夕方テレビ見てたら「コメ不足」をどうやって乗り越えているかの街頭インタビューが。
「お弁当が米からパスタに」
「子供のお弁当はお米を一杯、父の弁当はキャベツでかさ上げ」
「子供に食べさせないわけにいかないので」
これが令和の中産階級のセリフかと思うと、悲しくなると同時に「異常事態」だと思います。本来なら国会に武器持って「米よこせ!」と殴り込みをかけ、そこに外国米を出されたら「ふざけるな!」と暴力に訴え出てでも「米」の確保すべきなのに、なんて大人しい日本人。
近くのスーパーでも、朝はあるけど夕方はなし。
つまり米を買い占めているのは、開店と同時に店に入る事が出来る人。
格差の広がりに国民は内心恨まなくてもいい人に恨みを募らせる事態になると思います。
村上総務大臣なんか10日間くらい何も食べさせなくていいよね。国民の為に。
大臣クラスはもう「配給」にして米を減らし芋で食いつなぐべし。
さて。園遊会について、Xでは今回のルート分けが成功だと絶賛の動きが。
理由はこれ。
「かしまし娘」と名つけられた写真。
最初、瑤子女王と話していた紀子妃が久子妃に話しかけ、3人なかよくお喋りに興じて、皇嗣殿下は一人ぼっちで歩いていたと。
確かにそういう微笑ましいシーンがあったのも事実でそれは否定しません。
しかし、園遊会の意義は?と考えるとこれでいいのかと思わざるを得ないのです。
元々は明治に「観菊会」「観桜会」と言われ、井上馨が発案し、ヨーロッパの貴族社会にある社交を日本でもという意図で行われたもの。
外国人や著名人の他、恐らくは皇族方や華族もみな出席しさぞや華やかだったろうと思います。
次第にこれは社交から外交の役割を果たすようになりつつ戦前は終わります。
戦後は、華族制度がなくなり賓客は著名人とか勲章を貰った人、活躍した人になり、天皇他皇族が「声かけ」をするスタイルになりました。
当時は「現人神」が「人間宣言」をされた・・・でも昭和天皇への敬慕の念は消えず、
天皇もまた天皇らしい言葉遣いで招待者に接していたと思います。
天皇は国民に敬語を使う事はありませんでした。
「あ、そう。今日はよく来てくれて。国民の為にね」とこんな感じ。
おしゃべりな黒柳さんへの対応も「本が売れているんだって」と話しかけ、あとは聞くだけ聞いて「これからも」で締めておわり。
でもそういう会話を「敬語」にしたのは上皇です。
上皇陛下は「ですます」調で喋り、腰が低くなり話も少し長くなったかもしれません。
さらに後年は上皇にしがみつく美智子様の姿が頻繁に見られ、「なんじゃこりゃ」と思った人もいたのでは?
しかし、今上の場合、今回は特に今上より年上が多かったお蔭で、相手の方が「年上っぽい」話し方をしてまるで近所の長話状態。
ヨーロッパのような明らかな階級社会がなくなって久しく、招待された側が偉そうにしているのが今の園遊会であるならそこに意義があるのでしょうか?
出席者を労い、さらに「陛下のお蔭、皇族方のお蔭でまた力を頂けた」というのが本来の「声掛け」の意義であると思うし、えの広い場所でごちそうを食べ、日本にはない「社交界」の集いを経験出来るのも特権だと思います。
しかし。
佳子様グループは政治家とか、はっきり言ってよく知らない人達への声掛けを要求されていた模様です。
だって職員から「○○様です」の紹介もなく、いきなりテーブル挟んで皇族である佳子様が必死に気を遣って盛り上げて・・これっておかしくないですか?
愛子内親王は最初は食べ物の話で繋いでいたけど、佳子様を待ち続けるような仕草まであって、走るように追ってきた佳子様は一呼吸する間もなく「お食事は」となっている。
天皇皇后の「井戸端会議」も問題ですが、内親王方にこういう事をさせるってどういう事なのか?と思いますよ。
今や身位の違いすらわからないサマーズが愛子天皇の為にわけわからない理屈を述べ、バッシングにいたり、佳子様は隙を見せないように出来るだけ腰を低くして敬語でお話になる。
だけど将来の天皇の姉君がこんな状態で、悠仁天皇になった時によいと思いますか?
宮内庁も今回は天皇皇后の好みで客を選んでいると思います。
そういう事ではなく「園遊会に招待される事が名誉」でなくてはいけない。
その為には「皇族オーラ」全開で事にあたらないといけないのでは?と思うのです。
「手ほどきしますよ」「ノックしたい。伺いたい」「コマ割りが上手って褒められちゃった」こんなコメントを残す出席者なんて招待に値しないでしょう。
今一度「園遊会」の意義と、皇族の役割を問うべきと私は思います。
先日「オールナイトニッポン」に出演した彬子女王ですけど、マスコミは概ね好意的にとらえ、「身近に感じた」と言いましたが、本来それでいいのでしょうか?
「彬子女王という言い方は敬称ではなく、殿下をつける」とかおっしゃったそうですね。
そうなんだけど、そんな話題を口にする必要があったのか?と。
それなら「内親王と女王の違い」から入るべきでは?
ECサイトで買い物をしたり、まんが喫茶に行ったり、非常に自由な生活を送っているようですが、彼女もまた「皇族」である事を忘れてないか?と。
いや、忘れているというより、「皇族」と「庶民」のいいとこどりをしているんですね。
どこそこへ行く時は護衛付き、交通費の心配もなく芸能人の知り合いも多いから恐らく何を見るにしても最上の席で見る事が出来る。
理由をつけて外国へ行く事だって出来る。
みんな平伏する。だけどネットで買い物を楽しみ、別邸を持って東京と行ったり来たり。瑤子女王もまた芸能人が大好きなようで、特権使って写真に収まったりしてます。
彬子女王からすれば「私は働いて収入を得ているのだから何しようと勝手」と思っているかもしれないけど、皇族費と私的収入の二重取りはどこまで許される事なんでしょうか?
この承子女王もまた、園遊会ではほぼタメ口みたいな話し方をしています。
現在本人曰く「OL」生活で彼氏がいるけど結婚する気はない。
夜の街で飲み歩くのがお好きらしい。
護衛を巻くのが好きと言われた事もあるし、過去には留学してやりたい放題。
早稲田に入るも結果的に追い出され。
その学費、留学費用、飲み代、全部税金の一部なのです。
末端宮家で、最近は顔すらわからない庶民が多いからハメ外してもいいと思っているのかもしれないし、「働いている」意識もあるのだろうけど、昨今の物価高で困っている国民感情を考えると、「女王方の自由過ぎるご日常」は問題です。
学歴が~~とか留学した~~と御自慢されているようですけど、今の皇室財産は全て国民の税金である事を考えて頂きたい。
「皇族」として学歴や職歴を手に入れたら、もう臣籍降下して頂きたい。
ただでさえ、天皇家のせいで皇室の威信が地に落ちているのに、これ以上は勘弁してほしい。
ローマ教皇は、その地位に着くとスマホ禁止テレビ禁止外出禁止と様々な生活上の束縛を受けるそうです。なぜか。「禁欲的な生活」によってカリスマ性が研ぎ澄まされるからではないでしょうか?
カトリックの総本山であるバチカンで世界的に崇敬を集める教皇は常に信者の方を向き、祈りを持って信仰を集める。
(そりゃバチカンには性的虐待疑惑も多々あるけど)
でも誰もが尊敬し、気高いと思う人物は自らを律し、縛り付けておかないといけない存在なのです。
そういう意味では昭和天皇こそがそういう生き様であったと思うし、上皇夫妻は何を勘違いしたのかハイソサエティ、ブルジョア主義で腰を低くし、今上に至ってはもはや自己中心主義に凝り固まってしまった。
今一度原点に戻るべきではないかと私は思います。