ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

訴訟の好きな左翼文化人

2016年07月22日 | 日記

  カンナが咲いています。

 東京都知事選が中盤に差し掛かり、各陣営のなりふり構わずのドロ合戦が始まった。そんな中、野党統一候補の鳥越俊太郎氏の淫行スキャンダルが衆目の的となっている。これを暴いた週間文春に対し、鳥越陣営は事実無根だとして、名誉毀損で文春を訴えた。

 選挙は一つの権力闘争だから、様々な策略が蠢くのは古くからの習わしでもある。

 ところで、従来、左翼と言われる人たちの場合、訴えるというより、訴えられる場合が多かった。社会常識に異議を唱え、変革する立場だから、現状を維持する人たちとのコンフリクトが強くでるのは当然である。今日の野党が左翼かどうか怪しいが、鳥越氏の場合、反安倍政権を標榜しての立候補であるから、名誉や地位とは無縁の、スキャンダルを跳ねかえすぐらいの弁舌と勇気があってしかるべきであった。しかるに、高名の弁護士に依頼し、名誉毀損を法的に問うと言うのでは、単なる市井の常識人の言辞にすぎなくなる。

 この鳥越氏の姿勢だけでなく、原発の停止訴訟なども同じだ。法は現在の安定を保障するものとして策定され機能しているのであって、なんら倫理的なものではない。何か、現状を変えたいと思うなら、未来に向けて変えるべく理念と事実を持って大多数の賛同を得る以外にない。名誉毀損とか、現状の審査を法廷に持ち込むというのでは、保守と革新の取り違いも甚だしい。私は今日の野党の言辞にほとほとうんざりしているのである。

 吉本隆明さんは既に20年前に次のように言っている。

 もちろんわたしは、かれら(注:反核運動の人たち=たとえば中野孝次らを指す)にむかって、君たちは「人類」としてそんなに「生存」が心配なのかとか、君たちは誰からも非難や批判も受けなくてすむ正義を独占した言語にかくれて、そんなにいい子になりたいのかと半畳を入れたいのだ。そして誰からも非難されることもない場所で「地球そのものの破滅」などを憂慮してみせることが、倫理的な言語の仮面をかぶった退廃、かぎりない停滞以外のなにものでもないことを明言しておきたい。=マスイメージ論・1988より。

 私たちは一歩も前に進んでいないのではないか。【彬】

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ウイリアム・アイリッシュ ... | トップ | 我が街の「夏祭り」 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事