ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

都知事選、自治と政党の関係

2024年07月13日 | 日記

          緑陰=ユリノキ

 今回の東京都知事選ではいろいろな課題が浮き上がってきた。

 街頭演説と演説妨害、ポスター板の乗っ取り、多人数の立候補、SNSの活用、etc. そんな中、私が気になったのは、地方自治と政党の関係である。

 政党が明確に立候補を立てたのは、蓮舫の立憲・共産のひとつだけである。NHKなんとかは問題外。自民党や公明、国民民主、維新など有力政党は候補者を擁立しなかった。なぜのか。情勢が不利だからというのだろうか。不利だから候補者を立てない、というなら、何のための政党なのか。

 東京の行政は自治の問題で、国政とは内容が異なる。条例は制定できるが、立法権もない。だから政党政治の役割とは異なっていて、候補者を立てなかったというのだろうか。もしそうであるなら、政治の放棄である。

 防衛を除外すると、国政の諸課題はまず自治体の問題として浮上する。いい例が沖縄である。沖縄に対する明確な指針がないから、普天間のような混乱がいつまでも続いている。東京の問題は何か。多岐にわたっているが、昔から問題なのが一極集中ということ。いっとき、国会の移転とか、持ち上がったことがある。あるいは学園都市構想。つくば学園都市はその後、どういう道を辿ったか。大学の郊外移転がどういうことになったか。飛行場も同じ。成田だけでは追いつけず結局、石原都政で羽田を拡大することになった。小池知事の場合では、築地移転で方向性をまったく失ったことは、つい先のことである。これらは今日の政治の根本問題である。

 東京にこそ、目には見えない政治の課題が山積している。それに向き合うのが内政そのもののであり、政党の課題のはずである。政党とは特定の指針の元に結集した活動家たちの集まりである。首都東京の自治に、党としての指針がないのか。立候補を立てないというのであれば。これは政党政治の放棄と言っていい。

 政治の変容は、世界的な動向でもあるのだろうか。民主政治という政体の中で果たすべき政党の役割は、都市の高度化とともに変質し、今ではほとんどその役割を終えたかのように見える。アメリカ、フランス、ドイツ、イギリス、しかり。産業社会の勃興のなかで生じた貧困層と富裕層の分離に由来する社会主義対自由主義が存立の根拠であった政党は、いま、存在意義を全くうしなったように思う。

 また、左翼とか右翼、保守とか革新、そんな対立軸は、現実にはまったく意味を喪失している。 

   この機運に乗じ、SNSやメディアを根城とした宗教まがいの独裁が生じないよう願うほかはない。【彬】

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