アウトドアライフの記録

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古代出雲王朝ゆかりの地や神話を尋ねて 紀の国に移住した出雲王家の人々 2015年9月8日 その1

2015-09-23 22:41:49 | 古代出雲王朝ゆかりの地を尋ねて
紀州といえば 高倉下の命(たかくらじのみこと)である。

今回は高倉下が父の五十猛(徐福の長男で後の名を天の香語山)と母親の大屋姫とともに 
紀の国へ移住した痕跡を訪ねる。

大屋姫は出雲王朝第八代主王ー大名持の八千矛王の孫娘である。

また彼女は八千矛王(記紀では大国主と書き換えられた)が徐福らに拉致監禁され殺された後 大和へ移住した八千矛王の長男
味鋤高彦の娘姫でもある。

もっとも大屋姫は晩年を大和葛城に大勢で移住した出雲族とともに過ごし その地には「大屋」の地名が残る。

それと記紀の中のおとぎ話 「神武東征」のモデルの一人にされた 九州物部家「彦渚武王」の長男
物部五瀬(もののべのいつせ)が紀の国に上陸した後 高倉下の一族に毒矢で戦死させられ 
家臣たちにこの地に葬られた墓地とその地に建てられた竈山神社(かまやまじんじゃ)を訪ねる事である。

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その1 伊達神社(いたて)、射矢止神社(いやと)、大屋津姫神社(おおやつひめ)
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伊達神社(いたてじんじゃ) 和歌山市園部 1580
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伊達神社は地図の通り 有功(いさお)小学校に隣接していた。
ただこの小学校の案内標識がなくてあちこちで聞いて回った。(東有功小学校の看板はあります)
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道路に面して鳥居がありそこを潜る。
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長い参道を歩く。
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広い境内に出た。
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立派な参集殿がある。
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拝殿に行ってみる。
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拝殿に 由緒が貼ってあった。
五十猛を「いたける」と書いてあるが「徐福の長男 いそたけ」の事である。

その次の八井耳で少し驚いた。高倉下の父は五十猛であるが、母違いの兄がいる。

徐福が2度目の和国上陸後 九州宗像家ー出雲王家の九州分家ーの市杵島姫との間に生まれた「穂屋姫」と
五十猛との間に生まれた 天の村雲が初代大和大王となるのである。

大和大王二代目は沼川耳、三代目は玉手看であるが玉手看の弟が八井耳で多臣家の始祖であり
その子孫に記紀を不比等に書かされた太安万侶がいる。

高倉下と同じ徐福や出雲王家の血が流れているとはいえ なぜ天の村雲や沼川耳、玉手看ではないのか 分からない。
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境内にはご神木があった。
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拝殿から本殿へ続く廊下があるが 中の様子は分からない。
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境内にはさまざまな末社がある。
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こちらの末社を見ていて驚いた。
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なんと「粟島神社」と書いてある。
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粟島とは 出雲王家第八代副王で東出雲王家の八重波津身(記紀では事代主と書き換えられた)
が徐福の部下穂日(今の出雲大社宮司の祖先)や海童たちに誘拐、幽閉、殺害された場所が
「粟島」なのだ。

紀元前200年頃の出来事だが、奈良時代にはまだ人々の記憶に残っていて
万葉集にも 粟島の事が詠われている。

高倉下の子孫たちは、ご先祖様の幽閉された場所を祭ったのだろうか。
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射矢止神社(いやとじんじゃ) 和歌山市六十谷381
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すぐ近くの射矢止神社に言ってみる。
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この神社は現在工事中であった。
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裏に沢山の末社がある。
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ひととおり見て回ったが 昔からの近在の神社を合祀したのだろう。
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本殿の様子も見えない。
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この神社が気になったのは 神社の名前である。

射矢止神社の射るという字は五十猛の「い」に通じているからだ。
先ほどの神社は 五十猛を「いたけ」と読み、伊達(いたて)神社とした。
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先日は奈良県櫻井市で 穴師坐射楯神社(あなしにいますいたてじんじゃ)に行ったが 
穴師とは金属精錬技術者の事で射楯(いたて)とは五十猛の事である。

由緒書きがないので ネットで調べると祭神は ホムタ大王(応神)、オキナガタラシ姫(神功皇后)とこれは全国どこでも
あとからついでに祭られているもので 特に関心は無いが、天の香山、一言主 と書いてあった。

天の香山とは「天の香語山」つまり五十猛が丹波へ移住した後に名乗った名前なのだ。

それと一事主は 事代主の事で 関西では一言主とか「いちごんさん」と呼ばれる事が多い
出雲王家第八大副王、少彦の八重波津身のことなのだ。
と言うことでここでも香語山、つまり五十猛を祀っていたのだ。

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大屋津姫神社 和歌山市宇田森59
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宇田森集落の真ん中にこんもりとした森が見える。そこへ近づくのが難しかった。
この小さな橋を渡る。
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参道を歩いていくと 子供たちの元気な声が響いて来た。
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大きな保育園だった。東洋保育園とかいてあり、沢山の小さな子供たちが遊びまわっていた。
丁度私の孫たちと同年齢なのでしばらく微笑みながら 眺めていた。
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鳥居を潜る。
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こじんまりとした拝殿があった。
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由緒書きが貼ってあった。

大屋津姫とは大屋姫のことで 高倉下の母君なのだが、五十猛と結婚した出雲王家のこの姫君をなんと
五十猛の妹姫と書いてある。なんのこっちゃ。

高倉下が母君の大屋姫を祀るために立てたこの神社で ご両親を祀ったのに いつのまにか夫婦が兄妹にされてしまった。
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写真右側の本殿は一応「妻入り」であるが大社造りかどうか 見えなかった。
保育園入口の塀越しに写真を撮らせてもらった。
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五十猛も祀ってある。
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こちらが五十猛神社だ。
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次は その2 竈山神社、伊太祁曽神社、そしてついでに近くの 和歌山電鉄貴志川線貴志駅の駅長タマを拝見

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