今日のことあれこれと・・・

記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

この町が好き

2010-01-17 | ひとりごと
2010(平成22)年の今日1月17日は、1995(平成7)年に起きた阪神・淡路大震災発生から丁度15年になる。
毎年1月17日は、東遊園地などの広場・協会などにおいて追悼式典が行われている。発生時刻の午前5時46分と、その12時間前と12時間後の午後5時46分に黙祷を行う。また、伊丹市昆陽池公園では、発生時刻の12時間前にあたる16日午後5時46分に黙祷を行い、ロウソクを発生時刻にあたる17日午前5時46分まで点灯している。神戸市中央区三宮にある東遊園地では広場に6,000本の灯篭で模った「1.17」が北側の神戸市役所庁舎正面に掲示される。また1995(平成7)年より毎年12月に、開催されている神戸ルミナリエの装飾は、イタリア人のヴァレリオ・フェスティ(Valerio Festi)と神戸市在住の今岡寛和の共同作品であるが、阪神・淡路大震災の発生を契機に鎮魂と追悼、街の復興を祈念して震災で激減した神戸への観光客を呼び戻す目的で毎年開催されているものである。
春は魚たちが とびはねる
さくらふぶきながす 芦屋川
夏は子どもたちが あそんでる
白いヨットはしる あしや浜
海と山をそめて きょうもまた日が昇る
この町がすき あなたがいるから
ひまわりのような えがおに あえるから
「この町がすき」作詞・作曲:後藤悦治郎
この歌は毎朝、芦屋市役所の始業時に流れている曲である。
芦屋市PTA協議会が、震災後に、市民を元気付けようと、「わたしの街芦屋」をテーマに市内の小学生から詩を募り、集まった詩をもとに「冬が来る前に」(1977年)などのヒット曲で知られているフォークデュオ紙ふうせんの後藤悦治郎さん(兵庫県西宮市在住)が、詩を書き直し、それに曲を付けたもので、この歌が出来たのは震災3年後の冬のことだと聞いている。
芦屋市内では、震災で建物は半数以上が全半壊し、死者も444名を出している。当時まだ、小学校の運動場には仮設住宅が残っていただろう。子どもたちが書いた詩を基に作られたこの歌は、芦屋市の庁舎だけでなく、市内の小学校でも唄われている。いわば、芦屋市の歌であり、CDには収められれおらず、広くは知られていないが、地元のコーラスグループなどの間で歌い継がれている。最後のフレーズの「この町がすき あなたがいるから ひまわりのような えがおに あえるから」…が好き。いい歌ですよ。 以下で歌が聞けるので聞いてみてください。
芦屋物語  http://www.ceres.dti.ne.jp/~mat/
阪神・淡路大震災では、全体で、死者:6,432名 行方不明者:3名 負傷者:43,792名の大惨事となった。大都市直下を震源とする日本で初めての大地震で、マグニチュード7.3、震度7の激震を記録した初めての地震であり、兵庫県南部を中心に大きな被害を出し、死者数は日本の戦後最多となった。被害状況等は阪神淡路大震災関連情報データーベース(総務省消防庁)神戸市 災害と戦災 資料館|阪神・淡路大震災震災記録写真(大木本美通撮影)等を参照ください。
私の住んでいる神戸市内では、家屋の倒壊の上に、火災が重なった。特に木造住宅が密集していた長田地域などを中心に、地震直後発生した火災の被害が甚大で、近隣の建物に次々と延焼。須磨区東部から兵庫区にかけても6,000棟を越す建物が焼失してしまった。私の家は山手にあり、難を逃れたが、家から火災にあった街を見下ろす感じになるが、町全体が火の海であり 、その火災から逃れて山の方へ避難してくる人達の群で町はごった返していた。救助の為の人員も足らず、水も無く、倒れた家屋の下敷きになったまま、助け出すことも出来ずに、火炎の中で生きたまま焼け死んでいった人達も多くいたと後に消防隊員などの話を聞いたが、今その時の光景を思い浮かべれば、それは正に火炎地獄図である。
今年は、震災から15年と言うことで例年以上に各地での追悼行事が行われている。
マスコミなどでは、良く神戸は復興した復興したといわれる。時の経過と共に道路網も整備され、家も建ち、表面上は復興したかに見えるが、それは外見的なことだけである。特に、建物倒壊と火災等により壊滅状態になった神戸の西部地域は道路網などの復旧も遅れ、又、土地・建物等の権利関係の複雑さも絡み、企業や商店の復興も遅れた為、優良な企業や商店そして、人なども比較的復興の早かった神戸東部の灘区や芦屋市あるいは西宮市方面へ移転し開業、また住み着いてしまった人達も多い。そのようなことから西部地域は商店街等再開はしても消費が回復していないところへリーマンショック以来の不況が重なり、未だに、かっての活況は取り戻せていないところが多い。住宅街も、かって建物の建っていたところが駐車場となっているところが非常に多いし、空き地のままとなっているところもまだまだ多い。震災以降、地域格差が広がった様に思う。神戸の灘区や芦屋市のような東部地域は確かにこの15年で、復興し、震災時より人口も増えているところが多い。その反面、西部地域は回復が遅れ、人口も減少したままだ。
私は、神戸生まれの神戸育ち、明治開港以来、港を中心に繁栄を続けてきた神戸の町が、そして、自分達が子供時代から過ごしてきたこの町が大好きである。早く元気に明るくなった町を見たいものだ。
神戸市長田区のJR新長田駅南の若松公園には、阪神大震災からの復興のシンボルとして作られた鉄人28号の実物大モニュメント(高さ18メートル、重さ50トン)も完成し、昨年12月4日には完成式典も行なわれたが、同式典で井戸知事は「震災15年を迎えるのにふさわしい長田の新たな守り神ができた。街に元気を与え続けることを期待する」と述べていたが、私も心からそれを願っている。今日1月17日には新長田・鉄人28号前からラジオ関西による震災関連生放送などもされているはずだ。多くの人が参加してください。
(画像左:神戸市広報課発行「震災10年~神戸の記録~」より、須磨区被災状況4。右:コレクションより、1986・10・21ピッコロシアター【正式名称:兵庫県立尼崎青少年創造劇場】での紙風船リサイタルのチラシ。後藤悦治郎と泰代の夫婦デュオ)
参考:
紙ふうせん - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%99%E3%81%B5%E3%81%86%E3%81%9B%E3%82%93
阪神・淡路大震災 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%AA%E7%A5%9E%E3%83%BB%E6%B7%A1%E8%B7%AF%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD
芦屋物語
http://www.ceres.dti.ne.jp/~mat/
神戸 災害と戦災 資料館|阪神・淡路大震災
http://www.city.kobe.lg.jp/safety/hanshinawaji/index.html
震災記録写真(大木本美通撮影)
http://www.lib.kobe-u.ac.jp/directory/eqb/photo/oogimoto/index.html
阪神淡路大震災 芦屋の記録~マグニチュード7,3の世界~
http://www.city.ashiya.hyogo.jp/quake/index.html
阪神淡路大震災関連情報で^ターベース(総務省消防庁)
http://sinsai.fdma.go.jp/search/index.html
ラジオ関西:阪神淡路大震災15周年関連特番
http://jocr.jp/event/shinsai/index.html
鉄人28号 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%89%84%E4%BA%BA28%E5%8F%B7