ふぶきの部屋

皇室問題を中心に、政治から宝塚まで。
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装束にみる皇族の身分

2024-05-06 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 女系派というか、愛子内親王派はいつも、あらゆるものを皇嗣家にスライドしたり、また重箱の隅をつつくような書き方をして、正統派をかく乱しようとします。

でも、無知すぎてまっとうな答えを出しても理解できず、さらにわけのわからない質問をしてきたりします。真面目に答えるのをやめたらどうかと思うのですが、そうなると、Xなどは「愛子天皇派」に席巻されてしまうので、やっぱり反論は必要です。

悠仁親王成年まで4ヶ月。儀式としては約1年近くあるのですが、恐らく秋頃には進学がお決まりになり、3月の卒業と同時に記者会見と加冠の儀があり、それから伊勢へ行ったり忙しいだろうなと。

馬車行列やって下さいね。宮内庁。

さて、「秋篠宮殿下は暫定の皇嗣なので皇太子ではない」と言う意見が高森何とか始め、多数の女系派から聞かれます。

そもそも平成の天皇退位という事自体が、政府・宮内庁にとって予想外の事で、それに対しては皇室典範違反となるので、本来、止めなくちゃいけなかったわけです。

しかし、マスコミの圧力と、天皇自身がマスコミにリークするなどして報道が先に立ち、引き返せなくなりました。

ゆえに「特例法」で対処する事になったのです。

正直、退位した天皇への尊称は「上皇」でいいとして、皇后には正式名称がありません。恐らくは「○○院」と呼ばれて終わるでしょうけど、美智子様はクリスチャンで仏門に帰依したくなかったんでしょう。

自ら「上皇后」と名乗りました。

で、徳仁親王が天皇になると、弟の秋篠宮殿下は本来「皇太弟」ですが、これまた皇室典範にない。じゃあ、特例法で「皇太弟」にすればよかったじゃないか。

でも、これは徳仁天皇が自身で語ったように「壬申の乱」を想起させるので、使いたくない。

さらに「秋篠宮」という皇室史上最も美しい宮号を残したいという気持ちもあり、正式には「秋篠宮皇嗣殿下」となりました。

「皇嗣殿下」の扱いは「皇太子と同等」と特例法ではされたのですが、それはあくまでオモテ側の事で、国際プロトコルでは「CROWN PRINCEでよい。

が、オク側では雰囲気で「皇嗣家は内廷じゃない。なぜって秋篠宮だから」になってしまったわけです。

もし、伊藤博文が生きていたら、「内廷にせよ」と大改革を行ったのですが、今の政府って、「皇室に下手に口を出すと身を亡ぼす」と思っているのか、「したいよういどうぞ」って感じ。

ゆえに、「天皇一家と上皇夫妻は内廷。でも秋篠宮家は内廷外」になりました。

内廷=天皇と財布が一緒。御料牧場の食材無料。信号操作できる。御用邸使える。

外廷=他の宮家と同じ。健康保険なし、御用邸使う権利なし

特に御用邸&御料牧場は天皇一家が独り占めです。家族3人で那須・須崎・葉山・ぼ両牧場をいつでも使えます。葉山は時々上皇夫妻が泊まります。

この贅沢感ったらありません。

それは別として。「暫定だ」という理由には「皇嗣」は何人でも置こうと思えば置けるからと言います。

しかし、現在、皇位継承権を持つ男子は二人のみ。

秋篠宮殿下と悠仁殿下です。ゆえに暫定も何もない。確定事項なのです。

もう、誰もがわかっていると思いますけど、日本の「色」には「禁色」があり、格がありますよね。

例えば「紫」は高貴な方しか使えない色とか、浅黄色は新選組のユニフォームで有名ですが安い色です。

さらにそこに文様やらなにやら複雑な事があるのですが、決定的な事は、即位の礼において、

天皇は黄櫨染の袍を着用する。

左側の天皇が着用している袍が「黄櫨染」です。

太陽を意味する色で染めが非常に難しく、応仁の乱で100年もの間途絶え、そこから掘り起こして再現したもので、この「黄櫨染」色が最も格が高い色になります。

そして、

皇太子は黄丹の袍を着用する

これが黄丹の袍です。黄櫨染と同様「絶対禁色」とされ、太陽が昇り始める様を表現し、やがて天皇になる人しか着用がゆるされません。

秋篠宮殿下は即位の礼、立皇嗣の礼共にこの黄丹の袍を着用されました。

これこそが「世継ぎの証」であり皇太子である証明なのです。

紀子様の袴は赤ですが、これは既婚者を表す色です。

秋篠宮両殿下はご結婚の時から素晴らしく装束の似合う方でした。

即位の礼における眞子様・佳子様。濃き色の袴は未婚を表します。

 

平成の立太子の礼の徳仁親王

天皇派黄櫨染の袍、徳仁親王は黄丹の袍着用。

秋篠宮殿下の結婚の儀。この時は筆頭宮家だったので黒の袍です。

 

そして皇后にもまた最も格式の高い色があり、それが「白」です。

これを着用できるのは皇后のみと言う事になりますね。

 

このように、奈良時代ごろから、皇室内の装束の規定が定まって行き、現在もそれが守られているのです。

いくら言葉で「暫定」のなんのと悪口を言っても、外国においても、国内においても秋篠宮家は皇嗣家、つまり東宮家と同等なのです。

 

さて「東宮」という言葉です。

中国史劇でもよくこの言葉が出てきます。

皇太子の事です。

元々は「東宮」「春宮」と書き、皇太子が住む場所の事を指してたようで、中国では「東宮」はあくまで住む場所、人の事は「太子」と呼んでいました。

古事記にも「厩戸皇子は上宮に住んでいたが、推古天皇によって東宮に移った」つまり皇太子になったと言う事ですね。

 

東は朝日が昇る、若々しさとか縁起のよさなどを表現しています。

皇太子という呼び方はあくまで近代の呼び名であって、元々は「東宮」です。

天皇がいて、その下に東宮がいる。それを覆そうというのは謀反です。

秋篠宮は「東宮」なのです。

たとえ内廷でなかろうとも、称号がなかろうとも、東宮なのです。

コメント (16)
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