福岡発 コリアフリークなBlog

韓国や韓国語に関するオタクの雑学メモ。韓国映画はネタバレあり。 Since 2005/9.14

釜山湾の新ランドマーク

2024年07月26日 |   ┣釜山駅・草梁駅

△マリナG7

2024年夏のプサン訪問では、プサン湾の新しいランドマークとも呼べる
「マリナG7」の写真も撮った。


△右手の建物はプサン港国際ターミナル

釜山港国際ターミナルと釜山駅の間に挟まれたエリアに聳え立つ超高層の
ビル群だ。

ターミナルと駅を結ぶ歩行デッキともつながっている。



これまで、ブログ主とは全く無関係の建造物と思い、無視してきたのだが、
やはり、そうもいかない。


△歩行デッキからはビルの頂上が見えない

新感覚の図書館も入っているらしいので、近い将来、このマリナG7に足を
踏み入れてみたいと考えている。

(終わり)

フェリーなら1等以上

2024年07月26日 |   ┣ニューかめりあ

△まるで自分の部屋(ニューかめりあ1等和室)

フェリーでプサンに旅するなら、個室があてがわれる1等以上がおススメだ。

何度も同じようなことを書いているが、プライベートな空間が確保される
ことで、精神的な余裕も生まれる。

2024年夏のプサン訪問では、往路復路とも、ニューかめりあの1等和室を
使った。

(終わり)

40年ぶりのラーメン

2024年07月26日 |  ┣日本風


2024年夏のプサン訪問では、約40年ぶりに韓国のラーメンを食べてみた。

その昔、まだブログ主が若かりし頃、韓国の食堂でラーメンを注文すると
インスタントラーメン(調理済み)が出て来た経験をして以来、韓国の
食堂でラーメンを食べたことがなかったのである。

そんなブログ主の心が変わったのは、南浦(ナンポ)洞で「博多ラーメン」
の店名を見たからだ。



豚骨ラーメンにうるさいブログ主からすれば、決して美味とは書けない
までも、一定のレベルには達している、豚骨ラーメン入門レベルの優しい
風味のスープだった。



さすがに「ラー麦」を使った細麺ではなかったが、麺の方も一定のレベル
には達していた。



ただし、いただけなかったのは、メニューの中で見つけた「하카다」
(ハカダ)の漢字表記。



「博多」があるべき場所に、何と「袴田」(はかまだ?)なる意味不明の
漢字が印刷されているではないか。これには、気持ちだけではなく、舌まで
引いてしまった。

書くまでもなく、博多(福岡)とプサンは、対馬海峡を挟んで両岸に
位置する近しい関係にある。しかしながら、その本当の距離は、ブログ主が
思うほど近くはないようだ。


(終わり)

真のエバンゲリオン

2024年07月26日 |  ┣甘川・松島

△カトリック松島聖堂

2024年夏もイ・テソク神父記念館を訪問した。これで2度目だ。今回は、
前回よりも時間をかけて館内の展示物を見学させてもらった。



そしてすぐに、神父の人生に大きな影響を与えた「マタイによる福音書
(エバンゲリオン)」の25章40節を強く意識し始めた。気が付けば、展示
室内の至るところで目にすることになったからである。



ここでは、ユーバージョンウィキペディア)を活用して、マタイによる
25章40節の日本語訳を2つ、紹介しておきたい。



「あなたが、困っている人、苦しむ人に差し伸べる助けの手は、どれだけ
“世間に”見下された人間にだったとしても、それはこの私に差し伸べたのだ」
(ALIVEバイブル)



「わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにして
くれたことなのである。」(新共同訳)



神父の人生とオーバーラップする、このマタイによる福音書の一節は、
人生の晩年を迎えつつあるブログ主の心にも沁みる。

現実には難しいことではあるが、どんな人に対しても自分と対等な人間
であることを絶対的な前提として付き合っていきたいものである。


(終わり)


イ神父記念館の屋上

2024年07月26日 |  ┣甘川・松島

△イ・テソク神父記念館、手前左手が生家

2024年夏のプサン訪問でも、西区南富民洞のイ・テソク神父記念館を
訪れた。



そして、展示室を見学した後、展望エレベーターを使い、屋上に上った。



記念館の屋上からは、天馬山の麓に広がる南富民洞が一望できる。



プサンという街の特徴がよく見て取れる景色である。

(終わり)

イ・テソク神父の生家

2024年07月26日 |  ┣甘川・松島


2024年夏のプサン訪問でも、ブログ主は西区南富民洞のイ・テソク神父
記念館を訪れた。



これで2度目である。



今回の訪問の一番の目的は、前回の訪問時に間違えた神父の生家を確認し、
見学させてもらうことにあった。



神父の生家は、カトリックの松島聖堂のすぐ近く、記念館の真下に位置
している。

(終わり)

釜山劇場で映画鑑賞

2024年07月26日 |  ┣南浦洞界隈


2024年夏のプサン訪問では、プサン滞在の最終日(5日目)に、ナンポ
(南浦)洞の「釜山劇場」(現在はシネコン)で映画を見た。



見た映画は、当然、韓国映画の最新作。題名は「ハンサムガイズ」。



内容は、題名からは全く予想もできない、悪霊退治のホラー・コメディ。
グロいシーンも多かったが、ブログ主的には非常に楽しい映画だった。
5点満点で採点するならば、満点の5、と言ったところか。

(終わり)

5泊で5000円也

2024年07月26日 |   ┗駐車場

△帰国の朝、博多港は日本晴れ

2024年夏のプサン訪問は、帰りの船中1泊を含め、合計5泊5日の日程
だった。


△ターミナル前駐車場の支払いでは、紙幣は千円札しか使えない

ターミナル前の駐車場の料金は5000円。


△撮影は出発時

今回は、駐車料金の支払いに備え、出発前の段階で千円札5枚をそろえて、
別途、車中の秘密の場所に保管していた。


△出発の日、博多港では小雨に見舞われた

これからもそうしようと思っている。

(終わり)

チャガルチ散策

2024年07月25日 |   ┗チャガルチ


2024年夏のプサン訪問では、久しぶりにチャガルチを散策した。



やはり、チャガルチは稀有な観光スポットである。



歩きながら、つくづく感じ入った。



今回は、散策だけで食事は一切しなかった。



機会があれば、ゆっくりと「1人刺身」にも挑戦してみたいものだ。



それも、十分に可能に見えた。



何と言っても、チャガルチの神髄は、「見物」にではなく「食」にあるの
だから。

(終わり)

ブログ主の定宿

2024年07月25日 |  〇ホテルなど

△ある日の無料朝食

2024年夏のプサン訪問でも、プサン駅横の日系ビジネスホテルを利用した。


△駅の喫煙コーナーからホテルを望む(ホテルは館内禁煙)

ここ数年は、このホテルがブログ主のプサン訪問の際の定宿(じょうやど)に
なっている。

(終わり)

釜山の避難所の5言語

2024年07月24日 |  ┣南浦洞界隈


2024年夏のプサン訪問では、ナンポ(南浦)洞の地下街・通路入り口に
貼ってあった避難所の案内板が目に留まった。



案内板は韓・英・越・中・露の5言語で表記されている。



この中に日本語がないのは、単純に、外国人居住者・訪問者の中で日本人の
数が少ないからなのだろう。


(終わり)

プサン最後の夜に

2024年07月24日 |   ┣チャジャン麺

韓国映画の見過ぎなのであろうか?


2024年夏のプサン訪問では、最後の夜の食事にチャジャン麺(韓国式
ジャージャー麺)を選んでしまった。


店は、プサン駅前にある、韓国中華のファミレス風チェーン店だ。

△酢豚「半皿」新登場を宣伝する店内のポスター

初めて知ったことだが、このチェーン店では酢豚を大中小、さらに「半皿」の
4つのサイズから選んで注文することができる。


ブログ主は、その「半皿」を注文したが、この店の場合、残念ながら、
お味の方がブログ主の舌を納得させることができなかった。


チャジャン麺の方は、納得の美味だった。


なお、ビールは、奮発してここでもチンタオ。


合計で約2万4000ウォンの食事となった。


日本円では3000円に近い、旅先でしかできない贅沢な食事である。


(終わり)

チャガルチの犬

2024年07月24日 |  〇犬と猫


2024年夏のプサン、チャガルチで目にしたワンちゃん。



繋がれたままになっていたので、撮影のしやすいワンちゃんだった。



最初はブログ主に吠えていたが、途中から吠えるのをやめ、固まって
しまった。

(終わり)

プサンの農協マート

2024年07月24日 |   ┗チャガルチ

△「NH」が農協のこと

2024年夏のプサン訪問では、初めてチャガルチの農協系大型マートに
足を運んでみた。

駆け出しの農協組合員として、韓国の農産物(白米や野菜)の種類や値段に
関心があったからだ。


△エゴマの葉は、4束で1000ウォン(約120円)なり

ちなみに、今年、ブログ主が福岡の故郷で妻(プサン出身の韓国人)や
娘たちのために初めて作ったエゴマの葉も、商品としてちゃんと並んで
いた。

(終わり)

ウズベクの乙女たち

2024年07月24日 |   ┣中華・ロシア街

△店員ともロシア語以外の言葉(おそらくウズベク語)で話していた

2024年夏のプサン訪問では、プサン駅前のロシアタウン(中華街)の
レストランで、ウズベク人、あるいは高麗人(ウィキペディア)と思われる
若い女性客たちの会話を盗み聞きする機会があった。

店内のテレビ画面(おそらくインターネット放送)からはロシア語が
聞こえていたが、彼女たちの話す言葉は、ロシア語ではなかった。
(とりあえず、ブログ主はロシア語検定3級の「耳」を持っている。)

プサンにいながらにして、しばし、中央アジアの雰囲気の中に身を置き、
食事を楽しんだブログ主であった。

(終わり)