ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

再び緊急事態宣言

2021年07月09日 | 日記

                              ヤマユリ
 7月8日、東京都に緊急事態宣言が再発出された。期間は8月22日までの6週間。かなり長い。この間オリンピックが開催される。
 菅総理は再三「国民の命と安全」を守ると言う。もちろん、国を預かる者としてこれ以上のものはない。今回は飲酒店を厳しく監視し指導していくようで、つまり前回同様の施策を厳格運用するとのこと。
 ところで、コロナ感染に関する専門家は、飲酒とコロナ感染をどう結びつけているのか。また、感染経路はどうなっているのか、明らかにしてほしい。もう2年も経つのだからはっきりしているはずだ。まさか、コロナウィルスが空気中に漂っているとでも言うのではあるまい。
 人間は各種のウイルスの宿主としてこれと共存し棲み分けしている。コロナも同じように共存できないものなのか。インド型デルタ株は弱毒化していることは明らかなので、感染、陽性化しても自然治癒していかないのだろうか。
 ところで、緊急事態は我々の行動(移動の自由、営業の自由、表現の自由、集会の自由など)を著しく制約する。こうした特別立法が憲法とどう調和するのか、以前にも指摘したことがあるが、政治家、法律家は、このことをもっと明確に再検討してもらいたい。
 そこで気になるのが、〈人流〉という表現。今まで、聞いたことがない。想像するに、人の流れは、以前だと〈移動〉という表現だったと思う。だから「皆さん、移動を自粛して下さい」という文言になったはず。それを人流と言う表現に言い換えたのは、何故なのか。
 推察するに、「移動」は憲法並びに民主主義の根幹である人権に関わる用言であるから、これを避けたのだと思う。
 権力者は思いを巡らすものだ。
 緊急事態宣言の感染を防ぐべき方策が、将来、あらぬ方向に向かわないように切に思う。【彬】

 

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オリンピック、無観客とかアルコール禁止とか

2021年07月04日 | 日記

      エノコログサ(通常、猫じゃらし)

 オリンピックの開催方法を巡ってあれやこれや取り沙汰されている。各種メディアは世論調査の方法を使ってそれらの賛否を問うている。騒々しいにも程がある。
 今議論になっているのは、オリンピックを無観客でやるかどうか、そしてアルコール類の販売である。

 オリンピックは、人間の能力がどこまで高まるのか、その体現者であるアスリートを称賛するためのイベントであって、だから8万人の観衆を収容する巨大な競技場が建設されたのである。無観客という選択はあり得ない。コロナの感染が心配だというが、現在行われている各種スポーツ会場で感染が広がったことがあるのか。観客の中でクラスターが発生した試しがあるのか。人流がなんとか、感染学者が言っているが、人の流れが多くなって感染が広がったことがあるのか。人流だけなら通勤電車が最も危ない。
 また、感染者についても、東京だと前週比50人増えたとかリバウンドだとか騒がしいが、公表されているNHKの統計では、人口10万人あたり1〜2人程度の感染者である。東京都は1400万人の人口だから、200人とか300人となる。十分な対策は大事だろうが、その過剰さが何を犠牲にしているか、よくよく考えて欲しい。
 一方で、競技場内でアルコール類の販売を禁止するという。
 スポーツを観戦しお酒を飲むという慣習は、野球くらいだ。このスポーツは間があるのでビールなど売りにくるが、通常のスポーツ観戦では高揚し、アルコールなど飲んでいる暇などないし、そうした行為が競技者に対する、どんなに無礼なことになるのか。観戦しながらお酒を飲みたいという人は、スポーツを見世物だと思っている人に違いない。禁止とか以前のマナーの問題である。
 イギリスのサッカー観戦で多くの感染者を出したと伝えられているが、映像を見るとさもありなむで、ビールを飲みながらはしゃぎ回っている。彼の国のサッカーはスポーツとしてのサッカーとは違う意味があるのだ。
 観戦が終わってから試合を振り返り、競技場を離れて大いに楽しむがいい。
 橋本聖子組織委員長はもとは著名なアスリートなのであるから、その辺の制御は心得ているはずだ。遠慮する必要はない。
 オリンピックは、セレモニーに終らず、アスリートを称賛する場でありたいものだ。【彬】
 

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