ぼくらの日記絵・絵心伝心 

日々の出来事や心境を絵日記風に伝えるジャーナリズム。下手な絵を媒介に、落ち着いて、考え、語ることが目的です。

ウイリアム・アイリッシュ 幻の女

2016年07月18日 | 日記

新訳本と秀麗なウイリアム・アイリッシュ

 夜は若く、彼も若かったが、夜の空気は甘いのに、彼の気分は苦かった。
 原文は、The night was young, and so was he. But the night was sweet, and he was sour.

 小説の冒頭である。
 日本語の、あるいは英語に素養のある人には、この一行が、極めて技巧的で、生鮮で、物語に引きずり込む魅力的な表現であるかが感得できるだろう。名訳といわれている。

 私の古くからの友人で、壮年で亡くなったが、二人のミステリー翻訳家がいる。石田善彦、大井良純の二氏である。私はこのふたりには大変な影響を受けた。特に大井さんには、ミステリーの面白さ、先進さを、なんどもなんども教わった。大井さんは戦後、神保町界隈で進駐軍が捨てていったペーパーバックスを漁って、アメリカの風俗に強く惹かれていった学生である。石田さんは札幌出身だが、戦後思潮のエセ民主主義に不満で、アメリカ文学に描かれた風俗に心酔していた。
 今から30〜40年前、当時まだ日本が高度成長期の中頃にいるころ、思潮の中心は中ソの社会主義思想と反スターリン主義が充満している一方で、アメリカの市民文化、あるいは都市文化の洒落た風俗に先進性をみる高揚した時期があった。若者がこぞってGパンをはいたのも、そうした風潮の表れである。その代表が植草甚一だったろうか。そしてこれらの動向を出版界で支えたのが、早川文庫である。純文学とは言えないが、知的で文化的な機知に富んだエンターテイメントであるミステリーやSFは、当時の若者や文化人の密かな楽しみとなっていた。翻訳陣も多彩で、田村隆一、鮎川信夫ら、荒地の詩人らが、生活の糧として参画していらから、その翻訳文は練りこまれたものであった。石田、大井の両氏はそうした流れの一端で活躍していたのである。 

 ところが、私にはアメリカが遠かった。せっかくのガイダンスも、作品の1つか2つ、読むので終わってしまった。私には、日本の農村とかマスコミとか、ジャーナリズムのことで頭がいっぱいであったのだ。
 そして、時が経て、先ごろ、亡き大井さんが薦めた「幻の女」の新訳文を、たまたま書店でみつけたのだった。それが彼の名作の冒頭である(旧約を全く踏襲している)。ニューヨークの洒落た雰囲気がまるごと包み込まれ凝縮されている。翻訳家の精髄がこもった文章でもある。
 早川文庫は、翻訳家の切磋琢磨の修羅場でもあった。そこに数々の名訳も生まれているのである。【彬】
 
 

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