ふぶきの部屋

侍ブロガー、ふぶきが宝塚とドラマ、皇室からワイドショーまで語ります。連載中の小説もお見逃しなく。

水木しげるさん死去

2015-11-30 17:12:20 | ドラマ・ワイドショー

年末が近くなると、こういうニュースが多くなって・・・・

 

 30日。水木しげる氏が多臓器不全で死去

 享年93歳。

「ゲゲゲの鬼太郎」はアニメで見た記憶しかないのですが。

リメイク版はともかく、大元のアニメは本当に怖かったです。

戦争を経験されて、人の背後にあるものに興味を持たれたのでしょうか。

 

「ゲゲゲの女房」を見る限り、下積みが長く苦労された作家だったと。

でも奥様の献身的な支えがあって今の今まで生きてこられたんですよね。

娘さん達も非常に頼りになるようですし。

幸せな晩年を送られたと思っています。

 

ついこの間、佳子様が「水木しげる記念館」に行かれましたよね。

よいはなむけになったのではないでしょうか。

心からご冥福をお祈りいたします。

コメント (7)

秋篠宮殿下50歳に  3

2015-11-30 08:40:00 | 皇室報道

 両陛下について

秋篠宮殿下

ストレスについて、普段、例えば御所等で一緒に話をしている時に、

話題になったことはほとんどありません。で

すから、私として推測できるのは、例えばこの何年かで天皇陛下が2回大きな手術をされています。

前立腺がんと心臓の冠動脈のバイパス手術ですね。

特に後者については、その後の回復がそれほど早くなかったということもあると思いますが、

恐らくそれらの陛下のご病気というのが、ストレスの要因の一つにあるのではないかと思います。

もちろん非常に重い立場で日々過ごされていますので、

その他のストレスに関わることも幾つもあるとは思いますけれども、

それを今私が忖度(そんたく)をしてお話しするのは控えることにいたします。

ただ、普段非常に制約の多い中で生活をされているわけですけれども、

不思議なほど自由、そして、豊かな心というか精神の領域を

持っておられるのではないか

と私には見受けられます。

これからそういう領域の中でより多くご自身が過ごせる、もしくはその中で

自分自身を遊ばせるという言い方がいいのでしょうか、

そういう機会が増えていったらいいのではないかと思います。

 

紀子さま

皇后さまが心臓の検査を受けられることを伺い、私たちも大分心配いたしましたが、

検査の結果、様子がお分かりになり皇后さまもかえって安心されたようで、

私たちも安堵(あんど)いたしました。

両陛下には、どうぞお身体(からだ)を大切に遊ばされますよう、

お健やかな日々をお過ごしになりますよう、心から願っております。

 あたりさわりのない答えに終始していますが。

 「不思議なほど自由、そして、豊かな心というか精神の領域を持っておられるのではないか、

と私には見受けられます。

これからそういう領域の中でより多くご自身が過ごせる、もしくはその中で

自分自身を遊ばせるという言い方がいいのでしょうか」

のセリフには含みがあると思います。

「不思議なほど自由」うーん・・・・要するに自分勝手って事でしょうか。

私達国民はこの言葉から皇后陛下がますます「女帝」におなりあそばしたのかと

思うばかりで。

まあ、心臓の具合が悪かった皇后陛下についての質問ですので、当然ですが

天皇陛下に関しては何もおっしゃらないんだなあと。質問も出ないってことですね。

 「その他のストレス」ってつまり・・・アレですかねえ。

 

 秋篠宮殿下

 もう一つは(と、記者に質問を確認される)。

 記者 敬老の日にちなんだ施設訪問に行かれたご感想について。

 秋篠宮さま

 「敬老の日」の施設訪問、これは「こどもの日」の施設訪問と共に、

両陛下が非常に大切にされてきた活動だと私は考えております。

今年は私たちが「敬老の日」にちなんだ施設の訪問をしました。

来年も敬老の日にちなんだ施設になるのか、それともこどもの日にちなんだ施設に行くことになるのか、

これはまた皇太子殿下とも話合いをしながら決めていきたいと思います。

私たち自身この秋に施設を訪問して感じたのは、

例えば地方で何かの行事が行われるときに、その地域の特別養護老人ホームなどに

行く機会は今までもかなり多かったです。

ところが、私たちが住んでいるこの東京都内でそのような施設を訪れたことは、

あまりなかったように思うのですね。

そこでふと各地のそういう施設、特別養護老人ホーム等に行ってはいたけれども、

すぐ自分の身近な所のことがちょっとおろそかになっていたのかな、と思いました

(と、妃殿下の方を向かれ、お答えを促される)。

 え?もしかして「こどもの日」を担当するかも?両方?皇太子と相談?

  ますます荷が重い・・・・いや、国民にとってはその方が嬉しいけど。

 身近な都内の施設を訪れる機会は確かに少なかったですよね。

 紀子さま

 両陛下が長く大切に遊ばされてきました施設訪問を、

私たちも心をこめて引き継いでまいりたいと考えております。

 皇族の発言についてどう考えるか

 皇族の発言について言えば、一つは政治的なことの発言をしない。

これは、私は基本にあることだと思っています。

今質問にありましたイルカの追い込み漁について、

私は本年の日本動物園水族館協会の総会の折に言及したわけです。

これは、あくまでも日本動物園水族館協会は世界の動物園水族館協会に加盟している一つの組織であり、

日本動物園水族館協会に加盟している動物園、水族館が行っていく、

もしくは果たしていく使命の一つである種の保存活動を世界動物園水族館協会の一員として

果たしていくことが私は大事であると考えたわけです。

したがって、イルカの追い込み漁それ自体について、私は何か言ったつもりはなく、

あくまでも、文化の問題と組織の問題を分けて考えるべきではないかと、

そう思って話をしました。

また、皇族の情報発信といった場合、構成しているそれぞれの人たちによって考え方が

異なると私は思います。

私自身、ブログもツイッターもしていません。

私は、自分のことを自分から発信していくというタイプの人間でもありませんし、

恐らく今後も自分から例えばSNSを利用して、何か情報発信をするということは、しないだろうと思います。

ただ、情報発信というのは、やはり大事なことでもありますし、

それからもう一つは、皇族の情報発信と皇室全体としての情報発信とはまた別のことですので、

どういう形が一番好ましいのかということについて、これからよく考えていく必要があると思います。

 意味深長としかいいようがありません。ちょっと歯切れが悪いような気がしますが。

 ◆関連質問◆

 玉音放送を聞き、お文庫を見学した感想

玉音盤、私も聞かせていただきました。

今までよく映像で流れてきた玉音放送とは時間、長さなども少し異なるわけです。

今回この機会に貴重な玉音盤の再生ができたというのは、大変価値があると私は考えています。

そして、玉音盤と共に御文庫附属庫の方も映像が公開されたということは、

やはり、昭和の歴史の一端を知る一つの機会であると思います。

私自身、玉音盤と御文庫附属庫の見学を通して感じたのは、

感じたという表現は適切かどうか分かりませんけれども、

その時の昭和天皇がどのような気持ちでマイクの前に立たれ、

もしくは終戦を決める時にどのような気持ちで話をしたのか、そのことに思いをはせていました

 戦没者慰霊について

 「両陛下は、相当以前から戦没者への慰霊を、強く常に念頭に置かれていました。

今回戦後70年の機会にパラオの慰霊をされたわけです。

ずっと遡ると沖縄、一番最初は多分海洋博のときですから1975年、

私はまだ小学生の子どもでしたけれども、沖縄戦のことと共に、

戦没者を慰霊することについての話を折々に伺いました。

そういう中で私も私の兄妹(きょうだい)も育ちましたので、

そのことの大事さ、これからも慰霊していくことの大切さは常に頭の中に入れていますし、

そういう機会に、私自身も実際に慰霊祭とかですることがありますけれども、

慰霊する行為と共に戦争で亡くなった人たちのことに思いをはせる、

そのことの大切さを感じています。よろしいでしょうか。

 眞子さまの外国訪問について

 秋篠宮殿下

 彼女にとって初めての海外の公式訪問になるわけですけれども、

私の最初の海外公式訪問がブラジルだったのです。

当時22歳ぐらいで、もうちょっと若かったですね。

海外の公式訪問を通して、私自身も様々なことを学ぶことができました。

私自身はエルサルバドルもホンジュラスも行ったことがないので、

どういう感じなのかは分かりませんけれども、

やはり公式訪問を通して得ることは非常に大きいと思いますので、

様々な経験をしてきてくれたらいいな、と思います。

あなたは(と、妃殿下にお答えを促される)。

 紀子さま

 はい。12月の外国訪問は宮さまがお話しされましたように、

長女にとりまして初めての公式訪問となります。

今まで国内で、都内そして地方の公的行事に出席する経験をしていますが、

今回は初めて日本を離れて遠く海外でのお務めをさせていただきます。

私たちはこの前ブラジルから帰国しましたが、

その留守中にも関係者から話を聞き、自分でも本を読んでいたようです。

そのような準備をしながら、訪問の日を迎えることになると思いますが、

体調を整えて、訪問先でも元気に務めることができるようにと願っております。

 

全体的にかなり抑制された会見であったと思います。

そういう事情があったのかなと。

みなさまはどう思いますか?

 

コメント (6)

秋篠宮殿下 50歳に 2

2015-11-30 08:20:00 | 皇室報道

 戦後70年について

今年は戦後70年ということで、いろいろな展示があったり、

それから新聞などでも様々な戦争に関する記事が掲載されたりいたしました。

私も、今お話があったように玉音放送の原盤を聞く機会があり、

また、御文庫附属庫も見学をいたしました。

ただ、私としては、確かに70年というのはそのことをふり返る一つのきっかけになるとは思いますけれども、

そうでなくても、常に、戦争があったということを記憶に残しておくことが必要だと思います。

私自身は戦後20年たって生まれました。

ですから、物心付いた頃に、何かその痕跡みたいなものを感じるということはほとんどなかったわけです。

戦争のことをきちんと理解するためには、当時のことを知っている人から話を聞いたり、

書籍で読んだりとか、そういうことを自分で意識しながら行っていくことが大事なのではないか

と考えております。

 また、子どもたちでしたか。これは娘とも話したことがあるのですが、やはり娘たちの世代というのは、

非常に戦争のことを知らない。そのことを彼女たちは意識しているようで、

この70年という年を一つの契機として戦争のことについて知る努力をしていかなければいけない、

ということを話しておりました。また、息子はまだ小さいですけれども、

今年(行きました)幾つかの戦争に関連する展示、

それから催し等を通じて、だんだんと理解をしていってくれればよいかと思っております。

 ここでも、たとえ70年だからと言って特別にどうのこうのというのではなく

  常にこの事に関しては考えていくことが重要とおっしゃっています。

  日本はなんでも「〇〇周年」で盛り上がると、それで終わりみたいな空気がありますが

  秋篠宮家にとって「太平洋戦争」は永遠の研究テーマであるという事ですね。

 「娘」というのが佳子様なのか眞子さまなのかわかりませんが、20代のお嬢様と

  戦争の話が出来るという事が素晴らしいと思います。

 

 お子様方について

秋篠宮

まず長女についてですが、長女は昨年から今年の9月までイギリスで大学院の生活を送りました。

そして、その課程を修了して戻ってきたわけですけれども、

いわゆる専攻は博物館学で、取り上げたテーマが自然史とアートの両方にまたがる分野でした。

それを論文にまとめたのですが、そういう自然史とアート両方の要素を含んだテーマというのが

私自身にとっても興味深いところがありますので、そのことについて話をしたりすることがあります。

どうでしょうかと、妃殿下にお答えを促される)。

紀子妃殿下

長女は、昨年の秋から今年の9月の末まで英国の大学院に修学していましたが、

1年余りの修士課程の短い期間の中で博物館学の講義を受け、博物館実習に参加するなどし、

また、修士論文もまとめ、充実した日々を過ごしたようです。

また、私たちが10月下旬から11月上旬にかけてブラジルを訪問した際、

私たちの代わりに宮中行事や地方の式典に出席しました。

一つ一つを丁寧に深く考えて務めていると感じました。

一方で、留守の間、自分の弟の世話をよくしてくれ大変助かりました。

 秋篠宮さま

 次に次女についてですけれども、次女は今年の春から大学1年生をしているところになります。

結構忙しい日々を送っているようで、大学からの課題などもかなりあるみたいで、

それに夜遅くまで一所懸命取り組む日々を過ごしております。

少なくとも父親が学生だったときよりは、かなりまじめな学生生活を送っているようです。

 紀子さま

 そうでございますか。(と、殿下のお答えの「少なくとも父親が学生だったときより」の部分に、笑顔で応じられる)

次女は昨年の12月の誕生日に成年を迎え、幾つかの公的活動に携わる一方で、

今年の4月から大学生としての新たな生活が始まりました。

学業に励みつつ、公的な活動では、初めて式典であいさつし、

また一人で地方の行事に出席し、手話であいさつするなど、

慣れないことや緊張することもあったと思いますが、頂いた務めを大事に果たそうとする

けなげさが伝わってきました。

 これは私の感想ですが

秋篠宮殿下 → 眞子さま・・・・同じ研究者として話が合う身近な存在

        → 佳子様・・・単純に今時の「娘」として可愛い

紀子妃殿下 → 眞子様・・・頼りになる長女。たててあげる存在

        → 佳子様・・・自分の背中を追いかけてくれる可愛い娘

というような印象があります。

 

 秋篠宮さま

 次に長男のことですけれども、昆虫好きは相変わらず続いています。

ただ少し昨年までと違うのかなと思うのは、虫そのものもそうなのですが、

それが生息している環境に興味を持つようになってきています。

例えば、どういう環境のところで、自分の関心がある種類が生息しているのかとか、

そういう環境を、自宅の庭で再現できないかとかですね、これはビオトープ的なことだと思うのですが、

そういうことを考えるようになったりしています。

長男は自分の水槽を持っていまして、これは虫ではありませんけれども、

そこに川とか池で捕った魚を入れているのですが、

それが棲(す)んでいる雰囲気、水の中の様子を再現しようといろいろと試みているようです。

そういうところは少し去年から変化してきたかなと思います。

 紀子さま

 1年をふり返りますと、長男は以前からの興味が更に広がり、

また新たな興味も加わってきました。

田んぼの生き物などにも興味を持つようになり、そのほかでは、

今まで興味を持っていました昆虫の採集や飼育をするだけではなく、

今、宮さまが話されましたように、生き物が暮らす環境にも関心を向けています。

例えば、トンボやホタルなどが棲みやすい場所、好む環境を作りたいと、

自分の家の庭や御用地内を歩いて植生などを確かめ、また小川のところでは、

水の流れを止めないように枯れ葉や小さな枝を取り除いています。

ほかに興味を持っているものの一つに文字があります。

旅行先などで地図を見るのが好きで、書かれている漢字の地名や、

調べ学習で使う漢字辞書に載っている旧漢字を覚えることもあります。

また、世界の文字の絵本を見ながら、まねて書いたりもします。

このように長男は、知らない文字が分かるようになり、書けるようになることが面白いようです。

また、学校のことについてですが、3年生になりましてからも様々な活動に参加しています。

今年の春は遠足があり、また、公園探検や学校での宿泊もありました。

そこでは子どもたちがグループに分かれて、自分たちで計画を立て、係を決め、

協力して行動していますが、その後に、達成できたことや計画通りいかなかったことなど

活動の内容を振り返り、次の活動へつなげていく大切さを、

友達と一緒に学んだようです。なかなかすぐにできるようになるのは難しいことですが、

友達と一緒に長男は、早めに行動するよう心がけることに取り組んだようです。

これは学校でのお話ですが、家庭でも見られることがありまして、

それは朝学校に出かける時間を、余裕を持って守ろうとする様子が見られ、

こういう意識を持つことによって、日頃の生活の中でできるようになることの大切さをつくづくと感じました。

明日は小学校の音楽会が開かれる予定で、3年生のミュージカル劇を始め、

各学年が練習に励んでいるようで、子どもたちの発表を楽しみにしています

 一言でいうと、悠仁殿下は学者様ですね。理系の。型にはまらない印象です。

  帝王学だなあと感じます。

 でも「長男」という呼び方をあえてしているのには理由があるんでしょうか。

 

 佳子さまの注目のされ方についてはどのように受け止めていらっしゃいますか。

 秋篠宮さま

 メディア等で写真や記事等が頻繁に掲載されていることは承知しています。

実際にどれくらい注目をされているのかということは、私は知りませんけれども、

どのように受け止めているかといえば、メディア等に掲載される機会が多いということを

そのまま私としては受け止めております。

 紀子さま

 私もそのように思っております。

次女を含めて子どもたちの公的な活動の報道が、その分野の大事な事柄に対して

理解を深めていただく機会になればと思っております。

 そう答えるしかないですよね(笑)

  これが皇太子なら相好を崩して「嬉しい」とか何とか言われそうですが。

コメント (6)

秋篠宮殿下50歳に 1

2015-11-30 07:51:00 | 皇室報道

 秋篠宮殿下

お誕生日おめでとうございます  

いつまでもお健やかにお過ごしくださいませ  

 

 記者会見全文 

 この一年の感想・50歳の抱負

この1年もいろいろなことがありました。

その中で幾つか私自身の印象に残ったことを取り上げてみますと、

今年も非常に自然災害が多かったという感じがいたします。

例えば9月でしたでしょうか、台風の後、温帯低気圧に変わったところに温かい空気が入り、

非常な大雨を降らせたことがあって、広い地域で被害が出ました。

特に鬼怒川の堤防が決壊するなどして、大変大きな被害があったわけです。

こういう、特に局地的な大雨が以前よりも多くなっているように思います。

そのことは大変私も気になっています。

そして、これは昨年でしたが、広島市で土砂災害があり、この4月に私もその場所に実際に行ってきました。

映像などで見るよりも急峻(きゅうしゅん)な場所になっていて、

これは実際に行かないとやっぱり分からなかったと思うのですけれども、

日本はそういう所にも住宅が建っている場所がかなりあり、

今後の防災についてしっかりと考えていかなければいけないなということを思いました。

また、大雨でいうと、今日になるのでしょうか、八丈島でも50年に1度の大雨があったと聞いています。

雨は収まっているようですけれども、土砂崩れとかがないことを願っているところです。

 また、つい先日はパリで大変痛ましい事件があり、多くの人が犠牲になりました。

そのことも含めて尊い人命が失われていることや、

その国が誇る文化的な遺産が破壊されたりしていることも、大変残念に思っております。

 一方、今年もノーベル賞の受賞という大変うれしい知らせが先月ありました。

もちろん、ノーベル賞の領域に入らない分野ですばらしい業績を挙げている人も多々おられますので、

一つだけ取り上げるのはよくないのかもしれませんけれども、そ

れでもやはり、私たちにとって誠にうれしいニュースでありました。

しかも、地道な研究が評価されているということを感じました。

ただ、その一方で、今学術の世界でだんだん短期的な成果を求められるようになってきています。

例えば論文数ですとか、インパクトファクターの高いところに掲載されるかどうかなどですね。

それは非常に大事なことではあっても、それのみで学術・学問が判断されることになると、

地道に長い年月かけて行われて、良い成果が出るということがだんだんに無くなってくるのではないかなと、

気にかかるときもあります。

 深いなあと思います。

  災害の事一つとってみても、詳しいですし洞察力があるというか。

  ノーベル賞に関しては、取らなくても頑張っている人はいるから・・・・と配慮があり、

  一方で「短期的な成果」を求めすぎている部分もあるのではと危惧されている。

 皇太子の場合

 自分としては,もう50になったのかという感じがする一方で,

  まだまだ研鑽(さん)を積まないといけないという,これからだという思いがいたしております。

  これは学者で私自身も公私両面で,大きな変化を経験してきました。

  公の面では,両陛下のお導きにより皇太子に至る道を歩んでまいりました。

  私の面では,両陛下の温かい愛情の下で育ち,外国留学を含めて様々な経験をさせていただき,

  雅子との結婚,愛子の誕生により心温まる安らぎのある家庭を持つに至っております。

  「天命を知る」年齢に達するに当たって,両陛下を始めこれまでお世話になりました

  多くの方々へのご恩を忘れず,更なる自己研鑽(さん)に努める気持ちを新たにしております。

  それとともに,ご高齢になられた両陛下をお助けしていくことの大切さにも思いを強く致しております。

  ある殿下が日々感じている事なのだろうと思います。

 

 それ以外に、先日、日本とブラジルの外交関係樹立120周年の年に当たって、

私にとっては27年ぶりでしょうか、ブラジルを訪問いたしましたけれども、

この2週間弱の訪問も、私にとって大変印象深いものでありました。

そのときの印象につきましては、今、宮内庁のホームページに私の印象をつづったものが

掲載されていますので、ここでは省くことにいたします。

以上がこの1年の印象に残った出来事ということになります。

 その次は50歳の(感想と抱負)ですか。

年齢というものは非連続的なものではなくて、連続的なものですね。

ですから、私自身、50という響きについてはちょっと年を取った感じがありますけれども、そ

れについての何か感想があるということではありません。

また、抱負についても抱負自体が突然出てくるということではなく、

今までどおり、以前にもお話ししたように、

例えば公的な仕事の面ですと頂いたものを一つ一つ大切に務めていきたいと思っております。

私的には、以前から50の手習いで何かしてみたいなと思うことがないわけではないのですけれども、

それはまだ実行に移す予定もないものですから、ここではお話ししません。

 淡々とされているなと。それは子育てをしているからというのもありますし

   やっぱりここで色々語ってはいけないという配慮?

 「50の手習い」久しぶりにこんな言葉を聞きました。

コメント (6)

美智子さま81年の歩み   1

2015-11-29 11:00:00 | 皇室報道

 買ってしまいました。「別冊 宝島」編集の

美智子さま81年の歩み」

この表紙はいわゆる「朝日グラフ昭和34年新年号」のものでしょうか。

まるで芸能人のグラビアのような表紙でしたよね。

 

 

美智子さまの生き方

これを読むと、世論や印象操作をしている・・・という事の不気味さを感じます。

半世紀以上「悲劇の皇太子妃」の役割を演じ、それを疑いもしなかった国民。

ちょっと滑稽な感じがします。

そして、今もまたその操作は続いている。総仕上げ状態です。

これをそのまま信じる人達もいるだろうし、書籍となって文章となって残っている以上

実際は「違う」と声を大にして言ってもきかないというか。

それほど「ペンの力」とりわけ印刷されたものの力は大きいです。

「偉大なる美智子皇后の事績」に関して、どのような報道のされ方をしているか

細かくレポートしていきたいと思います。

 

 美智子さまの事績

 美智子さまの事績は、夫君である天皇陛下やお子さまへの愛情

  また国民の安寧や平和を願う慈愛の心から行われてきたものであり

  「開かれた皇室」「国民に寄り添う皇后」として新しい皇室像と評価される

 一方で、その歩みは決して安楽なものではなかった。

  伝統と前例を第一に考える宮中内部からの抵抗や、マスコミや世間からの

  バッシングの標的となり、極度のストレスから流産や失語症などを経験されている。

 (美智子さまは)幾多の困難の中にあっても、常に謙虚な姿勢で自らを

  省みて、家族や国民のために自らの信念を成し遂げてきた「生き方」そのものに

  あるのではないだろうか

 最初から「バッシング」の言葉が出てきます。具体的な内容はありません。

 「謙虚」な生き方に多くの国民は騙されてきたという事でしょうか。

 いくら「皇族」でも、ここまで「上げ報道」が必要なんでしょうか。

   これじゃまるで北朝鮮のようだと思いませんか?

   やりすぎです。

   「夫君である天皇陛下」・・・・・女帝の皇配殿下ですか・・・・・・

 

 

  美智子さまの名言

 わたくし、いい加減な気持ちであちらに行くのはやめようと思うの。

  全然知らない所へ一人で飛び込んでいって、ベストを尽くそうと思っているのよ

 (昭和33年。婚約発表後、友人に)

 民間初の皇太子妃としての皇室入りに象徴されるように、美智子さまが皇室史上で

  最も特筆すべきことは「行動する皇后」である点。

 「行動する皇室」

 思わず「いい加減な気持ち」だったんかいっ と。

 行動する皇后といえば、昭憲皇太后や貞明皇后の方が元祖ではないかと思いますが。

  「乳母制度の廃止」「家族一緒に暮らす」事が改革と言われても。

 子供をそだてるのは人間の心が中心になるので

  なによりもまず本人の幸せを望みたい。

  一番大切なのは、両親が子供の個性や発達の型を見極めて

  深い愛情と忍耐でこどもの心を大事にそだてることだと思います。

 意味不明の言葉にしか聞こえません。

  「本人の幸せ」というのは戦後の大きな価値観になっているので否定はしませんが

  将来、天皇となる子供の場合は「本人より国家の安泰を願う者」として育てるのが

  筋だったかと。

 この言葉を皇太子妃にはおっしゃる事がなかったという事でしょうか。

   あるいはご自身が「子供の個性や発達の型」を見極めなかったという事ですか?

 出産後

 「この子は将来天皇にもなる方です。日本国民、神からお預かりした宝です。

 自分の子ではいけないのです」

 とはいえ「本人の幸せを一番に望んで」いたわけで。

それとも「お預かりした宝」だから甘やかしたとも言えますか?

     ↑

  「この子」

 

 誰もが弱い自分というものを恥ずかしく思いながら

 それでも絶望しないで生きている。

 そうした姿をお互いに認め合いながらなつかしみ合い、励まし合って

  いくことが出来ればと、そのように考えて人とお会いしています

    (昭和55年の誕生日)

 固い決意のもと皇室入りされた美智子さまを悩ませたのが

  旧皇族や旧華族らによる、いじめともとれる対応だった。

 しかし美智子さまの謙虚な姿勢とお気遣いにより徐々に宮中の美智子さまへの

  風当たりは変わり、職員の中には隠れ美智子さまファンも増えていった。

 美智子さまへのいじめがなくなるまでには結婚後20年もの長い年月がかかったという。

 じゃあ、具体的にどんな事が「いじめともとれる対応」だったんでしょうか?

  例の「手袋事件」のような事が頻発したという事?

  あれは要するに「知らないのに知ったかぶりしてドレスなんか着ちゃダメ」ってことだったのでは?

  宝塚でもああいうドレスの場合、手袋は肩までしますのに。

 過去の写真を見る限り、とても「謙虚な姿勢」には見えないけど。むしろ

  皇太子妃の地位に甘んじて「私流プロトコル」を作り上げていったしたたかさを感じます。

 何でわざわざ「隠れ」ファンが・・・隠れなくてもいいじゃないの。

 (家庭を知らずに)25年もけなげにお歩きになっていらした東宮さまのために

  乏しい力の全部をあげてあたたかいホームを作ろうと決心いたしました。

   (昭和33年 朝日新聞記者へあてた手紙)

 皇太子「家庭を持つまでは絶対死んではいけないと思った

  皇太子さまは皇室の伝統によって生後、母から引き離され乳母によって

  育てられ「家庭」を知らない。

 美智子さま「今までの自分の見聞の中にも、読みました小説の中にも

  こんな寂しい言葉はなかったと思います」

 皇室の伝統の中で「乳母制度」というのは確かにあった事です。

  大正天皇などは昭憲皇太后の実の子ではないことを知り、随分傷ついて

  トラウマになった事もあったようですし、また、「家庭の温かさ」を知らない人で

  あったことも事実です。

  だけど、それが当たり前に過ごしていれば「寂しい」という感情はないのではないかと。

  大正天皇はオープンな性格で、子供たちを随分お可愛がりになったようですし

  要は「一緒にいる時間」をどれだけ濃密に過ごせるかではないかと。

 今上の場合、戦争中で父母である両陛下が非常に多忙を極めた事も、「寂しさ」に

  拍車をかけたのだとは思います。

   しかしながら、お姉さまたちもいたし、「働く両親」に育てられたら「寂しい」という

  ステレオタイプの家庭像を埋め込んだ正田美智子さんの価値観を疑います。

 「もう大丈夫、私はピュリファイ(浄化)されました」

   (平成6年 失声症の回復後に)

 なんだって「ピュリファイ」なんて言葉を使われたか疑問です。

 皇后陛下は結婚前から、何度もばたっと倒れる事があったようです。

  それはヒステリー症状と言われていますが、そうなんでしょうか。

  お妃教育の途中でも「皇后さまは私が民間出身であること以外に

  何がご不満なのか」と言って倒れ、大騒ぎしたと入江日記には書いてありますよね。

 非常にプライドの高さを感じます。

 「美しくて頭が良くてお金持ちの私が皇太子妃になる事の何がいけないのか」と

 そう思っていらっしゃるような。

  けれど、それは否定しません。だって正田美智子さんはまだ24歳だったんですものね。

 上記のセリフに裏に感じるのは

  「私は悪くない。私に悪意を抱いた人たちを許します」というキリスト教的な

  上から目線の慈愛であって、自らを省みているという姿勢ではないと思います。

 

 

 

 

コメント (5)

皇室ウイークリー

2015-11-28 17:20:00 | 皇室ウイークリー

ご日程

両陛下

11月20日・・・天皇陛下 → 通常業務

                   赴任大使に会う

          両陛下 → 赴任大使夫妻とお茶

11月22日・・・両陛下 → 皇太子殿下から挨拶を受ける

11月23日・・・天皇陛下 → 新嘗祭神嘉殿の儀(夕の儀)

11月24日・・・両陛下 → 勤労奉仕団に会釈

                 眞子内親王から挨拶を受ける

                 眞子内親王主席随行員に会う

        天皇陛下 → 通常業務

 

皇太子同妃両殿下

11月17日ー21日・・・皇太子殿下 → アメリカ訪問

11月22日・・・皇太子殿下 → 両陛下にあいさつ

                    賢所参拝

11月23日・・・皇太子殿下 → 新嘗祭神嘉殿の儀(夕の儀・暁の儀)

11月24日・・・皇太子殿下 → 新嘗祭神嘉殿の儀(暁の儀)

11月25日・・・皇太子殿下 → 第37回母子保健奨励賞受賞者に会う

                    勤労奉仕団に会釈

       両殿下 → 離任オランダ大使夫妻に会う

              国連難民高等弁務官に会う

11月26日・・・皇太子殿下 → オマーン外務省事務総長に会う

 

秋篠宮家

11月20日・・・眞子内親王 → 第1回外交団鴨場接待

         秋篠宮殿下 → 第54回農林水産祭参加全国林業経営推奨行事 賞状伝達贈呈式・

                    祝賀パーティ出席

11月23日・・・秋篠宮殿下 → 新嘗祭神嘉殿の儀(夕の儀)

11月24日・・・秋篠宮殿下 → 新嘗祭神嘉殿の儀(暁の儀)

                     生き物文化誌学会常任理事会出席

         眞子内親王 → 両陛下にあいさつ

        紀子妃殿下 → 兵庫県訪問

  ・ 兵庫県日赤有功会主催午餐会出席

  ・ 支部創立125周年記念兵庫県赤十字大会出席

11月25日・・・秋篠宮殿下・眞子内親王 → 平成27年度戦略的実務者招へい

                     (太平洋島嶼国政府関係者グループ招へい)被招へい者に会う

          紀子妃殿下 → 京都訪問

   ・ 平成27年京都府赤十字大会出席

   ・ 日本赤十字社京都支部主催ご昼食会

11月26日・・・秋篠宮殿下 → 大日本水産会「平成27年度水産功績者表彰式」式典

                     祝賀パーティ出席

                     研究会出席

 高齢の為、天皇陛下の新嘗祭神嘉殿の儀は「夕の儀」のみ出席。

 皇太子の言葉 「名誉総裁の任期は終わりますが、今後とも水や水問題に引き続き関心を持ち、

             取り組んでいきたいと思っています」

 

 常陸宮殿下 80歳に 

11月28日。常陸宮殿下は傘寿をお迎えになりました。

車いすの御生活とはいえ、お元気です。

 

 高円宮殿下 墓所祭 

 21日、高円宮殿下の命日に墓所祭。

皇族方しか出席しない・・・から、出雲大社に嫁いだ方はおでにならないの?

今年の変わりびな。佳子様と秋篠宮殿下。

 

 昭和天皇の未公開写真がみつかる 

 1945年12月23日に山端祥玉が皇居内で撮影。

 90枚

 1946年2月の「LIFE」誌に掲載用に撮影されたもののうち、掲載されなかったもの。

 12月1日から日本カメラ財団のサロンで公開

 

 

  見たいなあと思います。

   当時、「笑う昭和天皇」は掲載されなかったようで、「印象操作」の結果

   「LIFE」誌に写真が掲載されたらしいです。

 上記2枚を見るだけでも、昭和天皇と今上の「ふつうの親子関係」が見えますよね。

   どこが孤独で「家庭を知らない寂しさ」を感じたのか。

 一般庶民からみれば「堅苦しい」「しゃちこばった」親子関係に見えるのかもしれませんよね。

  でも「高貴」な方々の中では、これでも十分「くだけている」と思うものなのでは。

  親の前で姿勢を正したり、敬語を使えば「堅苦しい」と思うのは、本当に庶民だけ。

  皇太子は「孤独」の「こ」の字も知らなかった筈。

  でも「殿下、あなたはかわいそうなの」と教えたのは誰なんでしょうね。

 

コメント (5)

砂の城・こいきな奴ら

2015-11-27 07:00:00 | 昭和の少女漫画

 今回は一条ゆかりです。

彼女はとにかく作品が多い。初期から現在まで多いです。

大昔の作品は、どこかねちっこくて鬱っぽい作品が多く、

平静になると、突如はっちゃけて危なくてなんでもありの世界に。

今回は、重いのと軽いのをご紹介。

 

こいきな奴ら 1975年(りぼん)

金髪の双子、右がジュデスで左がジュディス。

上の帽子がクリームでサングラスがパイ。

 

こーんな非現実で危ない世界を描くなんて・・・と当時は思いました。

まずジュデスとジュディスは双子で男の子と女の子。

顔も髪型も全部同じなのに、しっかり男女の見分けがつきます。

二人は伯爵家の御曹司と令嬢。

ジュデスは超能力を持っていて、しかも天才。

ジュディスは武芸の達人だけど頭が弱い・・・二人はとても愛し合ってて

一緒のベッドで寝てます。

だけど、肉体的などうのこうのはないわけ。

両親が死んで一文無しになろうと、カジノであっさり城を買えるほど儲けたり

殺し屋やスリを友人に持ったり。

現実的にはこんなに金持ちはいないよなーーと思いつつ

そういう夢のような贅沢の中で暮らしつつ、事件を解決したり

互いの恋人に嫉妬したり、友達を助けたり

いちいちスカっとしますよね。

超金持ちが全てを解決していく話は、どこか「有閑倶楽部」に似ていますね。

一条ゆかり自身、お金持ちの娘だったけど小さい頃に破産して、貧乏を経験。

お姉さんの方は「金持ち時代」を知っている・・・

そんな経験がこんな設定を作ってしまうんだろうなあと。

とにかく、かっこよくて面白い。それでいて愛情いっぱい。

今時も十分に通用するお話です。

 

 砂の城 1979年 りぼん

表紙の女性はナタリー、後ろの男性はフランシスです。

とにかく重いっ!

どこか「嵐が丘」と似ているような気もしますが。

要するに、お金持ちの娘だったナタリーと、ナタリーパパに拾われた捨て子の

フランシスは次第に愛し合うようになる。

二人は結婚を約束するけど、両親亡きあと、叔母の陰謀で引き離されそうになり自殺を図る。

ナタリーだけは生き残り、フランシスは記憶を失って別な女性との間に子供を作る。

その間、延々とフランシスだけを愛しているナタリー。

やがて事実を知り、追いかけるも彼は人生を取り戻せず死亡、妻も自殺。

で、残された一人息子のマルコをナタリーが引き取って「フランシス」という名前で育てる。

その子とやがて対等に愛し合う・・・けど・・・・

ここまでくると「源氏物語」も入ってますが。

いつも亡き人を思ってはうつうつするナタリー、フランシスを愛してしまうと

今度は歳の差が気になり始める。

やがてフランシスに年相応のガールフレンドが出来ると精神に変調が・・・・

悲しくもどっぷりと地獄を見るお話です。

 

暗くても明るくてもとことんまで描く・・・それが一条ゆかりなんでしょうね。

コメント (8)

原節子さん死去

2015-11-26 07:32:07 | ドラマ・ワイドショー

 原節子さん死去 

9月に亡くなっていたことがわかりました。94歳。

永遠の処女」と言われ、「神様のよう」とまで言われた大女優。

その引き際の鮮やかさゆえに伝説の女優となりました。

 目が大きくてパーマがかかった髪。

ちょっと日本人離れした容姿は本当に美しい。

清々しくて清潔で上品で。

古きよき女優を体現したかのような姿。

 

私は結構戦前の映画を見るのが好きだったりして。

戦前の女優といえば

田中絹代 高峰秀子

高峰三枝子 山口淑子

入江たか子

轟夕起子

多分、戦前は目がぱっちりしている人が流行だったんでしょう。

 

原さんの戦前の出演作品・・・・「若き日の歓び」あたりを見た記憶が。

綺麗だけどそれほど上手とは言えない感じ。

演技力でいえば田中絹代だけど、彼女は好みではなかったなあ。

でも、田中絹代の「妃殿下」のような上品さったらなかったし、高峰秀子の元気な感じも

高峰三枝子の息をのむ美しさも大好きです。

 

原節子といえば「東京物語」でしょうね。でも、あれって主役じゃないでしょ。

出番だってそんなに多くはないし。

戦死した息子の嫁で、老いた舅姑に優しくしてくれる・・・という役どころ。

いいとこどりの役でした。

安城家の舞踏会」の方が綺麗だったんじゃないかな。

原節子という人はパッと見の美しさをぬけると、じんわりとした美に惚れます。

最終的に「こんなにきれいで上品な女優さんが日本にいたんだなあ」と

嬉しくなったり、逆に今を思って悲しくなったり。

古き良き日本人の象徴だったのかもしれませんね。

心からご冥福をお祈りします。

 

 

 

コメント (6)

綺麗ごとではすまされない問題です

2015-11-26 07:00:00 | 政治

 そういえば、うちのヨンジュナがよく真似して笑わせる「ののちゃん」こと

野々村元議員が裁判をドタキャンしたんですって?

「精神的に不安定」だからという理由で。

ワイドショーでは「こんな事うやってると強制的に出頭させられるのでは」などと

言ってたけど、ののちゃんが精神を病んだ・・・と言われても少しも不思議に思いません。

だってあの人、変だったもん。

どうやって議員になったんだ?という程、行動も言葉も何もかも変だったもん。

なるべくしてなった心の病とでもいいましょうか。

仮病だなんて思いません。「ああ、やっぱり」と思うだけで

だからって責任を回避していいって話ではないんですけど。

世の中には外国に行けるけど国内は20メートルしか歩けないお妃とか

スキーは元気に皆勤だけど、仕事になるととたんに「体調の波」がやってくるお妃とか

娘の授業参観なら7時間でも起きていられるけど、あとは昼夜逆転のお妃とか

いらっしゃるので。

ののちゃんも、今度は大野先生を主治医にして診断書を書いてもらえば?

トルコとロシアがぶつかって、ヨーロッパは沢山の難民が押し寄せて

そうかと思えばテロの標的。

どこへ行っても「民族問題」が台頭する中、石破君は何をいってるの?

人口が減る中で、移民の方々を受け入れる政策はさらに進めていくべき。

外国人が日本に来るのはだめというのはおかしい

何を時代と逆行したことを言ってるんだか。

さすがのヨーロッパでも難民流入を止めないと・・・・という流れになってるじゃない。

そもそも移民を受け入れる理由が

「人口が減るから」って・・・・それはないんじゃないの?

異民族ばかりになったら、日本は日本でなくなっちゃうじゃない。

そうでなくても、日本は十分に移民大国だと思いますよ

お役所にいればわかります。

私が住む町では1位・・中国人、2位・・・フィリピン人の順です。

日本人が海外で暮らすような「こんなところに日本人」的な夢や使命感を

持って外国に住む人たちばかりではない。

仕方ないから住む。でも心は祖国に・・・そのような人達が多数派になったら

どうなりますか?

石破君はバルカン半島の民族問題など、勉強してるの?

移民大国はどこも今、困ってるんですよ。

人道的な視野から考えるべきか、自国の民族性を優先すべきかと。

日本だけ「文明開化」の頃みたいな思想でやっていけると本気で思ってる?

 

言葉、習慣など、お互いに違和感を持つことがないような施策をやっていくことが必要だ。ま

た、安い賃金で働いていただくことはあってはならない

というなら、まず日本人の賃金を上げてくれないかしら?

かつての日本人がアメリカに渡った時もそうだったし、ブラジルへ行ったときもそう。

暮らしていけないから海外に渡る。

貧しい人達は移民してきても税金を払ってくれないんですよ・・・・

日本人のように、相手の国に同化していく民族の方が珍しいでしょう。

こんな小さな国に「小さな〇〇国家」を作られたらたまったもんじゃありません。

 

どうしてもというなら「お互いに違和感を持つことがないように」徹底的に

日本の価値観に従って、身も心も日本人になって貰わないと困ります。

ごみの出し方一つ、日本流に出来ない人が多いっていう現実をわかってますか?

役所で何か国語の「ゴミの出し方」があると思う?

そうまでしても、日本のやり方についていけない外国人が多いのに。

 

だけど、そもそものルーツを大切にするのが「民族性」じゃないの?

移民される国が移民者に気を遣って生きるのはおかしいし、人口の減少と

それとは別の話。

自国民に優しくない国が外国人には優しいなんて本末転倒でしょう?

なぜ人口が減るかって?

日本という国で子孫を残しても先が見えないからだよーー

老人は下流になっていくしかない。金持ちで強気の人間だけが生き残る日本では

子供が増えるはずがない。

っていうか、もっと「子孫繁栄」の為の施策をすべきでしょうが

日本の若い男女が「恋愛」「SEX」に意義を見出せず、頭の中で想像するだけでいいわー

なんて思うって事は、「他人」に興味を持たなくなっているから。

「女性が働きやすく、子供を育てやすい」世の中でいい・・・ってだけじゃダメです。

根本的に「本能」を磨かないとね。

あれ?変な話になっちゃった・・・・・・

 

成人しても親元を離れる事が出来ない。経済的にも精神的にも。

今より多くは望まないけど、今より下になるのは耐えられない人達。

欲はなく決して怒らず、いつもゲームして笑っている・・・・若者ばかりだから

人口は増えないんだよっ

「他人」と関わる事が「ふつう」になれば、互いに興味を持てば、知り合って

探していつかカップルになるんじゃないかなあ。

 

ということで、やたらグローバルを強調する綺麗ごとばかりの石破君の

考えには賛成できかねます。

 

コメント (12)

韓国史劇風小説「天皇の母」197 (逆襲のフィクション1)

2015-11-25 07:30:00 | 小説「天皇の母」181-

宮妃の懐妊は一部の心ある宮内庁職員からみれば、まさに天の助けだった。

2000年の歴史の重みを感じている人達はそれなりにいたのだが、

どういうわけか、今の皇室の中でそれを口に出す事は憚られた。

しつこいくらいに被害者意識で凝り固まった皇太子妃の振る舞いに

誰もがどう対処したらいいのかわからなくなっていたのだ。

 

新年を迎えて、新年祝賀の儀に出ないと思えば、

東宮御所でのどんちゃん騒ぎには元気に出てくる。

歌会始めに出なかった日に、堂々と皇居に上がって乗馬をする。

批判される事などおかまいなし。

逆に「抗議の乗馬」を書かせたりする。

 

午前中はだらだらと寝ている妃に注意する女官はいなかった。

夫と娘がどんな朝を過ごしているかなど興味がない。

夫婦で朝食が別なら昼食も別、無論、夕食も別である。

さすがに一人でレストランに繰り出すのは寂しすぎるので、

ママ友たちや、外務省の元同僚や、あるいは高校時代のクラスメイトなど

相手は忘れているというのに、突如「中華をごちそうするわ」と声をかけるのだ。

皇太子妃と言っても言葉はタメ口だし、話す内容は子育てとファッションの事。

自分がどれだけブランド品を持っているかとか

アメリカにいた頃はね」と自慢話をするのをじっと我慢して聞いて

いさえすれば、ご褒美はめったに食べられない高級料理。

しかも財布と相談せずに食べられるのだ。一時の幸せ。

だから、誰も断らない。

「友情」ではなく、金や物で人を操るやり方は、彼女が高校生の時から

いや、小学生の時から少しも変っていなかったのだ。

中には「それって全部税金よね」と思い、断る者もいたが、皇太子妃の「好意」を

無にすると、あとでとんでもない「仕返し」が来るので、みな身の安全の為に従うしかなかった。

う皇太子妃と付き合っていれば、あらゆる意味で「得」な事も多かったから。

 

国連大学に部屋を持ってベッドを入れたのもこの頃だった。

いわば「私室」を持ったのである。

「勉強」と称して国連大学の私室にこもり、そこで何をどうしようと、誰も入れない。

少しでも出かければマスコミは勝手に「少しお元気が出てきて幸い」と書いてくれるので。

また、六本木や青山の高級クラブの会員になったのもこの頃で

毎日のように夜でかけてはだらだらと過ごす。

そういう時は皇太子も一緒に「自由」な時間を過ごす。

どんな高級な酒も、誰も食べた事のない料理も、好きなだけ堪能できる。

二人でグラスを傾けながら、自分たちがどれ程恵まれているか、自分たちがどれ程

運がいいか、そんな話をしている時だけはマサコも上機嫌になるのだ。

あなた、こんなにおいしいワインがこの世にある事、知らなかったでしょ。

私は外務省時代にはいくらだって飲めたんだから

さすが外務省だね」

そうよ。お父様のコネを使えばこんなものくらい軽いわよ」

と言った具合だ。

 

皇室のしきたりや伝統を頭ごなしに否定する行動をとる皇太子妃。

時間を守らない。出るべき儀式には出ない。行きたくない場所にはいかない。

どんなに皇太子が妻を愛していても、ここまで生活の価値観が変わったら

一緒に生活など出来ないだろう。

皇太子は次の天皇であり、皇室の伝統を守る立場である。

「公の人」なのだから。

自然発生的に出てきた「離婚説」は皇太子が最終的に

己の役割を果たす事を選択するだろう、いや選択する筈だという思うの表れだった。

しかし、皇太子が最終的に選択したのは「妻に感化され、妻を正当化する自分」だった。

その年の誕生日会見。

昨年12月にマサコの最近の様子ということで,医師団の見解が発表されたのは,

病名と治療方針,現在の病状及び今後の課題について国民の皆さんに理解していただくためで,

これはあくまでも医師団の専門的な判断に基づいて行われたものです。

私ももちろんこの判断を尊重しています。

マサコもお医者様の治療方針に従って,努力していますし,私もこれからも支えていくつもりです。

マサコは皇族としての自身の役割と皇室の将来を真剣に考え,これまでも努力してきましたし,

現在もそのように考えて行動しており,私もそれに支えられています。

環境の改善を勧めた医師団の見解は,こうした私たちの努力を更に実現していくために

有意義なものであると考えてのことと思っています。

私自身マサコには今までの経験をいかしたライフワーク的なものが見つかると良いと思っています。

私自身が主として,今まで水上交通史を研究しており,そのことが,

いわばライフワークになりつつあることが,いろいろなことをする上で,

支えになっているように思うからです。

また,乗馬やテニスを始めとした運動も治療の一環として行っておりますが,

それも良い効果を上げているようで,今後も続けてほしいと思っています。

お陰様で,マサコは順調に回復しておりますが,

まだ回復の途上にあることを皆さんにもご理解いただき,

静かに温かく見守っていただければと思っております」

先年出した医師団の見解について「よくわからない言い訳のよう」という批判に対して

釘を打ち、その理由を切々と説明することで正当性を主張。

さらに乗馬やテニスなどの「遊びは出来るのか」という批判に対しても

それが治療なのだ」と封じ込める。

さらに、あまりに元気だとか回復しているとか言い募れば「公務をしろ」と

言われる危険性があり、ゆえに「まだ途上」と言い訳を用意。

温かく見守れ」とダメ押しも忘れなかった。

 

マサコの公務については,今少し,体調が回復し,公私にわたる様々な活動をしていく中で

考えていくことになるのではないでしょうか。

また,マサコの場合,最近も幾つかの公務を行いましたが,

これはあくまでも回復のための足慣らしの意味もありますので,

そのあたりのことを皆さんにはお分かりになっていただきたいと思います」

「公務」を「足慣らし」と言ってしまったことに彼は気づいていなかった。

それがどんなに失礼な意味があるかも。

宮中で行われている祭祀については,私たちは大切なものと考えていますが,

マサコが携わるのは,通常の公務が行えるようになってからということになると思います

皇族であれば「公務」より先に「祭祀」が来る筈なのであるが、これを

「足慣らしの公務 → 公務 → 祭祀」という順番にしたことで、皇室の存在意義を

あいまいにしたことも、また彼は気づいていない。

そもそも皇族が「祭祀」をせずに乗馬やテニスに興じ、気が向いたら「足慣らしの公務」もどきを

行うなどという価値観があったろうか。

なかったからこそ、誰もそれが間違っているとも正しいとも言えなかった。

今までにない価値観だったのだから。

さらに娘の幼稚園についても

アイコが幼稚園に進むに当たっては,私も親として,どの幼稚園に行くことが

本当に本人にとって幸せなことだろうかということを一番の大きな課題として考えてきまして」

などと身の程知らずの上から目線で言った挙句に「学習がいいのでは」と結論づけた。

そうかと思えば、妹の結婚に関して

どこらへんが幸せそうに見えたか」との質問に

まず一つは結婚式の当日ですね。その日の二人の様子を見ていたときにそのようなことを感じましたし,

それから結婚式の後でも何回か会う機会がありましたけれども,

その際に二人で交わしているいろいろな会話ですとか,本当にそのときの二人の様子から,

これは本当に幸せなんだなということを感じました」

と、何とも人情のない答え方をしている。

妹の結婚に関しては完全に蚊帳の外であったことを暴露したのだが、本人は

やっぱり気づいていなかった。

 

皇太子は記者会見が終わってもすぐに帰ろうとはしなかった。

一旦退場し、また戻ってきたのである。

びっくりする記者たちに

私が言いたかったのはですね・・離婚するのではとかいううわさが

たっているんですけれど、離婚はしないという事をわかってほしくて

と言い放ったのだ。

記者たちは皇太子が何をどうしゃべっているのか、最初はわからず

ただただ戸惑った。

額に汗をかいて、頬を紅潮させ、ちらりとドアの向こうをみやり、そして

「わかるでしょ」と言わんばかりに記者たちを見つめる。

皇室記者を長くやってきた者も、こんな姿を見るのは初めてだった。

 

皇室が揺れている。

誰もがそう感じた瞬間だった。そして陰で操っているのがだれであるか

知ったのである。

 

 

コメント (8)