今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

「閻魔賽日,十王詣の日」

2005-07-16 | 行事
今日(7月16日)は「閻魔賽日,十王詣の日」。
正月16日と7月16日の閻魔賽日(地獄の釜の蓋が開いて鬼も亡者も休むとされる日)に、寺院で十王図や地獄相変図を拝んだり、閻魔堂に参詣したりすること。 十王とは、人が死後、亡者と成って冥界に行き出会う十人の王の事で、秦広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、泰山王、平等王、都市王、五道転輪王のことで、閻魔はその中の一王である。
有名な閻魔大王、又、閻魔さんの名は知っていても、怖い顔した地獄の番人程度のことぐらいしか知られていないのでは・・・。
子供の頃、よく「ウソをつけば、閻魔さんに舌を抜かれるよ」などと言われたことがあるが、それは単なる子供への戒め。
この閻魔は、人類最初の死者だそうであり、そのため大変苦労して天国(極楽)を発見し、そこの王となった。後にそこへ多くの死者がやって来たが、中には悪い人もいた。そこで、冥界に来た死者を裁き、悪い人を地獄へ収容するようになったのだそうだ。
この中に閻魔王がいるが、人の死後初七日から七日ごとに上の最初の王から順にに裁かれ(五・七日目=三十五日目)には、最も重要な、六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上)の何処に生まれ変わるかを閻魔王が決定するのだそうである。だから、閻魔王は十王の中心的な裁判官といった存在なのである。
京都、千本通からひと筋入ったところにある高野山真言宗の寺がある。人々を導くという意味の「引接寺」(いんじょうじ)」が正式名称であるが、本尊に閻魔王を祀ることから「千本ゑんま堂」と呼ばれている。開基は、小野篁卿(802~853)。本尊の閻魔法王(高さ2.4メートル)の左脇に司命像、右脇に司録像を安置し、往古の裁判庁舎を象っている。平安朝京洛の中心道路である朱雀大路(現千本通)頭に位置するこの辺りはあの世へ通ずる処として亡きがらをここから送った故に京の都ではお盆といわずお精霊迎えの根本霊場として古来より有名とのこと。
ここの寺の、5月の「千本えんま堂狂言」は、京都市の無形民俗文化財に登録されている。私は見たことないが、閻魔庁で審判を受けた亡者が千本ゑんま堂の閻魔大王の手判を差し出し、極楽へ案内されるという話だそうだ。
また、京都の六波羅蜜寺近く(東山区東大路)の「六道珍皇寺」境内の閻魔堂には、閻魔大王と篁の木像が並んでいる。寺の裏には小野篁が冥界へ通っていたという井戸がある。篁は、この井戸から毎晩閻魔の庁へ出かけ、裁判を手伝っていたというのである。
小野篁は、参議小野岑守(みねもり)の子で、嵯峨天皇につかえた平安初期の政治家であり、文人・歌人としても知られているが、篁は、昼間は、真面目なよくできた官僚だが、夜になると、閻魔さんの隣に座って、冥土の官僚になっていたというのだ。つまり、閻魔さんが貴方は地獄行きっ!などという判決を下すとき、隣りに座って「いやいや。この方は、生前立派な方だった」と、裁判のアドバイスをしていたというのだ。(今昔物語、第20巻 第45話)
これは、どうしても、両寺の8月のお精霊迎えの時には、お参りに言っておかなければならないな~。え・・・?私は、善根ばかりで悪いことは何一つしていないのでお参りの必要はないって・・・?
閻魔様の話は別にして、最近、テレビで、若貴の遺産相続問題が賑わっていた。この問題は、花田勝氏が4日、代理人弁護士を通じ、東京家庭裁判所に故・二子山親方(元大関・貴ノ花)の財産に関する相続放棄の手続きをしたと発表したことで決着がついたはずなのに、マスコミは未だにこのネタを飯の種にしようとしている。相続放棄は、勝氏が平成12年12月に日本相撲協会を退職したころに、二子山親方と話し合って決めた。弁護士は「花田氏は自活の道があるので、部屋を継承する人が全部相続するべきと判断したようだ」としている。弁護士の言では、「飲食業やタレント活動で成功している兄の勝氏が、父の部屋を継承した弟に、遺産を譲った。この事実は、勝氏の要請で、3日の三十五日法要を終えるまで公表が控えられていた。」というのだから、それでいいではないか。仏式では、死亡した日〈命日〉から七日目ごとの忌日〈この日、冥土において閻魔大王の裁きが行われるといわれる〉に死者を法要し、七七日(なななのか)つまり四十九日〈宗派によっては五七日(いつなのか)つまり三十五日〉に忌日が終わった〈死者が成仏した〉として、忌明けの法要を営むのがしきたりとなっている。喪中は、慎んだ生活を送り、形見分けも喪明けに行うように、遺産相続も正式の遺言書があればそれに従い、なければ、法律に従って遺族の間で分割することになる。どろどろした相続の話の決着を喪明けにするなどかっこいいじゃ~ないの・・・。
(画像は、京都上京区千本ゑんま堂「正式名: 引接寺=いんじょうじ)」の閻魔法王像部分)
参考
小野篁(おののたかむら)の世界
http://homepage3.nifty.com/kyotosanpo/kyotodensetu/takamura/takamuratop.html
引接寺 / 通称名称 千本閻魔堂
http://kaiwai.city.kyoto.jp/sightdb/sight-raku/view_sight.php?lang=ja&InforKindCode=1&ManageCode=1000017
六道珍皇寺
http://kyoto.e-machi.ne.jp/tmpl/osusume/travel/tougei/chinnouji.htm


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4 コメント

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小野篁 (Linda)
2005-07-16 11:23:26
よーさん、お早うさんです。

小野篁って大きな人だったのですね。昔で185cm以上あれば大男ですね。馬に乗ったら(牛車だから馬に乗らなかったですかね)馬が可哀相だったでしょう。当時の馬は岬馬とかトカラ馬の様に小降りだったそうですから。源平の合戦で畠山重忠が鵯越を馬を担いで降りたと言うのも小降りやったからかなと・・。それにしても事実なら凄いですね。

サラブレッドやアラブが入ってきたのはつい最近のようですよ。話が全くそれてしまいましたね。
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Unknown (よーさん)
2005-07-16 12:00:30
Lindaさん、小野篁って本当に大男だったらしいですね。しかし、どこから、閻魔に係わる話が生まれたんでしょうね。もともと日本の馬はの足の短い小さな馬だったようですね。だから、丈夫で強かったのでしょう。鎧武者を乗せて崖を下ったんですからね~。

サラブレッドだったら、捻挫おこしてますよね・・

(^0^)
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あはは~ (ちゃり)
2005-07-17 21:29:47
今晩は~

サラブレッドだったら捻挫。。には、ぷっと吹きだしてしました(^.^)

私は、閻魔さんにはお参りした事ありませんので、一度行っておかないと~(苦笑)
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閻魔さん (よーさん)
2005-07-18 06:03:49
ちゃりさん、おはよう!

あなたなど地元から、閻魔さんにお願いしといた方が・・・悪いことしてなくても・・安心だよ・・・

(☆_・)・‥…━━━★ピキューン!   
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