朝鮮の独立運動家、安重根が1909年10月26日、中国東北部の
ハルビン駅で明治の元勲、伊藤博文を暗殺してから、今日でちょうど
100年が過ぎた。
安重根の伊藤暗殺をめぐる歴史的評価は、南北朝鮮間も含め、
関係諸国でかなりの食い違いがあり、現代の視点から見ても、
非常に難しい問題だ。
「ヲタク」は、一応、「暗殺」という用語を使用しているが、もちろん、
この暗殺を「義挙」、あるいは「テロ」と見ることも可能だろう。
現在を生きる日本の韓国語学習者としては、自らがこの歴史的
事件をどう見るのかという問題は別として、せめて、この事件を
見つめる韓国社会の一般的状況くらいは知っておくべきであろう。
△10月26日のネイバー
韓国では一般的に、安重根の伊藤暗殺は民族的な「義挙」と
して手放しで称賛され、かつ、美化されているのが現状だ。
△10月26日ネイバー・フロントページのロゴ部分
ここでは、そういう韓国社会の状況を確認する意味で、韓国を
代表するインターネットポータルサイト・ネイバー(NAVER)の
フロントページを紹介し、あわせて国民日報の関連連載企画
記事から一部を翻訳練習してみた。
ご覧の通り、10月26日のネイバーのロゴは、安重根の伊藤
暗殺を称え記念するものとなっていた。ロゴの右下には
「안중근의사 의거100주년(安重根義士義挙100周年)」の
文字が見える。
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■[안중근 하얼빈 의거 100주년]
역사의 현장을 가다… 저격 장소엔 세모·네모 ‘암호 표시’만
[安重根・ハルビン義挙100周年]
歴史の現場を行く・・・狙撃現場には三角形・四角形の表示のみ
(国民日報 10月25日)
△安重根義士が伊藤博文を射殺したハルビン駅の
第1プラットホーム。現在、ハルビン市当局は、安義士が
伊藤を射殺するために立っていた場所に三角形の大理石
ブロック(写真右下)を、伊藤が倒れた場所には四角形の
大理石ブロック(写真右上)を設置している。
‘탕- 탕- 탕-’ 7발의 총성이 중국 헤이룽장성(龍江省) 하얼빈
(哈爾濱)시 중심가에 위치한 하얼빈역 플랫폼에 울렸다. 조선
병탄의 원흉 이토 히로부미가 나무토막 넘어지듯 쓰러졌다.
「パン、パン、パン・・・」。7発の銃声が、中国黒竜江省ハルビン市の
中心街に位置したハルビン駅のプラットホームに鳴り響いた。朝鮮
併合の元凶である伊藤博文が崩れ落ちるように倒れた。
1909년 10월 26일 오전 9시30분. 꼭 100년 전이다. 대한의군
참모 중장 안중근 의사가 일본 제국주의의 조선침략 원흉인
이토를 브라우닝 권총으로 격살한 시기보다는 1주일여
빠르지만 의거를 한 시각과 같은 지난 18일 오전 9시30분경
기자는 오가는 인파로 분주한 하얼빈역 플랫폼 역사의 현장을
찾았다. 위도상 하얼빈의 날씨는 한국보다 한 달여가 빨라
조금은 한기를 느끼게 했다.
1909年10月26日午前9時30分。今からちょうど100年前の
ことだ。大韓義軍参謀中将である安重根義士が日本帝国主義の
朝鮮侵略の元凶、伊藤博文をブローニング拳銃で射殺した時期
よりも1週間あまり早かったが、記者は、義挙の時刻に合わせ、
18日午前9時30分ころ、歴史の現場であるハルビン駅の
プラットホームを訪ねた。その時刻、駅のプラットホームには
大勢の客が忙しげに行き来していた。緯度的に見て、ハルビンの
気候は、韓国より1ヶ月あまり早く進むので、その日は少し
寒いくらいであった。
-以下省略-
△「今夜、お届けするのは、とって置きの曲です」
「ヲタクさんが、まだ、ウブでおませな
ハイティーンだった頃の思い出の曲・・・」
「Teri DeSarioのAll I Wanna Do(1980)」
△「憐れなり・・・」
「オマエは一体、いつまで、この哀しい
一人芝居を続けるつもりなんだ?」
(終わり)
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