ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
毎日更新しています。

皇室ウイークリー

2021-02-14 07:00:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

2月5日・・・天皇陛下 → 通常業務

      両陛下 → 政策研究大学院大学教授から進講を受ける

2月8日・・・天皇陛下 → 離任大使に会う

             認証官任命式

2月9日・・・天皇陛下 → 通常業務

2月11日・・・天皇陛下 → 三殿御拝

 

皇嗣家

2月1日・・・妃殿下 → 第25回結核予防関係婦人団体中央講習会」聴講(オンライン)

2月9日・・・両殿下 → 離任大使夫妻に会う

 2月8日 上皇陛下 生物学研究所に

もう皇室に対する話題も尽きていますよね。

だからなのか、掲示板などでも盛んに「過去の検証」が行われたりして。

今もって謎なのが「なぜ小和田雅子は入内できたか」そして「正田美智子の入内経緯」です。

勿論、徳仁親王の「ごゆっくり」疑惑もあるし。

でも一番謎なのは「どうして美智子皇后は徳仁親王だけを溺愛したのか」ということ。

子供が3人いた。秋篠宮と紀宮はあまり大事にされていなかった印象を受ける。

秋篠宮に関しては「別腹」疑惑がもう半世紀も伝説化しているし。

一体、どこの誰が流した伝説なのかと。

 

私も3人子供がいますが、長男は確かに初めての子で大切な存在であるけど、やっぱり紅一点の姫の方に目が向いたりするし、ある時は末っ子が可愛い!って思うこともあります。

年齢が上がれば上がる程、下の子の方が・・・って感じはなかったんでしょうか。

確かに美智子妃と紀宮はプライベート旅行をして、特別な関係を持っていたと思うのですが、でも内親王に「将来一般人になるんだから」と言って、わざと一般の幼稚園に通わせたり、それを旅行の理由付けにした事には、疑問符が残ります。

偏愛・・・っていうんでしょうかね。

退位を推し進めてでも息子が天皇になるのを見たいっていう気持ちは「私」そのものではないかと思うのですが。

いや、それよりも、結婚の時には「私よりも公を大事にするだろう」と美智子さんにおっしゃった筈の皇太子殿下が、いつの間にか皇室内の権力を全部妻に掌握されてしまったことが不思議です。

今の上皇も今上も、まるで妻の言葉こそが私の言葉とでも言いたいような感じで行動していますが、今上は気が弱いだろうと思う、でも上皇は少なくとも「自分」を持っていた筈なのになあ・・・と。

いよいよ、4月から両陛下の千代田への引っ越しが始まるとか。

そしたら次は「赤坂仙洞御所」ですね。

 

 

 


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10 コメント

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大丈夫でしょうか (しまき)
2021-02-14 08:16:10
ちょっと記事とコメントが違っていてすみません。

地震、大丈夫でしょうか?
特に郡山の御両親の安否は??
ネットを見てみたら、郡山在住の方のおうちの中の様子の写真がアップされていて、家具が倒れ、室内散乱、すごいことになっていました。
震度6強。。私は経験したことがないので、さぞや怖い思いをなされたのではないかと。
こちらは震度4でしたが、それでもとても怖かったです。長い揺れで、そのうち大きなのが来るのかとドキドキしておりました。
停電が起きている場所も多いとか。まだまだ寒いこの季節、体調を崩さないように、地震が強かった地方の方々、コメンターの方々含めてお見舞い申し上げます。

皇室については、本当にこういう災害になると、守られているなぁ~特別なんだなぁ~という気をさらに新たにいたしますですよ。
Unknown (猫カフェ)
2021-02-14 11:08:06
深夜の大地震のお見舞い申し上げます。
ヤフコメは両陛下の皇居引っ越し開始のニュースに例によって礼賛一色。上皇夫妻(上皇が独り身なら言われないんだろうけど)への嫌味一色、皇嗣御一家への批判一色もヤフコメの特徴。
ヤフコメ民に言いたいですが今上が今まで皇居に住んでないのはちっとも気の毒でもなく、荷物自分で運ぶでも掃除を自分でするでもなくお金も払いません。貶すことでもないけど礼賛不要なことです。
ヤフオクや知恵袋と違いYahoo!IDが表示されないから皇嗣家に対する酷すぎるコメントが多いですがYahoo!に報告は簡単に出来ます。
Unknown (コオロギ)
2021-02-14 11:57:13
ふぶき様
地震怖かったですね。
それにもかかわらず記事を上げて頂きありがとうございます。

美智子様が「徳仁親王」だけを可愛がったのは
彼が随所で子どもながらに母親である美智子様を
守るような行動を取っていたからだと書いているのを読んだ事があります。
秋篠宮殿下とは6歳違いますからその6年は母上
には長かったと言う事でしょう。
それに美智子様はご婚約が決まる前に欧州旅行を
なさっておられますが全部「大使館」が関わっていた
という噂もあり、記者団に質問されたこともあります。
それはすべて偶然ですという説明に終わりました。

雅子様の入内に関しては父親が皇室は勿論の事
世界の王族の生活を見て「浩宮様」が娘に気がある
と知るや強力に進めたという話が流布しております。

もしかしてこれはすべて ふぶき様 ご存知なのでは?

本来のコメント (しまき)
2021-02-14 14:20:43
お大変ではあったことでしょうが、まずはご実家皆様ご無事ということで安堵いたしました。

タイトルの中身に沿ったコメント
なぜ美智子様は浩宮殿下を溺愛したか。
それは、「美智子皇太子妃殿下」としての立ち位置を第一子男子が確立してくれたからだと私は思っています。

国民からは賞賛されて行われた結婚ですが、皇室内部では全く歓迎ムードではなかったと私は思います。苦々しい思いでいた方が女官も含めて多数おられたでしょう。上つ方の矜持とプライドといったらもう、それは我々には理解しがたいほどです。皆、手ぐすねひいて、美智子様の落ち度あら捜しをしたかったのでは。
実際、結婚してほどなく、「この結婚は失敗だった」と言い出す人が宮内庁側にもいた。過去のどこかで読みました。
でも結婚して1年以内に美智子妃殿下は男子を挙げられました。これは物すごく強い武器です。
当時昭和天皇の弟として秩父宮・高松宮・三笠宮がおりましたが、秩父宮と高松宮は既に子は望めない年齢に妃殿下たちがなられておりました。
子供のいない妃殿下の発言力は高くありません。
そして、次代の皇太子殿下の御母堂になった美智子様の発言力は強くなる一方。
美智子様は勝気な方だと思います。一族の栄誉と国民の人気をしょって皇室入りした自分にとって、「徳仁殿下」というアイテムは、美智子様の一生にとって必要欠くべからざるものとなっていったと思います。
Unknown (コオロギ)
2021-02-14 16:17:08
訂正させて頂きます。

現天皇陛下と秋篠宮様皇嗣殿下とは
学年にして6年違います。

失礼いたしました。
Unknown (コオロギ)
2021-02-14 16:18:00
訂正させて頂きます。

現天皇陛下と秋篠宮様皇嗣殿下とは
学年にして6年違います。

失礼いたしました。
Unknown (ゆきんこ)
2021-02-14 17:04:43
ふぶき様、ご無事でなによりでしたが、郡山宮さまがたはご災難でしたね。お見舞い申し上げます。

私もしまき様に同意です。
美智子様にとって徳仁親王は大きな救いだったのでしょう。
Unknown (はらちゃん)
2021-02-15 00:08:51
しまき様に同意です。
ご結婚されてすぐに生まれた第一子が、「親王」。
美智子様にとって浩宮様が、錦の御旗そのものだった。

しまき様のコメントにある「苦々しい思いでいた方も女官を含めて多数おられたでしょう」、これは事実です。
「美智子様は勝気な方」も含め、当時から事実として聞いております。
(でも、当時は信じていなかったのですよ…)

さて、記事のご日程のほうですが、
両陛下が政策研究大学院教授から進講を受ける。とあります。政策研究なんて聞いてどうするの?と思いました…
モヤモヤ (コオロギ)
2021-02-16 08:56:19
でもそのような理由があったとしても母としては
やはり3人の子を可愛がることは何故できなかった
のでしょうか。
特に次男である秋篠宮さまはもしもの時にはとても
心強い存在であったと思いますし、
紀宮さまは只一人のお姫様でご家族のまとめ役も
なさっていたと言われております。
この方がご結婚なさる時には皇室の今後を心配
なさった職員もいたという話を聞いております。
三人ともかけがえのないお子様だと思います。
子供は可愛いけど嫁は別、かも (しまき)
2021-02-16 13:58:25
コオロギ様のモヤモヤなお気持ち。

私てきには二つ思っています。
一つはこれからふぶき様がシリーズ物として、「聖女か悪女か美智子上皇后の肖像」を読み進めていかれると、おのずと納得する答えが出てくるのではないでしょうか。

もう一つ。
「息子の嫁」という存在。
息子は可愛い。でも息子の嫁はどうしても好きになれない、相性が悪い。嫁が来てから息子一家との意思疎通が和やかでなくなった。
世間一般よくある話です。

個人的な思いですが、美智子上皇后は、紀子妃殿下が男子を生み、紀子様の発言力が強まることを非常に警戒していた。はっきり申し上げて、気に入る嫁ではなかったんだと思います。ご自分が進めた縁組でもありません。また、このご結婚により、美智子様は端から嘲笑されたと思い込んでおられたかもしれません。我々庶民が幾らステキだと思っても、美智子様にとっては紀子様は「3LDK」のプリンセスであり、御自分的にはあってはならないことだったのです。

どのお子さんも皆可愛いのなら、秋篠宮家に産児制限なんてかけませんよ。むしろ産んでほしいと頼むくらいです。皇室には親王という存在が絶対的に必要だったし、孫の代には女子しかいなかったというのに。

紀子妃殿下は次代の皇太子を産んで自分の発言力を強めようなんて全然思われなかったと思います。
ただ、上の姉妹のために「秋篠宮家」の後継がお生みまいらせたかった。
佳子様を出産なされたときは、紀子様まだ20代です。
その一番産むにいいときを12年間も「皇太子家に遠慮しろ」と制限をかけてしまう。
そんな姑って、慈母ですか?
(その後のさまざまな検証により、産児制限をかけたのは上皇后美智子様だと判明しています)

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