ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

主権ということ

2022年04月18日 | 日記

            ツバキ

 宇露戦争は、今日の経済社会の、原理的とも言える各種重要問題に様々な問題提起をしているように思う。
 その一つが主権(国家主権と国民主権)がどこにあるのか、ということ。
 ロシアは、ウクライナの東部地区にはロシア語を話すロシア系の人々が多数が住んでいて、そこはもともとロシアの領地であって、これからは共和国に認定するという。
 ここで問題になるのは、この地の主権は誰がどのように持っているか、ということになる。そもそも主権=ソブリン sovereign とは何であるのか。日本国憲法には、主権は国民にあると明記されている。つまり国民主権である。この考え方は、決して古くからあるものではない。その前は、帝国=ロイアル royal に主権はあるとされた。日本もその例で、戦前は帝国主義を貫いた。戦後になって共和制が当たり前になり、民主主義が定着した。そして主権は国民にあるとされるようになった。
 ロシアの現状をみるに、共和制とはいいながら、主権が国民にあるとはとても思えない。大統領は選挙で選ばれているというのも、単なる形式にすぎないように思える。問題なのは、形式ではなく、実質的に何が国民主権を保障するのか、ということである。
 以前にも触れたが、主権を保障するものは、国民の土地所有だと思う。つまり動かし難い財産(不動産)を国民一人一人が持っているかどうか。財産こそ権利である。社会主義では生産手段の共有化で、土地もその一環として国有化された。ロシアではその制度が未だ改変できないでいる。中国も同じである。個人の土地所有が保障されていれば、無理やりの鉄道の敷設や高速道の建設、さらにはマンションや工場の設置はできない。ロシアでのオルガルヒなどといった土地を何らかの手法で手に入れた人が、ガスや石油の開発で巨万の富を築くことなど、ありえない。土地の個人所有がないから、国家権力は自在に産業を操作し、専制することが可能となる。
 日本でも江戸期以前は土地は個人ではなく、領地として幕府や藩主が所有していた。
 このことから分かるように土地所有は単に経済の問題ではなく、主権のあり方と深く結びついているのである。
 このように言うと、土地を持たない貧乏人を蔑ろにするのか、と反論が出てこよう。しかしながら、社会主義思想=共産主義思想による、無産者階級=工場労働者の解放思想では、主権の問題が提起されてこなかったのも事実である。人権侵害などと言うが、元は主権の問題で、各種プロバガンダや情報によって人々を粛正したり抑圧するのは、主権の欠如によっている。ロシア・中国だけの問題にとどまらない。【彬】

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ロシアのことが分からない | トップ | マスクごっこは止めよう »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事