ほんの少しですが、毎年のごとくの中禅寺湖へ行ってまいりました。
東宮家の事は言えないです。私もバカの一つ覚えのように一か所に行ってますので。
でもなぜってやっぱり涼しいからじゃないでしょうか?
では、今回は中禅寺湖畔で最近、公開された元イギリス大使館へ一緒にあるいてみましょうか?
右は湖、左は山です。
花模様のドレスに編み込んだ髪、麦わら帽子をかぶって自転車でクルクルっと走ります。
お隣の伯爵家にはもう誰かおいでになってるの?
晴れ渡っていて湖水が輝き、今日はボート遊びをするにはちょうどいいかも。
それともどこかで読書をしましょうか?
お母様は刺繍を仕上げてしまいなさいとおっしゃるけど、今はそんな気持ちにはなれないのよね。だって
こんなに素敵なお天気なんですもの。
山ブドウがなりはじめているわ。青くなったら摘んで食べてみたい。
「やあ、久しぶり」
あら・・・お隣の伯爵家の次男坊だわ。
「ごきげんよう。今年も避暑にいらしたのね」
「ここは母と兄のお気に入りだから。僕には少々退屈な気もするけど。でも今朝はいい事があったな」
「なんでしょう?」
「君に会えた」
なんてことをおっしゃるんでしょう?
「一緒に歩かない?自転車は僕がもとう。そこのイギリス大使館が解放されているんです。そこでお茶しよう」
「外国の方も多いのでしょう?私、英語は女学校で習っているだけで」」
「大丈夫。僕に任せて」
どうしましょう。はしたなくないかしら?
でも何となく連れられて道々、風に吹かれて歩いたの。
「ほら着いた」
「まあ、なんて綺麗な所」
中禅寺湖に建ってるそりゃあ素敵な建物。ロマンチックだわ。
あ、でもあまりうっとりしていると次男坊がほくそえんじゃう。
そんな顔、絶対にしなくてよ。私、つんつんするの。
「毎年来ているけれど、こんなに綺麗な男体山は久しぶりだ。やっぱり僕は運がいい」
「あ、私、お母様に遠出するって言ってなかったわ。それに今日は正式なドレスじゃないもの。髪が乱れちゃってるし・・」
「全く君らしくないね。お転婆は君の専売特許でしょう?お母さまには僕が言い訳して差し上げよう。どうか退屈な僕のお相手を」
そうやってわざと英国式にお辞儀をする彼の姿に思わず笑ってしまったの。
心地よい風が吹いていて、ついつい気が大きくなってしまったのだわ。
一階のテラスで大人の方々がおしゃべりしているわ。
私達が行くと「おープリティ」なんて言われたけど、なんとおっしゃってるのかしら。
「みんな君を美しいと言っているんだよ」
若君は何と言われているかしっていてよ。
「帝大で女の口説き方を教わっている」って評判なんだから。
お兄様はお体が弱いけどとっても優しい方。
でもこの人と来たら・・・・
テラスに手を引かれて歩いていくと、長椅子が。あちらには女王陛下のお写真が。
「ここはアーネスト・サトウが建築した建物なんだ。ほら、このガラス、ゆがんでいるだろう?古いものだからね」
「アーネスト・サトウって日本の方?」
「いや、違うよ。サトウという名字も日本のものじゃない」
「まあ」私ったら無知ぶりを見せてしまったわ。ばかばか・・・
「でも彼は日本人と結婚したからね。子孫は学者だ」
「先ほど、とても楽しそうい大使館の方とお話ししてらしたわ。あなたも将来は外交官に?」
「そうだね。そうなるだろうね。僕は次男坊だから家は継がない。自分で道を切り開かなくては」
「あなたならそれが出来るのじゃない?」
「君は?」
「私は・・もうすぐ女学校を卒業いたしますもの。そしたらきっと縁談が来るわね」
「やはり君のお相手は華族じゃないと駄目だろうな。僕のように将来、平民になる身ではだめだろう」
「あら、私、身分で人を判断したりはしないわ」
「そう。よかった」
書斎から外を見ると、どこまでも青くて穏やかな湖と山が見える。
何て美しいのかしら。風が一陣私と彼の髪を揺らして吹く。
「ああ、気持ちがいいね」
上着を脱いでシャツのリボンを外して袖をまくり上げる彼。
どぎまぎしてしまう私。
「日焼けなさっているのね」
「乗馬で鍛えているからね。こちらでは兄と一緒に釣りに興じるくらいしかする事がないけど。だから退屈なのさ」
階段を上る時「気を付けて」と手を差し伸べてくれた。女性の手とは違う、ちょっと力強い手。
へんね。毎年避暑で会っているのに・・・
「ほら、ここで本場英国式のアフタヌーンティーが味わえるんだよ」
まあ!なんて素敵な。
「彼女にはスコーンとミルクティを。僕はアールグレイをね」
目の前に現れたスコーンは大きくておいしそう。
「さあ、召し上がれ」
ブルーベリーとバターも自然でおいしいし、ミルクティも甘い。
そしてアールグレイの大人の香りが。
「君は本当においしそうに食べるね。僕はそんな風に楽しそうに嬉しそうに食べる人が大好きだよ」
「え・・・?」
思わぬ言葉にナイフとフォークが止まってしまったわ。
「私、食いしん坊じゃないわ」
彼が大声で笑ったのでそばにいた給仕までクスッと笑って。慌てて
「あなたは楽しそうに召し上がらないの?」
「兄は毎日食欲がないし、母も食べる方じゃない。食卓はいつも静かで殺風景だよ。僕はね、賑やかな方が好きだ。一つのじゃがいもを二人でわけあってわいわい言いながら食べるのが好き」
「ではこのスコーンも半分こいたしましょうよ」
ナイフでスコーンを半分にしてブルーベリーを塗るの。私の手から受け取ったそれを彼は本当に嬉しそうに口にいれた。
給仕・・・見てないふりをしてる。
美しい男体山。
「そうだ。午後からボート遊びをしよう。今日は晴れ渡っているし水は穏やかだし、ボートをこぐにはぴったりだ。兄も誘って」
「私、午後からは読書と刺繍の予定なの」
心にもない事を言ってしまった!
さっき、今日はボート日和って自分で思ったくせに。
でも今更・・・つんとおすまし。
彼はまた大声で笑った。
「お転婆さん、せっかく君にオールをこがせてあげようと思ったのに」
「え?ほんと?私、こがせて頂けるの?」
あ・・・・すでに彼の思うつぼ。
「では約束だ。今日は後尾はボートに乗って、夜はこの大使館での夜会に行こう」
「夜会があるの?」
「そう。みな、君の夜会服姿を見たがっているね。君の母上にはこちらから正式にお誘いしよう。どうだい?」
何だか楽しそうな夏。
「嬉しいわ。お誘い頂いて。ありがとう」
素直にそう言ったら彼は目を細めて微笑んだの。
まるで立木観音様みたいに。
「ダンスの相手は僕だけに」
恋の予感・・・・?
私の頭の中には愛染かつらの木の下にいる上原謙と田中絹代が浮かんでしまい、こんな邪念は捨てなくちゃって、思わずミルクティをぐいっと飲んでしまった。
アールグレイの上質な香りが空気に乗って私の鼻をくすぐる。
ダンスのお相手はあなただけね。