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記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

藤沢周平 (小説家『暗殺の年輪』)の忌日

2008-01-26 | 人物
今日(1月26日)は、小説家・藤沢周平 (『暗殺の年輪』)の1997(平成 9)年 の忌日
藤沢 周平(ふじさわ しゅうへい)、本名は小菅留治(こすげ とめじ)。1927(昭和 2)年12月26日、山形県東田川郡黄金村大字高坂字楯ノ下(現在の鶴岡市高坂)に生れる。実家は農家で、藤沢自身も幼少期から家の手伝いを通して農作業にかかわり、この経験から後年農村を舞台にした小説や農業をめぐる随筆を多く発表することになる。1942 (昭和17)年、山形県立鶴岡中学(現・鶴岡南高校)夜間部に入学、1946(昭和21)年、印刷会社に勤めながら苦学して同夜間部卒業後、山形 師範学校へ入学 。入学後はもっぱら文芸に親しみ、この時期の思い出は自伝『半生の記』(※1)にくわしく記されている。1949年(昭和24)年、 師範学校卒業後、山形県西田川郡湯田川村立湯田川中学(鶴岡市湯田川、現在は鶴岡市立鶴岡第四中学校へ統合)へ赴任 。1951(昭和26)年に集団検診で肺結核が発見され、休職を余儀なくされる。
翌年、東京の病院にて手術後は順調であったが、郷里での教員生活を断念し、これ以降、東京にて1959(昭和29)年、8歳年下の同郷の人と結婚。翌・1960(昭和30)年に(株)日本食品経済社に入社し記者となり、後に作家生活に入るまで同社に勤続。この頃はもっぱら純文学を志していたらしいが、1963(昭和38)年、長女が生れるも、10月に妻が28歳で急逝。このことにつよい衝撃を受け、やり場のない虚無感をなだめるために時代小説の筆を執るようになったという。翌年以降、毎年のようにオール読物新人賞に投稿を始める。1965(昭和40)年から本格的に作家を目指し藤沢周平のペンネームを使い始めたといわれている。
1969(昭和44)年、再婚。1971(昭和46)年 『溟い海』が第38回オール讀物新人賞を受賞し、直木賞候補となり、1973(昭和48)年『暗殺の年輪』(※2)で第69回直木賞。新進の時代小説作家として認められるようになり、この年最初の作品集『暗殺の年輪』 を文藝春秋より刊行。翌1974(昭和49)年より会社を退社し、本格的な作家生活に入り、この年より非常に多くの作品を発表している。 
初期の作品には暗く重い作風で、物語の中に自身の鬱屈した気分を流し込んだ、私小説と言ってよいものであったようだが、1976年刊行の『竹光始末』(※3)あたりから内容に変化が見られ、綿密な描写と美しい抒情性の上にユーモアの彩りが入ってきたといわれている。そのことから作品も徐々に多くの人に支持されるようになり、1978(昭和53)年に『春秋山伏記』(※4)と『用心棒日月抄』(※5)が刊行されるやその人気は一躍不動のものとなり、司馬遼太郎池波正太郎と並ぶ時代小説作家として遇されるようになる。特に『用心棒日月抄』は藤沢の代表作としていまだに高く評価され、根づよいファンも多いようだ。その後次々と名作を発表し、1976(昭和51)年からはオール讀物新人賞選考委員。1985(昭和60)年、『白き瓶-小説・長塚節』(※6)によって第20回吉川英治文学賞受賞。またこの年から直木賞選考委員。1988(昭和63)年、山本周五郎賞選考委員。1989年、『市塵』(※7)によって第40回芸術選奨文部大臣賞を受賞し、さらに作家生活全体の功績に対して第37回菊池寛賞が与えられる。1992(平成 4)年には文藝春秋より『藤沢周平全集』全23巻の刊行が開始される。1994(平成 6)年、朝日賞、第10回東京都文化賞受賞。1995年、紫綬褒章を授与される。この前後より、若いころの結核手術の際の輸血によって罹患した肝炎に苦しみ、1996(平成 8)年には入退院を繰りかえすが、病状は好転せず、惜しまれながら1997(平成 9)年1月26日に逝去した。享年69であった。没後、山形県民栄誉賞が贈られた。
同賞受賞理由に「藤沢周平氏は、数多くの時代・歴史小説などを残した。特に、英雄や豪傑が登場するわけでない市井(しせい)もので庶民の営みを描き、爽やかな余韻を残す読後感で、「癒しの文学」と言われている。 また、氏の故郷にあった荘内藩をモデルにしたと言われる、「海坂藩」が舞台となっている作品では、豊かな情景描写で、読む人に「懐かしさ」を与え、家族の情愛、夫婦愛など、哀歓あふれる作品となっている。「海坂藩」が舞台となっている作品には、庄内地方の方言が使われているものがあり、氏の故郷への思いが伝わってくる作品でもある。」・・・とあるように、江戸時代を題材とした作品を多く残し、中でも出身地、山形県鶴岡市にあった庄内藩をモチーフにしたと言われる架空の「海坂藩(うなさかはん)」を舞台にした作品は有名である。藤沢は、金峯山の山麓の閑静な農村・鶴岡市高坂地区で生まれた。生家跡地には、生誕の碑が建立されているそうだ。
藤沢は、多くの時代小説を残しているが、それら、藤沢作品で出版されたものは、以下参考に記載の「時代小説県時代小説村」か、以下を参考にされるとよい。
たーさんの部屋2藤沢周平作品データベース 「藤沢周平単行本・刊行年度順一覧」
http://www.j-real.com/ta-san/fjsw/fujitankou2.htm
又、藤沢の没後9年目にあたる、2006(平成18)年1月、新聞紙上で、『藤沢周平無名時代の作品発見』)が伝えられ、藤沢周平のペンネームも、初めてペンネーム「藤沢周平」を使った年が1965年ではなく1962年頃(又は以前)であったことが判ったという。同時に、無名時代の作品で所在が確認できなかった幻の短編14作品が、『藤沢周平未刊行初期短篇』として、文芸春秋 より2006年11月 に出版されている。1962(昭和37)年~1964(昭和39)年にかけて時代小説雑誌に掲載されたものだという。これらの短編には、庄内藩の武家もの、江戸の市井もの、職人ものなどが含まれていて、藤沢の作家としてのルーツを知ることができそうだ。その幻の短編の内容等は以下参考に記載の「たーさんの部屋2藤沢周平作品データベース・ 幻の短編特集」が詳しい。
そして、1年経った没後10年目に当る本・2008(平成20)年1月10日には、読売新聞にて、”「藤沢周平記念館(仮称)」の基本設計が9日発表された”ことが報じられ、”2009年中の開館を目指して、今後施設の建設が進められるとともに、具体的な展示内容も検討されるが、同記念館は、藤沢の作品にも登場する鶴ヶ岡城があった同市馬場町の鶴岡公園内に建設される。”という。その”基本設計では、「外見は質素で堅実、中は思いがけないほど豊かで充実した世界が広がっている記念館」を基本理念とし、樹木に囲まれ、荘内神社や大宝館など歴史的建造物も多い鶴岡公園の雰囲気に溶け込むたたずまいを目指すとしている。”・・・そうだ。(以下参考に記載の「藤沢周平記念館 2009 年中の開館目指す〔山形 : 地域 : YOMIURI ONLINE 読売新聞〕」参照。)
ここのところ、藤沢作品の評価が年々高まっており、NHKなどのテレビでドラマ化されたり、映画化されている。
庄内藩(しょうないはん)とは、出羽国庄内(現在の庄内地方)を領した譜代大名の藩。正式には城下町名を取った鶴岡藩であり、庄内藩は通称である。明治時代初頭に大泉藩(おおいずみはん)と改称した。鶴ヶ岡城は、明治時代まで酒井氏が治めていた。藩主の酒井氏は、戦国武将で徳川四天王の一人である酒井忠次の嫡流、左衛門尉酒井氏で譜代の名門の家柄である。
山田洋次が制作した「たそがれ清兵衛」(2002年)、「隠し剣鬼の爪」(2004年)、「武士の一分」(2006年)や、黒土三男が制作した「蝉しぐれ」(2005年)、の舞台である海坂藩は、この庄内藩がモデルである。戊辰戦争では、奥羽越列藩同盟薩長軍と戦い、連戦連勝しながらも、会津藩の降伏した後、明治と改元された9月25日まで徹底抗戦を行った。
1871(明治4)年廃藩置県により廃城となり、1876(明治9)年には城内の建築物は全て破却され鶴岡公園となった。山田洋次の1作目「たそがれ清兵衛」の主人公である井口清兵衛は常々家長としての役割を、自己も他者も意識させている。貧しい暮らしを支えるために、勤めが終われば即座に帰宅し内職や家事に勤しむ。周りから縁談を勧められるのも、まず「真っ当な家庭にする」ためであり、それを清兵衛が断るのも、貧乏故に幸福な家庭を築くことが出来ず前妻を失い、同じことを繰り返したくないためであった。しかし、2作目の「鬼の爪」で、主人公の宗蔵は、清兵衛と同じように貧しく、片桐家の家長であるが、劇中ではそれをことさらに強調していない。抱える妻子もなく、父の汚名で禄を減棒させられた片桐家を再興しようとの意志も見せない。独り身の気楽な若者として描かれている。前作と最も違うのは決闘する相手である。清兵衛の相手は妻子を失い希望も失った家長つまり、自分と同じ立場のものである。
「鬼の爪」の相手狭間弥市郎は友であり、藩の改革者であり謀反者である。宗蔵は逆に、上役に反発してはいても改革でもなんでもない。隠し剣鬼の爪で倒される真の敵は、宗蔵の私憤によるものだ。最新作の3作目、「武士の一分」で、免許皆伝の剣の腕前を持つ下級藩士・三村新之丞の仕事は藩主の毒見役である。美しい妻加世や新之丞の父の代から務める中間・徳平と平穏な暮らしを送っていた。彼の夢は、早く隠居して子供たちに剣術を教えることだったが、毒見の際に食べた貝の毒に中り失明してしまう。光の無い世界に慣れてきたある日、加世と番頭・島田藤弥との不貞を知ってしまう。島田に体を預けることを引き換えに家禄を保ってきたことを知った新之丞は加世を離縁。その後、実は島田は加世を弄ぶために家禄を口実に加世を騙したことを知り、島田に対し、自らの「一分」を賭けて果たし合いに挑むのである。前2作が夫婦愛を描くとともに、政争のために藩から命令されて刀を抜かざるをえなくなった主人公の苦悩(武士社会の不条理性)が描かれていたのに対し、3作目は武士の一分(面目)のための決闘といった単純な内容のものとなっている。ただ、目が見えぬハンディを負って決闘に挑むと言うところは、よくある西部劇に似ている。黒土三男の「蝉しぐれ」は、東北の小藩「海坂藩」の下級武士である義父のもとで政変に巻きこまれて父を失い、家禄を没収された少年牧文四郎の成長を、隣家の娘ふくに抱く淡い恋心を題材にしつつ描く。謀反を起こした父の子として、文四郎に数々の試練が待ち受けていた。そんな文四郎を支えたのは、以前と変わらぬ友情を示してくれた逸平と、ふくの優しさであった。「蝉しぐれ」は時代小説の最高傑作として高い評価を受けている。
同じ山形県出身井上ひさしは、藤沢の文章を「端正で切れ味のよい、それでいて、やさしくしなやかな文章」と評している。豪傑が天下国家を声高に語るのでもなく、完全無欠のヒーローが華やかに活躍するわけでもない。藤沢は、現代に生きる人たちの日常を歴史に素材を借りて時代小説に仕立ている。藤沢は、自分が選んだ仕事を大事に黙々と生き抜く人達が好きだった。それが、代表作『三屋清左衛門残日録 』の老主人公の言葉となる。「衰えて死が訪れるそのときは、おのれをそれまで生かしめた全てのものに感謝をささげて生を終えればよい。しかし、いよいよ死ぬるそのときまでは、人間に与えられた命をいとおしみ、力を尽くして生き抜かねばならなぬ。」その通りである。藤沢の作品は名もなき人々を暖かな眼差しで包む作風で愛されている。「癒しの文学」とも呼ばれる由縁である。
※1~※は。以下参考に記載の「時代小説県時代小説村」の藤沢修平の中に収録されているもの。
(画像は、コレクションの映画チラシ「蝉しぐれ」)
このブログの字数制限上、参考は、別紙にしました。以下をクリックするとこの舌に表示されます。
クリック → 藤沢周平の忌日:参考

藤沢周平の忌日:参考

2008-01-26 | 人物
参考:
Wikipedia - 藤沢周平
http://ja.wikipedia.org/wiki/藤沢周平
海坂藩 研究所
http://www.e-yamagata.com/unasaka/
藤沢周平 (フジサワシュウヘイ) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/cast/169216/
映画「蝉しぐれ」公式サイト
http://www.semishigure.jp/top.html
時代小説県時代小説村
http://lounge.cafe.coocan.jp/novels/
たーさんの部屋2藤沢周平作品データベース
http://www.j-real.com/ta-san/fjsw/index.html
仙台市 記者発表資料/仙台文学館特別展「藤沢周平の世界展」を開催
http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/houdou/06/180912bungaku.html
東京都文化賞・都民文化栄誉章
http://www.seikatubunka.metro.tokyo.jp/bunka/kenshou/kako/bunkashou.htm
山形県名誉県民・山形県県民栄誉賞 — 山形県ホームページ
http://www.pref.yamagata.jp/government/work/6020020meiyo_eiyo.html
武士の一分
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%A3%AB%E3%81%AE%E4%B8%80%E5%88%86
藤沢周平記念館 2009年中の開館目指す(山形 : 地域 : YOMIURI ONLINE 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamagata/news/20080109-OYT8T00434.htmhttp://www.yomiuri.co.jp/e-japan/yamagata/news/20080109-OYT8T00434.htm
鶴ヶ岡城 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B6%B4%E3%83%B6%E5%B2%A1%E5%9F%8E
荘内神社公式ホームページ
http://www4.dewa.or.jp/jinjahan/
山形県鶴岡市観光連盟
http://www.tsuruokakanko.com/
井上ひさし - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E3%81%B2%E3%81%95%E3%81%97
山形県鶴岡市 金峯山・金峯神社
http://www10.ocn.ne.jp/~kinbou/index.htm