よし坊のあっちこっち

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昭和の足跡(6)プロレス

2019年12月18日 | 昭和の足跡
あの頃、日本にひとりの英雄が登場した。昭和30年頃のことである。当時我が家にはまだテレビなるもんは無かった。あるのは商売をやっている店くらいしかなかった。家から出て五日市街道に出る角にパン屋があった。そこにはテレビが居間に置いてあり、通りから見ることが出来る。パン屋もプロレスが始まる時は、窓を開けて皆が観れるようにしてくれる。そして、我がヒーロー、力道山の登場である。戦後の、まだ日本が立ち直っていない時期、大いに我々に活力を与えてくれた。何しろ、戦争に勝ったアメリカ人のレスラーがバッタバッタと倒れるのだから、こたえられない。この戦後のヒーローが半島出身だったと知ったのは遥か後のことである。

力道山と柔道の木村の戦いがあった。タッグを組んで喝采を浴びたのは遠藤幸吉。力道山の空手チョップを出し、遠藤がドロップキックを連発する。力道山が相撲からの転向だったせいか、その後相撲界から豊登や芳の里がやってきた。他にも色々居た。テクニシャンの吉村道明が繰り出す技に拍手喝采したものだ。変わったところでは木金太郎。日本人レスラーでは珍しい頭突きを得意としていた。彼も半島出身と聞いたのは後のことだ。やがて、ジャイアント馬場の時代となり、そこからアントニオ猪木が分かれていった。

外国勢もいろいろだ。力道山とNWAチャンピオンを争った硬派のルー・テーズ。華麗なテクニックで魅了したものだ。日本でタイトルマッチをやると、まず負けて力道山が株を上げる。しかし、帰国までに復讐戦があり、ベルトを取り返すことになる。プロレスはショービジネスだから、最後は戻るシナリオとなっている。他に原爆固めのカール・ゴッチがいた。悪役では銀髪鬼ブラッシーがいた。相手に噛みつき口を真っ赤にして襲い掛かる。アブドラ・ザ・ブッチャーもいた。このブッチャー、アトランタに住んでいるが、今から15年前くらいか、彼のレストランで会ったことがある。身近に見ると、愛嬌があり、馬場の思い出話をしてくれた。奥さんは日本人だった。プロレスファンのみならず、日本中に名を轟かしたのがザ・デストロイヤーだ。あの四の字固めは強烈だった。

あの頃、みんなプロレスで育ったようなものだ。