ふぶきの部屋

侍ブロガー、ふぶきが宝塚とドラマ、皇室からワイドショーまで語ります。連載中の小説もお見逃しなく。

もし今も江戸時代が続いていたら皇室はどうなったか

2018-08-07 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 あくまで個人の意見なのでスルーしてくれていいですよーー

でもその前に。週刊誌等でやたらめったら「天皇として最後」「皇后として最後」というフレーズが踊っているんですけど、私からみると「だからなんだ?」と思ってしまう部分があります。

確かに〇〇に訪問するのも、養蚕も挨拶も「天皇として最後」「皇后として最後」かもしれない。でもいいかえれば二人はこれからも生きていくので「上皇として初」「上皇后として初」って事になりませんか?

例えば来年から養蚕を新皇后に引き継いだとして「療養中の皇后陛下は見るだけ」だったとすると、「上皇后として歴代初の養蚕」みたいな形になりませんかね?80も半分を過ぎようとするお二人が今更最前線に立って何かをしてほしいなどとは思いませんが、やたらめったら「最後」を強調するのはどうかと思うのです。

そうやって「平成の天皇と皇后は永久に不滅です」とでも言いたいのか「とにかく希代の天皇と皇后だった」と世論操作したいのか

そうやって持ち上げるのはやめましょうと言いたいです。だって住む場所は変わるかもしれないし、呼び方が変わっても、待遇は変わらないんですからそんなに「百恵さんの引退」程の価値があるか?と思ってしまう。

きゃーー百恵さんの引退と比較してしまう自分・・古いよね。今やブログで引退しますと言えば「じゃあ、ブログもやめたらいいのに」と悪口書かれる始末)

ああ・・じゃあ、安室ちゃんの引退程の価値がありますか?

まだ40の安室ちゃんが数々のヒット曲を飛ばし、歌い踊って20年ちょい。社会現象まで起こした彼女のうたを聞きたい人は多々いるでしょうし、それでも今時は「引退」しても何か入⒥目る時代だし、それはきっと安室ちゃんもそうだと思う。

百恵さんのようなあまりにも潔い、象徴的な引退はなかったし・・・だから言いたいのは今上も皇后もそれ程の価値はないよと。国民は別にそこまで惜しんでいないのにただただマスコミが勝手に「もうお姿を見る事は出来ないのか」などと書き立てる。いやいや、軽井沢や葉山で見たい放題になったらどうしてくれるのよーー(笑)

昭和天皇が亡くなるまで、その偉大さに気づかなかった若かりし頃の自分を振り返っても、正直今上がーー皇后がーーどうにかなってもそれは自業自得としかいいようがありませんって。

だからマスコミも煽るのを辞めてくれないかな。無論、「次期皇后」を持ち上げて「ダイアナ妃を目指す」なんてありえないサブタイトル付けるのも笑いすぎてお腹が痛くなるのでほんと、やめて。

何を持って「ダイアナ妃」なのか?好きなことばかりやっているように見えたの?見えるの?王室に適応障害だったとか。違うよ。ダイアナ妃はそもそも貴族階級の出身で成績が悪かったけど王族としての身のこなしはきちんとしてた。チャールズ皇太子が初恋だったから彼さえダイアナ一筋でいてくれたら、どんなに素晴らしい王妃になったことか。彼女が拒食症や過食症になったのは適応障害ではなく、幼少期の喪失感によるもの。

雅子さんとは生まれも育ちもその行動も違いますって

頑張っている事は認める風コメントもありましたが、どうして高校総体は行かず、甲子園には行き、ジャンボリーは無視?このあまりにも矛盾した「頑張り」を国民はどう受け止めたらいいわけ?

昼夜逆転なんて自分から直そうと思わない限りは無理であることはほとんどの国民が知っていますとも。

9日に愛子内親王が帰国して10日か11日に須崎へ・・・結果的に「ああ甲子園はアリバイ公務だったんだな」とわかるわけです。

最近、もし江戸時代がもっと続いていたら皇室はどうなっていたかと思うんです。

明治維新がなかったら・・・・

徳川家も皇室も江戸中期から急激に出生率が落ちていきます。徳川家における女子と男子の出生のバランスがいびつな理由は「大奥」の存在で意図的に男子が間引きされたのではないかという考え方もあります。

しかし、徳川家と皇室に共通しているのは出生率そのものが落ちる、あるいは子供の死亡率が高くなることです。その理由は女性の化粧品に使われてた「水銀」と言われています。

大正天皇が生まれて、何度も生死の境をさまよい、やっと生き延びた時、明治天皇はドイツ人のベルツにどうして次々親王や内親王が亡くなるのか、その亡くなり方に法則があった事に気づき、確かめた結果、水銀と判明し、以後、化粧品に水銀を使用する事は禁止されたわけです。

でも、江戸時代にはまだそういうことがわかっていませんでしたので、生まれた子供が亡くなる=自然なことと受け止められていたのではないでしょうか。

徳川家においては家康と吉宗、家斉以外は男子の出生に苦労していますし、せっかく生まれても体の弱い男子の誕生に大奥がやきもきしますが、それでも徳川家には御三家があり御三卿がいますから、直系でなくても何とか続いていった可能性はあります。

でも、12代家慶から14代家茂までの間は本当に大変だったろうと思います。そもそも大奥が出来た理由は3代将軍家光に子供が生まれなかった為に、女性達を集める必要があったのですが、それでも1700年代から1800年代になると大奥も機能を失っていきます。あまりにも幼少の将軍が現れたり、大奥を必要としない将軍が出てくるからです。

それでも江戸時代がずっと続いていたら、やがて大奥が徳川家の財政を破綻させ、将軍家そのものの立場が危うくなったかも・・・そしたらまた戦国時代へ?

 

さて。皇室です。

天皇家は南北朝前に安定した皇位継承を前提とした「宮家」が出来ますが、南北朝に全て滅んでしまいます。その後、天皇家の力は失墜し、経済的に行き詰まります。

その結果、天皇の嫡子以外は寺や神社に入れるなどするようになりました。皇族が増えすぎても困るからです。一度臣籍降下すると再び皇族になる事は出来ませんでした。

宮家は「決して絶やしてはいけない3つの宮家」として伏見・桂・有栖川の3宮家が出来ますが、徳川時代になり皇室と徳川家の確執が出来、それをおさめる為に「閑院宮家」があらたに加わり4つの宮家になりました。この4つの宮家は、直系が絶えると天皇の第2皇子などが後を継いでいくのですが、江戸末期には一人の天皇に一人の皇子しか育たなくなります。

ゆえに桂宮家には孝明天皇の姉が「女性宮家」を作ります。

しかし、これは現代のいう「女性宮家」と意味合いが違うと思うんですね。とにかく「桂宮家」という名前を残す事が目的でいずれ天皇に皇子が生まれればすぐに交代するということだったように思います。

しかし、閑院宮家家から出た光格天皇以降、どうしても親王が生まれない。女帝を立ててしのぐけど早世する事が多い。嫡子以外は親王宣下しないままに「法親王」になりますからどうしたって天皇家はあのままいったら明治天皇で滅びていたと思うのです。

大正天皇は文明開化あってこそ生き延びた人ですからね。

仮に伏見宮家から天皇を立てたとしても、恐らく2代と続かなかったでしょう。

ということは、明治天皇の偉大な政治力があったればこそ近代の皇室が平成まで続いたことになります。

江戸時代まで、正直将軍家を頂く日本で天皇は遠い存在であったし、単なる祭祀王でしかなく、かりに滅びても「そういうものか」と思われた可能性はあります。徳川家の誰かが危機感を持って娘を皇室に入れて政治利用するとかしなければ存在の意義すらなくなっていたかもしれません。

 

それを思えば今上も皇太子も安倍政権に逆らうことは政治的にまずいですし、まして憲法違反をしてまで「退位」をするというのは、自らを滅ぼすのと同じ事になるでしょう。

昭和の女帝・正田美智子のカリスマ性が小和田雅子を増長させ、勘違いさせているのだとしたら本当に怖いことです。権力を手にし、行使する歓びにひたっていてもそれは一時的な快楽でしかなく、未来の皇室について少しも考えていない愚かなものです。

明治天皇の偉大だったところは、徹底的に自己を統制しつつ政府にも国民にも決してそっぽ向かれない様に努力に努力を重ねて必死に頑張ったところです。そうでなければ明治期の親王や王たちのわがままな振舞に、さすがの明治政府だって黙ってはいなかったでしょうから。

江戸時代が続いていたら皇室はもっと早く滅んでいた。それをただ一人過去と未来を見据えて持ちこたえたのが明治天皇であったと思うのです。

 

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でも現実問題もし破談するなら

2018-05-29 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 丁度30歳になった同僚が「元号が変わることがあらかじめわかっているのは今回が初めてなんですってね」というので、そういえばそうだなと。

確かに大昔から上からの指示でいきなり元号が変わる事が多く、でも近代になってそれではいけないでしょうということで、一人の天皇に一つの元号という非常に合理的な制度が出来ました。

まさか4代目で勝手に変えられるとは明治天皇も伊藤博文も思わなかったでしょう。

一体、法律になっている「1天皇1元制」を変えても全然平気と言い出したのはどこのだれでしょう?安倍総理なのか?

いやーー民意というマスコミだよね?

街頭インタビューでみーんな「いいんじゃないですか?お疲れ様です」って口を揃えて言ってましたし、政府は最初、寝耳に水だったけど、ぐいぐい押される形で承認せざるを得ないというか、「天皇はそこにいるだけでいい」といった学者の言葉に陛下が「ショックを受けた」と書かせて、本来の天皇の存在意義なんてどうでもよくなって「天皇は地方や外国回ってこそ仕事してる」みたいなイメージを作り出したんだよね。

何度も同じこと書いてボケ老人みたいだけど

 天皇にとって最も重要なものは宮中祭祀

 たとえ動けなくなっても天皇が生きている間は「天皇」である。

 天皇代行は摂政でOK

なんです。ところが今上は「摂政」にいやーーなイメージを持ち続けて、自分のお父さんが長年摂政宮を務めて即位した事を全部否定したいらしく「摂政ではだめだ」と言い放ったわけです。

何がダメなの?どうしてダメなの?皇室典範には摂政が務めると書いてるじゃない。具体的に「ダメ」な理由は一切言わないで「摂政は嫌。摂政はイメージが悪い。摂政は大嫌い」の一点張り。

このわがままを後押ししたのは宮内庁です。

「両陛下の強いお気持ち」という印籠を掲げて「菊のご紋が目に入らぬか」とやってるんですよね

これまた繰り返しになるけど、明治天皇VS伊藤博文の熾烈な「宮家増加計画」には駆け引きあり、紆余曲折あり、両者妥協して11宮家まで増やしたけど、養子の禁止や5代目の孫までしか存続できないなど、一定の縛りをつけました。

今回のことだって政府が聞かなかった振りをすればそれですんだかもしれないんですよ。昭和天皇が三笠宮寛仁親王が臣籍降下したいと言った時に無言を貫き通したように。しかし、数日後にはなし崩し的に退位が決まって、そうなると全ての事務作業が面倒になってくる。ゆえに元号は使わないようにしようなんて案が出てくるのです。

 

ぶっちゃけ、今回の抗議によると、両陛下は眞子内親王の結婚話について、何も知らない、何も聞かされていないのに裁可を下したことになるんですけど、天皇の裁可ってそんなものですか?

特に皇族の結婚問題は一族の将来にとって重要なことです。

皇太子の結婚の時もそうだったけど、正当な理由があって(チッソの孫)雅子さんはダメだというのを、あっさりと本人の望む通りにしてしまった。

そして今回も同じです。

私は今回の抗議を読み、菊田一夫脚本の「ダル・レークの恋」みたいだなと思いました。

カマラはマハラジャの孫でいずれ王室女官になる身。

でも夏にラッチマンという身元不明のイケメンと仲良くなって相思相愛。

ラッチマンは大泥棒ラジエンドラであるという容疑をかけられ、そんな男とカマラが付き合っていた事がばれたら大変と、ラジエンドラ(ラッチマン)の要求を受け入れる。

その要求の内容は「カマラと一晩をすごす」というもの。

カマラはすっかりラッチマンをラジエンドラと思い込んで拒否につぐ拒否だけど、従兄弟に「家柄を守る為にどうしても純潔を捧げなくてはならないこともある」などと言われてラッチマンのものに。

やがてラッチマンが実はマハラジャの子であるという事がわかり、カマラは心を改めるのですが、当のラッチマンはもうカマラを拒絶する。

この舞台を見た時「ちょっと待って。スキャンダルを恐れて乙女の処女を奪わせる」事が正しいなんて価値観はどこから来るの?って思ったんですよね。

カマラは「姫」ですが、その彼女を平気で大泥棒に一晩売って何とかスキャンダルをおさめようと考えるカマラの身内の価値観というか、冷たさが不思議でならなかったのです。

今、「また失声症になるわよ」と言って脅す皇后は、まさにカマラのおばあさまと同じではないか?と。

「孫より家・・・いや、孫より自分の立場」を選ぶ「慈愛のおばあさま」です。

 

さて、実際問題、眞子内親王の結婚の結婚を破断するとして、一般的に考えられるのは、それこそ「両陛下の強いお気持ち」で前代未聞の「裁可取り消し」「破談」だと思うのですが、なぜそうしないのでしょう?

ずるずると秋篠宮の誕生日まで引っ張り、っていうかそこまでKKから辞退するように待つ事になんの意味があるのか?

その間、最低1人はSPが付き続け、もはやKKは結婚できなくてもいいみたい。どういうわけか佳代さんも職場の帰りは毎日タクシーという事だし、どこからか不労所得が入っているんじゃないか?との疑いが。

もし、KKが脅しをかけてくるなら堂々と刑事告訴そすればいいわけだし、KK家にいる「佳代氏の父親」が生きているかどうか、住基上存在していても実は実態がなかったという事はあるもの。市役所は何をやってるの?

眞子内親王のことを思うなら、それこそ「国民の税金を要求したら二度と歩けない様にしてやる」くらいの気概が宮内庁にあってもいいんじゃない?

みんなに無視されて自分で判断しろと言われ、軽率だと責められ、本当に眞子様が可哀想でなりません。

 

 

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ティアラ・ティアラ6

2018-05-22 07:15:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

数々の姫たちの頭を飾って来たティアラです。

モナコのキャロライン王女の頭上を飾っているのはカルティエティアラ

プラチナにダイヤにドロップ型の真珠付き。ネックレスもお揃いですよね。

スウェーデン一の美女、マデレーンが身に着けているのは「モダン・フリンジ・ティアラ」で最近、王室コレクションに入ったもの。ダイヤのフリンジがとっても可愛い。

スウェーデンのヴィクトリア王女がつけているのは「フォー・ボタンティアラ」

とっても可愛い。

 

 

スウェーデンのシルビア王妃の「ブラガンサ・ティアラ」

 

スウェーデングスタフ6世から妻に贈られたティアラで、アクアマリン・ココシュニックティアラ。「ココシュニック」というのはロシアの伝統的なヘッドピースのこと。

 

ヨルダンのラーニア妃のカルティエティアラ。

 ブルネイ王太子妃のティアラ

スペインのレティシア妃のプロイセンティアラ。元々はプロイセン所有のものがスペインに渡ったんですね。

 

グランド・ダッチェス・マリー=アデライド・サファイア&ダイアモンド・ティアラ

製作は1865年から70年にかけてアーデルハイト・マリー・フォン・アンハルト=デッサウが所有。ルクセンブルク女大公マリー・アデライドの名前が冠されたティアラ。

現在はルクセンブルクのフェリックス王子の妻、クレア妃が所有。

こちらはスパニッシュフローラルティアラでスペインのレティシア妃が所有。

1879年にスペインのアルフォンソ12世が妻マリア・クリスティーナ・フォン・エスターライヒに贈るために製作された。

ハノーバーリアン・フローラル・ティアラ」

2017年11月にハノーファー王子クリスティアンと結婚したペルー人のアレッサンドラ・デ・オスマが被っている。

ナポレオンの妻、ジョゼフィーヌが所有していたとされるティアラ。

現在はヴェルムランド公爵夫人ソフィアが所有。

 他にもこんなティアラをお持ちです。

1809年にナポレオンからジョゼフィーヌに贈られたカメオティアラ。

ジョゼフィーヌの孫であるスウェーデン王妃ユセフィナ・アヴ・レウクテンベリが引き継ぎ、1961年にスウェーデン王女ビルギッタが使って、2010年のヴィクトリア王女の結婚式で使用された。

モナコのグレース王妃のルビーティアラ。

 

VOGUEには日本の皇族のティアラも紹介されており、その一つが

 高円宮妃のティアラ。

日本は成年皇族か皇族と結婚した妃に新調される・・・と紹介されていますがこれは秩父宮妃のティアラです。

 

以前にも書きましたが、行方不明になっていなければ皇后陛下は3つ、皇太子妃は2つ、各宮妃も2つ以上所持している筈ですが、秋篠宮家だけは、紀子妃、眞子内親王、佳子内親王、ともに一つだけです。

高松宮妃のティアラは雅子妃か紀子妃に受け継がれる筈でしたが、今もって行方不明です。

 眞子内親王のティアラ。

名前がないのが可哀想なので、「プリンセス・マコズ ダイヤモンドフレンズティアラ」とでも名付けましょうか?

佳子内親王のティアラは「プリンセス・チャーミングカコズ・フラワーティアラとか?

 

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ティアラ・ティアラ5

2018-05-22 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 ティアラ特集は以前にもやりましたけど、おさらいで。

過去記事 秩父宮妃のティアラが皇后陛下に?

 

秩父宮妃のティアラが皇后陛下に?2

 

秩父宮妃のティアラが皇后陛下に3

 

ティアラ・ティアラ4  ティアラ・ティアラ3 ティアラ・ティアラ2

ティアラ・ティアラ1

今回、多少以前の記事とダブる部分もありますが「VOGUE」に紹介されたティアラを中心に紹介します。

ガールズオブグレートブリテンアンドアイルランドティアラ

 ジョージ5世妃(左)の結婚祝いとして贈られたティアラが孫であるエリザベス女王に受け継がれた。

 ジョージ4世ステイトダイアデムティアラ

 

1821年、ジョージ4世戴冠式の為に制作、その後、ヴィクトリア女王→メアリー王妃 → エリザベス女王の戴冠式で着用。

 

バーミーズルビーティアラ

1947年、エリザベス女王の結婚祝いとしてミャンマーから贈られた100個のルビーを1973年にティアラとして完成。

 

ヘイロウティアラ

1936年ジョージ6世が妻に贈ったカルティエのヘイロウティアラでキャサリン妃が結婚式で着用。エリザベス女王の妹、マーガレットもしばしば着用。

 

オリエンタルサークレット

ヴィクトリア女王の夫、アルバートが妻の為に贈ったティアラ。クイーンマザーがお気に入りだった。

 

ブラジリアンアクアマリンティアラ

戴冠式の祝いとしてブラジルからアクアマリンを貰って、ティアラとネックレス、イヤリングにしたもの。

 

クイーンメアリーズフリンジティアラ

1919年、ジョージ5世妃の為に作られたティアラでアン王女が結婚式で使用。

でもジョージ5世の妻であるメアリ―王妃って一体、いくつティアラを持っていたんでしょうね。

 

ザ・ウラジミールティアラ

 1870年、アレクサンドル皇帝の弟、ウラジミール大公妃のティアラで、その後、メアリ―王妃が購入し、エリザベス女王に受け継がれた。

クイーンアレキサンドラズココシュニックティアラ

1888年エドワード7世とアレキサンドラ女王の結婚祝いに贈られたティアラ。

 

ケンブリッジラバーズノットティアラ

1900年初頭にメアリー王妃の為に作られたティアラ。

 

ロータスフラワーティアラ

 エリザベス女王がジョージ6世からプレゼントされたネックレスをティアラに作り直したもの。

グレヴィルティアラ

 貴族のグレヴィル夫人が身に着けていたものを友人であるエリザベス女王の母が受け継ぎ、カミラが結婚式で身に着けた。

デリーダーバーティアラ

 1911年、ジョージ5世妃のメアリ―の為に制作された。現在はカミラが使用。

カミラがつけるには大きすぎるような気がしますが。(付け方が美智子ひみたい?)

ミーンダーティアラ

クイーンマザー → エリザベス女王 → ザラ・フィリップスへ

 

スペンサーティアラ

スペンサー家に代々伝わるティアラ。メーガンがこれを使うかもと言われていましたけど、違いましたね。美人のキティも将来使うかも?

 

ボルティモアティアラ

1870年代に制作。クイーンマザーがマーガレット王女の結婚式の為に手に入れた。

その後、2006年にオークションにかけられ1憶3200万相当で売却。

 

ジョージ6世サファイアティアラ

 1947年にジョージ6世からエリザベス女王の結婚祝いとしてジュエリーセットとして贈られ、1960年代にティアラとして完成。

個人的な好みとしてはスペンサーティアラが1番ですが、ヘイロウティアラやザバースノットティアラも好きです。

こうしてみると、やっぱりジョージ5世の奥さん、メアリ―妃がダントツでティアラを所持していたようですね。大英帝国真っ盛りの時代でしたっけ?

また、結婚のお祝いとして宝石を贈られ、それをティアラに加工するという事もよく行われています。

日本の場合は、成年式のみで、美智子妃だけが東京オリンピック時にティアラを新調しています。

 

 

 

 

 

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お題提供ー皇室の3大悪女は

2018-04-23 07:15:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 せっかくだし、この話を続けようかと。

韓国では「3大悪女」が存在します。

張緑水(チャン・ノクス)-李氏朝鮮10代王燕山君(ヨンサングン)の側室。燕山君はその悪政によって途中で退位させられてしまうので「君」なんですが、この側室は妓生の出で王と一緒になってやりたい放題やったようです。

張禧嬪(チャン・ヒビン)-李氏朝鮮19代粛宗の正室。一般的にチャン・ヒビンと呼ばれていますが、本当は禧嬪張氏です。両班と身分が低い女性の元に生まれ、王に取り入り側室になり、正室を追い出して自分が王妃になったけど最後は殺される。

鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)ー李氏朝鮮11代王中宗の母の姻戚。太妃の兄嫁。それも側室。これまたやりたい放題。

でもまあ、これらの女性はみな身分的にコンプレックスを持っていて、権力というものにがっついている印象はありますよね。結果的に夫なり王が失脚すれば自分もまた滅びるし、あるいは自らやりすぎて死んじゃうケースも。可愛いものです。

私はここにプラスして閔妃を入れたいですね。

彼女こそ悪女だと私は思います。

今ならやっぱりナッツ姫に水かけ姫に暴言女王ですか・・・・・

じゃあ、日本ではどうなんでしょう?

皆さんはどう思います?

正田美智子ー125代天皇の妃。庶民から皇太子妃になり男子を二人産むも、皇太子妃時代には皇太子に左翼思想とキリスト教思想を吹き込み、皇室のしきたりを変えていった。即位後は批判を封じ込める為に失声症を患い成功を収める。

皇室典範にはない天皇の譲位を実現させ、愛息・徳仁親王の即位とその娘、愛子内親王の即位を望む。

小和田雅子ー126代天皇の妃。日本一の公害病を生み出したチッソの会長の孫。

皇太子妃になってからは「適応障害」となり、皇室の伝統破壊、しきたり無視、内廷費を莫大に遊びに使う、また皇室の宝である宝飾品などをオークションで売った疑いをもたれている。たった一人、授かった内親王の障害を隠し通し「ご優秀伝説」によって女帝即位を目論む。

あと一人?

 

 

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私達はなぜ皇室を尊敬できなくなったのか9

2018-04-11 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 明仁皇太子が正田美智子を選んだ理由

手話34年4月10日はひどく晴れ渡っていたようですね。(徳仁親王の時みたいにどしゃぶりじゃなかった)

当時から長い間、二人の結婚は「恋愛」結婚だと思われてきましたし、正田家は辞退に辞退を重ねるも、皇太子に請われて、「一大決心」のもと、皇室に嫁いだ・・・という話が伝わって来ました。

が、21世紀になった今、それは全くの間違いで、実は宮内庁・アメリカ・キリスト教勢力による「正田美智子入内計画」によるもので、それをもっとも推し進めたのが正田夫人であった事。

何等かの密約がそこにはあったものの、実はそれが果たされず、夫人は晩年に週刊誌に「何もかも約束が違った」と漏らしました。

1965年8月30日号の週刊女性には皇太子の学友、橋本明氏の言葉を借りて、なぜ皇太子が正田美智子を選んだのかという事が語られています。

上流旧華族以上の家から、妃をとらないとしたことは、遺伝的な考慮ばかりでは決してなかった。

国民と共に考え、共に生きる伴侶としての人を求めていた。

これは旧華族上流以上の人には、求められない姿であった。

現在、美智子の、常に日本国民のことを考え、自分のつとめに忠実たらんとしている姿をみて、この自分の考えが間違っていなかったと感じている」

 何と正直な言葉だろうと思いますが、けれど言ってはいけないセリフでもあったと思います。「国民と共に考え、共に生きる伴侶」に旧華族上流以上の人には求められない姿」というのは、どこからそんな考えが浮かんでくるのか?と思います。

 正田美智子は庶民の出だから国民と共に生きて考えられると本気で皇太子が思ったのであればそれは違うでしょう。

 皇族や華族だからこそ損得抜きに国の為に行き、国民の為に生きられるのであって、商人の家で育った美智子嬢に果たしてそんな考えがあったろうか?と、思います。正田夫人は何等かの見返りを求めて娘を皇室に差し出したわけですが、その「見返り」とは何だったのか、今はわかりません。

でも自分が名前を出したら困る人が多数いる・・・とも言っていますので、相当な恨みを抱えていたのかもしれません。

 一般人とはいっても正田家の暮らしぶりはとても庶民とは思えない贅沢なもので、旧皇族や華族がその暮らしぶりの見返りに兵役に就く事や、望まぬ結婚すら受け入れなくてはならない「義務」を負っていたのに対し、「正田美智子嬢」は大学を出ても働くわけではないし、即結婚するわけでもない、いわば親のお金で家事手伝いが出来る自由気ままなお嬢様だったわけです。

独身時代にボランティアや福祉に尽くしていたわけでもなく、毎日が見合いの日々だった筈ですよね。7回もお見合いをしたんだから。

いわゆる「有閑マダム」的な生活の中で「国民と共に生きる」感覚が育ったとは私には思えないのですが。

皇太子妃になってから、施設巡りをしたり沖縄に執着したのも全てパフォーマンスでその公務の開拓ぶりはまさに営業マンでした。

 

そして1972年1月1日・8日週刊女性合併号において美智子妃の手紙が出てきます。

「《家庭を持つまでは絶対死んではいけないと思った」と、お話し下さった時、私はいままでの自分の見聞の中にも、読みました小説の中にも、このように寂しい言葉はなかったと思いました。そしてその中を二十五年間お歩みになっていらした東宮さまのおために、力をつくして、あたたかい家庭をお作りしたいと思いました

 この「家庭を持つまでは絶対死んではいけないと思った」という言葉を美智子妃は「皇太子の孤独」を象徴する意味で使っているのですが、なぜかというと、「皇太子は孤独である」とイメージ操作をしたのは美智子妃だったからです。

「皇室に生まれ、小さい頃から両親と引き離され東宮御所で孤独に過ごした可哀想な皇太子殿下。一般人ならそんな思いをしなくてもすんだのに」

という思いはまさに庶民中の庶民。物語の世界です。

皇太子が若かりし頃の写真を見ても孤独さは見えません。

昭和天皇と香淳皇后はいつも満面の笑みで子供達を見ていたし、頼もしく感じていたし、皇太子は学友に囲まれ銀ブラはするわ、テニスに興じるわ、まさに青春を謳歌していましたよね。

「家庭を持つまでは死ねない」というのは「次世代を産むまでは死ねない。それが皇太子としての務め」という解釈が出来るのですが、美智子妃のこの手紙の内容を誰も否定しなかったし、結果的にそのイメージ通りに今まで来ました。

「皇族に生まれるのは不幸」

「皇族は大変」

そんなイメージで包まれた皇室では税金がどのような使われたかをしているのか監査するシステムがありませんので、やりたい放題です。

今や「皇族を3日やったらやめられない」立場、それがわかるKKに付け入る隙を与えてしまったのです。

私が生意気だと思ったのは

手元で育てさせていただくとすれば、それはもう皇后さまのお時代と違う形をとることになってしまいますし、それから乳人(めのと)の問題も――」

これ、結婚する前からこういう手紙を美智子妃は出していたわけですよ。

子供を産む前からやんわりと「違う時代を作る」宣言してました。

「お時代」ですって。すごい言葉ですけどね

こんな手紙が公開され、得意になっていたのは本人だけで、きっと昭和天皇も香淳皇后も、旧皇族も旧華族も唖然としたろうし、自分達に対する挑戦と受け取ったでしょう。まさに足元から崩されていく思いをしたでしょう。

特に香淳皇后に関しては「東宮だって3歳までは自分で育てたのに」どうしてそれを言えないの?と怒り心頭で新興宗教にハマってしまった・・・わかりますよ。

こんな策略をめぐらし、先手先手を行く嫁に太刀打ちできる姑はそうそういないでしょうし、世の中にこんな人間がいるという事もわからなかったでしょうね。

「そうして皇后の笑顔に騙され続ける・・・・」って事になるんでしょう。

皇室と国民を同列にした時点で、皇室は終わろうとしているのだと思います。

 

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私達はなぜ皇室を尊敬できなくなったのか8

2018-04-10 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

高校2年生になった愛子内親王は東大にも入れるくらいのご優秀とマスコミは報道しています。ワイドショーでは一橋大学が志望だとか。東大と一橋では随分偏差値が違うような気がするんですけど、一体何を学びたいんでしょうね。

一方、小学6年生になった悠仁殿下がどこの中学へ行くかという事も話題になっています。お茶の水へいく、筑波へいく・・いやいや学習院に行くべきなど様々な意見が出ますが、こんなにも学歴に拘るようになった理由は何かという事について考えてみましょう。

125代の天皇の中で有名な人は多々いると思うのですが「頭がよかった」とされる天皇をご存知ですか?

私は知りません。

近代史においてその名を轟かせた明治天皇も別に高校や大学へ行ったわけではないし、その子の大正天皇に至っては、あまりに体が弱かったので学歴より体調優先。

・3歳まで歩けず

・幼稚園に入るもすぐに退園

・小学校も数年遅れて入学

だけど天皇のとしての役割に支障があったわけじゃありません。4人もの男子に恵まれきちんとすべき事をされていますし、近代天皇制において初の「側室を持たなかった天皇」として皇室の近代化をはかった(?)天皇です。

 科挙制度

日本と中韓などの国々との違いは多々ありますが、その一つに「科挙制度」がなかった事があげられます。

「科挙制度」がどのようなものか、わからないという方もいますので、ウィキから拾いますと

隋から清の時代まで官僚登用に1300年もの間、官僚登用に用いられた試験制度

です。

中国では身分によって出世が決まっていたので、その枠を打破するには「科挙」に合格しなくてはいけないという・・庶民にとっては唯一の国家公務員になる道だったわけです。

それが朝鮮半島や琉球でも用いられていたという事です。

科挙は皇帝及び王様が直々に行うものなので、多分その時々の国内情勢によって問題が決められていたのでしょう。

その為の勉強というのは、一言でいうと「丸暗記」です。

そもそも隋も唐も、あの大陸の中で沢山の言語があり、互いに通じ合うのは漢字しかなく、その漢字の意味を知るには、司馬遷の「史記」を参考にしていたらしいのです。

今も中国大陸には30もの言語があって、互いに言葉が通じないと付き合わないという風習があるようです。

子供が文字を覚えるのに使うのは「千字文」で日本でいうなら「いろは」ですかね。

最近、韓ドラ史劇では王様さえハングルで書くんですけど、日韓併合までは漢字を使っていてハングルは下品なものとされていました。

これまた韓ドラや中国ドラマから得た知識でしかないけど、「勉強」=「多くの文書を丸暗記して意味を述べる」事が重要視されていたようです。

こうして文字を書けたり読めたりするのは男性と一部の女性のみで、庶民は文字を読めなくてもいいのでした。

下手に文字を覚えて知識がつくと謀反の恐れがあるからですよね。韓ドラ史劇では両班の奥様ですら文字が読めないというシーンも出てきます。

 

日本は万葉集を見る限り、「万葉仮名」というものが存在し、歌を作る人も皇族から防人まで幅が広いでしょう?

防人や東人などの歌が万葉集には載っていますが、この場合は彼らが文字を書いたというより、詠ませて文字にしたのは官僚だったという事です。文字が書けなくても素敵な歌は詠めるという事でしょうか。

 モノ作り人は迫害された歴史

朝鮮半島などではいわゆる職人が迫害された時代があります。戦に負けると職人の技が盗まれてしまうから先に殺してしまうのです。

でも逃げ切って来た人達が「渡来人」として大和に住んだのでしょうね。

建築も仏像製作も日本において独自の進化を遂げました。

 漢詩・歌に通じることこそ「ご優秀」

万葉集といえば額田王と呼ばれる程有名な女性。彼女は賢いと言われていました。

熟田津(にきたつ)に船(ふな)乗りせむと月待てば潮もかなひぬ今は漕ぎ出でな・・)

でもその優秀さを娘が受け継がなかったからといって、決して「恥」にはならなかったのです。

額田王と大海人皇子との間に生まれた十市皇女は一首も歌を残していません。それが歌を作らなかったのか詠まなかったのか、下手だったのか・・という事はわかりません。
河の上の斎つ岩群に草むさず 常にもがもな 常処女にて ・・十市が伊勢に下る時に吹芡刀自が詠んだもので意味は「川のほとりのあの神聖な岩には苔草も生えていない。あのように常に変わらずありますように。永遠のおとめとして」です。大友皇子の妃として子供を産んでいるけどとにかく清らかなイメージがあったんですね

歌を詠むということは一首の祈りであり、神がかり的なものでもある・・と当時は考えられていた部分もあると思います。

それが平安時代になると技巧的になり「本歌取り」のようなものが出てきます。

かの崇徳上皇も「歌を読むのが上手で華やかな雰囲気を持つ」としてそれが「ご優秀」という事になってます。

(瀬をはやみ・・・はいからさんのおばあさまの若き恋を表現する歌ですがNHKでは父・鳥羽院との中が修復されるようにと詠んだ歌ではないかとナレーションされていました)

一条天皇は漢詩に通じ和歌にも通じ、中宮定子と歌を詠み合って一晩楽しく過ごしていたとか・・とにかく頭を使うゲーム感覚で一般人にはなかなか出来ないお遊びだったようです。

村上天皇の時代には「天徳内裏歌合せ」という和歌の大会が開かれ、夕方から一晩中東西に別れて歌を詠み合い勝ち負けを決め、負けたらお酒を飲む決まりで頑張ったらしい。

勝負をつけるのは歌だけでなく、「州浜」なども選考基準に入ったので、それぞれの美的センスが問われた華やかなものでした。

しのぶれどいろに出でにけりわがこひはものやおもふとひとのとふまで・・木原敏江の「摩利と新吾」の中に「しのぶれど・・」というタイトルの歌があります)

歌を詠むということは、この時代になるといかに技巧をこらし、過去の和歌を知り、物語を知り、文学を知り、そういったものをさりげなく和歌に読み込めるかという技術が必要になります。

頭がよくなければ和歌は詠めなかったんですよね。

特に天皇やその他皇族に求められたものは学問よりも和歌の技術、センス、文字のうまさやそれを書く紙を選ぶセンス・・だったと思います。

 理系は

じゃあ、日本では理系は全く無視されたのかというとそうではなく、陰陽師達がいた部署は天文学に通じた所でした。

朝鮮半島では星を数えることすら中国の許しがなくては出来ないものでしたが、日本ではどんどん学んでいきます。

数学に至っては江戸時代になると農民に至るまでブームになって、誰かがお寺の境内に問題を出すと、それを誰かが解く・・という一種のゲームが流行った程です。

凄まじい科挙制度に頼らずとも、日本では徹底的に極める人は極めるというのがスタンスのようでしたが、かといって天皇や皇族にそれを求める事はありません。

天皇がご優秀とされるのは「和歌」と「生まれた男子の数」ですね。

 

 4月10日は両陛下の結婚記念日

まさに昭和34年4月10日、学歴至上主義の皇太子妃が誕生しました。

彼女の「売り」は聖心女子大学を出ている事。

成績がよかったこと、文章が上手だった事。しつこいくらい「聖心女子大出」の正田美智子さんがどれだけすごいかということを女性週刊誌などがこぞってアピールしました。

通常、「お妃」候補になると学習院にいようが、華族女学校にいようが、ご学問所に入り、特別な教育を受けるので近代においては「卒業した」お妃はあまりいないと思うのですが、なんでか正田美智子さんは「大学出」のアピールがすごかった。

女性の大学進学率が非常に低く、高校も危なくて、中卒で集団就職が当たり前の時代ですから、まるで「男性と肩を並べる新しい時代の女性」として盛り上がったでしょうし、「家柄がなくても学歴があればお妃候補になれる」1号でしたよね。

社長令嬢で西洋館のだんろがある部屋に住んでいて、お手伝いさんつきで美人で大学まで出ているまさに「敗戦国から復興した国の女性の鑑」のような女性だと、当時は思われたでしょう。

大学を出ても家事手伝いで、夏は軽井沢でテニスに興じ、ヨーロッパ旅行まで一人で行って、まるで外交官みたい・・・クリスチャンディオールのドレス、本物の皇族だって持ってない服をこの人は着ている。みたいな。

終戦からわずか14年やそこらで平和ボケしちゃう日本人ってある意味すごいと思いますけど、しっかりと国民は騙されたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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私達はなぜ皇室を尊敬できなくなったのか7

2018-04-03 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 ベルギーのロラン王子、王族費を減額される

 ベルギーのロラン王子(54)が政府に無断で外国要人と会った事に対する制裁措置として王族費を減額される事が決まった。

 昨年、ブリュッセルの中国大使館で行われた人民解放軍創設90周年の記念パーティーに政府に無断で出席。

 パーティーに出席した自身の軍服姿写真をツイッターに投稿してバレる。

 これを受けてシャルル・ミシェル首相がロラン王子の年間手当30万7000ユーロ(約4020万円)について15%に当たる4万6000ユーロ(約600万円)を減額する案を発議。3月29日にベルギー議会で採決が行われ、賛成93票、反対23票で王子の手当減額が決まった。

 ロラン王子って誰?ですけど、お名前はロラン・ド・ベルジック。

  アルベール2世とパオラ妃の次男で現国王の弟。何かとお騒がせな王子として有名です。

 今回「政府に無断で外国要人に会ったから」制裁措置で減額、それが過半数を賛成されてしまう王族。またそれを実現できるベルギー政府が羨ましい。

 徳仁親王なんてブラジルで韓国の首相にあって色々喋っちゃったんですよ。なお悪いのに日本では報道されず罪にもならず・・・ベルギーの王室は自由でいいなあって皇后も雅子さんも思っている事は事実でしょう。

  だけどそれはあくまで「政府の下」に置かれている自由なわけで、国益を損なうと思えば必ず制裁を受ける。そういう縛りがあるからこそ王室は尊敬されるし、王族も気を抜けないんでしょうね。

 今回、減額までいってしまったのは多分に中国人民解放軍のパーティに出たからで、ああーそうそう、徳仁さんは習近平の奥さんと中国オペラを見たんじゃなかったっけ?これこそ国賊ものではないでしょうか?

もはや「皇室には期待できないし諦めもあるし、年に一度の静養くらいいいんじゃないの?」なんてレベルの話じゃないですよ。

一見自由に見えるヨーロッパの王室ですが、道から外れたらいつでも国家から切られるという事です。

まあ・・・皇太子一家は何も考えず、静養からお帰り。

両陛下はのんきに花見

 足が痛くて祭祀が出来ないんじゃないの?それにしてはよくお歩きになること。こういう矛盾が国民には許せないんだってどうしておわかりにならないんでしょうね。

 

 水俣は見捨てられたんですねー西日本新聞4月2日

 2013年、水俣を訪問した両陛下は被害者に会った。

 「水俣という場所は、見捨てられたんですね」と陛下はおしゃった。2度も。

 「はい。そうです」と島田さんは答える。

 水俣和天皇も戦前と戦後の2回、訪れている。49年6月1日、九州巡幸中に日本窒素肥料(現チッソ)の水俣工場を視察した際、昭和天皇は「日本再建、生産増強のためしっかりお願いします」と激励の言葉を掛けたと、チッソ社史にある。

 天皇の来訪で会社も従業員も一気に増産意欲が高まった

 ここまで新聞を読むと、まるで昭和天皇のせいで水俣病が発生したみたいに感じますが、陛下の心にもそういうものがあるんじゃないか?と思います。

だって、自分の息子の嫁がチッソなのにここまで他人事だけど被害者の胸に迫る言葉が出ますか? 「私は先帝とは違う」と言いたげな今上の姿が垣間見えます。

 皇太子さまと雅子さまのご成婚が内定した1993年1月19日。

記者会見した宮内庁の藤森昭一長官(当時)は、お妃(きさき)選定の経緯を説明する中で、こう述べた。

「(雅子さまの)祖父の江頭豊氏が水俣病訴訟継続中のチッソの社長だったこともあり、交際は中断した。(中略)江頭氏は水俣病の発生には関係なく、刑事責任はないことが明らかになった」

 雅子さまの祖父、江頭氏はチッソの主取引行だった日本興業銀行(現みずほ銀行)からチッソ専務、副社長を経て64年12月に社長となり、71年7月から約2年、会長を務めた。この間、70年11月に大阪で開いた株主総会では、「一株株主」となって会場に入った患者、家族から壇上で取り囲まれている。

 こうした関係から、皇太子さまと雅子さまのご成婚には政府内に慎重論があった。「皇居にむしろ旗が立つ」と言われた。

警察庁長官時代に水俣病闘争に直面した当時の法相、後藤田正晴氏も反対したとされる。

 水俣の反応はどうだったか。

作家、故石牟礼道子さんは本紙の取材に「長い受難を引き受けた患者さんたちは、高くて深い見地から人間を理解し、慈しみの気持ちを持っておられるから、心から祝福されていると思います」と答えている。

 まあ「筵旗が立つ」まで記事になった事は素晴らしいです。全部事実ですから。しかし、水俣の反応を故石牟礼道子の言葉を借りたりするところに甘さが出るというか、両陛下を悪くはいえないのだろうと思います。

 「長い受難を引き受けた患者さんたちは、高くて深い見地から人間を理解し、慈しみの気持ちを持っておられるから、心から祝福されていると思います」という言葉は深読みすれば上から目線というか、「許してやるしかないでしょ」的に聞こえますし、皇室に対する深い失望と軽蔑を感じます。

皮肉っぽいっていうか、それを本気にしているとしたら皇族は馬鹿としかいいようがありません。

ただ、本当にわからないのは「水俣は見捨てられたんですね」と2度も言い、深い同情を寄せた天皇が、皇太子妃にチッソの孫娘を周囲の反対を押しのけて認めた事。

それとこれとは別なわけないじゃないですか。

本当に心から水俣病患者を思っているなら雅子妃を許してはいけなかったんです。

もし、これが皇后が心を寄せるハンセン病施設の施設長の子供とか、そういう差別的施設があった場所出身の人でも「それとこれとは関係なし」ですませるものなのか?

刑事訴追されなかったから問題がなかったわけではなく、道義的な責任があるだろうと。あまねく国民の一部の地域の人が「私達を病気にした会社の会長の孫を皇太子妃にするなんて・・・」と思うなら入内させてはいけないのです。

 江頭会長は「腐った魚を食べるからだ」「このド庶民が」と暴言を吐き、ユージン・スミスという水俣を取材していたジャーナリストを暴力団をやとって半殺しにするという罪を犯しました。

そういう事が21世紀の今も解決しない水俣病患者問題になっているんですよ。

 そんな雅子さんを全力でバックアップしている皇后の気持ちというのは、ある瞬間から「今更引き返せないなら押し通すしかない」という韓国史劇によく出てくる王妃様達の心境と似ている気がします。

つまり、自分の非を絶対に認めず、悪を善としてやり通して身を守る政治手法です。

そこで、秋篠宮家のお仕事なし状態ですが。

実は去年もおととしも3月後半、20日から31日までは「桃華楽堂」の音楽会を始め、両殿下の鑑賞公務や、結核予防会関係、済生会関係、フジサンケイ系公務と週に3日は入っています。

春休みで悠仁殿下とどこかへ出かけたとしても・・・です。

何もなくても山階鳥類研究所の会議や、農大の講義なども入っています。

なのに、今年は23日から一切公務なし。今週も神武天皇例祭のみです。

なぜ?今年は空白なのか。理由を考えてみました。

① 宮邸の修復や衣装などの整えに人出がなく、自らやっている(雑誌によると秋篠宮家の使用人は次々辞めているとか)

 要するに紀子妃のパワハラと雑誌は言いたいのでしょうけど、これが嘘でも人手不足は本当のようだし。ありえるか?

② KK親子と片をつけるべく行動している

 最終的に破談にするなら早い方がいいし、でも小室家のゴネっぷりに仕事どころではない状態になっているというのはありえる?

③ 両殿下が体調を崩している

 もし本当ならすぐに宮内庁発表がありそうですけどね。

 公務から干され、ほぼ謹慎処分のような感じになっている

 マスコミは「天皇陛下が裁可を与えた以上、皇室から破談は出来ない。それくらい裁可はすごいこと」と散々言ってますよね。

 KKの事は皇后の逆鱗にふれたと言いますから「私達はあなた達(両殿下)を信用したからこそ裁可を出した。なのにこのていたらくは何なのでしょう?どうして婚約する前にあちらの事を調べなかったのか?おかげで皇室は恥をかいている。ほとぼりが冷めるまで宮邸から出るな」

と言われてしまった・・・・

皇后は、間違っていたとしてもそれを押し通して自分を良く見せる事には長けています。しかし今回はそうはいきません。今回も「心を痛め」報道で自分はいい子ちゃんになってます。

そして秋篠宮両殿下はそういう策略をめぐらす事が出来ない。真正直に受け止めて不利な立場になっていく。

「悠仁殿下の天皇も・・・あぶないぞ」くらいは言われているのかなと。これはありえますか? 秋篠宮家が失脚すれば愛子天皇実現が近くなるんですからね。

 「公務」というのはまず宮内庁にお伺いをたてて、誰に出席して貰うか決めるのですが、イエスマンの宮内庁が今まで出席して来たものまでお断りしているんだとしたらこれはもう・・・と思いますけど、まさかね。

 

 

 

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私達はなぜ皇室を尊敬できなくなったのか5

2018-03-24 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

先に、「天皇が天皇らしくあること」「皇族が皇族らしくあること」で人々はそこに権威を見出し、尊敬すると書きました。

 どんな風に「らしくあった」か

日本で最初に「大王らしく」あろうとしたのは多分継体天皇ではないかと思います。

彼は応神天皇の5世の孫なんですけど・・・・

応神天皇って誰だ?って思いません?

天皇家は万世一系と言われていますが、早くもここで疑問が出て来ちゃうわけです。

なぜって、応神天皇のお母さんがまずい・・・・

系図上は応神天皇の父は仲哀天皇で仲哀天皇は日本武尊の子。

仲哀天皇と神功皇后の子供が応神天皇なわけです。

神功皇后は息長宿禰王という開化天皇の玄孫です。仲哀天皇の妻になったのですが、神の託宣を受けて新羅を撃つという時、夫の仲哀天皇がそれを拒んで急死しました。

が!神功皇后は妊娠して応神天皇を産むわけです。

では応神天皇の父は誰?という事になるのですが、これが武内宿禰という謎の人物で、彼こそが「天皇」じゃないかとか蘇我氏だ、物部氏だと色々説があるんですね。どちらにせよ、ここですでに万世一系は途絶えたと考えでも、その5世の孫まで行きついて天皇にしなくちゃいけない事態が起こったのでした。

それは武烈天皇に男子がいなかった為、男系男子が途絶えかけた時、わざわざ福井県のあたりまで探しに行って天皇にした・・・それが継体天皇です。

無論、単体では認められないから皇后として武烈天皇の姉妹である手白香皇女と結婚しました。婿入りしたんです。

天皇になった時、多分彼は戸惑いもあったろうし、どういたら側近に認められるかと色々考えた筈。紆余曲折を経て20年もかかってやっと大和に都を置く事が出来た時、継体天皇はやっと回りから「天皇」として認められたんだと思います。

百済や新羅との外交や国賊である磐井の乱を平定。きっと頑張ったんだろうなと思います。

天智天皇・天武天皇

蘇我氏や物部氏が主な政治を取り計らうようになってとりあえず象徴的地位にいた大王ですが、「今一度政治の実権を天皇に」と改革を行ったのが天智・天武ですが天智天皇の場合は新羅に滅ぼされた百済をわざわざ助けるというおバカな事をして「白村江の戦い」で敗れ、危うく唐に国を滅ぼされるかもしれない危機に陥ります。

天智天皇という人は当時の人達にとってそれほど人気があったとは思えない。

その理由は、正妻の倭姫との間に男子をもうけられなかった事、妻の実家を滅亡させた事、そして白村江の戦いの敗戦に、壬申の乱の元を作ってしまった事です。

当時の常識としては母親が皇族か蘇我氏でなければ男子であっても天皇にはなれなかったわけで人柄がどうのではなかったんですよね。大友皇子の母は采女ですから、最初から皇位継承には遠い存在。

それでも!というあたりが嫌われたというか・・・・嫌われたといえば母の斉明天皇も晩年は建築ばっかりやっていたので悪口を言われたらしいですが、そもそも「宝皇女」の出自がはっきりしない説もある。

もしかすると夫の舒明天皇の同母妹ではなかったか・・などという話もあり、そうなると天智天皇と間人皇后の恋愛話もなまじ嘘じゃないような?

その点、天武天皇は皇親政治をしっかりと建てたという意味では使命感を持った人ですが、その妻、持統天皇からは藤原氏なしでは存在出来なくなります。

明治天皇

明治天皇程、自分の「天皇」としての役割を考え、そのイメージを作り上げたカリスマ天皇はいなかったと思います。

武家に政治をとられる中で天皇の役割はあだ皇統を絶やさない事に絞られ、生活もひっ迫、世間からも見放されたような境遇から、いきなり即位して新しい近代日本の象徴になったのです。

西洋風は大嫌いだけどパンを食べる、軍服は嫌いだけど着る、根は質実剛健なのに華やかな場にも出る、戦争の時は前線に出て指揮を執る・・・まさにイメージ通りの大元帥陛下を演じたわけです。

この明治天皇のイメージが今まで続いているなら、それを受け継いだのは昭和天皇で、戦争中はまさに「現人神」で戦後は人間天皇になり、環境は変わっても常に「日本の父」としての存在感を失う事はありませんでした。

きっと昭和天皇はバイニング夫人によって左側へ洗脳されていく皇太子に悲しさを覚えたろうし、あれこれ言いたい事もあったと思います。

今なら週刊誌が「天皇陛下と皇太子殿下、美智子さまを間に途絶」と書かれそうですが、まだ昭和の頃はそういう話題はなかったけれど、それもこれも昭和天皇が黙っていたからで、自ら動くという事をしなかったからで、美智子さまがどんなに皇室を悪いイメージにしようとひたすら沈黙していたからです。

自分の感情をむき出しにしない、好みを明かさない、祭祀に励むけど出来ない自慢はしない、義務を果たす以外は質素な学問生活・・これこそが本当の天皇の姿なのです。

ときたま国技館にいらっしゃる昭和天皇が相撲の試合に手を叩いて喜ぶ姿だけが、私達の記憶に残り、微笑ましい思い出になっているのです。

それに比べると平成の天皇というのは、やることなす事自己中心的で、自己の美学に酔いしれていたというしかありません。

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私達はなぜ皇室を尊敬できなくなったのか 4

2018-03-23 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

なぜ私達が皇室を尊敬できなくなったって?それは天皇が天皇らしい事をせず、皇族が皇族らしいことをしない専制政治状態になったからだよ!

と言いたいのはわかるんです。正直、今回の徳仁親王のオバカ発言と前日は元気に桃華楽堂にいらっしゃった皇后陛下が次の日には「脚が痛い」から祭祀欠席と報道させるに至っては「らしくない」というより「これだけはやってはいけない皇室」の見本のようで尊敬も何もないよね・・・という感じです。

けれど、それで終わってはダメなので、もっと歴史に目を向けつつ考えて行きましょう。

天皇や皇族が権勢をふるったのは奈良時代から平安時代までで、鎌倉時代になるととたんにその権威が小さくなり、本格的な武家政治が始まると同時に天皇、皇族、そして貴族達も一気に貧乏になってしまいます。

おまけに武家に逆らうと島流しになったり幽閉されたりしますから下手に動けない。

貴族たちは生き残り策として「伝家の宝刀」を出します。つまり長年培ってきた教養を武器に武家社会の中で生き残りをかけるのです。

でも天皇や皇族はそうはいきません。誰かが常に後ろ盾になって衣服や食べ物、お金を出してくれないとたちまち貧してしまう存在になってしまったのです。

即位の礼を上げられなかったり、着るものもないという天皇や皇族がいた事は確かでしょう。庶民から見たら征夷大将軍で政治の実務をとる人の事はよくわかるけど「帝」はその意識の外にあったのではないかと思います。

天子様はいつも私達の為に祈って下さっている」なんて事はありませんよね。

お寺に行って「あの方は法親王様」「あの方は天子様のお子で」と言われて初めて「へえ」ってなもんだったんじゃないでしょうか?

それに今上や皇太子以上の変な天皇がいた事も確かで、有名どころはやっぱり冷泉天皇でしょうか?その子の花山天皇も相当変だったし、孝謙天皇のわがままっぷりやら道教との道ならぬ恋やら、それこそ皇室をひっくり返すほどの無茶をやった天皇もいるんですよ。

それでもその当時は誰かがそれを止めていた・・という事はあったかもしれません。

道教事件などあと一歩でとんでもない事が起こる寸前で神風が吹いたようなものですし。

どんなひどい天皇が現れてもそこに「律令」がある限り、ある程度の歯止めはかかりましたし、やりすぎれば時の政府の逆鱗に触れて島流しに合う。

江戸時代になると「禁中並びに公家諸法度」においてぎりぎり縛られて、天皇は京都に閉じ込められる状態になります。

将軍家は権威が欲しい時だけ天皇を立ててそれ以外は放置ですものね。

しかし、21世紀の今、皇室典範は何の役にも立ちませんし、今上が即位の時に「守る」と誓った憲法ですら皇室を抑える事が出来ません。

天皇の譲位が禁じられている典範を自ら破って「譲位」を実現してしまう天皇に怖いものなどないでしょう。

どうしてそのようなことがこうも簡単に許されてしまうのか。

それは政府と天皇の力関係が逆転してしまったからです。

なまじ近代に「天皇」が神格化されてしまったが為に、そして新憲法下において矛盾する存在の天皇を決めてしまった為に、誰も「天皇」という言葉を口にしなくなってしまった。

「天皇」「君が代」「皇室」「皇族」などの言葉が禁止ワードになってしまったんですね。無論「愛国」もそうです。政府が天皇に触れるのはその即位と大葬の時のみ。そうしておいた方がいいというか、「右翼」と言われるよりはリベラル派と呼ばれたい・・・という意識の中の意識がそうさせた。

そしてそんな政府の痛いところをついて自己流の皇室像を作り上げてしまったのが今上と皇后なのです。

 

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