今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

メンチカツの日

2013-03-07 | 記念日
日本記念日協会(※1)に登録されている今日・3月7日の記念日に「メンチカツの日」がある。
記念日は、コロッケメンチカツをはじめとして、各種の冷凍食品の製造販売を手がけ、全国の量販店、コンビニ、外食産業などに流通させている香川県三豊市の株式会社「味のちぬや」(※2)が制定した日。
日付は関西ではメンチカツのことをミンチカツと呼ぶところも多く、3と7で「ミンチ」と読む語呂合わせから。また、受験シーズンにメンチカツを食べて受験に勝ってほしいとの願いも込められているそうだ。

冷凍食品は水分や油脂が凍結・凝固する程の低温にすることで微生物の活動を抑え、長期間にわたって保存できるのが特徴である。
冷凍食品とはどんなものか?については、食品衛生法」や、「農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律(JAS法)」など各食品等関連法令において定められており、「食品衛生法」では、保存基準として、包装して零下15℃以下、JAS法では、−18℃以下で保存を規定している。
また、冷凍食品を製造する日本の企業・団体をおもな会員とする農林水産省所管の社団法人である日本冷凍食品協会(※3)の自主的取扱基準における冷凍食品の定義は「前処理を施し、品温が零下18℃以下になるように急速凍結し、包装することにより、生産から流通・消費の段階まで一貫してそのまま(−18℃以下)の低温を保って取り扱われる食品」としている(詳しくは※3の冷凍食品認定制度のための品質管理の手引き参照)。
冷凍食品にして食品を保存することを一般にフリージング(freezing)とよんでいる。
急速凍結(最大-30℃以下が望ましい)することで食品の鮮度が長期間(マイナス18℃以下であれば製造後1年程度)保つように配慮されているのが冷凍食品メーカー(※3:「日本冷凍食品協会」の会員名簿参照)などが製造している冷凍食品である。
しかし、家庭用の冷蔵庫での緩慢凍結で作られたものでは解凍時に鮮度が落ち、-18℃以下に保ち続けることが難しいため、保存も2〜3ヶ月を目処にすることが望ましいとされている。

この冷凍食品、1900年代頃にアメリカにおいて、あまり日持ちのしないジャム加工用のイチゴを輸送に適するために冷凍にしたのが興りだと言われているそうだ。
しかし、当初は、冷凍技術の問題や適切な解凍方法がないことから普及はしなかったが、その後の急速冷凍技術の開発等もあり本格的に冷凍食品が広く普及したのは1960年代(日本では1965年)以降のことである。
日本では1964(昭和39)年の東京オリンピックを機に、冷凍食品に適した解凍、調理法が研究され、外食産業分野で利用が始まった。
1970年代には、冷凍冷蔵庫や電子レンジの普及、セントラルキッチン方式のファミリーレストランチェーンの拡大により、業務用とも大きな伸びを示すようになった。
また1980年代以降には電子レンジの低価格化に伴う家庭への普及があり、同時に家庭用の冷凍食品も広く受け入れられるようになった。 
そして、技術の向上によって冷凍食品の種類も多様化し、今日では、喫茶店等で出されるモーニングセットなどでも利用され、これらの業社向けのものが業務用冷凍食品として流通している。
ここ数年、冷凍食品の世界は随分と進化しているようだが、現在、とくに注目されているのは、「自然解凍」というキーワードである。朝、凍ったまま弁当に入れると、お昼頃には解凍され、おいしく食べられるという商品であり、特に子供が学校に弁当を持って行くという家庭に人気になっている。
その上、ひと昔前の冷凍食品のイメージと違って、最近では、製造技術が進化し、また、有名ホテルを含む名店や名調理人の名前を冠し、味をそのままに冷凍した高級志向の冷凍食品も登場しているなど、「冷凍だからおいしい」という時代にもなりつつあり、自然解凍の食材は、子供の世界だけでなく、サラリーマンの弁当にも好評のようだと聞く。また、電子レンジを使わないので、節電という意味でも注目を集めているようだ。
調理済みないしは、下ごしらえ済みであるため調理の省力化に役立つことから、飲食店から一般家庭まで広く普及している冷凍食品。
この冷凍食品業界は、ニチロ食品、味の素冷凍食品、極洋、日東ベスト、キユーピー、ヤヨイ食品、日本水産など大手水産や業務用専業メーカーがシェアー争いの上位を競っている(※4:の冷凍食品の販売集中度参照)。
こうしたシェア争いの裏側では、過当競争による収益力の低下が深刻な問題になっている。特に,家庭用は量販店の目玉商品として4~5割引が常態化しており、こうしたなか、大手メーカーを中心に分社化や内外企業との提携、中国をはじめとする海外生産拠点の確立など、グループ戦略の強化と業界再編の動きが活発化したており、最近では、加ト吉が、2008(平成20)年にJTの子会社となっている。
これらメーカーによる、国内生産量上位20品目を※3:日本冷凍食品協会の統計資料で見てみると、2011(平成23)年も、第1位はコロッケ、第2位はうどんであり、3位ハンバーグ、そして、カツが6位 となっているが、今日のテーマーであるメンチカツは20位までに入ってはいない(ここ参照)。
また、今日の記念日を登録した味のちぬやが、冷凍食品業界のどのくらいのシェアーを確保しているのかは知らないが、全国の量販店、惣菜、コンビニ、製パン、給食、外食など幅広いルートで冷凍食品を販売しているという味のちぬやのHPを見ると、同社は、これら冷凍食品の中でも、コロッケとメンチカツの販売に特化して、冷凍コロッケ、メンチカツのシェアー日本一を目指して日々営業活動をしているらしい。

日本における洋食は、幕末から明治期にかけて、西洋人のために開店した西洋料理店の料理がルーツである。
日本では獣肉食を忌避する習慣があったため、牛肉や豚肉を主体とする西洋料理は抵抗が大きかったが、明治政府が国民の体格向上のため肉食を奨励し、また明治天皇が自ら率先する形で、賄い方に命じ牛肉を膳に上せられたという新聞報道などもあり(※5参照)、庶民のあいだでも徐々に牛鍋などの形で肉食が広まっていった。
しかし、明治時代の日本において、西洋料理の食材を完全に揃えることは困難で、しばしば代用品が使われた。また日本人向けにアレンジが加えられたり、新たな創案が加わった。
そうして生まれた洋食に、カレーライスや、カキフライエビフライオムライスなどと共にコロッケが挙げられる。
そのほか、人気のあったものにカツ( カツレツとも呼ぶ)があった。
1897(明治30)年、和洋折衷料理という言葉が流行。Wikipediaによれば、東京には洋食店が1500店を数えたという。このうち、東京銀座の「煉瓦亭」は、ソテー料理であったカツレツを大量の油で揚げる調理法によって改良を行い、その後に大流行する「とんかつ(豚カツ)」など日本の洋食に大きな影響を与えた。

ワイフ貰つて、嬉しかつたが
何時も出てくるおかずはコロツケ
今日もコロツケ 明日もコロツケ
これじや年がら年中 コロツケ
アハハハ、アハハハ こりや可笑し

1917(大正6)年5月、浅草オペラで歌われた『コロッケの唄』が大流行した。
鈴木ヤスシと、南地みつ春による懐メロ版のコロッケの唄が以下のYouTubeで聞ける。面白い歌だよ。

コロッケの唄 - YouTube

憧れの西洋料理は今日も明日も食卓に上り、ついに家庭の味となった。
1903 (明治36) 年1月から1年間、報知新聞に連載され、大人気を博したことで単行本としても刊行されると、空前の大ベストセラーにもなった村井弦斎作品で、食道楽をテーマにした物語『食道樂』秋の巻にコロッケのレシピが掲載されている(※6:「『食道樂』 - 国立国会図書館」秋の巻154ページ参照)。
明治の洋食として日本に伝わった「コロッケ」のルーツはオランダにさかのぼるという。
蔵書の『朝日クロニクル週刊20世紀』(1917年号)によれば、「コロッケ」のもともとの語源はドライクッキーを意味するフランス語の「croquette(クロケット)」であり、お菓子としてオランダに渡来した後、クリームソースに牛挽肉を混ぜた立派な料理に育った。
作詩・作曲者は益田太郎冠者(本名太郎)。慶応義塾に学び、ベルギーに留学した三井家の御曹司にして、帝国劇場の文芸担当重役であり、劇作家というスマートボーイであったという。
増田家は、女中を3人も抱え、ホワイトソースをふんだんに使った高級料理「クロケット」を食していたのは想像に難くないが、歌われる「コロッケの唄」は似て非なる庶民の味。イモコロッケだ。すなわち、ジャガイモを茹でてつぶし、塩、コショーを加え、豚挽肉とタマネギを混ぜて揚げた、ご婦人のでんぷん質欲を満足させる一品であった。
日本人が改良したこの「コロッケ」は、同年の「実用割烹教科書」に掲載され、女学校でも経済的お惣菜として盛んに教えられていた。増田氏はこうした庶民の新婚家庭を見事に風刺した。
ジャガイモ(じゃがたらいも)は、オランダ領東インド会社の拠点ジャガタラから、オランダ船で伝えられたとされる。父祖の国の名物料理との思いがけない国・日本での出会いであったと言える。・・・と。
しかし、Wikipediaには、この年の洋食の値段は豚カツ13銭、ビーフステーキ15銭に対し、コロッケ25銭と、明治から大正にかけてのコロッケは高価な料理だったが、昭和に入り徐々に安価なものとなってきた(注記『おいしいコロッケ大百科』 アイフォレスト出版)。・・・と書かれている。
Wikipediaに書かれているような高価なものは今でいうコロッケではなく高級料理「クロケット」のことかもしれない。「コロッケの唄」が流行りだしたころには、今でいうところのコロッケに変身し、ちょっとハイカラな女性が好む家庭料理として定着していたのだろう。
その後安くなり、昭和初期の東京では、コロッケは肉屋でつくって売るものが惣菜として一般的であった。 まだ、肉屋で、薄切りのペチャカツでも、カツを買えるのは少なく、普通はコロッケであった。
戦後の私がまだ小学生の頃でも、コロッケは、肉屋で買うものであった。まだ、今のようにおやつなどもいろいろなものがない時代、市場の肉屋で揚げたてのコロッケを買ってもらって、その場でソースをつけてもらいおやつ代わりに食べるのがうれしくて、母親が買い物に出るといつもその尻について行ったのを思い出す。
本当においしかったな~。私たちが子供であった戦後のこのころにも『コロッケの唄』はよく歌われていたよ。
厚生省が実施している1986(昭和61)年の国民栄養調査によると、家庭でよく利用する夕食の惣菜の第1位は、コロッケであり、また、デパート、スーパーマーケットなどの惣菜屋で売っている惣菜のベストワンがコロッケ、以下、てんぷら、ギョウザ、焼鳥、フライであり、ファーストフードのコロッケは、10代の若者などにハンバーガー同様の人気があるようだ(※7:「国民健康・栄養調査|厚生労働省」の1986(昭和61)年国民栄養の現状参照)。

ホワイトソースに白身の魚や貝、エビなど高級な食材を加え、冷やして固め衣をつけて揚げた高級な西洋料理が日本に入ると、ジャガイモと申しわけ程度のミンチ肉の入った和様折衷の惣菜「コロッケ」に化け、日本人の味覚をガッチリと掴み、今日では、冷凍食品の生産量としてもトップを誇る存在になっている。
調理が手軽で安価である事から人気のコロッケは、日本各地で町おこしの為のご当地グルメとしても販売され、ジャガイモを主体とした「 ポテトコロッケ」は、混ぜる具材によって、肉(挽肉)を多く使用した「ミートコロッケ」ほか、「ツナコロッケ」、「野菜コロッケ」 、「カレーコロッケ」 「肉じゃがコロッケ」 「 ポテトサラダコロッケ」 「カボチャコロッケ」 「サツマイモコロッケ」、カニやエビを使った「クリームコロッケ」などさまざまな種類が存在する。

「ミンチカツ」と呼ばれるものは、豚肉や牛肉の挽肉にタマネギのみじん切り・食塩・コショウなどを混ぜて練り合わせ、小判型に成形し、小麦粉・溶き卵・パン粉からなる衣をつけて油で揚げたものをであるが、中華鍋などに入れた多量の油で揚げるか、またはフライパンで焼き上げる方法もある。
関東では「メンチカツ」と呼ぶ人が多いが、近畿地方、四国の一部などではこれを「ミンチツ」と呼ぶ。「メンチ」も「ミンチ」も“細かく刻む”という意味の英語「mince(ミンス)=挽き肉」が由来のようだが、新しくいことばが伝わる当初は、ことばの形が一定しないことがよくあるので、「メンチ」「ミンチ」両方の呼び方が生まれたのだろう(語誌参照)。
NHKの「お元気ですか日本列島」の”ことばの宝船”によると、メンチカツは、東京・銀座の洋食店が発祥らしい。そして、それは、先にも挙げたひき肉をパン粉で包んで油で揚げた「ポークカツレツ」を生み出した店で、同じようにまとめたひき肉を揚げて「メンチカツ」として売り出した。
一方、関西で初めてメンチカツを出したのは、神戸湊川の肉屋、「三ツ輪屋総本店」(神戸市兵庫区東山町4-23-6)であり、「三ツ輪屋総本店」2代目水野三次氏が、関東での修業時代にメンチカツのレシピを修得し、神戸に持ち帰って、「ミンチカツ」として売り出した。・・・とある(※8NHK「ことばの宝船」”メンチカツ?ミンチカツ?”参照)。
湊川の「三ツ輪屋総本店」は明治34年創業で、元祖ミンチカツ発祥地として知られてはいるが、私が神戸で他に知っている有名なところとしては、元町から大丸のある筋に下ったところにある神戸牛の老舗 「本神戸肉 森谷商店」(神戸市中央区元町通1丁目7−2。※9参照)がある。
同社HPによれば、創業は1873(明治6)年11月で、肉食の文化が日本に広まる前の頃、神戸港の開港とともに、外国人のご用達のホテルやレストランへ牛肉を納めていたという老舗である。現在は元町に店を構えているが、当初は神戸の中国人街「南京町」に店があったそうだ。
皇室への御料理肉の献上という栄誉もいただいているという。そして、但馬牛の仔牛を生産牧場で買ってきて、地元の肥育牧場でこの仔牛の生産から肥育まで一貫体制で育てたものを販売しているという。
そんな老舗が、厳選した国産ジャガイモと玉葱、じっくり煮込んだ筋肉を使ったコロッケは芳香な肉の香りが漂い、衣は薄くサクサクとしていて肉の甘みがあり美味しいと評判がよく行列もできる店である。また、ミンチカツの肉はミンチではなく、肉片を使っていて、衣を割ってみると肉汁がジューシーで、噛むと肉汁がじゅわっと出てきて美味しいとまた評判が良い。
神戸へ来られたら、場所も便利なところにあるのでぜひ一度立ち寄られるとよい。コロッケとミンチカツは冷凍にしたものも売られている。

上掲の画像は神戸元町・(株)本神戸肉森谷商店の冷凍ミンチカツ。画像は同社HPより。
森谷のコロッケは衣の薄いのが特徴だが、反面破けやすいのが難点。しかし、冷凍のまま説明書きにあるポイントをしっかり押さえて揚げると、自宅で揚げても、店で揚げたのと同じようにおいしく食べられる。

ところで、ミンチもメンチも mince(ミンス:挽肉)の事で、カツはカツレツ(cutlet:薄切り肉等に衣を付けて油で揚げた料理)の事。ミンチカツ(メンチカツ)は和製語であるが、ミンチ(挽肉)とカツ(薄切り肉)を組んでミンチカツとは面白い言葉だ。
挽肉を多く使用した「ミートコロッケ」をミンチコロッケと読んだりもする。みなさんおイメージでは、ミンチカツはカツレツですかコロッケですか・・・・?

(冒頭の画像はメンチカツ。Wikipediaより。)

参考:
※1:日本記念日協会
http://www.kinenbi.gr.jp/index2.html
※2:味のちぬや
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%84
※3:日本冷凍食品協会
http://www.reishokukyo.or.jp/
※4:類食品産業の生産・販売シェア もっと詳しく - 日刊経済通信社
http://www.nikkankeizai.co.jp/share.html
※5:浅羽昌次「明治時代における食肉事情」
http://okayama.lin.gr.jp/tikusandayori/0204/tks08.htm
※6:『食道樂』 - 国立国会図書館
http://iss.ndl.go.jp/api/openurl?ndl_jpno=41008841
※7:国民健康・栄養調査|厚生労働省
http://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kenkou_eiyou_chousa.html
※8:NHK「お元気ですか日本列島」ことばの宝船”メンチカツ?ミンチカツ?”(2010年5月11日放送)
http://www.nhk.or.jp/kininaru-blog/55108.html
※9:本神戸肉 森谷商店
http://www.moriya-kobe.co.jp/
洋食をもっと楽しむ
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/n412493/kit/ktindex.html
ジャガイモ博物館:ポテトエッセイ第35話
http://www.geocities.jp/a5ama/e035.html
冷凍コロッケの市場規模、メーカーシェア 2011年 | Mpac-マーケティング
http://www2.fgn.jp/mpac/_data/1/?d=002001
冷凍食品
http://www3.ocn.ne.jp/~eiyou-km/newpage121.htm