よし坊のあっちこっち

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昭和の足跡(17)テレビとプロレス

2020年09月28日 | 昭和の足跡
小学校の頃は家にはまだテレビはなかった。家から数分の五日市街道の角にパン屋があって、そこにはテレビがあり、路地からでも観れるようにしてくれていた。そのテレビで初めて観たのがプロレスである。プロレスの時間になるとそこには人だかりが出来ていた。

戦後の日本人が生活の中で、何か「希望」を求めていた時代、颯爽と力道山が現れ、庶民を魅了していく。アメリカとの戦争に敗れた日本人は力道山がアメリカのプロレスラーを空手チョップでなぎ倒す様に喝采し留飲を下げていた。力道山とプロレスは当時の日本人に元気を与えてくれたのは間違いない。

力道山を筆頭に初期は相撲界からの転身が多く、次いで柔道界が続いた。タッグを組んだ遠藤幸吉がいた。火の玉小僧吉村道明、そして豊登、芳の里など。大木金太郎は頭突きで席巻した。その後、ジャイアント馬場、猪木が続いた。

それにしても、戦後の”日本興し”に半島出身者の力道山が一役かったのは、興味深いことだが、現在の半島情勢は北も南も酷いものだ。力道山も泣いていよう。