五十の手習い足払い

五十歳を過ぎて始めたブログももう何年目?
山梨に住む新しモノ好きのオヤジが自分の趣味や日々の暮らしをつづります。

地味なミニカーといわれても

2013年06月06日 | ミニカー
ミニカー・コレクターというのはどなたもご自分のテーマに沿ったミニカーを集めているのでしょうが、そういう中でショップはおろかオークションにもめったに出されないミニカーというのが少なからずあります。

もともと発売台数が少なくて、なかなか市場に出回らないレアものもあるでしょうし、地味目で人気が無くてやはりオークションにも出されないというのもあるかもしれません。
いずれにしても持っているコレクターがしっかりつかんで離さないでいるのでしょう。

そうしたミニカーに出合い、自分のものにすることができた瞬間は、コレクターにとって何物にも代えがたいものだと思います(たとえ周りの人が何と思おうとも)。

(自分がモータースポーツに目覚めた)「1960年代後半からのル・マン24時間レース」を中心に集めている私のコレクションの中にもやはりそういうミニカーが何台かあって、今回は割と最近手に入れたものを紹介したいと思います。

私の手に入るのですから「幻の○○○」のような本当のレアものではありません。あくまで私にとってレアということで...。


冒頭に掲げた写真は1967年のル・マンで総合2位に入ったフェラーリ330P4の21号車。
この年のル・マンは新型のフォードGT Mk.IVを持ち込んだフォードとフェラーリの実質的な一騎打ちでした。
結果は7リッターエンジンを搭載したフォードGT Mk.IVに続いてカーナンバー21と24の2台のフェラーリ330P4が表彰台を占めました。



21号車のドライバーはM.パークスとL.スカルフィオッティ。
予選7位からのスタートで、12時間目には2位に上がりトップのダン・ガーニー/A.J.フォイト組(インディカー・ファンには懐かしい名前!)のフォードGT Mk.IVを追いかけましたが及びませんでした。
ちなみにフェラーリ330P4は4リッターV12エンジン。前年のフェラーリ330P3の進化型です。

フェラーリ330P4は全部で4台作られ(うち1台はフェラーリ330P3を改造したもの)、ル・マンでは敗れたもののデイトナ24時間とモンツァ1000kmのレースで勝利し、1967年の耐久レースの選手権をフォードの手から取り戻しています。
選手権の最終戦、ブランズハッチ6時間ではジャッキー・スチュワートもフェラーリ330P4をドライブして総合2位に入り、タイトル獲得に貢献しています。



モデルはBANG製、1/43スケール。
最近は、メイクアップという会社がアイドロンというブランド名で精巧なフェラーリ330P4(21号車と24号車)を販売していますが、私には全く手の届かない値段なので指をくわえて、このモデルがオークションに出るのを待っていました。

このメーカーのこだわりなのか(本物のクルマと同じ塗装を施しているという噂があります)、はたまたイタリアン・レッドの塗装色のせいか、蛍光灯などの映り込みが激しい画像になってしまいました。
そこで3枚目の写真はあえてストロボをたいてみましたが補助光の不足で周囲が暗くなってしまいました。
いつかはちゃんとした撮影環境で芸術的な(?)写真を撮ってみたいと思っています。

ちなみに総合3位に入ったもう一台のフェラーリ330P4、24号車(二人のベルギー人がドライブするベルギーの
チームからエントリー)は昨年の12月にオークションで入手。これで2台がそろいました。


2台目は、同じ1967年のル・マンで、大排気量のフォード、フェラーリを相手に総合5位に入ったポルシェ907 41号車。
あの(といっても知る人ぞ知る)ジョー・シファートがハンス・ヘルマンと組んでドライブした車です。



ポルシェ907は水平対向6気筒、排気量はわずか2リッターのエンジンでした。
ルマン用のロングテールの車体のため、正式名称は「PORSCHE 907/6L」というそうです。
「6」といのは6気筒の意味、当時排気量を拡大した新開発の8気筒エンジンがあったそうですが、24時間走行するための信頼性を考慮して6気筒エンジンを選んだのだとか。

予選は21位。排気量4リッター以上のエンジンを搭載した積んだフォ-ドやフェラーリなどが26台以上も出場したレースですから無理もありません。
決勝レースではほとんどトラブルもなく順調に24時間を走り切り、2台ずつのフォードGTとフェラーリ330P4に次いで総合5位(クラス優勝)に入ったのです。

ちなみにもう1台エントリーした40号車には、私の好きなもう一人のドライバー、ヨッヘン・リントが搭乗していました。
リントは15位あたりを走っていた100周目を超えたあたりでシフトミスによりエンジンを壊してしまいリタイヤ。いかにも走り屋のリントらしい。



ポルシェ907の特徴はそのなめらかなスタイリングにあります。
フェンダーのバックミラーさえなく、空気の取り入れ口も最低限のものにして空気の抵抗を弱めています。
横から見たスタイリングは、そのロングテールと相まって一度見たら忘れられません。
ポルシェ906、ポルシェ910と続いてきたポルシェの空力デザインの究極のかたちともいえるでしょうか。

ポルシェ906/910からポルシェ908への「つなぎ役」とみられ、クルマ自体が地味と受け取られているポルシェ907ですが、実はしっかりとした実績も上げていて、私の中では最近急速に「好き」なクルマになりつつあります。



上から見たポルシェ907。
サイド・ミラーの代わりに室内に取り付けたセンター・ミラーの視界を確保するために、リア・ウィンドゥに4つのスリットを開けてル・マンの車検をパスしたそうです。
リア後端のエア・スポイラーの前にちょこんと出ているのはリア・ブレーキなどを冷却するためのシュノーケル・タイプの空気取り入れ口。ル・マンのレースで初めて採用されたもののようです。

モデルはエブロ製、1/43スケール。
オークションではほとんど見かけず(出品されるのは1/64スケールのものばかり)、通常のショップでもほとんど掲載されておりません。
岡山にある通販のショップで見つけ購入しました。


最後は、フォードGT40。
1966年のMk.IIから1969年までル・マン四連覇を果たしたこの車群の中で、ジョン・ワイヤー・チームのガルフ・カラーに塗装されたフォードGT40は有名ですが、オークションなどに出品されるのはほとんどが1968年の9号車か、1969年の6号車(いずれも優勝したクルマ)。
この7号車は、デイヴィッド・ホッブスとマイク・ヘイルウッドが搭乗し総合3位に入った1969年のクルマです。



1969年といえばジャッキー・イクスのドライブするフォードGT40とハンス・ヘルマンのポルシェ908が最終ラップまでぎりぎりの争いを続け、わずか120メートルの差でフォードGT40が勝ったレースとして有名ですが、その陰(?)で首位から4周遅れで総合3位に入ったこの7号車はあまりにも無名なのです。

ガルフカラーのフォードGT40

で、ずっとこの7号車を探し続けていたのですが、本当に見つからないモデルなのですね。
ミニカーのカタログなどで少なくても二つのメーカー(BANGとユニバーサル・ホビー)から販売されていたことは分かったのですが、どちらも絶版になっており、オークションで出品されるのを待つしかなかったのです。
しかし、そのオークションにもまったく現れることは無く、ほとんどあきらめかけていた矢先、ネットオークションで偶然見つけた時は終了わずか30分前でした。



現在は優勝した6号車と並んで陳列台にならべてあります。
リヤ・カウルが開閉し、4.9リッターOHVエンジンを見ることができるのがご愛嬌。

モデルはBANG製、1/43スケール。


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