ふぶきの部屋

侍ブロガー、ふぶきが宝塚とドラマ、皇室からワイドショーまで語ります。連載中の小説もお見逃しなく。

日本一運のいい女ー新皇后の肖像 13

2018-11-27 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 ニューズウイーク 1993年5月24日号

いやいやながらのプリンセス

 部落解放 1993年6月号

「皇太子妃決定に関わる身元調査等の差別助長行為にたいする抗議と申し入れ」

・本年1月6日「皇太子妃決定」の報道いらい、こうした差別撤廃、人権確立をすすめる立場から看過できない内容の報道がなされています。

・とくに小和田雅子さんの「家系図」の掲載や「家柄」賛美などの過剰ともいえる報道内容そして「皇太子妃を選ぶにあたっては皇室専門の興信所員が4代前まで徹底調査」などと宮内庁自らが公然と身元調査を指示していたことが報道されています。

・いうまでもなくすべての国民は法の下の平等であり、婚姻は両性の合意にのみ基づいて成立するものです。したがって私達はこうした宮内庁の身元調査の指示というものが差別を助長・拡大させるものであるばかりでなく憲法違反という重要な問題であると考えますし、1月19日の皇室会議での婚約決定議決の中でもこのような問題が取り上げられず、全会一致で議決されたことに強く抗議するものであります。

・私達部落解放同盟は今回の皇太子妃決定の経過を含めて、皇室報道はもとより政府・宮内庁の身元調査や奉祝強制キャンペーン、過剰警備などについて差別撤廃と人権確立の立場から深い憂慮の念を持っており、今後とも天皇の政治利用反対とともに平和と民主主義の確立、差別なき社会の実現に向けて取り組みをすすめていく所存です」

 1993年6月1日 独身最後のデート

 

 週刊文春 1993年6月10日号

あえて問う皇太子ご成婚ーなぜ君が代は消えたのか

今まで皇太子成婚の際、饗宴の儀では「君が代」が演奏されてきたが、今回はそれが排除されてしまった

・理由1 → 即位の礼の時の雅楽の君が代がちょっと・・・宮内庁の演奏が下手だから

・理由2 → 「君が代」はおめでたい席にふさわしくないから?」と記者につっこまれた宮内庁職員は嫌な顔をした。

饗宴の儀の冒頭では「大空に舞い立つ鶴の群眺む幼ひよりの我が夢かなふ」(皇太子の歌)が雅楽の演奏付きで歌われる → ただの金持ちぼっちゃんと同じじゃないか。

・皇太子の和歌が「君が代」に代わる程などいうなら宮内庁にとって英断

・今の皇室の最大の関心事は昭和とは違う平成の新しい皇室をいかいアピールするかということ。美智子皇后中心に天皇家、宮内庁はそのことに腐心している。

・今回の成婚行事についてもそんな思惑からなかなか細部が決まらず難航。

その結果、登場したのが新宿通りのパレードと饗宴の儀の君が代外し

君が代は法律で国歌と定められているわけではありません。国民の中には過去の戦争などで君が代にいい印象を抱いていない人もいる。そういう事も配慮して何より皇太子に対するイメージを大事にされたんでしょう」

・これも多くの国民と共に歩みたいという開かれた皇室の現れとみていいんじゃないか」

君が代は政府、文部省も国歌として認め学校でもそう教えている。宮内庁がそんな決定をするのはおかしい。

・まさに政府や文部省のメンツは丸つぶれ。そもそもある最高幹部などはこの件については何も知らされていなかったらしい。

・「え?何を勘違いしているんでしょうね。国家行事で国歌が演奏されないなんてありえないこと。外国にしれたら物笑いのタネです」

・何とも不可思議な話だが、今回の決定は儀式を担当する式部職など一部の関係者によって決定されたというのだ。

しかし式部職だけでこんな重大問題を決定できるわけがない。少なくとも天皇皇后は了解されていたと思います。というより今回のことはむしろお二人の意向で決まったとみるのが正しいでしょう」

「君が代というのは本来平和を願う歌、おめでたい饗宴の儀に君が代程似合う歌はない。アメリカの大統領が来日して正式な宮中晩さん会があればそこでアメリカと日本の国歌が演奏される。儀式というのは型通り行ってこそ儀式なんです」

「祝宴の儀を、今回は戦前の呼称である饗宴の儀に変えたかと思えば今度は君が代の排除。やることに一貫性がない」

「昭和天皇時代と違って今は天皇家から、特に皇后あたりからああしたい、こうしたいという注文が多いそうです。それは悪いことではないけれども宮内庁はいい意味でそれをコントロールするのが役目。一般国民の家庭とは違うのですから。そういう機能を宮内庁は全く果たしてない」

もしこれが天皇の消極的な意思表示なら戦後、GHQが不徹底でやり残した京都御所への移転や女帝を認めるなどといった改革も今後されるべきでしょう」

 いわゆる皇后バッシングの根っこがここにあるような気がします。でもまさに30年経たないうちに「女帝」だの「退位」だのってシビリアンコントロールがなってない宮内庁と政府は天皇のいいなりなのでした。

 1993年6月3日 小和田家から皇室に運び込まれる嫁入り道具

リハーサルに向かう小和田雅子さん

 女性セブン 1993年6月10日号

「ここまで言われてなぜ反論しないのか!皇太子さま雅子さんへの全国マスコミのバッシング「悪態報道」に挑む」

 サンデー毎日 1993年6月10日号

ご結婚直前、菊のカーテンから漏れて来た雅子さんへのブーイング

人間が出来ているというのは親が子供にいったり先生が生徒にいうならわかりますが皇太子さまに対しては随分、失礼な言い方ですよ。「私がもし殿下のお力になれるのであれば謹んでお受けしたいと思います」というのも皇太子さまとの関係をもう少し考えれば別の表現になった筈です」

「一言付け加えるなら」も生意気な女だって感じはしますね。とにかくしゃべりすぎですね。聞かないことまで話している」

「東宮仮御所に二人でいらしゃって車を降りたところでカメラに向かって会釈をなさった。そこまではいいんですが、それが終わって玄関に入られるとき、雅子さんの方が先を歩いてさっさといってしまった。これはやはり殿下の後ろを歩かなきゃいけないでしょう」(BY浜尾実)

「雅子さんは外側は日本人、中身は外国人」

 2月8日夜、赤坂御所で開かれた天皇・皇后両陛下主催の晩さん会は雅子さんを親類一同にお披露目だった。天皇陛下の一番上の姉、東久迩成子さんの子供、3番目の姉、池田敦子さん、妹の島津貴子さん、皇后さまの兄弟、川嶋家、小和田家らが出席。このとき両陛下は全皇族と民間妃の実家を招待しようとしたが秋篠宮を除き、全員欠席。

 「宮家のみなさんがいわれるのは陛下と皇后さまはなんでも自分の家族を大事にされるファミリー主義で公私のけじめがつかないということのようです」(宮内庁関係者)

 

平成になってから皇后を中心とした天皇家があり、秋篠宮はそんな母に逆らって結婚したわけですね。あの時の笑顔の裏に、フツフツと思い通りにならない息子にイライラした気持ちを持っていたとしたら、今の態度もわかります。

全皇族を敵に回しても平気な皇后、伝統破壊と左翼的な考えの天皇家がもうすでに出来上がっていたということです。

 

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日本一運のいい女―新皇后の肖像  12

2018-11-20 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 1993年4月12日 納采の儀

 ど真ん中に扇子をさしている

でもとりあえず矯正

 

 1993年4月17日 新潟へ墓参り

かの有名なツギハギ墓。なぜこんな形になったかはわからない。

 

 週刊文春 4月29日号

小和田雅子さん先祖の墓前に「婚約報告」

 新潟駅から車で小和田家の菩提寺である泉性寺へ向かい、両親と一緒に墓前で神妙に手を合わせて「婚約報告」。
 その後、親戚宅で昼食をとるなり、慌しく帰京した。

 1993年4月20日 告期の儀

 

 1993年 週刊文春 1993年4月29日号

結婚の儀まであと50日雅子さん 少しお疲れなのでは

骨組みががっちりした女性だからテレビの画面などではわからないけど、ずいぶん痩せたみたいですよ。目の下のクマも目立つし・・・それは、本人も気にしているようで化粧も段々濃くなって最近は随分厚化粧になりましたね。それがまたとやかく言われたりするんですから大変です」

 結構きついなあ・・この書き方。厚化粧って・・・(笑)

酒井美意子氏「先日、知人の作家の方が「日本人というのは意地悪でいじめの好きな国民。だから雅子さんのような方をみるとすぐあら捜しをするんです」と、おっしゃっていましたが本当にそうなのかもしれませんね」

 酒井さんの本を読んでいたのにこんな事言うとはがっかりです。「韓国人というのは・・・」じゃないの?

常盤会メンバー「女性週刊誌などに、宮家を始め常盤会が反発なんて書かれて大変心外です。まあ、そんなふうに書けば面白いんでしょうけど。ご婚約の記者会見での雅子さんの言葉遣いにしてもあれこれいいふらしていたのは、実際は皇室周辺の女性だと聞いています」

 常盤会もいい迷惑ですよね。

 皇太子妃選考に関して、終始美智子皇后の主導下で進められ、旧華族や常盤会から選ばれる可能性はほとんどなかっとある宮内庁関係者も証言する。

「小和田さんがチッソ問題などで候補の圏外に去った時期、もっとも有力だったのはHさん。小和田さんと同じ外交官令嬢で彼女には天皇も賛成されていた。しかし、この話は結局まとまらなかった。Hさんの方で辞退したんですが、母方の血筋が島津家に繋がるという点に皇后が難色を示されたのも一因と言われています。皇太后の血筋も島津家ですからね。あの時、皇后もHさんに賛成されていたらあるいは皇太子の6年越しの恋は実らなかったかも」

 「雅子さんが皇太子妃にふさわしい女性であることに異議を唱えるひとはいません。しかし、美智子さまが選んだということで、雅子さんに冷ややかな空気が皇室内や、周辺にあるのも事実。実際、発表まで婚約の事実も知らされなかった宮家の妃殿下たちや皇太后付の古い人達の反発は相当なものです。35年前の確執は消えるどころか今も攻守ところをかえて残っている。昭和天皇の没後は一層ひどくなりました」

 昭和天皇が正田家を食事に御所に入れなかったことをずーーーーーーーーっと根に持っていた美智子さま。大反対運動が起きたことに対しいつかきっと仕返ししてやるーーーーっとずっと待ってた美智子さま。全ては美智子さまが発端と言っているようなものですわ。

 婚約後、天皇家では秋篠宮夫妻、紀子様の実家の川嶋夫妻、そして小和田家の人達を招いて食事会を開いたんですが、あの会には首をかしげる人が多かった。

川嶋夫妻が招かれるなら当然、各宮家の人達も招かれるべきだとか影でブツブツいっていました。雅子さんの今の立場への配慮がないんです。一部には、これからの皇室は天皇家の直接の家族でやってゆくという宣言だ、なんて噂する人もいたほどです」

 確かにこの一見は一般家庭に置き換えても非常識な食事会でした。常陸宮家も高松宮家も秩父宮家も三笠宮家も高円宮家も相手にしてません的な?親がこういう事をすると子供が大変な目にあうんだけどね。雅子さんの立場云々よりやっぱり、雅子さん自身が嫌われていたからと考える方が・・・でも皇后陛下のせいにしすぎか?

 婚約会見後、雅子さんの肉声は一切きかれなくなった。インタビューしても文書回答するというんです。服装についても井上女官長あたりから小和田家に色々アドバイスがあったそうです。途端に雅子さんおファッション・センスが悪くなった。納采の儀の着物なんかも含めてね。僕らは陰で「井上さん余計なアドバイスをしないで」といってるくらい」(女性週刊誌編集者)

 いやはや、あの金ぴか着物から始まって「途端にセンスが悪くなった」って井上女官長も迷惑な話ですね。

 「雅子さんはやっと皇室の雰囲気がわかりかけてきたころ、いつか「雅子さんが天皇家の家族の音楽会に招かれて涙を浮かべた」という新聞記事がありましたが、例えば「こうした家族愛の強い家庭に私がついてゆけるだろうか」と不安を彼女が感じたとしても不思議じゃありません。外交官の家庭に育った彼女にとって天皇家の日常生活とのギャップははかりしれません」

 さりげなく小和田家は音楽を奏でるなんて高尚な趣味とは無縁、家族愛も無縁の家庭と言っているようなもの?

 週刊新潮 1993年6月3日号

「ミカドと結婚する方法「ニューヨーカー」大特集

 くっきりとした容貌で、なかなか老けないことは確かである。しかし、彼女は美人コンテストの女王になるほどの美人ではない。モデル業の代理店であれば、背の低さ(一六〇センチの皇太子より二・五センチ高い)や突起した鼻、気の強そうなアゴ、歯並びの悪さ(日本人は八重歯と呼んで欧米人のえくぼと同様に魅惑的だとしている)に注目するだろう。

 偉い言われようにちょっと同情しました。

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日本一運のいい女 -新皇后の肖像 11

2018-11-15 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 1993年2月20日 観劇にでかける雅子さん

 1993年2月22日 田園調布雙葉を訪問

  1993年2月23日 徳仁親王の誕生日夕食会に招待されて

  週刊新潮1993年3月25日号

「日延べ「納采の儀」から6月9日「結婚の儀」までの宮内庁

 2月28日のニュースで「皇太子さまと小和田雅子さんのご結婚に先立って結納を取り交わす納采の儀が3月17日に執り行われることが固まりました

 新聞もこのニュースに追従する。

 NHKが宮内庁に3月17日で確認すると否定しないので決定と思われた。

 しかし3月2日、皇太子ご婚儀委員会の2回目が開催され、そこでいきなり「納采の儀は4月12日に行います」と発表

 表向き「3月17日は皇太后さまの静養があり・・・」だったが「他にも色々ありまして」

 3月17日と発表された時、納采の儀の日取りについて各宮家への報告がなされていなかった。ここのところあまりにも宮家をないがしろにしていると宮家が怒っている。多分三笠宮だろう。

 「実は先日、皇后が小和田家と川嶋家の両親を招いて雅子さんを紹介する宴を開きましたが、今回のこともこのことと無関係ではない」

あれはいかに雅子さんを大切にしているかを世間に知らしめる皇后のパフォーマンスだったが、その席に主な宮家は全く呼ばれなかった。一応、1月19日の皇室会議当日、皇太子と雅子さんが各宮家に挨拶されたからいいという思いだったんでしょうが宮家にとっては自分達をないがしろにしたという思いが募った。これは長年にわたる美智子皇后とと他の皇族との確執が根底にあるのですが「納采の儀」でも無視されたことで一気に怒りが噴出した」

 「結婚の儀」の日取りを巡って多くの関係者がイライラしているのを楽しんでいる宮内庁。その日取りが6月9日と日刊スポーツにスクープされたが、これはオフレコで宮内庁関係者が記者クラブに喋っていた」

 すでにここから皇后による「必要なことはマスコミに語らせる」作戦が始まっていたんですね。それにしても当時はまだ三笠宮・寛仁親王家・桂宮・高円宮・秩父宮・高松宮・常陸宮・秋篠宮と宮家が結構あったんですよね。

皇后の恨み節が暴走した結果、皇族方と決裂したのかも。それが今に至っているというわけですね。

 週刊文春4月8日号

正田英三郎氏の見識はどこへ?雅子さんをCMタレントにしたのはだれだ

 「この間、テレビで拝見したんですが小和田さんが田崎真珠からネックレスをお祝いに貰われたとか。私どもの間では「なぜそんなものをお受けになったのか」と陰で話題になっているんです。お祝いにことよせ商売に利用しようなんてとんでもないことす」(常盤会関係者)

 3月23日「スーパーワイド」にて

「あの番組には驚きました。田崎真珠の社長が出演してお祝いとして9ミリ玉の最高の真珠で作った2連の高価なネックレスを贈ったことを得々と語っていた。とんでもない宣伝行為であれはやりすぎです」

「普通、皇族に贈り物をする時は表ざたにしないのが普通ですが雅子さんはまだ皇族ではないけど皇太子の婚約者。非常識」

 田崎真珠の広報部「今回のことは当社が単独でお祝いを贈ったように受け取られていますが実際は業界団体の日本真珠振興会として行ったこと。私どもが雅子さんをコマーシャル・ベースで利用しようとしているように受け取られているのは非常に残念です。社長が出張中で取材はご勘弁下さい」

 日本真珠振興会「小和田家との折衝は真珠振興会が行った。優美子さんは最初は「そういうものは遠慮した方が」と言っていたが、そこを押してお願いしたのです」

 2月21日、田崎真珠が問題のネックレスが届けられ、田崎会長と丹下専務が訪問。田崎社長は3月21日の赤坂サントリーホールで開かれた田崎真珠主催の「バイエルン放送交響楽団演奏会」に小和田雅子さんを招待。

 9ミリ玉の2連ネックレスは500万はするだろう。

 「最近、小和田優美子さんから東宮職を通じて雅子さんがお妃教育に出かける際の取材は遠慮してほしいと要望した。理由は雅子さんの衣装。撮影されるとなると前日と同じものというわけにもいかないし、かといって毎日新しい服を着るなんて出来ませんからね」

 正田家ってどんだけ金持ちだったんだ・・・と思うけど、小和田さんの家も30万のキミジマスーツを着ていたのに「服が・・・」というとは。たかってる?小和田家より所得が低かった筈の川嶋家ですらそんなことなかったのに。

ここらへんから「金」にまつわる話がぽんぽん出てきます。

 

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日本一運のいい女ー新皇后の肖像 9

2018-10-23 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 さすがに饗宴の儀の立食はまずいと思ったのか今度は「日本人の配偶者はずし」ですって。

 来年10月22日 皇太子は「即位正殿の儀」で即位宣言する。

 前回は外国元首や地方自治体から2500人が招かれた。

 今回は2800人を超えそうなので日本人に同伴する配偶者の招待を削減することで人数を抑えたい意向

 バカ じゃないの?別に徳仁さんの即位だからどんなにおバカなことをやってもいいけど「日本人の配偶者の招待を削減」って基本、女性が招待されないってことですよね。つまりもしかしたら「皇后」が共に立たないではないか、また、共にたってもすぐに退出してその後の行事には出ないつもりなんじゃないか?そんな気がします。

 国連はこういう時「配偶者を差別するのか」って怒らないの?日本人に限ってならいいの?でも外国元首はみな夫婦なのに、日本人だけほとんど男性だけなんておかしくないですか? 即位する前から非常識、ああ非常識。

雅子皇后さん、あなたも配偶者だよね。

それにしてもこんなに「予算削減」「人員削減」の即位なんて戦国時代以来じゃない?道長きどりの小和田父どうした?

 1992年10月3日 → 皇太子があずき色のワゴン車に乗ってお忍びで東宮御所を抜け出して新居浜鴨場で小和田雅子とデート

1992年12月12日 → 小和田雅子さんプロポーズ承諾

プロポーズを受けた当日、小川東州書道展でカメラに収まり、その後、中華料理屋でお祝い?

 

読売新聞社1993年5月「6月のプリンセスー雅子さんと皇室記者の2000日」

それにしても、その情報は驚くべき内容だった。
―天皇・皇后両陛下が山形国体の開会式出席などのため羽田をたった十月三日の昼前、皇太子さまは、後部座席を黒いフィルムで目隠ししたあずき色のワゴン車に身を隠し、赤坂御用地の巽門を出た。運転していたのは側近の職員。門を守る皇宮警察の護衛官も、皇太子さまが乗っていることには気づかなかった。ワゴン車の後ろには山下和夫東宮侍従長のマイカー、ベージュの「カペラ」が続き、高速道路を経由して千葉県市川市に向かった。やがて二台の車は、新浜鴨場に到着した。
―そこで待ち受けていたのが、小和田雅子さんだった。ここはふだん、外交団などの鴨猟接待に使われる。皇太子さまは雅子さんと一緒に昼食を取り、野鳥が泳ぐ池の周りを散歩したり、輪投げをしたりして過ごした。そして最後にプロポーズをしたようだ」

 

 1992年12月25日 → 「皇太子さまと婚約が内定した小和田雅子さんは、プロポーズを承諾した後の昨年十二月二十五日のクリスマスの夜、皇太子さまの住まいの東宮仮御所を訪ねた。天皇ご夫妻に挨拶した後、皇太子さまと二人で深夜まで過ごしたという。
 天皇ご夫妻はこの日、夕方から仮御所を訪ねて、皇太子さまと三人で夕食を共にした。雅子さんはこの後の午後七時半ごろ、仮御所を一人で訪れた。四人で二時間ほど歓談。ご夫妻が赤坂御所に帰られた後も、二人は二十六日午前零時近くまでくつろいだ時間を過ごしたという。(BY朝日新聞1993年1月8日朝刊)

 とにかくよそへ行ったら夜中まで帰らない・・・雅子さんはその後、静養先でもレストランでもお店に入ったら夜中まで帰らない人になるのでした。

 やっぱり説得の方法としては

恒氏「お前はオックスフォードで学士論文を完成できなかったじゃないか。お前なんてその程度のもので、女性首相?大使?むりむり。私を超えるのは永久に無理。親の為と自分の為を思うなら皇太子と結婚しろ。そしたら外務省の奴らを見返してやれるぞ」

皇太子「外務省で外交をやるのも皇室で皇室外交やるのも同じでしょう。というか皇族でいた方がもっと上からの立場で好きなことが出来ますよ」

だったんじゃないのかな。

1992年のクリスマスカード

・1992年12月28日の仕事納めの日

やる気がなくなってるというか・・・心底外務省で使い物にならなくて浮いていたんでしょうね。

 1993年1月1日

 

 

・1993年1月4日仕事始めの日

自宅で婚約発表後の写真を撮影。服は君島一郎。なかなか優美子さんが仕立て料金を払わないので請求したら「皇室に入ってしまえばなんとでもなる」と言ったエピソードが残っている。

 1993年1月6日 婚約内定報道

スポーツ紙1面

朝一番のテレビ

ワイドショー

号外

 日本中が「ええーーーーええええーーーー!うそーーーーー!」

だった所に颯爽と現れいでたる小和田雅子。

 1993年1月8日

18万5000円のキミジマスーツに白のコートは55万円。

 

そして時は動き始めたのでした。平成の暗い時代へ突入した瞬間でした。

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もし今も江戸時代が続いていたら皇室はどうなったか

2018-08-07 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 あくまで個人の意見なのでスルーしてくれていいですよーー

でもその前に。週刊誌等でやたらめったら「天皇として最後」「皇后として最後」というフレーズが踊っているんですけど、私からみると「だからなんだ?」と思ってしまう部分があります。

確かに〇〇に訪問するのも、養蚕も挨拶も「天皇として最後」「皇后として最後」かもしれない。でもいいかえれば二人はこれからも生きていくので「上皇として初」「上皇后として初」って事になりませんか?

例えば来年から養蚕を新皇后に引き継いだとして「療養中の皇后陛下は見るだけ」だったとすると、「上皇后として歴代初の養蚕」みたいな形になりませんかね?80も半分を過ぎようとするお二人が今更最前線に立って何かをしてほしいなどとは思いませんが、やたらめったら「最後」を強調するのはどうかと思うのです。

そうやって「平成の天皇と皇后は永久に不滅です」とでも言いたいのか「とにかく希代の天皇と皇后だった」と世論操作したいのか

そうやって持ち上げるのはやめましょうと言いたいです。だって住む場所は変わるかもしれないし、呼び方が変わっても、待遇は変わらないんですからそんなに「百恵さんの引退」程の価値があるか?と思ってしまう。

きゃーー百恵さんの引退と比較してしまう自分・・古いよね。今やブログで引退しますと言えば「じゃあ、ブログもやめたらいいのに」と悪口書かれる始末)

ああ・・じゃあ、安室ちゃんの引退程の価値がありますか?

まだ40の安室ちゃんが数々のヒット曲を飛ばし、歌い踊って20年ちょい。社会現象まで起こした彼女のうたを聞きたい人は多々いるでしょうし、それでも今時は「引退」しても何か入⒥目る時代だし、それはきっと安室ちゃんもそうだと思う。

百恵さんのようなあまりにも潔い、象徴的な引退はなかったし・・・だから言いたいのは今上も皇后もそれ程の価値はないよと。国民は別にそこまで惜しんでいないのにただただマスコミが勝手に「もうお姿を見る事は出来ないのか」などと書き立てる。いやいや、軽井沢や葉山で見たい放題になったらどうしてくれるのよーー(笑)

昭和天皇が亡くなるまで、その偉大さに気づかなかった若かりし頃の自分を振り返っても、正直今上がーー皇后がーーどうにかなってもそれは自業自得としかいいようがありませんって。

だからマスコミも煽るのを辞めてくれないかな。無論、「次期皇后」を持ち上げて「ダイアナ妃を目指す」なんてありえないサブタイトル付けるのも笑いすぎてお腹が痛くなるのでほんと、やめて。

何を持って「ダイアナ妃」なのか?好きなことばかりやっているように見えたの?見えるの?王室に適応障害だったとか。違うよ。ダイアナ妃はそもそも貴族階級の出身で成績が悪かったけど王族としての身のこなしはきちんとしてた。チャールズ皇太子が初恋だったから彼さえダイアナ一筋でいてくれたら、どんなに素晴らしい王妃になったことか。彼女が拒食症や過食症になったのは適応障害ではなく、幼少期の喪失感によるもの。

雅子さんとは生まれも育ちもその行動も違いますって

頑張っている事は認める風コメントもありましたが、どうして高校総体は行かず、甲子園には行き、ジャンボリーは無視?このあまりにも矛盾した「頑張り」を国民はどう受け止めたらいいわけ?

昼夜逆転なんて自分から直そうと思わない限りは無理であることはほとんどの国民が知っていますとも。

9日に愛子内親王が帰国して10日か11日に須崎へ・・・結果的に「ああ甲子園はアリバイ公務だったんだな」とわかるわけです。

最近、もし江戸時代がもっと続いていたら皇室はどうなっていたかと思うんです。

明治維新がなかったら・・・・

徳川家も皇室も江戸中期から急激に出生率が落ちていきます。徳川家における女子と男子の出生のバランスがいびつな理由は「大奥」の存在で意図的に男子が間引きされたのではないかという考え方もあります。

しかし、徳川家と皇室に共通しているのは出生率そのものが落ちる、あるいは子供の死亡率が高くなることです。その理由は女性の化粧品に使われてた「水銀」と言われています。

大正天皇が生まれて、何度も生死の境をさまよい、やっと生き延びた時、明治天皇はドイツ人のベルツにどうして次々親王や内親王が亡くなるのか、その亡くなり方に法則があった事に気づき、確かめた結果、水銀と判明し、以後、化粧品に水銀を使用する事は禁止されたわけです。

でも、江戸時代にはまだそういうことがわかっていませんでしたので、生まれた子供が亡くなる=自然なことと受け止められていたのではないでしょうか。

徳川家においては家康と吉宗、家斉以外は男子の出生に苦労していますし、せっかく生まれても体の弱い男子の誕生に大奥がやきもきしますが、それでも徳川家には御三家があり御三卿がいますから、直系でなくても何とか続いていった可能性はあります。

でも、12代家慶から14代家茂までの間は本当に大変だったろうと思います。そもそも大奥が出来た理由は3代将軍家光に子供が生まれなかった為に、女性達を集める必要があったのですが、それでも1700年代から1800年代になると大奥も機能を失っていきます。あまりにも幼少の将軍が現れたり、大奥を必要としない将軍が出てくるからです。

それでも江戸時代がずっと続いていたら、やがて大奥が徳川家の財政を破綻させ、将軍家そのものの立場が危うくなったかも・・・そしたらまた戦国時代へ?

 

さて。皇室です。

天皇家は南北朝前に安定した皇位継承を前提とした「宮家」が出来ますが、南北朝に全て滅んでしまいます。その後、天皇家の力は失墜し、経済的に行き詰まります。

その結果、天皇の嫡子以外は寺や神社に入れるなどするようになりました。皇族が増えすぎても困るからです。一度臣籍降下すると再び皇族になる事は出来ませんでした。

宮家は「決して絶やしてはいけない3つの宮家」として伏見・桂・有栖川の3宮家が出来ますが、徳川時代になり皇室と徳川家の確執が出来、それをおさめる為に「閑院宮家」があらたに加わり4つの宮家になりました。この4つの宮家は、直系が絶えると天皇の第2皇子などが後を継いでいくのですが、江戸末期には一人の天皇に一人の皇子しか育たなくなります。

ゆえに桂宮家には孝明天皇の姉が「女性宮家」を作ります。

しかし、これは現代のいう「女性宮家」と意味合いが違うと思うんですね。とにかく「桂宮家」という名前を残す事が目的でいずれ天皇に皇子が生まれればすぐに交代するということだったように思います。

しかし、閑院宮家家から出た光格天皇以降、どうしても親王が生まれない。女帝を立ててしのぐけど早世する事が多い。嫡子以外は親王宣下しないままに「法親王」になりますからどうしたって天皇家はあのままいったら明治天皇で滅びていたと思うのです。

大正天皇は文明開化あってこそ生き延びた人ですからね。

仮に伏見宮家から天皇を立てたとしても、恐らく2代と続かなかったでしょう。

ということは、明治天皇の偉大な政治力があったればこそ近代の皇室が平成まで続いたことになります。

江戸時代まで、正直将軍家を頂く日本で天皇は遠い存在であったし、単なる祭祀王でしかなく、かりに滅びても「そういうものか」と思われた可能性はあります。徳川家の誰かが危機感を持って娘を皇室に入れて政治利用するとかしなければ存在の意義すらなくなっていたかもしれません。

 

それを思えば今上も皇太子も安倍政権に逆らうことは政治的にまずいですし、まして憲法違反をしてまで「退位」をするというのは、自らを滅ぼすのと同じ事になるでしょう。

昭和の女帝・正田美智子のカリスマ性が小和田雅子を増長させ、勘違いさせているのだとしたら本当に怖いことです。権力を手にし、行使する歓びにひたっていてもそれは一時的な快楽でしかなく、未来の皇室について少しも考えていない愚かなものです。

明治天皇の偉大だったところは、徹底的に自己を統制しつつ政府にも国民にも決してそっぽ向かれない様に努力に努力を重ねて必死に頑張ったところです。そうでなければ明治期の親王や王たちのわがままな振舞に、さすがの明治政府だって黙ってはいなかったでしょうから。

江戸時代が続いていたら皇室はもっと早く滅んでいた。それをただ一人過去と未来を見据えて持ちこたえたのが明治天皇であったと思うのです。

 

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でも現実問題もし破談するなら

2018-05-29 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 丁度30歳になった同僚が「元号が変わることがあらかじめわかっているのは今回が初めてなんですってね」というので、そういえばそうだなと。

確かに大昔から上からの指示でいきなり元号が変わる事が多く、でも近代になってそれではいけないでしょうということで、一人の天皇に一つの元号という非常に合理的な制度が出来ました。

まさか4代目で勝手に変えられるとは明治天皇も伊藤博文も思わなかったでしょう。

一体、法律になっている「1天皇1元制」を変えても全然平気と言い出したのはどこのだれでしょう?安倍総理なのか?

いやーー民意というマスコミだよね?

街頭インタビューでみーんな「いいんじゃないですか?お疲れ様です」って口を揃えて言ってましたし、政府は最初、寝耳に水だったけど、ぐいぐい押される形で承認せざるを得ないというか、「天皇はそこにいるだけでいい」といった学者の言葉に陛下が「ショックを受けた」と書かせて、本来の天皇の存在意義なんてどうでもよくなって「天皇は地方や外国回ってこそ仕事してる」みたいなイメージを作り出したんだよね。

何度も同じこと書いてボケ老人みたいだけど

 天皇にとって最も重要なものは宮中祭祀

 たとえ動けなくなっても天皇が生きている間は「天皇」である。

 天皇代行は摂政でOK

なんです。ところが今上は「摂政」にいやーーなイメージを持ち続けて、自分のお父さんが長年摂政宮を務めて即位した事を全部否定したいらしく「摂政ではだめだ」と言い放ったわけです。

何がダメなの?どうしてダメなの?皇室典範には摂政が務めると書いてるじゃない。具体的に「ダメ」な理由は一切言わないで「摂政は嫌。摂政はイメージが悪い。摂政は大嫌い」の一点張り。

このわがままを後押ししたのは宮内庁です。

「両陛下の強いお気持ち」という印籠を掲げて「菊のご紋が目に入らぬか」とやってるんですよね

これまた繰り返しになるけど、明治天皇VS伊藤博文の熾烈な「宮家増加計画」には駆け引きあり、紆余曲折あり、両者妥協して11宮家まで増やしたけど、養子の禁止や5代目の孫までしか存続できないなど、一定の縛りをつけました。

今回のことだって政府が聞かなかった振りをすればそれですんだかもしれないんですよ。昭和天皇が三笠宮寛仁親王が臣籍降下したいと言った時に無言を貫き通したように。しかし、数日後にはなし崩し的に退位が決まって、そうなると全ての事務作業が面倒になってくる。ゆえに元号は使わないようにしようなんて案が出てくるのです。

 

ぶっちゃけ、今回の抗議によると、両陛下は眞子内親王の結婚話について、何も知らない、何も聞かされていないのに裁可を下したことになるんですけど、天皇の裁可ってそんなものですか?

特に皇族の結婚問題は一族の将来にとって重要なことです。

皇太子の結婚の時もそうだったけど、正当な理由があって(チッソの孫)雅子さんはダメだというのを、あっさりと本人の望む通りにしてしまった。

そして今回も同じです。

私は今回の抗議を読み、菊田一夫脚本の「ダル・レークの恋」みたいだなと思いました。

カマラはマハラジャの孫でいずれ王室女官になる身。

でも夏にラッチマンという身元不明のイケメンと仲良くなって相思相愛。

ラッチマンは大泥棒ラジエンドラであるという容疑をかけられ、そんな男とカマラが付き合っていた事がばれたら大変と、ラジエンドラ(ラッチマン)の要求を受け入れる。

その要求の内容は「カマラと一晩をすごす」というもの。

カマラはすっかりラッチマンをラジエンドラと思い込んで拒否につぐ拒否だけど、従兄弟に「家柄を守る為にどうしても純潔を捧げなくてはならないこともある」などと言われてラッチマンのものに。

やがてラッチマンが実はマハラジャの子であるという事がわかり、カマラは心を改めるのですが、当のラッチマンはもうカマラを拒絶する。

この舞台を見た時「ちょっと待って。スキャンダルを恐れて乙女の処女を奪わせる」事が正しいなんて価値観はどこから来るの?って思ったんですよね。

カマラは「姫」ですが、その彼女を平気で大泥棒に一晩売って何とかスキャンダルをおさめようと考えるカマラの身内の価値観というか、冷たさが不思議でならなかったのです。

今、「また失声症になるわよ」と言って脅す皇后は、まさにカマラのおばあさまと同じではないか?と。

「孫より家・・・いや、孫より自分の立場」を選ぶ「慈愛のおばあさま」です。

 

さて、実際問題、眞子内親王の結婚の結婚を破断するとして、一般的に考えられるのは、それこそ「両陛下の強いお気持ち」で前代未聞の「裁可取り消し」「破談」だと思うのですが、なぜそうしないのでしょう?

ずるずると秋篠宮の誕生日まで引っ張り、っていうかそこまでKKから辞退するように待つ事になんの意味があるのか?

その間、最低1人はSPが付き続け、もはやKKは結婚できなくてもいいみたい。どういうわけか佳代さんも職場の帰りは毎日タクシーという事だし、どこからか不労所得が入っているんじゃないか?との疑いが。

もし、KKが脅しをかけてくるなら堂々と刑事告訴そすればいいわけだし、KK家にいる「佳代氏の父親」が生きているかどうか、住基上存在していても実は実態がなかったという事はあるもの。市役所は何をやってるの?

眞子内親王のことを思うなら、それこそ「国民の税金を要求したら二度と歩けない様にしてやる」くらいの気概が宮内庁にあってもいいんじゃない?

みんなに無視されて自分で判断しろと言われ、軽率だと責められ、本当に眞子様が可哀想でなりません。

 

 

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ティアラ・ティアラ6

2018-05-22 07:15:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

数々の姫たちの頭を飾って来たティアラです。

モナコのキャロライン王女の頭上を飾っているのはカルティエティアラ

プラチナにダイヤにドロップ型の真珠付き。ネックレスもお揃いですよね。

スウェーデン一の美女、マデレーンが身に着けているのは「モダン・フリンジ・ティアラ」で最近、王室コレクションに入ったもの。ダイヤのフリンジがとっても可愛い。

スウェーデンのヴィクトリア王女がつけているのは「フォー・ボタンティアラ」

とっても可愛い。

 

 

スウェーデンのシルビア王妃の「ブラガンサ・ティアラ」

 

スウェーデングスタフ6世から妻に贈られたティアラで、アクアマリン・ココシュニックティアラ。「ココシュニック」というのはロシアの伝統的なヘッドピースのこと。

 

ヨルダンのラーニア妃のカルティエティアラ。

 ブルネイ王太子妃のティアラ

スペインのレティシア妃のプロイセンティアラ。元々はプロイセン所有のものがスペインに渡ったんですね。

 

グランド・ダッチェス・マリー=アデライド・サファイア&ダイアモンド・ティアラ

製作は1865年から70年にかけてアーデルハイト・マリー・フォン・アンハルト=デッサウが所有。ルクセンブルク女大公マリー・アデライドの名前が冠されたティアラ。

現在はルクセンブルクのフェリックス王子の妻、クレア妃が所有。

こちらはスパニッシュフローラルティアラでスペインのレティシア妃が所有。

1879年にスペインのアルフォンソ12世が妻マリア・クリスティーナ・フォン・エスターライヒに贈るために製作された。

ハノーバーリアン・フローラル・ティアラ」

2017年11月にハノーファー王子クリスティアンと結婚したペルー人のアレッサンドラ・デ・オスマが被っている。

ナポレオンの妻、ジョゼフィーヌが所有していたとされるティアラ。

現在はヴェルムランド公爵夫人ソフィアが所有。

 他にもこんなティアラをお持ちです。

1809年にナポレオンからジョゼフィーヌに贈られたカメオティアラ。

ジョゼフィーヌの孫であるスウェーデン王妃ユセフィナ・アヴ・レウクテンベリが引き継ぎ、1961年にスウェーデン王女ビルギッタが使って、2010年のヴィクトリア王女の結婚式で使用された。

モナコのグレース王妃のルビーティアラ。

 

VOGUEには日本の皇族のティアラも紹介されており、その一つが

 高円宮妃のティアラ。

日本は成年皇族か皇族と結婚した妃に新調される・・・と紹介されていますがこれは秩父宮妃のティアラです。

 

以前にも書きましたが、行方不明になっていなければ皇后陛下は3つ、皇太子妃は2つ、各宮妃も2つ以上所持している筈ですが、秋篠宮家だけは、紀子妃、眞子内親王、佳子内親王、ともに一つだけです。

高松宮妃のティアラは雅子妃か紀子妃に受け継がれる筈でしたが、今もって行方不明です。

 眞子内親王のティアラ。

名前がないのが可哀想なので、「プリンセス・マコズ ダイヤモンドフレンズティアラ」とでも名付けましょうか?

佳子内親王のティアラは「プリンセス・チャーミングカコズ・フラワーティアラとか?

 

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ティアラ・ティアラ5

2018-05-22 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 ティアラ特集は以前にもやりましたけど、おさらいで。

過去記事 秩父宮妃のティアラが皇后陛下に?

 

秩父宮妃のティアラが皇后陛下に?2

 

秩父宮妃のティアラが皇后陛下に3

 

ティアラ・ティアラ4  ティアラ・ティアラ3 ティアラ・ティアラ2

ティアラ・ティアラ1

今回、多少以前の記事とダブる部分もありますが「VOGUE」に紹介されたティアラを中心に紹介します。

ガールズオブグレートブリテンアンドアイルランドティアラ

 ジョージ5世妃(左)の結婚祝いとして贈られたティアラが孫であるエリザベス女王に受け継がれた。

 ジョージ4世ステイトダイアデムティアラ

 

1821年、ジョージ4世戴冠式の為に制作、その後、ヴィクトリア女王→メアリー王妃 → エリザベス女王の戴冠式で着用。

 

バーミーズルビーティアラ

1947年、エリザベス女王の結婚祝いとしてミャンマーから贈られた100個のルビーを1973年にティアラとして完成。

 

ヘイロウティアラ

1936年ジョージ6世が妻に贈ったカルティエのヘイロウティアラでキャサリン妃が結婚式で着用。エリザベス女王の妹、マーガレットもしばしば着用。

 

オリエンタルサークレット

ヴィクトリア女王の夫、アルバートが妻の為に贈ったティアラ。クイーンマザーがお気に入りだった。

 

ブラジリアンアクアマリンティアラ

戴冠式の祝いとしてブラジルからアクアマリンを貰って、ティアラとネックレス、イヤリングにしたもの。

 

クイーンメアリーズフリンジティアラ

1919年、ジョージ5世妃の為に作られたティアラでアン王女が結婚式で使用。

でもジョージ5世の妻であるメアリ―王妃って一体、いくつティアラを持っていたんでしょうね。

 

ザ・ウラジミールティアラ

 1870年、アレクサンドル皇帝の弟、ウラジミール大公妃のティアラで、その後、メアリ―王妃が購入し、エリザベス女王に受け継がれた。

クイーンアレキサンドラズココシュニックティアラ

1888年エドワード7世とアレキサンドラ女王の結婚祝いに贈られたティアラ。

 

ケンブリッジラバーズノットティアラ

1900年初頭にメアリー王妃の為に作られたティアラ。

 

ロータスフラワーティアラ

 エリザベス女王がジョージ6世からプレゼントされたネックレスをティアラに作り直したもの。

グレヴィルティアラ

 貴族のグレヴィル夫人が身に着けていたものを友人であるエリザベス女王の母が受け継ぎ、カミラが結婚式で身に着けた。

デリーダーバーティアラ

 1911年、ジョージ5世妃のメアリ―の為に制作された。現在はカミラが使用。

カミラがつけるには大きすぎるような気がしますが。(付け方が美智子ひみたい?)

ミーンダーティアラ

クイーンマザー → エリザベス女王 → ザラ・フィリップスへ

 

スペンサーティアラ

スペンサー家に代々伝わるティアラ。メーガンがこれを使うかもと言われていましたけど、違いましたね。美人のキティも将来使うかも?

 

ボルティモアティアラ

1870年代に制作。クイーンマザーがマーガレット王女の結婚式の為に手に入れた。

その後、2006年にオークションにかけられ1憶3200万相当で売却。

 

ジョージ6世サファイアティアラ

 1947年にジョージ6世からエリザベス女王の結婚祝いとしてジュエリーセットとして贈られ、1960年代にティアラとして完成。

個人的な好みとしてはスペンサーティアラが1番ですが、ヘイロウティアラやザバースノットティアラも好きです。

こうしてみると、やっぱりジョージ5世の奥さん、メアリ―妃がダントツでティアラを所持していたようですね。大英帝国真っ盛りの時代でしたっけ?

また、結婚のお祝いとして宝石を贈られ、それをティアラに加工するという事もよく行われています。

日本の場合は、成年式のみで、美智子妃だけが東京オリンピック時にティアラを新調しています。

 

 

 

 

 

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お題提供ー皇室の3大悪女は

2018-04-23 07:15:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 せっかくだし、この話を続けようかと。

韓国では「3大悪女」が存在します。

張緑水(チャン・ノクス)-李氏朝鮮10代王燕山君(ヨンサングン)の側室。燕山君はその悪政によって途中で退位させられてしまうので「君」なんですが、この側室は妓生の出で王と一緒になってやりたい放題やったようです。

張禧嬪(チャン・ヒビン)-李氏朝鮮19代粛宗の正室。一般的にチャン・ヒビンと呼ばれていますが、本当は禧嬪張氏です。両班と身分が低い女性の元に生まれ、王に取り入り側室になり、正室を追い出して自分が王妃になったけど最後は殺される。

鄭蘭貞(チョン・ナンジョン)ー李氏朝鮮11代王中宗の母の姻戚。太妃の兄嫁。それも側室。これまたやりたい放題。

でもまあ、これらの女性はみな身分的にコンプレックスを持っていて、権力というものにがっついている印象はありますよね。結果的に夫なり王が失脚すれば自分もまた滅びるし、あるいは自らやりすぎて死んじゃうケースも。可愛いものです。

私はここにプラスして閔妃を入れたいですね。

彼女こそ悪女だと私は思います。

今ならやっぱりナッツ姫に水かけ姫に暴言女王ですか・・・・・

じゃあ、日本ではどうなんでしょう?

皆さんはどう思います?

正田美智子ー125代天皇の妃。庶民から皇太子妃になり男子を二人産むも、皇太子妃時代には皇太子に左翼思想とキリスト教思想を吹き込み、皇室のしきたりを変えていった。即位後は批判を封じ込める為に失声症を患い成功を収める。

皇室典範にはない天皇の譲位を実現させ、愛息・徳仁親王の即位とその娘、愛子内親王の即位を望む。

小和田雅子ー126代天皇の妃。日本一の公害病を生み出したチッソの会長の孫。

皇太子妃になってからは「適応障害」となり、皇室の伝統破壊、しきたり無視、内廷費を莫大に遊びに使う、また皇室の宝である宝飾品などをオークションで売った疑いをもたれている。たった一人、授かった内親王の障害を隠し通し「ご優秀伝説」によって女帝即位を目論む。

あと一人?

 

 

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私達はなぜ皇室を尊敬できなくなったのか9

2018-04-11 07:00:00 | 日本人なら絶対に知っておきたい皇室

 明仁皇太子が正田美智子を選んだ理由

手話34年4月10日はひどく晴れ渡っていたようですね。(徳仁親王の時みたいにどしゃぶりじゃなかった)

当時から長い間、二人の結婚は「恋愛」結婚だと思われてきましたし、正田家は辞退に辞退を重ねるも、皇太子に請われて、「一大決心」のもと、皇室に嫁いだ・・・という話が伝わって来ました。

が、21世紀になった今、それは全くの間違いで、実は宮内庁・アメリカ・キリスト教勢力による「正田美智子入内計画」によるもので、それをもっとも推し進めたのが正田夫人であった事。

何等かの密約がそこにはあったものの、実はそれが果たされず、夫人は晩年に週刊誌に「何もかも約束が違った」と漏らしました。

1965年8月30日号の週刊女性には皇太子の学友、橋本明氏の言葉を借りて、なぜ皇太子が正田美智子を選んだのかという事が語られています。

上流旧華族以上の家から、妃をとらないとしたことは、遺伝的な考慮ばかりでは決してなかった。

国民と共に考え、共に生きる伴侶としての人を求めていた。

これは旧華族上流以上の人には、求められない姿であった。

現在、美智子の、常に日本国民のことを考え、自分のつとめに忠実たらんとしている姿をみて、この自分の考えが間違っていなかったと感じている」

 何と正直な言葉だろうと思いますが、けれど言ってはいけないセリフでもあったと思います。「国民と共に考え、共に生きる伴侶」に旧華族上流以上の人には求められない姿」というのは、どこからそんな考えが浮かんでくるのか?と思います。

 正田美智子は庶民の出だから国民と共に生きて考えられると本気で皇太子が思ったのであればそれは違うでしょう。

 皇族や華族だからこそ損得抜きに国の為に行き、国民の為に生きられるのであって、商人の家で育った美智子嬢に果たしてそんな考えがあったろうか?と、思います。正田夫人は何等かの見返りを求めて娘を皇室に差し出したわけですが、その「見返り」とは何だったのか、今はわかりません。

でも自分が名前を出したら困る人が多数いる・・・とも言っていますので、相当な恨みを抱えていたのかもしれません。

 一般人とはいっても正田家の暮らしぶりはとても庶民とは思えない贅沢なもので、旧皇族や華族がその暮らしぶりの見返りに兵役に就く事や、望まぬ結婚すら受け入れなくてはならない「義務」を負っていたのに対し、「正田美智子嬢」は大学を出ても働くわけではないし、即結婚するわけでもない、いわば親のお金で家事手伝いが出来る自由気ままなお嬢様だったわけです。

独身時代にボランティアや福祉に尽くしていたわけでもなく、毎日が見合いの日々だった筈ですよね。7回もお見合いをしたんだから。

いわゆる「有閑マダム」的な生活の中で「国民と共に生きる」感覚が育ったとは私には思えないのですが。

皇太子妃になってから、施設巡りをしたり沖縄に執着したのも全てパフォーマンスでその公務の開拓ぶりはまさに営業マンでした。

 

そして1972年1月1日・8日週刊女性合併号において美智子妃の手紙が出てきます。

「《家庭を持つまでは絶対死んではいけないと思った」と、お話し下さった時、私はいままでの自分の見聞の中にも、読みました小説の中にも、このように寂しい言葉はなかったと思いました。そしてその中を二十五年間お歩みになっていらした東宮さまのおために、力をつくして、あたたかい家庭をお作りしたいと思いました

 この「家庭を持つまでは絶対死んではいけないと思った」という言葉を美智子妃は「皇太子の孤独」を象徴する意味で使っているのですが、なぜかというと、「皇太子は孤独である」とイメージ操作をしたのは美智子妃だったからです。

「皇室に生まれ、小さい頃から両親と引き離され東宮御所で孤独に過ごした可哀想な皇太子殿下。一般人ならそんな思いをしなくてもすんだのに」

という思いはまさに庶民中の庶民。物語の世界です。

皇太子が若かりし頃の写真を見ても孤独さは見えません。

昭和天皇と香淳皇后はいつも満面の笑みで子供達を見ていたし、頼もしく感じていたし、皇太子は学友に囲まれ銀ブラはするわ、テニスに興じるわ、まさに青春を謳歌していましたよね。

「家庭を持つまでは死ねない」というのは「次世代を産むまでは死ねない。それが皇太子としての務め」という解釈が出来るのですが、美智子妃のこの手紙の内容を誰も否定しなかったし、結果的にそのイメージ通りに今まで来ました。

「皇族に生まれるのは不幸」

「皇族は大変」

そんなイメージで包まれた皇室では税金がどのような使われたかをしているのか監査するシステムがありませんので、やりたい放題です。

今や「皇族を3日やったらやめられない」立場、それがわかるKKに付け入る隙を与えてしまったのです。

私が生意気だと思ったのは

手元で育てさせていただくとすれば、それはもう皇后さまのお時代と違う形をとることになってしまいますし、それから乳人(めのと)の問題も――」

これ、結婚する前からこういう手紙を美智子妃は出していたわけですよ。

子供を産む前からやんわりと「違う時代を作る」宣言してました。

「お時代」ですって。すごい言葉ですけどね

こんな手紙が公開され、得意になっていたのは本人だけで、きっと昭和天皇も香淳皇后も、旧皇族も旧華族も唖然としたろうし、自分達に対する挑戦と受け取ったでしょう。まさに足元から崩されていく思いをしたでしょう。

特に香淳皇后に関しては「東宮だって3歳までは自分で育てたのに」どうしてそれを言えないの?と怒り心頭で新興宗教にハマってしまった・・・わかりますよ。

こんな策略をめぐらし、先手先手を行く嫁に太刀打ちできる姑はそうそういないでしょうし、世の中にこんな人間がいるという事もわからなかったでしょうね。

「そうして皇后の笑顔に騙され続ける・・・・」って事になるんでしょう。

皇室と国民を同列にした時点で、皇室は終わろうとしているのだと思います。

 

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