1969年10月10日に行われた日本グランプリ(日本GP)に出場し総合8位、クラス1位に輝いたポルシェ910。
カーナンバー16のマシンをドライブしたのは若干20歳の風戸裕(かざとひろし)さんでした。
このポルシェ910は、実は前年の日本GPでも生沢徹さんのドライブによって準優勝しています。
風戸さんは日本GP以降このポルシェ910で6回走り、優勝5回、準優勝1回という素晴らしい成績を挙げたのです。
風戸さんはこの後海外のレースなどにも積極的に出場し、1974年には英国のF2チームのワークス・ドライバーとしての契約を結ぶなど、「F1に一番近い日本人」といわれるまでになったのですが、1974年6月2日富士スピードウェイのレースで事故に巻き込まれ、わずか25歳の生涯を閉じることになりました。
この事故の影響もあって、有名な富士スピードウェイの30度バンクは使用されなくなったそうです。
ちなみに、漫画「サーキットの狼」の主人公・風吹裕矢の名前は風戸さんのファンだった作者が風戸さんの名前からとったというのは有名な話ですね。
このポルシェ910のミニカーはまだ発売されたばかりです。
昨年日本GP関係のミニカーを中心に集めだしたときから、ポルシェ910のミニカーが発売されることを願っていた私にとっては何ともうれしいニュースでした。
予約して待つこと数ヶ月、やっと手に入れることが出来ました。
若干実車よりも青の色が明るいような気もしますが、メーカーが資料に基づいて製作したのだからこんな色だったのかもしれません(私の記憶は当時の写真しかないのであいまいです)。
ミニカーには当時のレースカーに描かれていたマークなどが忠実に再現されています。
フロントカウルにも風戸さんの好きだった「不死鳥」の文字が見てとれます。
※モデルはエブロ製、1/43スケール。
カーナンバー16のマシンをドライブしたのは若干20歳の風戸裕(かざとひろし)さんでした。
このポルシェ910は、実は前年の日本GPでも生沢徹さんのドライブによって準優勝しています。
風戸さんは日本GP以降このポルシェ910で6回走り、優勝5回、準優勝1回という素晴らしい成績を挙げたのです。
風戸さんはこの後海外のレースなどにも積極的に出場し、1974年には英国のF2チームのワークス・ドライバーとしての契約を結ぶなど、「F1に一番近い日本人」といわれるまでになったのですが、1974年6月2日富士スピードウェイのレースで事故に巻き込まれ、わずか25歳の生涯を閉じることになりました。
この事故の影響もあって、有名な富士スピードウェイの30度バンクは使用されなくなったそうです。
ちなみに、漫画「サーキットの狼」の主人公・風吹裕矢の名前は風戸さんのファンだった作者が風戸さんの名前からとったというのは有名な話ですね。
このポルシェ910のミニカーはまだ発売されたばかりです。
昨年日本GP関係のミニカーを中心に集めだしたときから、ポルシェ910のミニカーが発売されることを願っていた私にとっては何ともうれしいニュースでした。
予約して待つこと数ヶ月、やっと手に入れることが出来ました。
若干実車よりも青の色が明るいような気もしますが、メーカーが資料に基づいて製作したのだからこんな色だったのかもしれません(私の記憶は当時の写真しかないのであいまいです)。
ミニカーには当時のレースカーに描かれていたマークなどが忠実に再現されています。
フロントカウルにも風戸さんの好きだった「不死鳥」の文字が見てとれます。
※モデルはエブロ製、1/43スケール。
福沢幸男さんや川合稔さんの訃報を聞いた時も涙したことも覚えています。
レーサーという職業に憧れた年頃だったので、これらの出来事は本当に衝撃的でした。
この頃現役だったレーサーの方々がたまにテレビに映ると旧友に会ったような気がしてホットしますね。
風戸さんと一緒にお亡くなりになった鈴木誠一さんという方もストックカーのレースでは抜群に強い方でした。
そんなベテランの方でも簡単に事故死してしまうなんて、信じられませんでした。
自動車レースが今に比べるとはるかに危険と隣合わせだったことを改めて痛感します。