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記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

宝塚歌劇団レビュー記念日

2007-09-01 | 記念日
今日(9月1日)は、「宝塚歌劇団レビュー記念日」
1927(昭和2)年の今日(9月1日)、日本最初のレビューモン・パリ」が宝塚大劇場で初演されたのを記念して、1989(平成元)年に宝塚歌劇団が創設した。レビューを輸入して日本の舞台に乗せたことを記念するとともに、宝塚レビューの灯を盛んにしようというのがその目的だそうだ。
宝塚歌劇団は、女性のみからなる日本の歌劇団。阪急電鉄が運営。主な専用劇場である我が地元兵庫県宝塚市の宝塚大劇場と、東京・千代田区にある東京宝塚劇場において公演を行っている。また、宝塚市に中劇場の宝塚バウホールも所有している。なお阪急電鉄「創遊事業本部歌劇事業部」が事業を担当しているが、歌劇団自体は「阪急電鉄の直轄組織」となっているようだ。
宝塚歌劇団は、阪急電鉄の創始者小林一三が1913(大正2)年に結成した寶塚唱歌隊が前身である。明治43年3月、箕面有馬電気軌道(現・阪急電鉄)が開通した当時は、武庫川東岸(左岸)、現在の宝新温泉側はわずかに数軒の農家が点在するのみで、閑静な松林の続く河原に過ぎなかった。そこで、箕面有馬電気軌道は開通後、乗客の増加を図るためには、沿線に住宅を開発する必要があったが早急にはできるものでないため、宝には明治44年5月大理石造りの大浴場を中心とする家族的娯楽場として新温泉を開場。しかし、思うように客が誘致できず、当時、大阪の三越に少年音楽隊があり、これが好評であったことにヒントを得て宝に少女の音楽隊をつくり、板張りにした水浴場で余興として公演しようということで、1913(大正2)年7に結成されたのが、宝唱歌隊で、19歳を年長に16人を採用。その後、第二期生として4人の少女が加わって後、同年12月に、宝少女歌劇養成会と改称された。(詳細は以下参考に記載の宝塚温泉参照)
そして、翌1914(大正3)年4月1日に初めて公演を行い、歌と踊りによる華やかな舞台を連日訪れる観光客に披露した。初演演目は桃太郎を題材した歌劇『ドンブラコ』であった。その後、1919(大正 8)年には、宝塚音楽歌劇学校の設立とともに、学校組織を母体とした「宝塚少女歌劇団」が誕生。歌劇団全体を組織化して運営するこの制度と伝統は、受け継がれている。また1921(大正10)年には観客の増加に対応して、2組に分割し花組と月組が誕生、宝塚歌劇の黎明期を支えた。1924(大正13)年7月、3,000人を収容できる寶塚大劇場が完成。それに合わせて新たに雪組を新設。各組が1ヶ月ごとに交代で12回の常時公演を行うというスタイルが確立したのがこの時代だそうだ。
そして、一年余の欧米の劇場視察から帰った宝歌劇団の演出家岸田辰彌が高木和夫の作曲で1927(昭和2)年の今日(9月1日)、上演した「モン・パリ」(吾が巴里よ)」が爆発的な人気となった。これが日本における最初のレビューであり、その歌「うるわしの思い出、モン・パリ吾が巴里」は大衆に愛唱され、長期公演の最初の記録をつくった。続いて、1930(昭和 5)年にはレビュー「パリゼット」が上演され、その主題歌「すみれの花咲く頃」が大ヒット、後世この作品はレビューの完成形として高く評価されるところとなった。
歌と踊りなどに時事風刺劇を組み合わせた「レビュー」。当時パリを中心に西欧諸国で大流行していた、この舞台芸術を輸入し、独自に上演してきたことは、昭和初期の日本文化にヨーロッパの息吹を持ち込んだ斬新な試みであった。
創設の当初から「老若男女誰もが楽しめる国民劇」を目指し一躍有名になった宝塚歌劇団であるが、当時、東京の浅草で上演され、人気を博していた浅草オペラにおけるいわゆるエロ・グロ・ナンセンス的性格の舞台とは一線を画していたことは特筆すべきことだろう。現在も、演目は健全かつどの世代の人が見ても楽しめるものである。芝居やショーのテーマは古今東西にわたり、歴史劇、ファンタジー、そしてSFまで多岐にわたる。 兎に角、品格の無いものがはびこっている今の時代に、正統派の歌劇が残っていることが嬉しい。
舞台に出演するのは宝塚音楽学校の生徒と卒業生であり、未婚女性である。女性だけの劇団であるため、男性役も女性が演じる。
先にも書いたように宝塚歌劇団は、創設時から、小林一三には「国民劇」という構想があった。それは西洋の題目のみならず日本の時代劇なども、西洋風のメロディーで展開する物であった。その表現の幅を増すために小林一三は男性団員が必要だと考えていたそうだが、男性団員を加入させるという案は、周囲の反対により何度も立ち消えになったが、1919(大正 8)年に宝塚音楽学校に選科を設けて8人の生徒を入学させたが、周囲の反対により挫折したこともあり、また、1946(昭和21)年から4年間、公募により男子研究生が少数ながら25名入団したそうだ。しかし、数年間のレッスンを経た後のデビューを目指したが、女子研究生やファンらの反対により、最後まで本公演には出演することはなく、1954(昭和29)年に男子研究員たちが他の劇団に移籍し、解散となったのだそうだ。・・・・今日の繁栄を見るまでにはこのような経緯もあったとは、知らなかったが、結果的には、それが、良かったようだね~。
男性にも結構宝塚ファンがいるようだけれども、私も、大好きなんですよ。(^0^)
(画像は、1928年再演の「モン・パリ」。 Wikipediaより)
Category:宝塚歌劇団 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E5%AE%9D%E5%A1%9A%E6%AD%8C%E5%8A%87%E5%9B%A3
宝塚歌劇ホームページ
http://kageki.hankyu.co.jp/
レヴュー(演芸) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%83%A5%E3%83%BC_%28%E6%BC%94%E8%8A%B8%29
モン・パリ - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%AA
梅田芸術劇場 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%85%E7%94%B0%E8%8A%B8%E8%A1%93%E5%8A%87%E5%A0%B4
宝塚温泉
http://www.h-wakamizu.com/takarazuka/index.html
杉浦と宝塚歌劇
http://www.nurs.or.jp/~sug/takara/index.htm



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