今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

おでんの日

2010-02-22 | 記念日
日本記念日協会の今日2月22日の記念日に「おでんの日」があった。
記念日の由来をみると、”「クチこみラジオ越後じまんず」(DAN番組制作実行委員会)が制定した日。新潟のおでんをPRするとともに、オリジナルおでんの開発や全国おでん合戦開催などを行う。日付はアツアツのおでんは「ふーふーふー」と息を吹きかけて食べることから、2(ふー)と22(ふーふー)の2月22日としたもの”・・・とあった。
私は関西の人間なので「クチこみラジオ越後じまんず」と言うのが、どんな番組なのか、又、「新潟のおでん」というものが、どんなものかも良く知らない。NETで検索しても良く分らなかった。
広辞苑によれば、“「おでん」は漢字では「御田」と書き、「でん」とは、「田楽」の略。①田楽豆腐。②煮込み田楽の略。豆腐・こんにゃく・里芋・大根・はんぺん・つみれなどを醤油味で煮込んだ料理。「関東炊き」「関東煮」”・・・とあるが、①②のどちらの方を言っているのだろう。日本記念日協会への登録は2007年からのようである。
①の「田楽豆腐」は、平安末期に中国より伝来したといわれる豆腐を長方形に切って串に刺し、柚子(ユズ)味噌や木の芽味噌などの香をつけた味噌を塗りつけて火にあぶって焼いた料理であり、俗に「味噌田楽」とも呼ばれている。「おでん」の原型はこの「味噌田楽」にあるといわれている。
冒頭の画像は、西川祐信画の『百人女郎品定』に描かれている田楽屋の風景。天明2年(1782年)に刊行された豆腐料理の調理方法を解説した料理本『豆腐百珍』では、どこの家庭でも作られている豆腐料理の定番としてあげられているのが、味噌田楽である。江戸では、先割れしていない串を1本使い赤味噌をつけ、上方では先割れの串2本に白味噌を使って焼いた。東海道筋川村(滋賀県栗東町)の街道筋で菜飯とともに出す田楽は名物であったという(NHKデーター情報部編・ヴィジュアル百科「江戸事情」より)。上記画像はNHKデーター情報部編・ヴィジュアル百科「江戸事情」より借用したものだが、以下早稲田大学図書館「古典籍総合データベース」では、西川祐信画『百人女郎品定』がすべて見られるので興味のある人は見られると良い。当時の風俗がよくわかり面白いよ。
※『百人女郎品定』西川祐信画 
http://www.wul.waseda.ac.jp/kotenseki/html/wo06/wo06_03117/index.html
又、余談だが、私は現役時代出張が多く色んな地域へ行ったが、愛知県豊橋市のなめし田楽が有名であり、美味しかったので、豊橋に行けばいつもお昼に食べていたのを思い出す。しかし、以下参考の※:「栗東市・ めがわ田楽と銘酒「菊の水」」によれば、“目川立場の名物として、江戸や京都にまでその名を広めた「めがわ田楽」。大田蜀山人は、「改元紀行」(享和元年【1801】)に「目川の立場には、菜飯と田楽ありと、今、いずくにても目川菜飯とよぶは、此の所より起これりと聴きて、伊勢屋といへる家にいりて、かの菜飯をもとむるに、田楽の豆腐あたたかにものして味よろし。」” と記しているという。ここが、菜飯田楽の発祥のように書いている。以下参考の「※:目川.おこし-やす.com」には、名物「目川田楽」のことが詳しく書かれている。
この食べ物である「田楽」と言う名が、何処からきたかと言うと、平安時代中期に成立した楽と躍りなどから成る日本の伝統芸能の「田楽」に由来する。この伝統芸能である「田楽」は、もともと、田植えの前に、農作物の豊かな稔りや、村の暮らしの平穏を祈る田遊びの“もどき”(日本の芸能において、主役を揶揄(やゆ)したり模倣したりして滑稽を演ずる役。一種の道化役)とも言えるもので、笛・鼓など楽器を使って行う田の予祝芸能であり、発生的にも呪術的な傾向が強く、特に外来の民間楽である散楽の要素が多く取り込まれている。この田遊びは、古い時代からの農耕を中心とした村落の生活や信仰が一体となって発生し、変化しながら伝えられてきたと考えられており、新井恒易(『日本の祭りと芸能』)によれば、田楽という用語そのものが中国からの移入であるという。そして中国の田楽は、田植えにかかわる秧歌(おうか。以下参考の※「秧歌 とは - コトバンク」参照)劇系の散楽の一種で、楽器には腰鼓・小鼓・拍板(ぴんざさら。以下参考の※:「浅草神社 | 三社祭 | びんざさら舞」参照)などを用い高足などもあったという。日本の田楽もその発生の初期からこれらの楽器を用いているという(以下参考の※:日本財団図書館・念仏踊りと太鼓・・・伊藤好英参照)。
平安時代に書かれた『栄華物語』には田植えの風景として歌い躍る「田楽」が描かれており、大江匡房の『洛陽田楽記』によれば、永長元年(1096年)には「永長の大田楽」と呼ばれるほど京都の人々が田楽に熱狂し、貴族たちがその様子を天皇にみせたという。その様子は、『中右記」(ちゅうゆうき)にも、「天下貴賎、毎日田楽なし、或は石清水・賀茂へ参る。鼓笛の声、道路に(み)ち溢(あふ)る。これ神明の好む所と称し、万人この曲をなす。或いはまた夢想の告ありて、にわかになす輩(やから)あり。世間妖言、人々あい好む」云々・・とある(週間朝日百科「日本の歴史」。
永長大田楽と言われるものは白河院政が始められてからちょうど10年後に爆発的に起こったものだが、実際には、突然起ったものではなく既に2年前から同様の事件は起っており、大田楽が起きるまでの社会状況を見ると、治暦・延久の後三條親政、つまり、荘園整理令など一連の国政改革が施行され、2年前から伊勢神宮の造替遷宮に要する費用の負担を京都の民衆に課し、また、造営役夫工の過酷な徴収が強行されたため、住民と政府との対立が絶えず、「緊迫した社会情勢となっていたようだ。そのことから、時の為政者たちが人々を新しい政権に結集させようと田楽躍のもつ呪術的機能を政治的目的に利用した。又、一方民衆らは政府の造営のための過酷な収奪や自然災害・疫病など、厳しい社会状況下で苦しい精神状態に置かれていたため、次第に反国家体制的な風刺歌謡でもある「童謡」の形式をもち、農耕呪術的な信仰を基盤として、都民衆を駆り立てる集団歌舞の大田楽騒動を起すことで国家の重圧から逃れ、田楽のもつ呪術的所作を利用して精神的な不安感を解消し、社会安定を望んだことが推定されるという。ここでいう「童謡」は「わざうた」と呼ばれるもので、古代、政治上の風刺や社会的事件を予言した流行歌。上代歌謡の一種で、日本書紀の「皇極紀」「斉明紀」などにも見られる。詳しくは以下参考の※:「永長大田楽における貴族と民衆(PDF)」を見られると良い。又、田楽のこと事態は、以下参考の※:「民俗芸能 田楽・秋田インターネット博物館」が詳しいよ。
平安後期には寺社の保護のもとに座を形成し、田楽を専門に躍る田楽法師という職業的芸人が生まれた。
そして、田楽の芸の中に「高足」というものがあり、それは、白い袴をはき、その上に色のついた上着をはおった田楽法師が竹馬のような一本棒にのってピョンピョンはねたり踊ったりするものであったようだ。白い豆腐に串を打って味噌をつけて焼いたものが、田楽法師の「高足」を舞っている姿に似ているところから付いた名前が「田楽豆腐」であり、それが、略されて「田楽」となり、女房言葉で田楽の「でん」に接頭語「お」を付けて、「おでん」とよぶようになったようだ。
「田楽は昔は目で見今は食ひ」・・・。このような、古川柳に「おでん」(田楽)の成り立ちを伺い知ることができる。
串に刺した豆腐に味噌をつけた焼き料理は、箸や皿を使わずに手軽に食べられることから、一般的な豆腐料理として各地に広がり、また、食材も、豆腐だけではなく、こんにゃくや里芋・大根・はんぺん・つみしいたけなど、どんどんとバリエーションがひろがっていった。
田楽と呼ばれた料理には、具を串に刺して焼いた「焼き田楽」のほかに、具を茹でた「煮込み田楽」があるが、煮込み田楽は、上方では具を昆布だしの中で温め、それに甘味噌をつけて食した。1640年代頃(寛永年間)になると、近郊の銚子や野田で濃い口醤油の醸造が盛んになった江戸では、かつおだしに醤油や砂糖、みりんを入れた甘辛い汁で現在のように大根やこんにゃく、昆布、はんぺんなどを煮込んだ料理をつくりようになり、これを、「おでん」と呼ぶようになった。そして、単に田楽といえば味噌田楽をさすようになった。江戸の町民には振売や屋台で売られたが、焼き田楽より予め温めてある煮込み田楽の「おでん」の方が好まれたという。
関西では、今でも、「おでん」と言えば、具を昆布だしなどの中で温め、それに甘味噌をつけて喰べるもののことであり、かつおだしに醤油や砂糖、みりんを入れた甘辛い汁で煮込んだ料理は「関東煮」とか「関東炊き」と読んで区別している。
寒い冬には鍋料理の1つである「関東煮」も良い食べ物だ。しかし、同じ「関東煮」でも、関西というか、我が家の場合は、ごく薄味でつくるので、朝からじっくりと半日くらいの時間をかけて作り、いったん、火を切っておいて、夕方まで煮汁に漬け込んでおき、夕方から又煮込む。だから、食材そのものは、豆腐やこんにゃく・大根・昆布巻き・天麩羅類に、卵・筋肉・タコ・鶏肉など安いものばかりだが、手間と時間がかかるので、家人などは、余り、作るのを好まない。それに、年寄り夫婦の2人だけの家庭では、具財の種類を増やすとどうしても量が多くなり過ぎ、多く残る。そのため、もったいないから、翌日も又、食べなくてはならないことになる。だから、「関東煮」は、我が家ではなかなか食べられない料理の1つである。
(画像は田楽屋『百人女郎品定』西川祐信画。NHKデーター情報部編・ヴィジュアル百科)「江戸事情より。」
参考:
日本豆腐協会豆腐の歴史
http://www.tofu-as.jp/tofu/history/15.html
※:日本財団図書館・念仏踊りと太鼓・・・伊藤好英
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2003/00694/contents/0019.htm
※:栗東市・ めがわ田楽と銘酒「菊の水」
http://www.shiga-bunshin.or.jp/rekisikairou/Bukaijigyou/ukiyoeroman/rittou2.html
※:目川.おこし-やす.com
http://megawa.okoshi-yasu.com/history.html
第8回 猿楽:笑い学講座:帝京平成大学
http://www.thu.ac.jp/warai/popup/rensai08.html
※:秧歌 とは - コトバンク
http://kotobank.jp/word/%E7%A7%A7%E6%AD%8C
※:浅草神社 | 三社祭 | びんざさら舞
http://www.asakusajinja.jp/sanjamatsuri/binzasara.html
※:永長大田楽における貴族と民衆(PDF)
http://dspace.lib.niigata-u.ac.jp:8080/dspace/bitstream/10191/985/1/18_0115.pdf#search='天下貴賎、毎日田楽なし'
※:民俗芸能 田楽・秋田インターネット博物館
http://www.geocities.jp/stkyjmuseum/dengaku.html
おでん - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%A7%E3%82%93
豆腐百珍 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%86%E8%85%90%E7%99%BE%E7%8F%8D
中右記 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%8F%B3%E8%A8%98
味噌田楽- Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%B3%E5%99%8C%E7%94%B0%E6%A5%BD
「お田植え祭の伝わる里」
http://www2.cc22.ne.jp/otoya2/3-otauesai/3-otauesai.html
日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
田植の労働促進・疲労回復のために、笛鼓を囃し歌舞を見せたことに始まる ...(PDF)
http://www.tarokaja.com/wiki.cgi?action=PDF&page=%C5%C4%B3%DA%A4%C8%A5%F2%A5%AB%A5%B7%CB%A1%BB%D5%BD%D5%C3%E9
西川祐信 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%B7%9D%E7%A5%90%E4%BF%A1
大田南畝 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E7%94%B0%E5%8D%97%E7%95%9D
散楽 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%A3%E6%A5%BD
日本書紀 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9B%B8%E7%B4%80

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2 コメント

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おでんの会 (よーさん)
2010-08-08 17:57:12
ホテルオークラ新潟でおでんの会ですか。
さぞ美味しいのでしょうね。
盛況だといいですね。
返信する
ふーふーふー2月22日はおでんの日 (いいね)
2010-08-01 12:20:47
始めまして。

貴ブログを拝見いたしました。

毎月2.22におでんの会を開催し、
会の自ら新潟素材でおでんの創作をしたり、
おでんを中心に飲み会の開催をしてます。

8月22日は、ホテルオークラ新潟で
「ホテルのシェフが作る自家製おでん」を開催予定です。



http://ameblo.jp/odennohi/
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