹」があったことが記されているそうだが、これは七草の粥ではなく、七種の羹(あつもの)である。また、ここでいう七種の羹は、『延喜式』(905年)巻第四十に「正月十五日供御七種粥料。米一斗五升・粟(アワ)・黍子(キビ)・稗子(ヒエ)・葟蓑子(ミノ=蓑は正しくはくさかんむりの下に皇の字を書くらしい)・胡麻子(ゴマ)・小豆(アズキ)各五升、塩4升」という記述が見えるそうで、これらの七種類の穀類を使って塩味をつけた粥を作り食べるという風習が、少なくとも平安時代(九世紀末頃まで)には存在していたようである。
以下参考の風俗博物館によると、『宇多天皇記』寛平2年(八九〇)二月条によれば、他のいくつかの歳事と共に、民間の行事を宮中の歳事として取り入れるようにとの宇多天皇の指示があった。とりわけ小豆の色が鮮やかで印象的であるからだろうか、「七種粥」を「小豆粥(あづきがゆ)」ともいった。・・・とあり、どうやら、これが、正月の本当の正月の七草(種)粥のようである。又、面白いのは、その粥を炊いた薪の燃え残りの「粥杖(かゆづえ)」(粥の木、粥枝、祝木、嫁叩き棒などとも言うらしい)で女性の尻をたたくと子宝(男の子)に恵まれるとか、男の尻をたたけばその人の子を宿すなどと言って、宮廷女房の間ではこの日、粥杖をもってお互いに叩き回る行事となって流行していたようで、前に書いた枕草子にもその様子が伺える。この七草(種)粥については以下参考の「正月の春の七草と七草粥」が非常に掘り下げて、考察しているので、興味のある方は見ると良い。また、古くから「河内国一の宮」と崇められてきた枚岡神社で、今でも1月15日に行なわれている「粥占い」は、700年以上も続いている神事だという。大阪府の無形民族文化財にも指定されている。その様子が以下のHPでよく分かる。
枚岡神社 粥占神事↓
http://www.kintetsu.co.jp/ensentokusyu/omaturiguide/omaturiguide_info/festival0000005.html又、かつて元服の儀を小正月に行っていたということから、1月15日は成人の日という国民の祝日となった。しかし小正月自体がなじみが薄いものとなったこともあり、2000年から成人の日は1月第2月曜日に変更されている。古くからあった日本の行事は、ますます訳の判らないものとなっていく。どうして日本では、こうも、自分の国の伝統や文化を守ろうとしないのだろうかね~。もっと、このような行事は、大切にしたいものだが・・・。
(画像は、削り掛け、餅花、道具の年とり。『真澄遊覧記』国立公文書館蔵。①は、削り掛け:木の皮を薄くそいで、花や稲穂のようにしたもの。白膠木(ぬるで)、接骨子(にわとこ)、柳、桑などの柔らかい木をもちうる。1年の実りを予宿する呪物である。正月14日、門松を撤去した後や戸口、神棚などの飾り、20日頃に取り払う。②は、餅花:白膠木、柳などの木の枝に餅や団子をつけたもので、作物の豊かな実りを表す。餅花の一種には、綿の花や、実の形になぞらえた木綿玉、綿団子、繭玉などがある。③は、道具の年取り:東北、信越地方には、道具が人と同じように年をとるという観念がある。道具の年取りの日には、道具を使わず休ませてやり、餅などを供えた。・・という。NHKデーター情報部編、ヴィジュアル百科「江戸事情」より。)
小正月 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%AD%A3%E6%9C%88
延喜式 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%B6%E5%96%9C%E5%BC%8F
柳田國男 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E7%94%B0%E5%9C%8B%E7%94%B7
松が明けて迎える小正月 - [冠婚葬祭]All About
http://allabout.co.jp/family/ceremony/closeup/CU20050107A/
荊楚歳時記
http://www.karitsu.org/kogusho/b4_kssj.htm
風俗博物館
http://www.iz2.or.jp/rokushiki/index.html
枚岡神社 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9E%9A%E5%B2%A1%E7%A5%9E%E7%A4%BE
春の七草と七草粥について
http://www2.odn.ne.jp/~had26900/topics_&_items2/on-nanakusa.htm
枚岡神社 粥占神事
http://www.kintetsu.co.jp/ensentokusyu/omaturiguide/omaturiguide_info/festival0000005.html


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2 コメント

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小豆粥 (Linda)
2007-01-15 10:14:49
よーさん、お早うさんです。
ウチは七草粥は食べますが小豆粥は食べませんね。子供の頃に食べた記憶があるようなないような・・・。食べたことはあるのですがそれが1月15日だったかどうか解りません。
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ブログ再開しました (よーさん)
2007-01-16 10:31:22
Lindaさん、おはようございます。
良いお正月過ごせましたか。
私も、お豆さんは余り好きな方でないので小豆粥は食べていません。
昨日は、お粥ではないが、おやつにぜんざいを食べました。お寺から、鏡開きのお餅を沢山貰ったので、家人から、強制的に食べさせられています。
正月中ブログ休んでいましたが又、再開します、又、よろしく。
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